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(最終更新日 : 2019/02/15)
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2010年8月号
2010年8月号 (2010/08/02)
日本祭りで大人気老ク連ブース
ブラジル最大の日系の祭りと呼ばれる県連主催の「第十三回日本祭り」に老ク連は、今年も参加した。
三日間の開催だが、当会は七月十七~十八日と二日間のみの参加で、金曜日は定例の代表者会議のために、朝から机や椅子、本などの大きい物だけを運び込み、翌土曜日の七時から奮闘が始まった。
今年も老ク連は会員の手作りのお惣菜、漬物、まんじゅう、味噌、蜂蜜、草もち、ゴマ餅、黒大豆、古本、中古ビデオテープなどを販売。また人気があったのは巾着(きんちゃく)やパッセ(パス)入れ、こけしや幸せをよぶ人形、色々なシャベイロ(キーホルダー)、草履(シネーラ)などだった。
初日は天気が悪く雨模様だったが、徐々に良くなり気温も上がって、冬とは思えない暖かさとなり、お客さんも続々と入り始めた。
場所は去年と同じだったが、狭い売り場を考慮して、今年はお手伝いの人数をある程度制限した。そのため、売り場に立った役員や職員は、他の県人会や展示ものなどを見に行く暇もなく応対に追われ、疲れ果てたほどだった。早々と売り切れたのは、会員手作りの心のこもった食料品や草履、高齢者用の品物の数々、また漬物なども飛ぶように売れた。選択に心を砕いた中古本やビデオテープなどもどんどんと買われていく。本も店頭に並べ始めるのを待っていたかのように、一人で二十冊も三十冊も持っていく人たちがいて、初日に五〇%の品物が売れてしまった。
土曜日にはJICAのシニア・ボランティアの与古田先生が、同じくJICAの仲田えりかさんと老ク連ブースの横で沖縄三線を弾き、取り囲まれるように多くの観客が集まって来た。
今年も老ク連の役員の方たちや関係者の方々がたくさん激励に訪れてくれた。
また、日曜日には田中保子さん率いる花合せの会のメンバー八人が老ク連のブースの脇で、百人一首を披露。玉井先生の踊り教室は、舞台で踊りを披露し、拍手喝采を受けていた。
何かと行事の多い七月に、この大きなイベントが入ったので、少ない人数で多忙を極めたが、老人会の売店成果としては、大きな場所代に税金などの諸経費を差し引いても、皆さんの手作りの品々のご協力などで少ないながらも余りがあり、関係者を喜ばせた。お手伝いをして下さった方々に心より御礼を申し上げたい。
創立三十五周年を迎え、発想の転換を考える
老ク連会長 五十嵐司
一九七五年に発足した当連合会は今月三十五周年を祝うこととなりました。
私はここで改めて会の辿って来た記録を読み返し、過ぎし日を偲んで感慨深いものがあります。それは一つに諸先輩方の尽くされた、それこそ血の滲むようなご努力に対してであり、容易に筆舌(ひつぜつ)に尽くせるものではありません。
一九七三年に旧サンパウロ日本移民援護協会の中で、日系老人の福祉拡大のための方策として老人クラブの専門家・木村健一氏をお招きして老人クラブ育成の指導を受け、その結果、各地で急速にクラブが結成され、七十五年には八五クラブが参加する連合組織の設立となりました。その間、発足の役についた方たちは広いブラジルの全域に文字通り東奔西走(とうほんせいそう)して参加を呼びかけ、多くの賛同者を得られました。その後、発展を続けた老ク連は一九八〇年に念願の本部となる建物を購入し、活動の本拠としたのですが、このときも初代会長・田中丑子、副会長の宮口義長両氏がとりあえず個人のお金を出し合って好条件の物件を急いで押さえるなど、色々と献身的に会のために尽くされたことが記録に残っています。
建物についてはその後も先輩方の真摯(しんし)な運営が認められて、日伯両国内の賛同、協力を得て、一九九七年にはさらに大きな現会館の獲得につながっています。
また、運営資金についても、将来如何なる時にでも対応できるようにとの配慮から、銀行預金などを準備して下さっています。先輩方の思いはクラブが先々まで発展し、そして後輩が安心して運営していけるように、との親心に他なりません。
事実、私たちはこうして何の不安もなく過ごさせて頂いており、その期待に応えて会の発展と会員のより多くの幸せのために努力しなければならないと思います。
さて、発展といっても、私たちのクラブは日本人移住者一世と移住地育ちの二世つまり準一世の集団であるため、加齢から来る自然減があります。しかも新移住者が事実上止まっている現在、会員増加は容易ではありません。そこで会員の勧誘には新しい発想が必要と思います。今までのように「年寄りは集まれ」ではなくて「日本語で話し合って楽しく過ごそうよ」に切り替えるべきでしょう。事実上、現在は日本語でものを考え、話すのは大部分が年寄りですから同じことなのですが、「老人」は「老婆」のように差別語に近くなってきており、老人と呼ばれることに対し、現代の熟年者の意識では抵抗があるようです。
日本政府の老人クラブ要綱でも「クラブ員の年齢は六十歳以上が原則であるが、円滑な活動に資するため未満でも妨げない」となっているように年齢にこだわる必要はないわけです。今年は会員倍増キャンペーンの年としたいと思っています。
