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熟年クラブ連合会
     活動報告  (最終更新日 : 2019/02/15)
2009年9月号

2009年9月号 (2009/09/16) 老ク大会&芸能祭 総領事も御出席

 今年も老人クラブ大会&芸能祭が八月八日(土)約八百五十名の入場者を迎えて、文協大講堂で開催された。
 老ク大会は芸能祭に挟まれる形で午前十時から当会の副会長、内海博氏の司会で先亡会員への黙祷で開会した。次いで「老人クラブの歌」斉唱、来賓、役員紹介に続き、重岡会長が挨拶。毎年、敬老金を寄付して下さる今村幸耳鼻咽喉科医、会員への無料診断を行って下さる遠藤エリオ眼科医など協力関係者へ感謝の意が表された。
 壇上には大部一秋総領事、千坂平通JICAサンパウロ支所長、山下文協副会長、坂和援協副会長、与儀県連会長、吉岡救斉会会長、清水レアル銀行取締役など八名の来賓と、真鍋顧問以下七名の老ク連役員、そしてシニアボランティアの与古田先生が並んだ。
 会長挨拶に続いて、今年も九十三歳以上の会員百名に今村幸医師よりの敬老金が贈呈された。受賞者を代表して、プラッサ・ダ・アルボレ老壮会のの玉井邦子さん(九五歳)が「老ク連が創立より年ごとに発展し、我々高齢者が和やかに日々を過ごすことが出来るのも役員の方々及び関係者の方々のお心遣いのお陰です。有難うございます」と矍鑠(かくしゃく)と謝辞を述べた。
 来賓祝辞では、初めて同イベントに御出席下さった大部一秋在サンパウロ総領事が「生きがいを高めるため、催しを積極的に行い、各地の老人クラブと連携し、着実に地域との活動をされていると聞いています。今や日系社会の一翼を担う団体として、一度老人クラブ連合会の行事に参加したいと思っていました」と祝辞を下さった。JICAサンパウロ支所長、文協、援協、救済会代表による祝辞に続き、今年七月に派遣されたシニアボランティアの与古田先生が「ヒヤミチカに生きる」と題した講演(左に概略)を行い、自分の人生を紹介しながら「出会い、ふれあい、学びあい」の大切さを強調した。
 この後、老ク連各教室の発表が行なわれた。一見、毎年同じような発表に見えてしまうかも知れないが実は先生や生徒達は毎回、衣装や付属品など、その都度工夫を凝らし一生懸命に作り、練習しての出演である。観客にもそれを分かってもらい、そしてさらに一人でも多くの人が参加する気持になってもらうことを期待しているのである。
 踊り教室の「二千年桜」をはじめ、健康体操「ハロー・ドーリー」、練功体操が行われたほか、コーラスメンバーが「茶切り節・荒城の月・小さな日記・など六曲をメドレーで歌った。
 さて、芸能祭の審査委員長は今年も戸塚マリ先生。他に嵐田英代先生、永田理文(まさふみ)先生の三名をお願いし、司会はベテランの藤瀬恵子さん。盛りだくさんの出演者のため、朝八時半に民謡の開幕演奏「花笠音頭」から開始された。
 十時から式典、昼食休憩をはさんで、また午後からは午前の続きの芸能祭が行われた。
 サンパウロ東部紅葉会で最高齢者の斉藤房江さん(九六歳)をはじめ、約四百四十名の会員が一年の成果を披露した。番組が全部終わり厳正(げんせい)な審査結果(しんさけっか)が発表され、入賞者に賞金が渡されて、大会は終了。サロンでは会員及び業者のバザーも大賑わい。老ク連売り場ではボランティアの方々が大忙しでお客を接待してくれた。なお、芸能祭の入賞者は二ページ。
 また、毎年敬老金を贈って下さる今村先生が体調不良で入院されたため、敬老金を受け取った多くの方々から先生宛てにたくさんのお見舞いと御礼のお手紙が老ク連に届いている。老ク一同、一刻も早い先生の回復を心より祈願している。


ヒヤミカチ生きる(講演)

