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熟年クラブ連合会
     活動報告  (最終更新日 : 2019/02/15)
2006年6月号

2006年6月号 (2006/06/08) 私の抱負

老ク連副会長 小坂誠
 一九九八年イタケーラ寿会創立二十五周年の年、会長真鍋次郎氏と副会長竹内喜太郎氏の入会のお誘いを断りきれなくなって、私は寿会に人会しました。
 創立二十五周年は無事済んで、翌年の新年総会では会長選挙があり、新人の私は何も分からぬまま配られた投票用紙に真鍋会長の名前を書きました。投票が済んで、誰がなるのだろうかと興味を持ちながら黒板を見ると、私の名前がどんどん増えていくではありませんか。集計が終わり、隅の方で小さくなっていた私は断る言葉もなく、会員の視線に迎えられて挨拶のために立っていました。あれから七年が経ちますが、昨日のことのように思い出されます。
 本部の代表者会議には、寿会会員に本部の動きを伝える義務があると思い、出来るだけ出席しました。二〇〇二年には会長選挙があり、重岡康人氏が会長に選ばれました。それと同時に私は幹事に推薦され、纐纈久雄氏と丸山茂氏の下で監事の勉強をしました。毎月、代表者会議の前に伝票を一枚一枚見ながらチェックしていくのです。どの月も三百枚前後ありました。会計理事はその帳面を全部調べているのです。どんな会でもお金の動きで内紛が起こると聞いていますが、老ク連は大丈夫だと確信しました。二年の任期が終り、次の年も監事に推薦されました。次は西丸俊子さんと古賀正倫氏が仲間です。こうして四年間老ク連に通っていると、内部事情が分かってきました。
 重岡会長になってサンタ・クルース病院との医療提携が出来、老ク連の活動が一層活発になりました。老人クラブ創立や会館建設など、当時の役員達がご苦労された事も少しずつ分かってきました。家庭でも国でも、歴史を忘れたら滅亡に向うと先人から教えられています。今回第三副会長に推薦され、引き受けさせて頂いたのは、会長の下で微力ながら先輩のご苦労を偲び、老人福祉の為にお手伝いが出来ればとの気持ちからであります。よろしくお願いします。


老ク連、西パラナを巡る旅

「楽しかった老ク交流会」
ノーバエスペランサ緑会会長 高倉輝男
 四月三十日午前十時過ぎ、サンパウロ老ク連ツアーの皆様方が、無事にノーバエスペランサ文協会館に到着されました。連合会会長の重岡康人氏をはじめ役員の方々、事務局長、シニアボランティアの宇野妙子先生、会員全員四十二名、元気に当緑会を訪問してくださいました。
 私共と致しましてもこのような交流会は初めてのことでもありましたが、サンパウロの皆様方と知己を得、交流の場において、お互いに充分勉強させて頂きました。又、シニアボランティアの宇野妙子先生には、長途の旅の疲れも見せられず、童謡歌などにあわせた踊り、いろいろなゲームに時間を忘れての楽しいひと時を頂戴いたしました。
 当副会長亀岡氏の最後の挨拶に、いろいろなゲームを通じ、本当に子どもに戻ったような気持ちになったと申されましたが、ゲームに参加された皆様方も同じ気持ちだったと思います。宇野先生、本当にありがとうございました。
 また、サンパウロの皆様方には、私共緑会に沢山のお土産まで頂きまして、只々、厚く感謝申し上げます。サンパウロの皆様方のご健康とご繁栄、老ク連合会の益々の発展を祈念いたしております。

