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熟年クラブ連合会
     活動報告  (最終更新日 : 2019/02/15)
2009年11月号

2009年11月号 (2009/11/09) 満員御礼のビンゴ大会

 年二回老ク連で開催されているビンゴ大会の今年最後の大会が十月三十日、老ク連サロンで行われた。
 これは老ク連恒例行事の一つで、会員さんにとっても人気のある行事である。今回も大盛況で朝から続々と詰めかけ、会場に準備した机や椅子など全部ふさがり廊下にまであふれるほどで最終的には二百名前後の人となり、歩くのにも困難な状態になった。
 賞品は役職員から集めた寄付金で購入したものと、役職員や会員有志から寄付された物も数多く、一回につき三十六人は当たる程、多数の賞品が用意された。また、購入品も皆に喜ばれそうな物と考え、コーヒーメーカーやジューサー、鍋などをカーザ・バイアで購入。
 賞品が当たるビンゴは七回行われ、その他に前売りの青券・赤券の賞金付きのビンゴが二回行なわれ、残念賞も出された。以前は、少人数に大物賞品を…と、計画したこともあったが、最近は老ク連の親睦大会らしく、より多くの人に役立つ物を…となり、そこが参加者に喜ばれているゆえんである。また、老ク連のビンゴは数字を大きく書き示すと共に、日本語とポルトガル語の両方でできるだけ大声でゆっくり伝えることを常とし、聞き漏らしの無いよう、高齢者にも分かりやすいビンゴを心掛けている。不思議なもので、何度も当たる人もいれば一度も当たらない人もいる何枚も買ってその半分以上当たる人また一度も当たらない人、数字は埋まるのだがあと一つがでない、だから熱が入るのだろう、ある人は四十年ぶりにビンゴの賞品が当たったと喜んで帰って行った人もいて、楽しいビンゴ大会であった。
 また一回もあたらなかった人には、わかめの残念賞。全部の数字を埋める青券は一人が当たり、最高額の赤券は三人に当たりが出て、賞金は折半となった。大金が掛かっている時は、最後の方になると緊張が頂点に達して、一つ数字が出る毎に「ビンゴ!」と大きな声が上がるが、それが間違いで、会場は笑いに包まれ、大変、賑やかであった。もう一つの楽しみは大勢の人が集まり弁当を食べたりおしゃべりをしたり、それも一つの楽しみであったろう。九回も夢を見た楽しい一日は、三時に無事、終了した。
【当選者】
青券 浜野文江様(SP中央老壮会)
赤券 清水ダリア様(ビラ・マリア鶴亀会)、土田正五郎様(名画なつメロ倶楽部)、遠藤菊子様(プ・アルボレ老壮会)


第十六回ビンゴ大会寄付者

 重岡康人、上野美佐男、内海博、五十嵐司、小坂誠、田村福八、松平和也、玉井須美子、内山卓人、戸田房子、纐纈蹟二、中西恵美子、与古田徳造、香山和栄、有賀春子、山田ひな子、山田操、井出香哉、宮田文野、安藤祝、矢野恵美子、瀧ケ平功、牧本ローザ、遠藤猛、伊藤フミエ、上田孝子、篠崎美智子、杉本正、菊地ツル子、斉藤マリオ、岡たつみ、加藤深雪、畠中和廣、金藤泰子。


