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(最終更新日 : 2019/02/15)
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2005年7月号
2005年7月号 (2005/07/07)
余暇の生きがいに短歌を
老壮の友短歌壇選者 水本すみ子
ブラジル日系老人クラブ連合会は、傘下に全伯各地の老人クラブを五十数団体集めていると聞く。日系コロニアの中での錚錚たる団体であることに驚かされる。
己が一代を通じて築き上げた地位を次の世代に譲って、さて、仕事を離れて自由な時間をたっぷりもてるようになり、この余暇を有意義に過ごすには…、との会員方の思いに応えて「高齢者に生きがいを!」の目標に沿って趣味と教養の教室が十教室設置されている。誠に僭越ながら私もその中の一つ短歌部門を受け持つことになり、何時の間にか十二年の歳月が経っている。
出詠者の半数が「短歌は初めて…」と言われるが、いわゆる「初心忘れず」の心で素直な心情をそのまま作歌されたものが、わずか手を加えるだけで素晴らしい作品に代ることがある。また、先年の誌上短歌コンクールでも思い掛けない秀作が集まり、お願いした選者の方々にもお褒め頂いたりして、私もうれしい思いをさせて頂いている。
〃新しき記憶も古き良き思い出も心の糧とし老いを生きなん〃
〃耳しいとなりたるわれに筆談の妻の癖字を声かとも読む〃
〃光きゆきのわからぬことも良しとして生きてしゆかん一人の余生〃
(コンクール作品なので、選者の加筆はありません)
このように日本語には日本語独特の叙情性が豊かにあり、他に類のない言語であると思う。それ故、日本人と日本語のある所に必ずと言ってよいほど俳句、短歌の短詩型がつきまとっている。移住初期より発刊されていた邦字新聞には欠かすことなく俳句、短歌その他の文芸欄があり、毎月一、二回配達される新聞に昼間の農作業の疲れも忘れて読みふけったことだったであろう。熱心な投稿者があり、熱心な読者層があって、俳句短歌は移民社会の拡張と共に広がりを見せてきた。しかし世代の移り変わりは如何ともなし難く前途は必ずしも明るいとは言えないと思うが、でも現在まで築いてきたこの形跡はきっと、永久に消えざるものとして何らかの形で残るものと私は期待して止まない。
芸能祭今は昔
ジュンジャイ睦会 長山豊恵
今年も第二十九回全伯老人クラブ芸能祭が無事に終った。指折り数えてみると、老ク連も創立三十周年である。
懐かしいもので、初めて老人クラブの芸能祭に参加させていただいたのも夢のように、今は昔の出来事になってしまった。
本部で老人クラブの歌の踊りの振り付けが出来た。私達は何も分からないから、と古沢勘ちどり先生に来ていただいて、老人クラブの踊りを習ったものである。
その頃、私はまだ若く、仕事もしていたが、踊りが習いたくて通っているうち、「全伯老人クラブ芸能祭に参加しないか」と云われて、その時に老人の仲間に入れさせてもらった。まだ、四十九才だった。
お友達は「あんたがその年で老人会に入るとは、合点がいかん」と頭を傾げていた。
とにかく、初めての芸能祭である。興味を持ち、気はソワソワとネルボーゾになっていた。サンパウロの日本文化協会の記念講堂の舞台にガクガクと震えながら立ったものだ。友達も落着かず、しきりに砂糖水を飲んでいた。
あの時の踊りは忘れもしない団舞で、「あんこ節」であった。今は亡きMさんは、踊っているうち突然、「アラー、どうしよう」と声を出して立ち止まった。その声にびっくりして、Kさんと私も立ち止まった。「時計を、はずしなさい」と先生から云われているのに、Mさんは時計の事をすっかり忘れて、そのまま舞台に立ったのである。踊るうち手を上げたとたん、袖がすべり腕の時計が見えたので、Mさんはハッとして思わず声を出し踊りも忘れて立ち止まってしまったのだった。申すまでもなく、あとはメチャクチャ。その時の仲間はみんなで二十三人であったが、年月が過ぎると皆亡くなり、今、古い仲間は三人となった。
芸能祭があるたびに、二十数年前の出来事を懐かしく昨日のように思ひ出す。今は若い人達の仲間になり、「ボケナイように、がんばろうよ」と三人は未だに踊り続けている。
しかし、私達は幸せである。年金を頂きながら、あっちこっちと遊びながら踊っているその楽しさ。昔の辛さは夢のようだ。この幸せは云い表せない。幸福に浸りながら日々の過ぎるのを有難く、ただただ神様に感謝している次第である。
ビラソニア盆踊り会に参加して
サンパウロ鶴亀会 猪野ミツエ
五月二十二日、第三回ビラ・ソニア盆踊り大会が開催されました。前夜は久々の降雨があり、朝方まで続いていました。二十二日は、老ク踊り教室の玉井先生門下が年に一度、一場に集ふ日です。私達の心が天に通じたのか、午前八時前より雨はあがりました。会場には立派な四本柱が立ち、大小の薬玉で飾られていました。
午後一キッチリに始まり、ビラ・ソニア盆踊り会宮城後援会長、ビラ・ソニア老ク代表の朝枝会長、サンパウロ鶴亀会の井上会長から祝辞をいただきました。どなたも盆踊りを通じて日本文化を継承して頂きたい、とおっしゃっていました。
玉井先生は悪天候にめげず、たくさん参加してくれたこと。また会場づくりには、家族ぐるみで手伝ってくれたことの感謝を述べられ、「これからも盆踊りに加はることで、和の心を養ってほしい」と挨拶されました。
続いて、今年の皆勤者に先生よりお褒めと励ましの言葉があり、ブローチが贈られ、三年間皆勤の八十八才の方もおられました。門下生より先生に記念品を差し上げ、益々の御健康と祈りました。
吉武太鼓道場より御夫妻、青年数名と五、六才の可愛いお弟子さんも踊りに花を添えてくれました。どんよりしたビラ・ソニアの空に勇ましいバチが響き、踊りを盛上げてくれました。曇り空ではありましたが、絶好の踊り日和であったと思います。
ビラ・ソニア盆踊り会より六十名、老壮クラブより八名、ボン・フエリオより二十四名、サンパウロ鶴亀会より十五名、百余名の弟子が心を一つにして二「千年桜」、「チャンチキおけさ」、「天竜下れば」「お座敷小唄」など数々の踊りを披露。最後の炭鉱節には、見物の伯人らも飛び入りして、和気あいあいのうちに無事終了しました。年々ふくらむ踊りの輪。玉井先生のお人柄の賜物と思います。
見物に来られていた車椅子のお二人。九十二才とか。昔のお知り合ひの方らしく涙して喜ばれ、先生を励まされていたのも印象に残りました。いろんな都合で今回、参加できなかった弟子もたくさん居られることを思ひます。来年はぜひ、お逢いしたいものです。
私も八十路、先生の御教えを受けながら楽しく過したいと願ふ者です。
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