さて、いよいよ三十五周年のお祝いになります。日本の全老連でも話し合いましたが、今回はあまり派手でなく、実質的なものとしました。会員の安心立命の守り神としてお迎えしたお地蔵様を中心として、先輩方、ご先祖様たちへの感謝とご供養を第一にすることにし、さらに歌と踊りの奉納、記念に残すブラジル老人クラブの歌、名付けて「熟年賛歌」の歌詞と曲譜の選定と連合会の正式な紋章の公募を行なうことに決定しています。文才、詩才の豊かなクラブ員を多数抱えている老ク連ですから、素晴らしい作品が期待されます。
三年ぶりに河童さんがブラジルに帰ってきた
河童さんこと老門一郎さんが三年ぶりにブラジルへ戻ってきた。今回は一か月弱の滞在とのことだが、老ク連では六月三十日(水)にサロンで踊りを披露。約三十名の会員たちが河童さんの芸を観賞した。
河童さんは頭の天頂部をそり落とし河童そのものの姿。上唇を引っ張り目をぎょろりとすると、本当に池の中から出てきたかのようだ。獅子舞のお面などは全部手作りでだそうで、民謡などの曲にあわせて彼独特の踊りを披露し、皆を喜ばせた。
与古田徳造氏をお迎えして
デイ・サービス「シャローム」代表 福浦利明
去る五月二十七日、私たちデイ・サービス「シャローム」は与古田徳造先生をお迎えしてのプログラムが組まれました。
予定の打ち合わせ時刻よりやや早めにご来訪。明るい元気のよいご挨拶を頂きました。
まず先生は自己紹介された後、シニア・ボランティアとして来伯するまでの過程をお話しされ、現在の沖縄県米軍普天間飛行場移設を取り囲む沖縄の現状を報告され、一同、深く聞き入りました。
そして沖縄の三線をヒザに楽しい数々の歌を歌われました。昔懐かしい曲や現在の歌、また利用者やボランティアの希望に応えての歌など、しばし時の経過を忘れました。
そして、沖縄踊りの手ほどきもされ、利用者もボランティアも一緒に輪になって童心に帰り踊りました。
昼食後は先生を囲んでまた、楽しい会話と歌とであっという間にお別れの時間となりました。名残を惜しみつつ、またの再会を約して、このよき一日を終えました。与古田先生、本当にありがとうございました。
「びっくり!」ブラジル
JICAシニアボランティア 与古田徳造
①ブラジルの道
ビックリ!勤務先まで歩いて行くが、犬の糞があちらこちらにあり、踏まないようにしっかり見て歩かなければならない。近くの料理店の残飯(ざんぱん)、家庭からのゴミが道の半分を占めている時もある。その悪臭は、通り過ぎた後も付いてくるほどだ。それでも通る人は気にしない。不思議だ。さすがに、セーや、リベルダーデなどは、一応きれいだが、工事中の道はそのまま片付けられずに朝を迎え、人々は気にせず通っている。
各家や店の前はそれぞれがタイルやセメントを張っているようだ。凸凹や傾斜が多いが、人々は気にしない。
長年住み慣れると「住めば都」というが…。高齢者にも厳しいかと思ったら、「イヤ、かえって足腰が鍛えられていい」と言う。考えさせられた。それもひとつの道理かも。
②服装
ビックリ!メトロやバスの中、通りの人々はどれだけ肌を露出するか、まるで競っているみたいだ。日本では考えられない。文化なのだ。習慣なのだ。
何時だったか、日本で学校にそのような服装で来た生徒が学校側から注意された。だが、一週間もするとマスコミに取り上げられ、いつの間にかその生徒は許可された。ヒーローになったようだ。文化であり、習慣なのだ。
私もと思って、外出に思い切って半ズボンで出てみた。やはり、気持が落ち着かない、文化なのだ、習慣なのだ。
③メトロ
ビックリ!沖縄にはメトロも電車もないから、東京の地下鉄に乗って、ラッシュアワーを経験したことがある。だが、サンパウロのメトロは、その比ではない。まさしく、世界の大都布だ。
世界一の乗車率らしい。いわゆる、世界一混むメトロである。とくに朝、夕、いわゆる出・退勤時はいつも満員である。だが、もうみんな、慣れているようだ。
いつだったかJICAに用事で、同僚とメトロに乗ったら、その同僚は地下鉄でいつも仕事場に行くらしく「メトロを三本待つのは当たり前。一本目で行けるのは珍しい」と言っていた。
私は歩いて勤務先に行けるのだから、感謝しないといけない。だが、土日は空いている。土日、利用するは私だけなのかなぁと思うほど。
④バール
ビックリ!昼も夜も何時でも人がいっぱいだ。
小さいテーブルを囲んで、ビールを前に何人もの老若男女が大声で話している。まるで喧嘩でもしているように聞こえるが、そうではない。一日分を、いや一週間分を、いや一月分、一年分を思いきり、話しているように見える。今、話さないと損するといった感じである。
仲間に入ってみたい感情にかられるが、言葉が通じないので、遠慮せざるを得ない私である。
⑤プ・アルボレ老壮会
ビックリ!この支部は「百一歳の人がいます」。「今日も九十五歳の二人が歌います」とごく当たり前のように川井会長が紹介した。当の本人も九十一歳だ。
沖縄は世界でも長寿県だと言うが、ブラジルの日系老人会は、世界一の長寿クラブではないかと思う。元気で快活で楽しい会ばかり。どこの支部に行っても感じることである。ゲームも踊りも、それこそ、青春真っ盛りのように、興じるから嬉しくなってしまう。
聞くところによると、プラサ・ダ・アルボレ老壮会にはかつて会館があって、会員数も多かったらしいが、今では高齢化が進み、会員数も減ったという。そこで、地の利の良いリベルダーデ橋のすぐそばの東洋会館に活動拠点を移したとのこと。
初代会長が「沖縄出身の宮城さんだったのよ」と言われて、何かうれしくなって、今日の三線演奏は、いつになく沖縄らしく感じたものだ。
帰りは、独身生活だからと言って、川井会長や役員の方々からジャンタール(晩御飯)も貰って帰った。ありがたいことだ。
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