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(最終更新日 : 2019/02/15)
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2009年10月号
2009年10月号 (2009/10/13)
第40回老人週間「記念パネルで振り返る」
第四十回老人週間が今年も文協大講堂で行われた。援協・救済会・老ク連・GEENIBRAの四団体共催で、この催しは毎年ブラジルの敬老の日に合わせて九月末に行っているが、今年は十月一日に開催された。
前日の三十日から参加者に配る餅のために宮城県人会で餅つきが行われ、大勢のボランテイアが手伝いに参加。当日は午前六時から準備が始まった。無料健康診断は、午前八時から行われるのだが、七時には大勢の人が列を作り、ポルトン(扉)が開かれるのを待っていた。
入口サロンでは、業者バザー、高齢者手作り品店、弁当、菓子、古着、古本などが出店。
また今回初めての試みとして、四十周年を記念して、第一回から前回の三十九回までの老人週間の模様をパネルで展示し紹介し、多くの人が見入っていた。
同じくサロンでは、六十歳以上の人に身長、体重、血糖、コレステロールなどの検査が行われ、十四時の終了までに約三百五十名が受診した。これは普通に医者へ行って検査を受けたならば、最低五十レアルから八十レアルはかかるのだが、老人週間では無料で受けられ、高齢者にとっては大変喜ばしいことである。
舞台では八時から藤瀬恵子さんの司会で、誰でも気軽に参加出来るシニアダンス、上野ジュディッテさんのワークショップ、JICAボランテイアグループによる体操とレクリエーションが行われた。
十時三十分からは「高齢者の健康」と、題してUSPの佐藤ローザ・ユカ先生の講演が行われた。体験発表では、活躍する高齢者として、マラソンの中谷みちこさんや剣道の岸川吉郎氏のデモストレーションなどが行われ、約五百名の観客が熱心に聞き入っていた。
午後からは式典が行われ、主宰者団体の挨拶で老ク連の重岡康人会長が「最近の日系社会は高齢者が増え、様々な問題を含め、各日系福祉団体はその諸問題に対処、解決することが今後の課題です」と述べた。
続いて領事館、JICA、文協からの来賓挨拶。来場者の中から最高齢の男性、和田浅五郎さん(九五)と女性は井垣節さん(九五)がそれぞれ表彰され、記念品が贈られた。
十三時からの記念講演では前援護協会事務局長の小畑博昭氏が「ブラジル日系老人の過去・現代・未来」をテーマに「老人クラブの未来にはこれからの世代の人たちが日本へ行き、老人クラブの経営及び介護方面を勉強し、それをブラジルの老人クラブ経営と介護に生かすことが重要」と一時間二十分に亘って熱演を行った。(詳細は左記)。
その後、老人クラブ教養教室の戸塚マリ先生の「健康体操」が観客と共に楽しく行われた。さらにJICAシニアボランテイアの与古田先生が沖縄三味線で童謡の「ふるさと」や沖縄民謡をメドレーで六曲ほど歌い、会場を沸かした。
今年は四十周年と言うことで、最後にかくし芸大会が行われ、ジュンジアイから太田忠之さんの舞踊「勘太郎月夜」、平沢万里子と渡辺俊江さんの二人で「高校三年生」の踊り、成田輝男さん(八六)の映画説明、内山卓人さんの手品、ジュンジアイ睦会十五名による団舞「三条凧ばやし」、モジ市の藤田長敬さんによる英語の歌など、色々と面白い芸が飛び出し、観客を楽しませていた。
四団体共催による今年の老人週間は、朝早くから十六時三十分頃まで大変有意義なプログラムが組まれ、幾つかの困惑もあったが、無事終了して関係者をほっとさせた。
老人週間の記念講演(上)「日系コロニア老人週間」その回願と展望
前援護協会事務局長 小畑博昭
①援協創設の精神と対象の変化
援協が創立されて今年で五十年がたちました。援協はこの間日系コロニアの福祉、医療の第一線にあって、あらゆる困難を乗り越えて活動を続けてきました。
その中で最も長続きし、今もコロニアの老人福祉対策に大きな成果を挙げているのは老人週間の催しであります。
援協の活動はブラジルに移住して、そこで健康で幸せな生活を営むに当たりおこる種々な困難に立ち向かい、必要な対策を実行してまいりました。