JICAシニアボランティア 与古田徳造
 老ク大会で行われた与古田先生の概略です。
 - 前文略 -私は一九四四年七月に南洋群島は、ロタ島で生まれました。サイパンが米軍に占領され、沖縄に強制送還されました。一九四五年六月二十三日に沖縄の集団的戦闘が終り、八月十五日には、終戦を迎えました。沖縄戦は、想像を絶する地上戦が展開されて、多くの戦死者が出ました、その中でも、多くの子どもやお年寄りが亡くなりました。私は、一歳で沖縄に引き揚げてきました。父親は現地徴兵で戦死しましたので、母親が、私達子供三入を苦労して育ててくれました。他の三名の兄姉妹はサイパンで亡くなりました。
 小学校時代は、食べるものも少なく、学校もあまり行ってなく、担任の先生によく「学校に来るように」と言われました。中学校になってようやく勉強するようになり、高校では、応援団長になりしました。高校野球では、県大会で後に広島の投手として活躍した安仁屋さんとの決勝になり、応援合戦は私の高校の方が良かったのですが試合には負けてしまいました。
 その時に私の高校から、那覇の奥武山球場までは、バスで一時間ぐらいかかり、バス賃が高く、全校生徒八百人は応援に行けそうになかったので、私は近くの米軍基地の指令官に手まねジェスチャーの英語で何とかバスを十台をお願いして、応援に行ったことが、今も思い出されます。そして、ただのバス賃を生徒から一人二十五セント応援団で集めて、反省会に使ってしまい教頭先生から叱られたことが昨日のことのようです。
 さて、大学は東京で沖縄はまだ、日本に復帰していなく、パスポートを取って行きました。そして四年間はアルバイトで学費を繋ぎました。
 教員時代で一番印象残っているのは、全国校長会で皇居拝謁の機会を頂き天皇皇后両陛下に接見でき、天皇陛下から「全国の中学生の教育をよろしく、たのみます」とお言葉を頂いた時で、誠に緊張しました。おそばで美智子皇后様のお優しい笑顔は、現場に戻ってからしっかりやろうと勇気付けられました。
 ここで全国老人クラブ連合会の資料から紹介します。昭和三十五(一九六〇)年に平均寿命が「女七十歳、男六十五歳で、平成十九(二〇〇七)年には、女八十六歳、男七十九歳となりました。百歳以上の人は一九六五年に一九八名だったのが、二〇〇八年には、三万六二七六人です。これからは人生百歳です。ヒヤミカチとは、エネルギュシュにとか、乗り越えていくとか、共々に頑張っていくという意味です。ヒヤミカチで生きて行きましょう。


第33回芸能祭入賞者

民謡 A
1位 あがらっしゃれ モジ中央日会老人部【高田香津子】
2位 庄内おばこ サンパウロ中央老壮会【土田庄五郎】
3位 南部牛追唄 アルジャ親和会【谷口忠孝】
4位 宮城馬子唄 モジ中央日会老人部【高木元二】
5位 黒田節 サンパウロ中央老壮会【阿部秀富】

民謡 B
1位 日光山唄 サンパウロ中央老壮会【合田郁子】
2位 あがらっしゃれ サンパウロ中央老壮会【芹沢三月】
3位 小諸馬子唄 サンパウロ中央老壮会【松本としよ】
4位 宮城馬子唄 ビラ・ソニア老壮クラブ【瀧ケ平功】

個人舞踊 A
1位 隅田川 サントアンドレ白寿会【平田里子(83)】
2位 人生の並木路 ピニェイロス親陸会【安梅マサ(92)】
3位 川 アニャンゲラ仲よし会【難波美智子(82)】

個人舞踊 B
1位 木曽しぐれ カンピナス明治会【村上京子(79)】
2位 湯島の白梅 セントロ桜会【千種百合子(81)】
3位 雨の浜町河岸 サントアンドレ白寿会【西田和子(68)】

団対舞踊 A(9名以上)
1位 三条凧ばやし ジュンジアイ老壮陸会
【太田忠之(69)、梶田貴美子(66)、緒方甚(82)、久保静香(73)、北野つる子(64)、渡辺とし江(72)、山崎 美子(69)、溝口とし子(74)、平沢万理子(69)、和田ちどり(85)、北原民子(79)、鳴原つたえ(74)、長山豊恵(85)、長谷川月枝(80)、酒井百合子(74)】
2位 川の流れのように サウデ老壮部【15名】
3位 花輪音頭 サンパウロ鶴亀会【14名】

