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(最終更新日 : 2019/02/15)
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2006年12月号
2006年12月号 (2006/12/14)
今年の監査を終えて
老ク連監査委員長 丸山茂
一年間老ク連の監査をして、各事業が計画どおりに実施できました事を心からお祝い致します。理事会、事務局員の絶大なる労力があった事と信じます。経理部におきましても確実な記帳計算ができていました事を改めて報告致します。
一年間の事業の際に会長をはじめとして、理事の皆様方には多大なる御祝儀を頂戴し、御礼申し上げますが、此の事について一言申したく思います。理事の皆様方は悠々自適の生活でお暮らしの事と思い、何も言う事はありませんが、これが習慣のようになれば次期の理事改選に少し心配を致しております。
私はインダイアツーバ親和会ですが、聖北地区には、ジュンジアイ、カンピーナス、インダイアツーバの三クラブがあります。二十一年前に、先日亡くなりました本山喜久雄氏の提案により、三地区の芸能祭が発足し、規則のような物は特別作ってはいませんが、三年に一回の回り持ちで取りまとめてきました。今年はジュンジアイ支部の当番でしたが、無事にジュンジアイ日会会館において芸能祭を終えました。
二十一年と一口に言っても、長いようにも短いようにも思います。発足当時の踊り子さんのうち、数人が他界しました。御冥福をお祈り致します。その時生れた子供達も一人前の青年に成長しております。今は新しく加入する人は少ないのですが、当時の踊り子さん達が頑張って練習をして芸能祭を盛り上げて頂いております。この火を消さないように頑張っていきたいと思います。
最後に、本山喜久雄氏のご冥福をお祈り致します。
サントアンドレー白寿会を訪問
小野一生
去る六月、サントアンドレー白寿会の皆さんがレジストロを訪問され、双方で交流を深めた。そしてこの度、白寿会よりの招待を受けて、我々春秋会四十五名は九月十九日にバス一台を満席にし、朝六時に文協会館前より出発し、午前十一時に到着した。サントアンドレ白寿会の会館は市の中心部にあり三階建ての立派なものであり、そこに会員百五十人もの方々が揃って出迎えて下さったのには驚きと感激であった。
少憩してから先方の予定されていたプログラムによって、先ず市立のぺドローゾ公園に案内された。公園の中心には日本風の小さな歩道橋があり、サントアンドレー市と群馬県の高崎市が姉妹都市であることからこの橋を高崎橋と呼ぶそうだ。又その公園内の小高い所に立派な御影石の石碑があり、移民七十年を迎えた年、時の総理大臣福田武夫氏の揮毫「拓魂」の字が光って居た。そこで全員揃って写真を写す。
会館に戻ってから、全会員が相互に名乗り合って交流し、進行係りの手際よい紹介と古賀会長の歓迎の挨拶があった。続いて春秋会もお礼の言葉を述べさせて頂きついで老人クラブの歌を合唱してから白寿会会員の持ち寄りのご馳走を戴いた。フェイジョアーダの大鍋まであり、盛り沢山であった。食後は地元の人達の歌や踊りが披露され、春秋会側からも一部出演して交流を一層深めた。
又会館の三階まで案内され、その充実した申し分のない設備に感嘆した。娯楽室には玉突き台、トランプ、碁、将棋など愛好者の為に専用席があり、カラオケ、コーラス室は別室。更に「くつろぎの場」が設けられ、歴代会長の顔写真が掲げられてあった。最上階の為見晴らし風通しもよく、実に快適であった。
今回、大勢の方々と語り合う事が出来たことは大きな成果であった。更に階下に下りても次から次へと話す人が引っきりなしに来られた。
三時過ぎには帰途につかんとしたが、バスが始動せずメカニコを呼んで来ると言うハプニングもあったが、一時間ほどで修理完了。名残りを惜しみつつ、皆さんの歓待に感謝し、別れを告げた。思い出に残る楽しい交流の旅でした。
レジストロに高橋福祉士を迎えて
大岩和男
去る十月十九日のレジストロ春秋会の例会には老ク連から高橋久子社会福祉士が特別派遣されておいで下さり百人近い会員が集まった。
高橋さんは終戦十日前の一九四五年八月五日に疎開先の岐阜県で生まれたが、出身地は「東京です」と言われた。終戦後の物資不足時代から復興好転するまでの苦労されたことを話され、学業が終わってから幼稚園で働き、その後、養護施設に奉職され、高齢者の介護に勤めたという。そうした体験を生かして、何らかのお役に立てばと、昨年JICAから憩の園にシニア・ボランティアとして派遣されている。絶えずユーモアを交えて話される語りぶりに会場の人たちはただ感嘆するばかりだった。お話の後、高橋さんを囲んで輪投げに興じ、午後四時に例会は終了した。
その後、黒澤さんの車で「茶の元祖」と言われるシャリベーラ岡本工場へ案内した。当主の岡本リカルドさんは三代目である。リカルドさんは茶の歴史の概要を話してくれ、工場から五百メートルほどの所にある茶の原木を見せに連れて行ってくれた。祖父の寅蔵氏が七十一年前にセイロンから国禁の茶の実を持ってきて植えたという茶株六十本あまりである。一寸急坂に植えてあり、幾株かは根を剥き出しにしているものもあったが旺盛で今尚芽を出し続けているという。高橋さんは茶の芽、一針二葉を手に取って、飽くことなく眺めていた。
自宅に招かれて茶菓のもてなしを受けながら、ビデオで茶摘から紅茶が出来るまでの工程を説明して下さった。簡単に「お茶」というが、製品ができるまでの夥しい過程をまざまざと見せられた。
翌日は河の縁の大鳥居(八十周年記念)や水難者慰霊碑、KKKK、史料館、そして郊外の善本ゴザ工場などを見て頂いて、十二時半にバス停まで送り、お別れをしました。
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