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(最終更新日 : 2019/02/15)
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2008年8月号
2008年8月号 (2008/08/09)
アルジャ文協移民百周年記念式典
アルジャ親和会 玉田伯夫
本年六月十八日は日本移民百周年ということで、ブラジルのテレビも早くから日本移民の事について、また日系人の足跡についての情報で賑わっていた。
今年は各地でも百周年の行事が催されるとは思っていたが、ブラジル人の間でこれほど騒がれるとは思っていなかった。
私どもの文協でも例に漏れず記念式典を行い、ぜひ盛り上げたいと話がまとまった。委員長は文協会長の安武誠氏にお願いし、皆で協力することに決定した。委員会には一世、二世、三世、それにブラジル人も一名加わった。
委員会を重ねて行く間に種々の行事が決議されたが、二世の方から「日本生れの方に心ばかりの記念品をあげては…」とか「鳥居や笠戸丸を作っては…」等の意見が続出した。幸い大工の堀寿明氏に笠戸丸や鳥居の製作を相談した所、快く引き受けて下さった。
笠戸丸は長さ八m、幅二・五mで、上に上れるように作り、鳥居も均整の取れた立派な物が出来上がった。
ブラジル人の委員の方はパンフレットやプログラムの作成などを手がけて下さり大助かりだった。
汎ヅトラの花祭りとは違い、初めての試みなので予算が立たず、机やイス等、不足するのでは…と懸念(けねん)し、隣のイタペチからお借りしたり、色々とお世話になった。
また、「日本庭園を…」との意見もあったが、敷地(しきち)や費用、後々の管理等を考え、見合わせる事にし、会館の前に石を置き植木を植えこじんまりした庭を造った。
食堂はまず手馴れている婦人会、日本食レストランにお願いし、日語学校はタコ焼き、柔道部はショッピ(生ビール)を出店。我ら老ク親和会でも初めての試みでおしるこやその他を出した。
日本古来の「茶室」も作りもてなした。日本人ばかりでなく、外国人も興味がある人がいるのに感心した。他にご婦人達が心を込めて生けた生け花も展示された。
式典はまずスザノからお坊さんをお願いし、仏式による慰霊法要(いれいほうよう)から始まった。小庭園のテープカットは安武委員長、GENESIO市長、市会議長で行い、宮坂四郎農学博士のご挨拶があり、鏡割りで乾杯。太鼓の開幕演奏(かいまくえんそう)で式典が開始された。
まず、一世の方全員に心のこもったレンブランサ(お土産)が贈られた。一世は百十名おられた。
会館の中では着物ショーが行われ、日本人形、雛人形、羽子板(はごいた)、ブラジル学校の生徒の展示物などが会館に所狭(ところせま)しと飾られていた。それらは主に二階に飾られていたので、気付かずに見なかった人もいたのではないかと、案内係の必要を後になって感じた。
ショーもコーラス、踊り、体操等あり、老ク親和会の人たちも真新しいハッピで「老人クラブの歌」等を踊った。盛りだくさんのプログラムをスムーズな司会で進行され、夕方薄暗くなるまでに無事、終了した。
天気にも恵まれ、あたかもこの式典を祝福してもらっているようだった。二日間で延べ三千人は来られたのではないかとの話だ。ただ、これ以上だと駐車場の問題に悩まされる。こうした催しを毎年続けるために、「文化祭りと名付けては…」という意見もあったが、それは今後の課題として、今年の百周年の式典は会員および近隣(きんりん)の皆様のご協力で大盛況(せいきょう)のうちに終了したと感謝している。
もう一つ、アルジャの百周年の記念行事として、アルジャのRETORNOからヅトラ街道の下を通り、イタクワ街道に抜ける約二キロの道を桜並木にして、市に感謝の気持ちを表した。あと四、五年もしたら、アルジャの名物になるのではないかと思う。
老ク会員の原沢氏はよく旅行をされる方だが、口癖(ぐせ)のように「アルジャは世界一住みよい所」だとおっしゃっておられる。他を知らない私には何とも言えないが、コンドミニオ(共有管理の住宅)が日増(ま)しに建設されているから、やはり住みよいのではないかと思う。
私が入植した一九三〇年頃は千百名だった人口は現在八万人近くらしい。
アルジャ文協もこれからは外国人の入会者も増して行く事になるので、今後は二、三世の方々の運営によって、益々盛大な会に発展して行くように希望して止まない。
皇太子殿下をお迎えして
サンパウロ中央老壮会 中山保己
六月二十日、サンパウロの文協正面玄関の右の柵に近い階段で三十分ぐらい待った。
文協前はもちろんサン・ジョアキン街、ガルボン・ブエノ街など街路の両側に警察が柵を置いて人々が歩道から飛び出さないように整理していた。
十時十五分、軍警のオートバイ二台が先導(せんどう)して、皇太子様一行がブラジル日本文化協会に到着した。数台の車のうち、一台が正面に止まり皇太子様が現れた。「よく見える」と思う間もなく、ぎっしり立っている群集がワーッと一斉(いっせい)に歓声をあげ、日伯の小旗を振って見えなくなった。
赤いじゅうたんの階段を上がられるとき、皇太子様が、群集を振り返ってその笑顔を見ることができた。
「あ、天皇陛下そっくり…」
思わず皇太子様の横顔を拝見し声に出た。お供が多数続く。
皇太子様は大サロンで待つ高齢者たちと接見。史料館へ行かれた。史料館内の百周年記念写真展や新設コーナ見学、天皇ご下賜金(かしきん)の授受(じゅじゅ)と幾つかの行事を終え、再び外へ現われたのは、二十五分後だった。
私たちは場所を動かず、お帰りをお待ちしていた。たくさんの人がカメラを構えて待っている。皇太子様はゆっくりと階段を下りられ、今度は正面やや横から見える。
歓声が挙がる。
「皇太子さま~」と女性たちの声。
「ここからが、よく見えます」と、女の人が柵の間からカメラで覗いていた。
歓声と小旗に送られて車はすぐガルボン・ブエノ街へ走り去った。大阪橋付近より歓迎場所が設けられ、リベルダーデ広場にも老齢者の歓迎席が出来ていたという。
皇太子様の史料館訪問はアッという間だったが、このような歓迎の場に触れられ、日本移民百年の歴史と日系人の意識を強く感じた。この一瞬を理屈(りくつ)抜きに「よかった」と思う。
楽しくレクリエーション
サンパウロ中央老荘会 山田由紀子
私どもサンパウロ中央老壮会は八月一日、老ク連サロンに於いて貞弘先生のレクリエーション研修会を催しました。
中央老荘会は例会を持たない会ですので、一堂に集まることはめったにないのですが、老ク連教室に参加している人が多いので、結構、顔見知りばかりで楽しい雰囲気(ふんいき)の内に始まりました。
まず、大声とあくびを腹の底から出してリラックス。次いで歌いながらの指運動、ゲームで大いに盛り上がり笑いが絶えませんでした。
中でも印象に残っているのが、先生が朗読(ろうどく)したある人のラブレターと子供の詩です。ラブレターを聞きながら、懐かしい青春の日々を思い出し、子供の詩では子供の空想力の豊かさや純真さに思わず笑みがこぼれました。
最後は老ク連、内山理事の手品です。まだまだスムーズに、というわけには行きませんが、種も仕掛けも分かりません。当てたら五十レアイスをくれるというのですが、とうとう誰も分かりませんでした。
【子供の詩より】
もし一億円あったら
つくえをかいます
えんぴつをかいます
ノートをかいます
けしゴムをかいます
せんせい!
まだかえますか?
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