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熟年クラブ連合会
     活動報告  (最終更新日 : 2019/02/15)
2008年5月号

2008年5月号 (2008/05/10) ~歴史の街を訪ねて~ 「ミナスへの旅」

 老ク連の本年の旅行第一回は、ブラジルではイグアス・リオ・に次ぐ位に有名な、ミナスのオウロ・プレットを中心とする「ミナス歴史の街を訪ねて」であった。訪ねたのは千五百年にポルトガル人カブラルによって発見されてから、一八二二年にブラジルが独立するまでの金採掘(きんさいくつ)の黄金時代や圧政(あっせい)への革命、そして処刑(しょけい)などの行われた現場の数々である。
 四月十八日夜十時老ク連前を出発したのは三十六名、二階建てで応接間も付いた大変ゆったりした豪華(ごうか)なバスであった。翌朝夜明け前の静けさの中に着いた町は、サン・ジョン・デル・レイ、初めての民政大統領として選ばれながら、一日も就任することなく命を落とした悲劇の大統領タンクレード・ネーベスの生地である。そこでは彼と四年前になくなった夫人の墓に詣で、繁栄した時代そのままを残している街中を歩いて、生家・博物館・錫製品(すずせいひん)の製造所などを見物した。千七百年ごろからミナスでは金が発見されたので、黄金をふんだんに使った教会がいくつも作られ、続くチラデンテスやコンゴニャスでも、祭壇(さいだん)から周りの壁、天井までも細かな細工が金粉や金箔(きんぱく)で上塗りされている、非常に豪華な教会をいくつも見ることができた。
 内部は保存上、撮影(さつえい)が禁止(きんし)されているところが多く残念だったが、高いところの鳳凰(ほうおう)や火の鳥、また中国の龍などが下げている照明器具は、輸入物の銀製で大変高価だったそうだが、金ばかりの中に非常に映えて輝いていた。金と銀の価値が現代とは正反対で、非常に興味の引く話であった。
 しかし実際に教会を作った奴隷(どれい)たちは中に入ることも許されず、明かりを持つ者は柵の外で照らしていたのだという。また男性と女性、ポルトガルから来た一世、ブラジル生まれの二世以下、インヂオとの混血など何段階にも階級があり、座る場所がそれぞれ違うということも説明された。教会によっては床下が墓所になっているが、そこも入口と奥、その中間などと階級の決まりはたいへん厳(きび)しかったとの事。見学する私たちは、今の世に生まれて本当に良かったと何度も言いつつ見たのであった。
 この金は本国に二〇%持って行かれ、採掘量が減ってくると財産までとられたという悲惨(ひさん)な状況になり、ついに革命が計画されたが、お決まりの密告者(みっこくしゃ)が出て、チラデンテスの処刑へとつながったという、改めて説明を聞くと本当に哀れであった。また手が不自由でありながら、教会内に多くの彫刻を作ったアレジャジンニョのすばらしい作品も沢山見ることができた。
 これらを見るには、ミナスで豊富な石材を敷き詰めた道を歩かねばならず、普段他人のような振りをする一世夫婦も、仲むつまじく手をつないで歩いている姿は大変微笑ましかった。また変わったところでは、湧き水が愛を願う、富を願う、別れを願うと三通りに出ていて、こっそり別れの水を飲むまねをしている奥方がいて、大笑いの場面もあった。
 翌日は小さなバス三台に分乗してオウロ・プレットの狭い通りに入り、いくつもの教会など見て歩いたり、お土産を買ったりした後、マリアナの金鉱の跡地を見に行った。トロッコの様な簡単な車に乗って百二十メートルの地底に入る。たてよこに幾つも掘られた道は全部岩盤で、至る所にキラキラと光るものが見え、金ではなく雲母かも知れないが、何か掘ってみたくなるネーと口々に言いながら内部を進む。電灯の届かない横道は行ったら、そのまま死に直結しそうで恐ろしくなって来た。風も届かぬこの地底で、奴隷たちは懸命につるはしを振ったのだろうと、やはり現代の幸せを思ってしまう。中に目を見張るような青の美しい川が流れていて、これは鉱物が溶け込んでいるので魚も住まず、手は絶対に入れてはいけないと注意される。静まり返っているそこに、調査のためにゴムをまとった完全武装の人が静かに泳いで来るのを見ると、何か太古の昔に返ったようなとても不思議な感じがした。
 二泊したベロ・オリゾンテのホテルもとても良く、移動の必要もないので落ち着いていられる。三日目はミナス州都(ベロ・オリゾンテ)の市内見学、ブラジリアを作ったオスカール・ニーマイヤーの作だという風変わりな教会や、パルケ・エコロジーでヴインニョの製造所などを見て、美しい鳥や花を見ながらおいしい食事をした。
 午後はブラジルで二番目に大きいというサッカー場(エスタージオ・ミネロン)を見学する。見学は有料のせいか、案内人は勝利を祈願するサーラ、宿舎・更衣室(こういしつ)・シャワー室・トイレまで見せた後、試合時に入場する選手と同じ道を通ってカンポに登場させてくれた。昔は十三万五千人の観客が入ったというが、今は七万五千人という椅子席の好きなところに座って、ゴールの瞬間に似せて皆で両手を上げて何度も写真を撮っては大笑い。
 最後の展望台からビル群の町を見下ろした時は、すでに夕闇(ゆうやみ)が迫り、家路恋しさを感ずる風景となっていた。その後シュラスカリアでお別れの晩餐会(ばんさんかい)をして再び車上の人となり、翌朝無事老ク連に帰着した。
 今回も何事もなく、九十一歳を頭に三十六名はまた新しい知識を沢山仕入れたが、これについては添乗員(とうじょういん)が現地ガイドの説明を丁寧に日本語に訳して下さり、色々な質問にも答えて頂けたので、皆納得のいった楽しい旅行となリ、喜んで貰えて良かった。