団対舞踊 B(8名以下)
1位 ノーエ節 カンピナス明治会
【鈴木愛子(73)、田中和子(69)、向井ミナ(76)、倉岡美智子(76)、北条マツ(82)、伊藤宮子(79)、吉田幸子(76)、久保富子(69)】
2位 幸村さん サウデ老壮部【5名】
3位 富士 サンパウロ鶴亀会【3名】
4位 九十九坂 ビラ・ソニア老壮クラブ【8名】

ダンス
1位 キンダーポルカ ピニェイロス親陸会
【坂井幸子(84)、岩坂康子(82)、上田春子(79)、高木仲恵(78)、清水厚子(73)、藤森マリナ(55)、前野静(83)、安部芳恵(80)、小川悦子(78)、赤木ロザリア(78)、浩川美子(73)、松原光代(83)、國吉松子(80)、白畑智子(78)、武井とみ子(75)、杉尾宣柄(69)】


老人大会断想

サンパウロ中央老壮会 中山保己
 第三十三回老人クラブ大会・芸能祭は八月八日、文協記念大講堂で開催された。大サロンには、食品、サプリメント、図書、CD、小間物、衣類、その他、いろいろの販売店が並び、人波をかきわけて大講堂に入った。
 朝八時半から芸能祭は舞台で繰り広げられていた。プログラムを見ると、七十番組もあり、サンパウロと地方のおよそ二十のクラブが出演する個人と団体踊りだ。出演者は最高九十六歳から最低六十歳と年齢が幅広く記してあり、面白いと思った。ヴェテラノ陸上競技会でも年齢明記が必要であるが、老人クラブの催しであれば当然であろう。たとえ出演者の大部分が女性であっても容赦なく…。
 プログラムは十九番までで中断して大会の式典。主催者の挨拶、来賓の祝辞が終わって、老ク連に派遣されたJICAシニアボランティアの与古田徳造さんの講演が十一時よりおよそ三十分間あった。自身の生い立ちを語り、要所を引き締めて、はなはだ元気がよく聴くものを愉快にする力があった。
 講演の半ばで、三線(さんしん)をとって弾いた。その強い、すっきりした音色は会場に満ち、つぎの瞬悶私は、呆然、陶然となり、その素晴らしさに圧倒された。「素人が何をいうか」といわれるかも知れないが、ド素人だから先入観に左右されない自然の鑑賞が出来、心の琴線が共鳴した…と考えられる。
 これは老ク連のシニアボランテイアなどにしておくのは惜しい、大舞台のプロの世界に出したら圧倒的人気を博するのではなかろうか?と自分なりの見解が老ク連大会で得た収穫だった。


与古田先生をお招きして

セントロ桜会 矢野恵美子
 いつか来て、いつか去りゆく人。それはJICAより派遣されてくる先生方です。思い出せば、安達先生、宇野先生、そして男性のハンサムな貞弘先生。どの先生方もよい思い出につながる懐かしい先生方でした。
 皆、各々ご自分の特技を生かして、楽しく優しく接して下さいました。そして、二年の任期を終えられ、皆、惜しまれながら去っていくのです。
 八月号の老壮の友には懐かしい貞弘先生がお孫様と目を細くして写っておられました。
 そしてまた、新任の先生が着任される事になり、今回は沖縄出身の与古田様と言う方。さあ、我々老ク雀は期待に胸を膨らませ、待ちに待っていたのでした。
 我が桜会は八月十五日の例会の日にお出で頂きました。大変人懐こい感じの好感を持てる先生。小脇に抱えた三線を鳴らしながら楽しいお話を、沖縄の方言交じりで色々話してくれました。
 我が桜会には、沖縄出身の男性が一人、会員として活躍してくれていました。その方も非常に人懐こいタイプで与古田様にお目にかかった時は今は亡き我々のお仲間であった彼のことを目の当たりに見るような気がしたのでした。
 先生はまず、どの先生方も指導される指の運動を初めとし、でもいつのまにか三線をべんべんと鳴らし、手足をリズミカルに動かし踊り始めていたのでした。とうとう我々会員一同、乗りに乗って、手踊りを始めたのでした。なんとも明るく楽しい一日でした。このような楽しい例会は久し振りでした。先生ありがとうございました。これからの二年間、どうぞよろしく。


