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(最終更新日 : 2019/02/15)
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2007年12月号
2007年12月号 (2007/12/08)
今年の監査を終えて
老ク連監査役 古賀正倫
ブラジル日系老人クラブ連合会との御縁は二〇〇二年に当地サントアンドレ白寿会の池田会長と老ク連会議に同行する事がきっかけとなり、二〇〇四年は高原会長の副として、毎月の会議にカバン持ちとしてお供させて頂いたことが始まりでした。四月頃より厳しい監査役に推薦され、身の引き締まる思いで受けた事が昨日の事のようです。
幸いな事に、新人の私には大先輩のイタケーラ寿会の小坂誠会長、モジ中央日会老人部の西丸俊子様(元老ク連会計)、プラッサ・ダ・アルボレ老壮会の戸田房子様(日系銀行員四十年のベテラン)方の御指導の下で、毎月第三金曜日に他の役員より約三時間早く本部へ行き、監査の仕事をして参りました。
さすがブラジル老ク連、月によって枚数は異なりますが、約三、四百枚のノッタと一つ一つ細かく記載され二十五項目に仕分けられた会計帳を照らし合わせ、午後一時の代表者会議に間に合わせるよう努めて来ました。
驚くべき事に約三年間の監査中、今までに十センターボスの差額しか出ないほど確実な記帳計算で、事務局長と戸田会計理事のコンビには疑問点は何も無く、ただ頭の下がる思いです。
どんな会または会社でもお金の動きで内紛が起きていることをよく聞きます。私たちの老ク連は大丈夫だと確信をしております。
二〇〇四年末、役員の改選があり、小坂氏は副会長へ。二〇〇六年四月よりインダイアツーバ親和会会長の丸山茂氏がその後の監査役に入られ、今日まで毎月三人で楽しく頑張って年末を迎えました。
今年も仕事が無事に終了しました事、心より感謝申し上げ、来年も老ク連の益々の発展と全会員の健康とご多幸を祈願いたします。どうぞ皆さま、良い年をお迎え下さいませ。
貞弘先生ようこそ
みずほ福寿会 田村清信
十月に入っても毎日の猛暑続き、空気は汚れ、野も山も、町も川も湖もどこもかしこも公害でいっぱいだ。早く一雨をと、汚れたどんより空を見上げれば、目はチカチカ。あんぐり開けた口にはほこりが舞い込み「ゴホッ、ゴホッ」。わずかな風に木の葉、いや、ゴミくずが舞っている。
そんな風景も、毎年恒例のサマータイム開始の日から一変。大自然も狂ったか驚いたが、十四日の〇時を、十四日の一時に時計の針を進めた瞬間、「ザッー」と雨の音。急いで窓から外を見ると、静かだが強い雨足で眼下の舗道を流していた。「やれ、嬉し、ありがたや」。これで空気も木の葉も、そして野や畑も町も、みんな皆、全部洗われ、「きれい、きれい」。心なしか吸う空気も新鮮になった。
明くる日の月曜日は、当みずほ福寿会の定例集会で、朝八時に出頭?し、会場づくりや雑用でウロウロして、やがて十時、今日のお客さん、シニアボランティアの貞弘昌理さんを迎える。
「やぁやぁ、いらっしゃい」で、貞弘さんは満州生まれの徳島育ち。私も同じ徳山で同郷人。セントロのサンジョアキンにある山口県人会館で何度かであって、まじめな話や冗談軽口を?彼は私と違って、とても素直な男性で、もの優しく、周囲の女性連に大モテとか?(うらやましい)。しかし残念なことに、少々人生の月日を重ね過ぎた?方々も多いらしい。イヤイヤ失礼。
冗談は止めにして、当福寿会は会員九十一名で、この日は昨日から雨と気温も下がってか、五十四名の出席。会長の挨拶に続き、出席を取っていよいよレクリエーションで貞弘さんの時間となる。