宇野先生も両陛下に御謁見

 懐かしい宇野先生からメールが届きました。老ク連シニアボランティアとして、安達先生についで二人目の天皇皇后両陛下に御謁見のうれしいニュースです。宇野先生、本当におめでとうございます。老ク会員一同、心からお喜び申しあげます。
 以下先生からのメールを紹介します。
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 重岡会長様はじめ老ク連の皆様、お元気でお過ごしでしょうか。いろいろご連絡が遅くなりましたこと申し訳ございません。先日から何度か老ク連宛にメールを送らせて頂きましたが、どうも私のパソコンの調子がおかしかったようで、老ク連には全然届いていなかったことを知りびっくりしました。今日改めて送らせて頂きました。
 実はこの度JICAから連絡がありまして、シニアボランティアを代表して天皇皇后両陛下に御謁見の栄誉を頂きました。まるで予想だにしなかった事ですので身の引き締まる思いでした。
 三月二十六日(木)に海外シニアボランティア五名と、ブラジル日系シニアボランティア一名(宇野)の計六名が、緒方貞子JICA理事長と大塚JICA事務局長に伴われ、皇居吹上御所に参内いたしました。緒方理事長のご挨拶の後、大塚事務局長から六名をご紹介頂き、その後、各ボランテアから活動報告をいたしました。一人二分間という短い時間でしたが、両陛下は、派遣国での活動をお優しいまなざしで、熱心にお尋ねになられました。
 私は巡回活動と「今年はブラジル移民百周年を迎えますので、日系社会は今心を一つにして盛り上がっているそうでございます」とお答えしました。そして、数日前に老ク連会員山田様から送っていただきました新聞記事(百周年マスコット、チカラとケイカ)を持参しておりましたので、巡回活動の(折り紙)写真二枚と共にご覧頂きました。
 今回、このような身に余る栄誉を頂きましたのも、会長様はじめ老ク会員皆様のお陰と心より感謝申し上げております。
 この日の記念に皇居二重橋を背景に写した写真を送ります。日本(神戸)は今、桜が二、三日後には満開になるとてもいい季節を迎えております。七月の日本祭りの頃にはブラジルに行きたいと思っていますので、また、お逢いできる日を楽しみにしております。
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日本に帰ってきました

シニアボランティア 貞弘昌理
 健康診断一時帰国で、一ヶ月ほど日本に帰ってきました。行きも帰りも、山口県人会の人が一緒だったので、とても助かりました。
 サンパウロのアパートから我家まで、合計三十八時間の長旅でした。飛行機にはくたびれましたね。狭い席で長い足の始末には困りました。短い人が羨ましい。メジャーリーグの松坂選手は飛行機貸切で寝て帰るんでしょうね。JICAのボランティアには、とうていできるもんじゃありません。でも、一度で良いからファーストクラスに乗ってみたいです。いや、ビジネスクラスでも良いです。
 「色が黒くなったねー」妻に言われました。我が家に帰って、先ず思ったこと。やっぱし我家はええ。気持ちが落ち着きますね。ホッとしました。湯船につかって、とても気持ち良かったです。もう一つ、トイレで落とし紙を流せるってことがこんなに良いものかって、改めて感じました。何もしなくても食事が出てくるのも、ええですね。
 健康診断の結果はB判定。我々シニアは、どこか病気を持っています。どこも悪くないA判定の人はほとんどいません。一年前も同じB判定でした。「飲み過ぎないように。」と書いてありましたが、飲まなくても高い数値が出るんです。体質ですかね。だから諦めて飲んでいます。
 胃カメラは苦しかったですね。もう二度と嫌だと思っていましたが、今回は仕方ないです。もし病気が見つかったら、もう来られないので、少し心配でした。そういう人が過去にはいたんですよ。予防注射もしました。二回は一年前にやったので、念のため三回目をしました。破傷風とB型肝炎と狂犬病です。特に、狂犬病は海外渡航者に死者が出たため、一年前から手に入りにくくなっていました。でも、出来て良かったです。
 山口県人会の人、日伯親善協会の人と一緒に、周南市役所に行きました。市は、サンベルナルド・ド・カンポ市と姉妹縁組を結んでいます。そこで百周年のこと、姉妹縁組の今後のこと等を話しました。元の職場で、市長代理で出てきた人は、偉そうにしてはいても後輩です。和気あいあいの雰囲気でしたが、残念ながら百周年には来られないようです。市役所前庭に植えてある「イペー」のこぼれ苗を日伯親善協会にもらう約束をしました。日本では植え替えに良い時期ですが、イペーはどうなんでしょうか。もう取りに行ったと聞きました。
 花粉症には、ひどい目に合いました。よりによって、一番悪い時期に帰国したもんですね。二年間は逃れられると思っていたのですが。でも、満開の桜は見ることができました。きれいでしたね。妻もきれいだけど。
 こちらに来て一年足らず、老人クラブは私で三代目です。レクリエーションはする人によって持ち味が違います。残りの期間、皆さんのお役に立てるようにしっかりと頑張ろうと思っていますので、よろしくお願いします。


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