嬉しいことが続いています

元JICAボランティア 貞弘昌理
 おはようございます。日本は暑いです。ブラジルより暑く感じるのは、湿気のせいでしょうか。我が家では暑い夏をさらに熱くする出来事がありました。
 わたぼうし音楽祭という障害のある人がつづった詩をメロディーに乗せて歌う「第三十四回わたぼうし音楽祭」で娘の治美が大賞を受賞しました。今年は詩・曲部門で計五百七十五作品の応募があり、「わたぼうし大賞」には、治美の作詩、大阪府豊中市の上田敬二郎さん作曲の「解放」が選ばれました。「文部科学大臣奨励賞」には、熊本県水俣市の永本賢二さん作詩、同市の柏木敏治さん作曲の「舟の名前は」が決まったのです。二曲は、昨年の上位入選二曲と共に、九月に韓国・水原で開かれる「アジア太平洋わたぼうし音楽祭」の日本代表曲候補となります。
 娘は二〇〇一年五月、ミニバイクを夜に運転中、後ろから車に接触されて転倒。事故の後遺症で、記憶障害や感情のコントロールが難しくなるなどの症状が出る「高次脳機能障害」を負いました。詩では、障害を受け入れるまでの心の葛藤(かっとう)をつづっています。
 事故当時は、これまで「何も悪いことはしていないのに、何でこんな目に遭うんだ。」と神様を恨んだこともありましたが、いまは怖いくらい幸せ一杯、「親不孝」が一変して「親孝行」と思えるようになりました。親ってバカだなと思います。
 初孫は、やっとなついたかなと言う感じです。抱っこも出来なかったですからね。「ジジバカ」ぶりと「親バカ」ぶりをお笑い下さい。(7月のメール)
 実は、娘の大賞に続きがあります。「アジア太平洋わたぼうし音楽祭」の日本代表に選ばれたのです。みんなで韓国まで応援に行くことになりました。しばらくは報道機関に悩まされそうです。嬉しい悲鳴ですけどね。
 その詩ですが、「きがついたらびょういんだった」から始まっています。実は、気がつくまでの三週間が大変だったんです。意識不明の重態でした。非常に苦しかったです。生き返るかどうか、意識が戻るかどうか、植物人間のままかも知れないと医者から告げられた時は、生きている心地がしませんでした。その娘が日本一になるような作詞をするまでに回復しました。平仮名から次第に漢字に移行して行く細かい芸当まで出来るようになりました。もう嬉しくて嬉しくて。治療の為アメリカにも東京にも行きました。ブラジルから”ガジュツ”も買ってきました。もう、できる事は何でもやりましたし、これからも続けていきます。ブラジルにいる二年間、妻には苦労をかけました。だから、今では何でも「はい、はい」と言う事を聞いています。
 今、日本では月末に行なわれる衆議院議員選挙で、慌ただしい毎日です。我々は来週には韓国です。韓国の様子は、またお伝えします。 (8月のメール)
 昨日の夕方、韓国から帰国しました。妻が介護者として治美に付き私は応援団の一員で別行動でした。我々応援団は音楽祭で初めて治美と顔を合わせました。舞台での浴衣姿は、父親の私から見ても美しかったです。音楽祭は韓国の有名なアナウンサー二人で進められ、アジア太平洋十三国の代表とゲスト出演もありました。代表は手・足・頭・目等の障害を持つ方ばかり。中でも私の一番印象に残ったのは、右手がなく左手だけで抑えて弾いて、ハーモニカを固定させ吹いた人で、そのすごさに目を奪われました。
 皆の応援に人間は一人では生きられない、みんなに支えられ、協力し合って生きていくんだと改めて感じた次第です。その時の写真です。(9月3日付メール)


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