紹介があって、手を使って上に下に、腕を右へ左へと頭の運動にもなってワイワイガヤガヤ。簡単のようでなかなか大変だ。両手の親指小指を交互に立てるのだが、生まれつき親不孝者の私の親指は素直に動いてくれない。周囲を見回すと、やはり同じで悪戦苦闘の様子。いつの間にか両手の指が同じになっていて、貞弘先生に「それ、少しおかしいネ」と言われて気付いて、ワッハッハ。
そしていよいよ貞弘先生の十八番のギター演奏の始まり。まずは♪荒城の月のメロディーが会場いっぱいに流れる。瞬間、私は六十余年の昔を思い起こし、ギターの音にうっとり。終戦後の日本は物不足だったが、小学生だった私のクラスにはオルガンがあって、同級生三十四人でイガグリ頭は十四名の女上位。そんな中、なぜか音楽のバアサン先生はいつも私を引っ張り出して、女生徒相手の合唱。その曲が決まって「荒城の月」だった。
「なぜ私に?」と思ったが、当時は(今でも?)鼻水の純情児。一生懸命大口開けて歌ったものだった。そんな思い出に浸りながら、先生の演奏を傷つけないよう声を殺して腹の中で歌いました。そして次に「♪浜辺の歌」、「♪幸せ通りゃんせ」、クラッシック音楽で「♪ラ・クンバルシータ」、「♪禁じられた遊び」、「♪抱擁」等々にうっとり。
次は童謡で「♪赤い靴」、「♪かもめの水兵さん」、「♪青い目のお人形」、「♪港の見える丘」と港風景が目に浮かぶ。次は私の故郷、山口の(徳山から疎開した)山奥を思い出す音楽だった。「♪ふるさと」、「うさぎ追いしかの山 小鮒釣りしかの川 夢はいまも巡りて 忘れがたきふるさと」。やわらかいギターの音に久々に童心に返り、寿命が長くなったような気がする。
最後は演歌となって、「♪影を慕いて」と恋の歌、「酒は涙か ため息か?」お次は溜め息でも女性が男性の働きぶりを素直に見ないで、ヤキモチか、「アァ、それなのに、それなのに」。そんなときは男は遠い故郷を思い、「誰か故郷を思わざる」で、次に初恋の君を訪ねて、今宵また、ギターを爪弾く旅の空。今は人の妻となった初恋の人との夢を慕いて散る涙、アァーア。
とか何とか、雑文も長いと嫌われる。終わりに先生の教訓を復唱します。「難しい事を、難しくでなく、易しい事を易しく考えましょう。年を取っても子供心を持ち続けましょう。いつも遊び心を失わないで」。
先生大変ありがとうございました。またのお出でを心よりお待ち致しております。
レクリエーションのビンゴ 「野菜ビンゴ」と「カラオケビンゴ」
JICAシニアボランティア 貞弘昌理
普通、私たちがやるビンゴは結局は運がものをいうビンゴだが、レクでよく使うビンゴは五~六人グループに分けてチームを作り、「ウサギさんチーム」とか「ゾウさんチーム」とかの名前をつけて対抗戦で行う。
グループにB5またはA4大の用紙をチームに一枚ずつ配り、縦横三つに折って、九つの桝を作る。(レクでやる場合、九つぐらいが適当)。その枠の中に、自分たちで考えて、野菜ビンゴなら「だいこん」とか「にんじん」とか、カラオケビンゴなら「♪影を慕いて」とか「♪青い山脈」等を記入していく。九つ全部埋まったら、試合開始。
グループごとに順番に一つずつ野菜や曲名を読み上げていく。または、グループに参加していない人に思いつくままに言って貰うという方法もある。この場合、読み上げる人が何を言うかを考えて記入するところがポイント。レクでは景品は出さないで、ただ遊ぶだけだから、問題になることはない。「どうかな?」と思うことがあっても、笑って済ますことが出来る。
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