老人週間の記念講演(下)「日系コロニア老人週間」その回願と展望

前援護協会事務局長 小畑博昭
③「老人週間」を開催した経過と効果。
(1)職員が日本研修へ。基金完成後の新生活動計画立案のためだ。
ⅰ.戦後目覚しい発展を遂げた日本の福祉事業の研修を此処で生かせ。
ⅱ.滞日中、厚生省老人福祉専門官―森幹郎先生に日系コロニアの老人問題を説明。意気投合。「二年後(七三年)に訪伯し、実情調査視察を確約」(日本政府要人の来伯は珍しい)
ⅲ.老人福祉は社会全体の感心として、みなで参加、協力して解決する事が望ましい、と教えられる。
(2)七十年八月帰伯後、直ぐに「老人週間」開催を提案。援協役員、同仁人会医者達、救済会に呼びかけ共催を決定。力強い盛り上がりをみせた。
 文協記念講堂(千二百席)借用に、「そんな大きな処で?」と疑問不安を与えたが蓋を開けたら七千八百人が参加、次年度からは満員の盛況で、老人問題に対する多くの関心を証明できた。
(3)日系コロニアの積極的ボランテイア活動の凄さを見せ付けさせた。
 無料検診と健康講演会。(細江、武田、木原同医師達の無料検診、講演会などで奉仕)。高齢者創作品展示即売会。隠れた職人が得意の腕を振るって創作品が多数出品。竹細工、木工等。映画会、アンケート調査(老人の希望と実態調査)等。
(4)調査で日系老人の三大希望が分かった。(①自由になる小遣い、健康の保障、②死ぬ前に一度、③母国訪問をしてみたい。
(5)老人クラブ創立の機運が盛り上がる。五~六年にして百クラブとなる。
 老人クラブ連合会が創立され、法人格を取得し老人週間の開催共催団体となり、無くてはならない存在となる。
(6)森先生の推薦により木村講師来伯。名公演でどの会場でも大拍手、聴衆を唸らせた。その後も三回にわたって来伯講演、指導、サンパウロ州ばかりでなく、パラナ州でも大評判。
(4)日本出稼ぎがもたらした影響。
ⅰ.新しい老人問題の発生。
 出稼ぎに参加した老歳者は、仕事も小遣いも満たされたに見える。死ぬ前に一度故郷訪問も出来た。しかし、留守中は老人ホ-ムに預けられ、果たして幸せであったか。
ⅱ.家族破壊に拍車が掛からなかったか。
 一つの実例。
 「Yさんの事。六十歳を過ぎてから出稼ぎに、日本で働いて蓄積。帰伯し、家作??を数件購入。日本の年金がついてから、ブラジルに帰り数年間をゆうゆう年金暮らし。この間妻子は自助自活生活、数年して無理がたたって死去、残された妻は遺族年金を日本へ申諸、老後を亡夫のお陰で生きて行けそうだと言うが、悲しい努力の結果は?」
(5)今から先考えられる日系老人問題と其の解決のために。(私案)
ⅰ.日系社会の連帯意識の再構築が今出来るか、(老人クラブでは?)
ⅱ.老人の自己研鑽、自助、互助活動の推進、
ⅲ.孤独淋しさからの開放、家族交流、自助努力、老老介護、
ⅳ.社会の一員としての自覚と役割、老人クラブを通じー課題。
ⅴ.ブラジル社会保障制度の早期確立と実施を願い祈る。
ⅵ.二、三世を主とした老人クラブ人材育成の本格化。
(6)日本政府並びに公的機関からの支援。(私案)
 今までも現地で出来ない部面の支援で大変助かっているが、今からも続けて是非お願いしたい事。
ⅰ.当地老人の研鑽と自助努力を高めるための指導者派遣。
ⅱ.介護専門家、リハビリ専門家、理学療法士等の派遣指導。
 寝たきり要介護老人の多発が考えられ困っている。
ⅲ.老人福祉施設の運営強化のために経営実技の専門家派遣。


なもあんだも

 老ク川柳教室が始まって八ヵ月と日も浅いが、去る十月二十三日には、日本より来伯された渋谷伯龍先生による川柳会が老ク連において催された。
 渋谷先生は青森県人会の五十五周年式典に出席されるため来伯されたもので、日本ではNHK青森で「お国ことばで川柳」という番組を持っておられるという。
 自己紹介の後、早速、柳会に入った。席題「汗」「家族」が出され、限られた時間の中、皆、頭をひねり作句に取り組んだ。老ク連柳子の中にはベテランもいるが、全くの箱入り柳子もいて、最初は緊張気味であったが、そこは川柳句会。すぐに賑やかな笑い声で満ち満ちた。
 天、地、人が披露され、「汗」の天には渡辺文子さん。「家族」の天には森川玲子さんが見事に選ばれた。会の最後には、それぞれの句と句に因(ちな)んだ洒脱(しゃだつ)な水彩イラスト入りの色紙をプレゼントされ、皆大喜び。
 予定もなく急きょ開かれた川柳会であったが、柿島先生をはじめ十数名が参加。老ク柳子にとっては、これからの作句の励みとなったひと時であった。
 なお、表題「なも」は津軽弁で「あなた」のこと。「あんだも」も南部弁で「あなた」のことだそうです。


