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(最終更新日 : 2019/02/15)
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2009年4月号
2009年4月号 (2009/04/02)
カンピーナスとインダイアツーバへ「交流旅行」
老ク連では今年最初の大きな行事として、この度カンピーナス明治会と、インダイアツーバ親和会へ交流に行った。総勢三十八名は三月二十六日朝出発、カンピーナス市内を見て文協会館へ。サンパウロ州第二の都市カンピーナスは、昔多くの奴隷(どれい)がカフェーザールで働いていたので、その名残が多いとギアーの説明があり、奴隷の墓場がきれいな公園になった所などを見る。
十一時半文協会館の入口には沖会長を始め、知っている顔も多い明治会員が沢山並んで待ちかねていて、皆親しそうに挨拶しながら席に就く。例会が始まったが、三日前に急死した石井君江副会長の持ち場が出てくる度に、皆の困惑(こんわく)と悲しみが手に取るように感じられて涙を誘った。誕生祝には訪問側の三月生れの六名も加えてもらい、約二十名にきれいに包んだプレゼントが渡された。双方の代表者の挨拶とおいしい昼食の後、貞弘先生のレクリェーションで、歌ったり、体操したり、得意ののどを聞いたりした後全員で記念撮影をし、訪問団各人にお土産まで頂いて、名残(なごり)惜しみながらお別れした。
夕方も展望台に上って市内を眺めたりなどの市内見物をした後、インダイアツーバに向かう。外で夕食してホテルへ。今回のホテルは日本からのお客様も多く使うとかで、フロントには大きな日章旗が飾ってあった。部屋の調度も美しい木材で作られ、広々してとても落ち着いた感じであり、庭には緑の木々に囲まれた清潔そうなプールが幾つも並んでいて、皆に喜ばれたが、時間がなくて泳げないのが残念であった。
翌二十七日たった一晩のホテルを惜しみながら出発し、ヤンマーの工場を見学に行く。バスには親和会の丸山会長が同乗し、親和会初代会長高原氏の努力で、市が二十五アルケールを提供して日本からヤンマー工場を誘致(ゆうち)した事、今は時代の流れでブラジルの会社に変わっている事、ここはスイス・ドイツ・イタリアなどのヨーロッパ系移民の町である事などを話して下さる。窓外には屋根に太陽熱の設備をつけた、新しい家々がぎっしりと並んでいる様も見えるし、街路(がいろ)は良く整備されてごみ一つないきれいさで、まるでブラジルの町とは思えない。道理でサンパウロから百キロ余あっても、居を移さず毎週通って来る友も居る筈だと納得がいった。
ヤンマー工場の前には、既にアチバイア清流クラブの四十人と、インダイアツーバ親和会の二十五人が到着していて、一緒になって幾グループかに分かれて見学が始まった。全員が防塵(ぼうじん)用のめがねをかけ、案内人に従って列になって、動いている機械の側の通路を通り、入口から出口まで五千個の部品が収まって、トラトールが完成するという過程を見せてもらった。
社員のほとんどがブラジル人のヤンマーに比べて、次に行ったトヨタ工場では全て日本語。こちらも皆めがねと帽子、安全靴の装備で、車のポルタ(扉)などの取り付けから、徹底した検査を経て仕上がりまでの過程を、一段上の見学回廊(けんがくかいろう)から見る。至れりつくせりの案内、広々とした美しい庭園や設備、部品を運んできたり並び替えたりが全て自動(ロボット)で、感嘆の声を上げながら子供でなくてもいつまでも見ていたいと思いながら会社を後にした。
平均して一日にヤンマーでは七~八台のトラトール、トヨタでは三十台のCOROLLAが出来上がるというが、同時にそれだけ売れる現代の世を感心しながら説明を聞いた。
お昼にインダイアツーバ文協に着いて、また大勢に歓迎され、各代表の挨拶の後、昨日とはまた違ったおいしい手作り弁当をいただきながら話が弾む。地方にはよくあることではあるが、こちらは日本人会の援助が特別に強く、今日も茂庭会長さんも同席して、三団体合同の例会を見守って下さっていた。インダイアツーバはいつも例会の形式はとらないから、他のクラブの様子を聞きたいとのことで、アチバイア、サント・アンドレ、パルケ・コンチネンタル、鶴亀会の会長が夫々語る。続いては貞弘先生で、今日はダンスも加わえてのレクリェーションが賑やかに行われた。散々笑って仲良くなった処で時間となり、全員に老ク連のバッチを大きくした記念のシャベーロが贈られて、サンパウロでの再開を約してお別れした。
両市ともサンパウロから近距離(きょり)なのに初めての人が多く、知識が広がったと喜ばれたし、どこに行っても同じような境遇の人たちが居て、日本語で共通の話ができるというのは、本当にうれしいことだと思いながら無事帰宅した。
両クラブの会長様始め関係者の方々には心から御礼を申し上げます。
ありがとう貞弘先生
ビラソニア老壮会 井口たき子
三月一日は私共ビラソニア老壮会の例会に貞弘昌理先生をお迎えする事になっていました。アルモッソ(昼食)をご一緒するということで、一人一品持ち寄りでした。貞弘先生も早くからみえて私共の例会の行事を共にされました。
まず、副会長の武田さんの司会の下に出席者確認を井口、私が読み上げました。いつもは三十五、六人から四十人程度の出席がこの日は五十人を越えました。次に瀧ヶ平会長の挨拶と経過報告、予定事項が話され、新入会員紹介となり、三人のお友だちが増えました。さらに小篠揚子さんから会計報告があり、その後貞弘先生歓迎昼食会となりました。
会長さんの「八十歳以上の方から先に取って下さい」の声の後、みんな気にしながらいそいそとお皿に取って自分の席につきました。四月で九十歳になるという神保さんもお皿に盛り上げてニコニコでした。
お腹がいっぱいになるとレクリエーションが始まりました。貞弘先生もご自慢のギターを片手に「ふるさと」「北国の春」を奏でて、歌の上手な玉井先生他、四、五人の方が合唱し、みんなもそれに合わせました。
次は貼り絵遊び。先生の巧みなお話しに惹かれて、次々と黒板の布に貼られる動物の数々。みんな真剣になってその絵を見入っていました。
次には身体をほぐす体操です。先生につられ手の平を左に、右にまるで魔法にかかったように真剣に動かしていました。
あの九十歳になられる神保さんもニコニコしながら見ておられましたが、翌日の月曜日の午後、ぽっくりとこの世を去られました。きっと楽しい思い出をいっぱい持って旅立たれたことでしょう。
ありがとう、貞弘先生。日本へ帰られると聞きましたが、この次はぜひ奥様も御一緒に私たちの元気なうちにおいで下さい。お待ちしております。
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