① 傘下クラブの出入り
老ク連に属する各老人クラブは、昨年四十九クラブであったが、その中から少人数の四クラブが抜け、代わりに本年はリベイロン・ピーレス錦友会が復活した。そして多数になりすぎたサンパウロ中央老壮会から、地域的にまとまったアクリマソン若葉会と、サンパウロ生涯現役クラブが独立し、結局二〇〇七年は四十八クラブとなった。
加入人数については、地元では数百人という数字でも、老ク連の会費を払うとなれば、例え遠近の差をつけてもぐっと人数は減り、登録は一割ほどという会も多い。その中でブラジリア百九十名、ツパン百四十名、カンピーナス百二十名、カンポ・グランデ九十二名、レジストロ九十五名、アチバイア九十五名などの登録は大変嬉しく、お蔭で今年は昨年より約四百名多い三千二百名の登録会員であった。老ク連は寄付のある福祉施設ではないので、他人に見て貰うために入る会ではなく、高齢者が自分で張りのある老後を過ごすために入る会である。子育てや責任のある社会的義務が終り、やりたい事が堂々と出来る幸せを、自分の意志で手に入れられるのである。
② 交流・親睦旅行
第四回目の交流旅行は、一行四十名が移民の故郷といわれるカフェーランジャ、プロミッソン、ペレイラ・バレットなどを経て、ドラセーナ明朗会へ行った。緑豊かな広々とした敷地内にあるこれまた大きな会館で、百人以上の人たちに迎えられ、美味しいご馳走と共に大変楽しい一日を過ごしてきた。
また九月には知識を広げるための観光目的でビトリアに行き、美しい海岸と港等を見ながら、老人会らしいゆったりとした旅行を楽しんだ。同じような境遇同士安心の旅であった。
③ 恒例行事・事業
八月に初めての試みとして、老人クラブ大会と芸能祭を一緒にした大会を文協で開催した。内容も観客の入りも良く、催しの時間なども丁度でこの形式を今後も続ける事にした。五月のゲートボール大会も縮小することなく行われたし、十一月末に行ったばかりのカラオケ大会は出演者も入場者も増えて、会場も非常に賑やかであった。来年の移民百周年祭が終わったら、一世の世ではなくなると言われる中、何か幸先が良いように思われた。この成功の蔭には旧スダメリス銀行の会場費援助という大きな支援と、今村医師による多額の敬老金があることを忘れてはならないと思う。このお蔭で安心して催しの計画も立てられるし、会員にも喜ばれている。
当センターでの教養教室は、百人一首がカルタ取りと書道の双方で始まり、全部で十三教室となり、中には満杯で入会者を断っている部門も出てきた。県連主催の日本祭りへの出店も恒例化し、他からやって貰うのではなく、自力でやる老人クラブが、世間にも理解されつつあると思う。
今年珍しかったのは、サロンでの催しに飛び入りが幾度かあったことだ。昼食時間の利用なのに平均五十名くらいは集まり、こじんまりながらも楽しんだり、学習できたりで、とても良かった。