老いずに益々盛んなり

アニャンゲーラ仲よし会 太尾田正雄
 全伯の老人クラブの皆様、如何お過ごしですか?
 去る十月十七日、ラッパ仲よし会の例会では菊地つる子会長のご尽力で老ク連本部より、小坂誠副会長とJICAシニア・ボランティアの与古田徳造先生にご足労(そくろう)を頂き、賑やかで楽しい一日を過ごす事ができました。
 与古田先生は三十八年間教職を勤められた古武士然とした方で、初対面にも拘らず、その対応はテキパキと教壇の士はかくもあらんと思われる程、見事な物腰でした。個々の交際は別として、会員一同が顔を合わすのは月に一回のこと。挨拶も賑やかで、老いずに益々盛んなりという観があります。
 十二時になって、菊地会長から例会開催の辞、そして、老ク連本部より来られた新任の与古田先生、小坂副会長のご紹介がありました。与古田先生からは、老ク連に派遣されたことやレクリエーション活動を担当していると、自己紹介などがありました。
 その後、会員持ち寄りのご馳走で昼食。一同、腹が膨らみ、瞼が緩む頃、与古田先生の沖縄県の伝統楽器、三線が披露されました。沖縄三線を手に取り、間近に見たのは初めてでした。見事なもので、過日、離伯された前のJICAボランティアの貞弘先生は現代楽器としてギター、今回は伝統楽器の三線を披露して下さり、今後、我々腕白老子らが楽器によって振り回される懸念?があります。
 三線を手にした先生は、懐かしのメロディーや沖縄伝統曲などを次々と演奏され、時が経つのも早かったです。閉会の時刻が近づいてきたので、十月に誕生日を迎える会員の方々に祝いの言葉をお贈りし、ケーキを食した後、与古田先生が簡単な手踊りを指導。そして、お馴染みの炭坑節を終えて、和気藹々(わきあいあい)のうちに閉会しました。お越しになって下さいましたお二方に暑く御礼申し上げます。
 結びになりますが、全伯の老人会の皆様が老いずに益々元気に過ごされん事をお祈り致します。


百人一首の会

サンパウロ中央老壮会 中山保己
 九月二十一日、月曜日、老ク連の「百人一首の会」へ出席してみた。十三時から始まり、出席者は男性二人と女性五人。三人ずつ机をはさんで座る。読み手の席は机の向こうの端で、途中で交代した。
 さて、広げてある取り札を見て驚いた。かなり分厚い木製の札で、おまけに変体仮名と草書書きときている。それでも皆さん、百戦錬磨の猛者ぞろいだから、どんどん積み重ねていく。まごまごした私が三枚くらい取ったところで終ってしまった。
 「こんな木の札は始めて見ました」
 「これは戸塚マリさんが北海道から持って来て下さったのです」
 次には普通の、なじみの厚紙製のカルタで、一面に広げる『チラシ』だ。これが二回行われた。それを十枚ぐらいと十五、六枚取ったが、平均点には届かない芳しくない成績だ。自分の前の札を取られた時の「やられた!」という気持ち。人の前に手を伸ばして取った時の快感! 声をあげたくなる…。
 休憩時間にお茶菓子が出て、和やかな雰囲気だ。少人数のせいでもあるだろうけれど…。
 「今度は坊主めくりをやりましょう」
 「坊主めくり? 知りません」
 そこで一応説明される。裏返しされた読み札を上から順番にめくり取り、坊主(法師の絵姿)が出ると、すべての持ち札を差し出し、姫(女性の絵姿)が出ると、差し出されている全部の札をもらう。めくる札が無くなった時に手許に残った札の多いものが勝ちだ。これは運だが、「運も実力のうち」という言葉もあるので…。
 最後は『紅白』合戦だ。机の両側の三人ずつが組になって対抗する。五十枚ずつ並べて、早く自分の方の札が無くなれば勝ちという競技だ。これには厳しい罰則が付く。つまり間違って手を札につけたら、相手方の札を一枚もらわなくてはいけない。
 「敵の陣だけでなく、自陣のもですか?」
 「そうです」
 読み手はにべもない。条件は同じだからまあいいや。この回は終盤に相手方がヘマを繰り返して十枚ほど残し、こちら側は札がなくなり、勝利の美酒に酔った(大げさ?)。
 『チラシ』の時も『紅白』の時もそうだが、二、三枚札が残ってしまった。これは似た文言の句を間違って取っているからで、素早く確認の方法が無いものだろうか。
 恋の歌が四十三首もあるという百人一首はどの歌も意味が分かろうと分かるまいと、口ずさんでいると楽しい。
あらざらむ
 此世の外(ほか)の思ひ出に今ひとたびの逢う事もがな
瀬をはやみ
 岩にせかるる瀧川のわれても末にあはむとぞ思ふ
 日本語の危機が叫ばれている現在、もっとも日本語らしい日本語の原典が生き続けているのだ。この日本の古くから伝わる優雅な言葉の遊戯(ゆうぎ)が身近かにあるのは本当に嬉しいことである。
十五時にお開きになった。十年ぶりに団体旅行のホテルで経験した以来で、愉快に過させてもらった。