その中でも起こるべくして起こった老人問題はその対応に、大変な苦渋を与えてまいりました。
若し老人週間行事がなかったらコロニアの老人問題は停滞し、方向を見失はざるを得なかったと思います。「移住者の本当の成功は老後が充実し、希望に満ちて満足して生きて行ける事だと思います。」と言ってくださる人が大勢おられることは嬉しい事です。
「Aさんの報告書」
一九七二年ころ日本から福祉専門家が一年間お手伝いしよう来て下さいました。
帰国直前、彼は報告書を残してゆかれました。
「日系社会の助け合いは本物だ。今の日本には無い福祉の原点(助け合い精神)を見る思いで感銘を受けた。今回のブラジル研修で偉大なものを学んで帰日できることを心から
嬉しく感謝します」と言うものでした。
②当時の日系老人の実態
(1)娯楽と楽しみの無い老後。NHKの日語のテレビも無く、淋しい娯楽雰囲気。七一年第一回あゆみの箱大会。有名な俳優芸能人多数が来伯。七三年にも再度の講演で楽しい娯楽、園芸で老人を開眼してくれた。その後も芸能人による講演が行われるようになり楽しい芸能が盛んとなる。
(2)日系農業者は時代の流れと、家族関係から脱皮したかったが、生活基盤の不安定、政情不安と高インフレなどから実りある老後生活の中で楽しみを追求する余裕はなかった。
(3)農業界の崩壊(コチヤ、スール組合など大組合が無くなる)。
その結果…
ⅰ.一世農業者の急激な減少。
ⅱ.若者の都会流失―農業離れー日本出稼ぎとなる。
ⅲ.核家族化の進展。一同化現象、ブラジル社会への同化。
ⅳ.価値観の変化―二、三世の指導力増大、考え方がドライに。
森専門官の予言「日系社会の老人問題は一世が実権を握っている間はよいが、実権喪失とともに爆発するだろう。」との予言がそのとおりとなった。
(4)援協で受付けた「問題の老人たち」の概観。
ⅰ.ブラジル法制の理解度が低い。
ⅱ.子供の無い老夫婦。独身弧老。身寄りのない老人。
ⅲ.出稼ぎに行った家族の留守居としてホームに置き去りに。
ⅳ.放浪生活の末に。(身分証明も持たず、職業も無い孤老)
ⅴ.死亡しても証明書無く葬儀も出せず。
相談、来訪者の三分の一から半数が高齢者(年間約二千件の内訳。) 【来月号に続く】
老クふれ合い旅行「ポッソス・デ・カルダス温泉」
去る八月二十二、二十三日の両日、老ク連はポッソス・デ・カルダス温泉に一泊二日の小旅行を行った。この温泉の歴史は古く、たいていの人が行ったことがあるということだった。
しかし一泊二日と言う気軽さにちょっと温泉でのんびりと…、或いは安いマーリャ(編物製品)の買い物にと、一行三十一名は元気にリベルダーデを出発した。生憎の曇り空と寒波の中、家族から暖かくして行く様に言われたとかで、皆コロコロと着ぶくれて車中の人となっていた。
沿線の景色を眺め、約三時間半でホテルに到着。昼食後、市内見物に出掛ける。ポ・カルダス温泉の標高は一二〇〇m、その昔の火山のクレーターにできた盆地の町で、人口は約十五万人。ポ・カルダスという名前の由来はいろいろあるが、ポルトガルの温泉地のカルダズ・ダ・ハイーンニャからきているというものが一番有力と現地ガイドの説明。
土産用にと温泉石鹸の店、次いでガラス工房を見学、職人が手馴れた様子で繊細な作品を作っていく。即売もしているので各自気にいったものを購入した。
次に一九七五年に三井肥料が造成した一万㎡という日本庭園に到着。ここはその入り口を入ってすぐの所に山からの湧き水を三本に分けて落下させた小滝がある。それぞれの水に手を浸すと健康、愛情、平和の願いが叶うと言われ、遊び心イヤ本心で皆、手を水にかざす。小さな坂を上ると桂離宮の「まんじ亭」を模したといわれる東屋や茶室があり、縁側で一休み。さほど大きくない庭園だが、バスが何台も来ていて市の観光に一役かっているようだった。
今回、私たちが宿泊したパラセホテルは、一九二九年に開設されたという由緒あるホテルであるが、トイレからも廊下に出られるドアがついていたり、どの鍵も開け閉めが反対回しとなっていて、そのたびに戸惑う。
老ク連の旅行にはいつも老人ゆえの珍談が付きものだが、今回も色々あって、笑い声が耐えない。
この古くて大きいホテルの迷路のような廊下に、外出する度に、なかなか自分の部屋に戻れない迷コンビのOさんとUさん。