「思い出の地・西パラナ」
サンパウロ中央老壮会 村松ひさ子
 この度、老ク連主催の「西パラナを巡る旅」に私は母と主人と三人で参加させて頂きました。
 観光寝台バスにて、夜の十時半出発。翌朝、ロンドリーナに着きました。温水プールに浸かり、その後、マリンガ市のホテルに到着。昼食後、市内見物を致しました。
 翌日は市内の和順ホームを訪問した後、同バスにて、ノーバ・エスペランサへ行き、当地の老人クラブ「緑会」と交流しました。
 実はこの旅の事を知った時、一九六〇年代初め、ノーバ・エスペランサから三十キロ位のノーボ・ビラッキを思い出しました。そこには私たちの土地があって、主人と姉夫婦と共にコーヒーの仕事をやっていたのです。
 ノーバ・エスペランサの町はその頃の私たちにとって一番近い町でした。
 買い物や三人の子供のための保健所通い等に時々訪れていたのです。
 主人は初め、この旅にあまり乗り気ではなかったのですが、昔の知り合いに会えるかもしれないと期待して参加しました。
 それで交流の時、「緑会」の心づくしの昼食を戴きながら、同じテーブルの「緑会」の方と話をしました。するとバロンという所に住んでいる五十代位のご夫婦はノーボ・ビラッキに今も住んでいるご夫婦を紹介して下さいました。主人と同年輩のその方は、意外にも当時、同植民地で近くに住んでいた方でした。その方たちとはそれ以前にも主人が生まれ育った旧ビラッキ(ノロエステ線)で隣に住んでいた人でもあり、家族ぐるみで親しくしていた人だったのです。私自身は戦後移民なので、旧ビラッキのことは分かりませんが、主人はその御夫婦と当時周囲に住んでおられた人々のその後の動向等を熱心に聞いておりました。
 予想通りに懐かしい方々にお会い出来て、記念写真を撮り、主人は私以上に満足のようでした。
 昼食後はシニアボランティアの宇野先生によりレクリエーションがあり、その中でも誕生日の音楽による遊戯はとても面白いものでした。
 普段は踊ったりしない主人まで出て楽しんでおりました。色々なレクリエーションでノーバ・エスペランサの人たちと子供にかえって楽しいひと時を過しました。
 翌日はローランジャに寄り、日本移民史料館を見学し、聖市への帰路に着きました。
 この旅行を計画し、同行して下さった老ク連の方々や旅行社の添乗員の方、本当に有難うございました。

「マリンガ大聖堂に登る」
サンパウロ鶴亀会 内山卓人
 マリンガ二日目はこのたびの旅行の目的の一つ、和順ホームを朝早く訪問しました。身寄りのない老人に温かい幸せを、と日系人の同朋愛の結晶ともいえるこのホームはきれいに整備され、屋内も明るく便利で、入居者はゆったりと過されておりました。去年三十周年を迎えられたとか。老人介護福祉の向上に対する熱い願いが継続されていることを聞き、感銘させられました。
 その後、ノーバエスペランサ綠会と交流しました。午後には希望者十五名が高さ百二十メートル、五百二十段もあるマリンガ大聖堂の塔に登りました。
 驚いたのは八十九歳の杉本さんが息も乱さずに登りきったこと。その健脚に脱帽しました。しばらく目も眩むような塔上より緑濃い街を展望し、その辛苦の汗の中で神様は何でもかんでもひっくるめてお聞き入れ下さるので、我々の家内安全、商売繁盛、念願成就を祈願し、快い達成感の中、塔より降りました。

「パラナ州移民資料館」
バウルー福寿会 早川正雄
 五月一日今日も昨日に引き続きブラジル晴れの好天気、二晩お世話になったマリンガのホテルをあとに朝八時オニブスは一路ローランジャ向け出発(七五キロ)一望千里真平らなパラナの大平野を行くこと一時間余り、右に左に大豆ありミーリョあり、やがて目的地のパラナ州日本移民史料館についた。
 この史料館は移民七十年祭(一九七八年)の時、橋本悟朗先生を中心として作られたローランジャ農産物資料館を前身としている。築後二十一年を経て、日本政府の草の根無償資金を得て、修増築工事が行なわれ、二〇〇一年六月十七日移民九十三年祭当日落成した。史料館敷地内には神社もあり、神社の横にはヤシの木を割って建てた移民小屋がある。菊のご紋章のある皇族の写真が飾られ、柳行李、蚊帳、なべなどが置かれている。総ての移民のたどった道だ。史料館の内部は実に立派なものである。かって開拓当時に使われたマッシャド、大ノコそのほかエンシャーダ等々入植者の尊い汗のにじんだ農機具、家具、台所用品がずらり。そして一方には日本着姿の大人形、実物大の煌びやかなお神輿。時代に当った史料館(過去と現代)と頷かされた。
 午前十一時頃、史料館にお別れ帰途につく、途中、レストランで昼食、杉本相談役ご夫妻と同席、氏は北海道出身で同郷の好みもあり種々と話しに花がさいて誠に楽しく思い出の多い意義のある旅行であった。


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