モジ中央日会老人部を訪ねて

ビラソーニア老壮クラブ 瀧ヶ平功
 去る九月十七日、私は副会長の武田さんとモジの老人クラブの例会を拝見させて頂く為に二人でモジへ参りました。
 モジと言えば、一九六三年頃に平松農業技師の果樹園を訪れた事がありましたが、あれから四十四、五年ぶりに見るモジ駅周辺は、当時の面影はほとんどありませんでした。
 タボン・ダ・セーハからどの位の時間で着くのか、見当もつきませんでしたので、朝、早めに家を出て、バスとメトロを乗り継ぎ、ブラス駅からグワイヤナーゼス行きの電車に乗り換えたのですが、この電車の乗り心地の良さにビックリしました。グワイヤナーゼスからモジ行きの電車は一寸落ちましたが、四十何年前の電車とは違い、車内もだいぶきれいな電車に変わっておりました。
 モジの駅に着いたのは予定より一寸早かったので、駅前の広場で時間を潰し、開会の少し前に会館に行きましたら、もう大勢の会員さんが来ておられました。
 当日は運動会ということで、会館の中で出来る色々な競技を見せて頂きました。大変参考になりました。中には我々の会場では条件に合わないものもありましたが、その中のいくつかは我々も参考にしてやってみたいと思います。
 帰りには運動会の賞品まで頂き、ありがとうございました。
 早速、老壮の友の紙面をお借りして、お礼を申し上げようと思ったのですが、次の週の二十一日より体調を崩してしまい、二十三日より入院という羽目になり、何とか退院できたのが十月九日で、目下療養中の身です。
 ちょうど同じ時期の十月一日、武田さんも胃ガンの手術をされ、全体の八〇%をなくされました。ご本人曰く「私のガンは胃ガンでもいいガンだ」としゃれを言っておられた通り、その回復ぶりも目覚しく、来年早々八十二歳を迎える年齢と思えないほどです。十一月のカラオケ大会には「出演したい」と言っておられるぐらいですので、その頃には出演も可能かと思われるほどです。ぜひ、頑張ってもらいたいと思います。
 モジ・ダス・クルーゼスの会員の皆様、その折は大変お世話になりました。これからも会員の皆様が益々お元気で過ごされることをお祈り申し上げます。
 一言、申し遅れましたが、当日、私たち二人に里芋を下さった方がおられたのですが、私、お名前をお聞きするのを忘れてしまい、申し訳ございません。会長の近藤さん、西丸さんは大方の検討はつかれると思われますが、どうぞ、その方によろしくお伝えくださいますようお願い申し上げます。
 また、機会がございましたら、ぜひ、我が会にも来て頂きたいと思います。モジ中央日会老人部の皆様、本当にありがとうございました。