Mさんは「今日は面倒だから部屋のお風呂にゆっくり入るわ」といっていたが、いざ裸になってみると風呂のタンパ(栓)が見つからないので、しかたなくシャワーを浴び、出てみてびっくり。排水が悪くて広い浴室が水びたし。ホード(水かき)もないので、タオルで吸い取ってしぼって、吸い取ってしぼって。スッポンポンで大仕事。アー疲れた。
蛇口からの湯量が少なくて、上向けばお腹が出る、下を向けば背中がでる、上を向いたり、下を向いたり時間いっぱいゴロゴロと風呂の中で転げ回っていたUさん。ぬるいお湯なので寒かったけれど、でも、出てみたら体がポカポカ温まっていたそうな。
酒飲み同士、偶然同室となったUさんとTさん。チョイナ、チョイナで盛り上がって結構でした。
きわめつきは「イゾポール(発泡スチロール)を買って、お魚を買って帰りましょう。ここは海辺なんだから、お魚が新鮮よ」「えっ?何で?」帰る間際まで、ずっとサントスに来ていると思っていたNさん。
なんと愉快な人達ばかりなのでしょう。
団体旅行の楽しさを味わい、買い物も出来て、たった一泊の小旅行でしたが、気分転換、骨休めにはもって来いの旅でした。
カンポス・ド・ジョルドン桜祭り紀行
サント・アンドレー白寿会 高原勝弘
七月二十一日、白寿会の月例会に行くと、カンポス・ド・ジョルドンの桜祭りに行きましょうと話が出された。宮崎会長と古賀前会長が話し合われ、「今年は七月の白寿会恒例のバザーとビンゴに会員の皆さまに色々とご協力をして頂いたので、特別にバス代を会の会計より出してタダにしましょう。参加者が多い場合はバスを二台出します」と言われたので、たちまち九十名以上の申し込みがあり、五十人乗りと四十六人乗りのバス二台で行くことになりました。
八月十五日土曜日の朝六時十分、九十二名を乗せてサント・アンドレー文協前を出発して、カンポス・ド・ジョルドンの桜祭りに参加しました。
会場正面の入り口に満開の雪割り桜が出迎えてくれて、一層花見気分を盛り立てました。
帰りは三時集合と約束して自由行動となり、それぞれ思いのままの花見となりました。大勢の人の波に押されて歩くうちに、ずいぶん広い土地に多くの桜が植えられているのに驚きました。色々な種類の桜の木があるのに、名札が付けられていないのが少し残念だと思いました。
松添さんと歩いていて、「日本のように花の下で弁当を食べたり、一杯飲んで花見気分を味わう人は居ないんだな」という話になり、「やはり我々も『花より団子』といこう」で、食堂に行けば席に付けない程の人々が焼きソバ、天ぷら、寿司等などを家族連れや友人らと食べていた。久し振りに地方から花見に出てきた友人にも会い、新旧色々と話も弾み、楽しい一日でした。
帰りは三時に出発。六時半サント・アンドレー会館前に到着。それぞれ楽しかったね、よかったねとお別れしました。
青空に映える桜花草寝て 草二
桧舞台
老クコーラス部 田中保子
十月四日「四十三回全伯合唱祭」に参加の栄を得た。老ク連コーラス部としては四回目の文協桧舞台である。
部員は現在、二十名だが、都合で参加できない部員もあり、十八名が三木先生の指導の下に登場した。
普段通り肩肘張らずにと思うのだけれども、どうしても緊張の顔になるのはやむを得ない。
民謡、童謡取り混ぜ、五曲を合唱した。
ハーモニーは取れていたと思う。表情はイマイチ。服装も考慮の余地あり。楽譜なしで歌えたのは平均年齢七十二歳としては褒められてよいと思う。
他のコーラスの評は避けるが、日語普及会の意向で、「今年は横文字の歌を言語で」という条件が付いたが、老ク連コーラス部は準備の時間が少ないという理由で御免をこうむったが、今後の課題として残った。
私の持論だが、老ク連のコーラスに限って言えば、メンバーは老ク連に集って楽しく歌う事がパーセンテージ多大だと思う。
勿論、その上で歌唱力の向上があれば、それに越したことはないが、多少のギクシャクがあっても声を合わせて、一曲歌い上げた充実感は当事者達でなければ分らない。指導者の三木先生には年寄りの「お守り」の感があり、少々お気の毒とは思うが、今後ともどうぞよろしく。
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