桜会日帰り旅行

セントロ桜会 矢野恵美子
 去る十月十八日、我々桜会の一行は日帰り旅行でアチバイアまで行きました。前日の大雨が嘘のようにからりと晴れた青い空の中、総勢十八人は夏時間になったばかりの朝九時に出発しました。
 行く先は会員の娘さんの別荘で、二度目の訪問ですが、責任者で道案内役の方が他用で行かれなくなり、心配しましたが何とか行けるだろうという事で出発しました。
 バスは二十二人のりを頼んでいたのですが、当日は大型しか無いということで、四十六人乗りのバスが我々の前に横付けされ、早速乗車。それぞれ一人ずつ座席を確保し、のんびりと行くことができました。バスは二階建てのような感じで、運転手は一段低い所で、私たちの座席は高くて見晴らしがよく「快適だね」と窓から楽しそうに眺めている人も居ました。
 やがて迷うことも無く目的の別荘に到着。別荘とは言いますが、ものすごい豪邸で、エレベーターまであるのです。ご主人は私たち会員の娘様ご夫妻。非常に気さくなご家族で、二度目と言うこともあり、我々一行は我が家のように入り込み、一息ついた所で山海の珍味のもてなし。
 娘さんは皆の周りをぴょんぴょんと跳ね回り、まるで若いお嬢さんのような感じで、とてもこんな豪邸の主人とは思えない可愛らしい方です。
 シュラスコを初め、日本食は刺身、寿司、ガルソン付きで男性達はウイスキー他色々な飲み物を頂き大機嫌。やがて満腹になり、いすにもたれて寝てしまう男性も。椅子から落ちはしないかと私はハラハラして見ていました。
 壁に取り付けてある大きなテレビからは色々な歌が流れてきて、みんなで合唱したり、童心に返って楽しみ、時間が経つのも忘れるぐらいでしたが、今日一日、無駄なく楽しく過ごす事が大切です。我が会では三名の男性がいつも気を配ってくれるのです。私は三羽烏(さんばがらす?)と名付けていますが、三人ともよく気があって、話し合いながらすべてをスムーズに運んでくれます。そんな彼らの進行で「恒例のビンゴに入ります」と声が掛かり、一同「さぁ、いらっしゃい!」と言わんばかりに眼鏡をかけ直し、座り込んで、笑ったり、頭を抱えたりの楽しい一時が続きました。
 楽しい時間はあっという間に過ぎ、帰途の時間です。空は快晴。バスは一直線に帰路を走ります。遊び疲れて眠る人。私もうつらうつらして、ふと気が付くとバスは止まっています。渋滞かと思い座っていましたら、誰かが「パンクしたそうだ」との声。男性達はほとんど心地よく眠りに落ちていて気にする様子も無い。ただ1人の女性は「運転手は上に来て、皆に知らせるべきだ」とプンプンしていましたが、後で聞くと、知らせに来たのだそうだが、みんな居眠りをしていて聞いていなかったという。きっと彼女も眠っていたのかも…と私は思った。
 隣の席の女性は「あなた、落ち着きなさい。こんなことは旅行には付き物なのよ」となだめていましたが、他には誰も苦情を言う人も無く、やがてタイヤも付け終わりバスは走り出し、私は胸を撫で下ろし、バスに身を任せていましたが、間もなく、ドカンと大きな音がし、どこかで車をぶつけたのかな?と思っていたら、「また、パンクしたらしい」と言うので、まさか、と思っていたら、運転手が上がって来て「他のバスを用意したから、乗り移ってくれ」との事。その手配の早さに感心しました。
 それからは順調に走り続け、サンパウロに到着。あたりはとっぷりと暮れていましたが、みんな元気で、口々に「さよなら」を言い、家へと帰っていきました。誰一人としてハプニングの苦情を言う人も無く、「こういうことは旅の思い出話の種」とニコニコしながら、またの日を約束して手を振って別れ、我が桜会の日帰り旅行は終りました。


与古田先生と月例の集い

サウーデ老壮部 高山友巳
 そこ此処の黄色や紫色のイッペーの花も大方は散って、街路樹の緑(あお)さが一層目に染みる独立記念日の頃、早春とは言え暑い日々の続く例年ですが、今年は地球温暖化のあおりの一端でしょうか、肌寒さの続く中、九月十一日、サウーデ老壮部では与古田先生をお招きして、月例の集いを持ちました。
 「老壮の友」紙上で四十年近く中学教員をなされ、また種々の教育に関する活動をされていたとの御略歴を拝見して想像していた通りの経験の豊かさが染み出るご指導振りでした。
 三線の調べに乗せた沖縄民謡の数々に舞踊の手付きの練習、また脳の活性化に役立つと言われる指先運動を含め、体操の数々をテンポよく進められ、部員一同、身体も心も温まるような楽しい午後の一時でした。
 またの機会を楽しみに、先生の今後のご健闘と健康を祈っております。


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