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熟年クラブ連合会
     活動報告  (最終更新日 : 2019/02/15)
2013年10月号 [画像を表示]

2013年10月号 (2013/10/12) 追悼

親友と先輩にお別れして

ビラ・ソニア老壮クラブ副会長 武田久夫
 去る九月六日の夕方六時頃、コチア群にある「老人休みの家」でテレビを見ながら眠るようにして彼の世へ旅立ちなされたそうです。
 翌七日、ブラジル独立記念日にビラ・ソニア区ゲッツマニー墓地に午後四時頃、多くの参列者に見送られて埋葬されました。
 朝枝さんは私にとっては親友であり、先輩でいつも導いてくださり、無学な私でもどうにかコチア産業組合の仕事ができました。心から感謝します。
 一九五一年末からカシンギにありました孵化場で朝枝さんの部下として六年間、一緒に働きました。それから数えて六十年以上のお付き合いをして頂きました。
 もう六十年前の事ですが、朝枝さんの自転車一台で二人でカシンギからカーザ・グランデのビーリングス湖へ魚釣りに行こうとし、土曜日の午後から出発し、上り坂は押して、下りだけ二人で乗って、家から三十キロほどのところに泊りがけで行ったこともありました。
 一九五二年の末に朝枝さんは下川アヤコさんと結婚なされて、六十一年間を共に過ごされました。当時、コチア産業組合には一千余人の従業員がいたそうですが、そのうち結婚前に住宅を立てて家具も揃えて結婚したのは、朝枝さんともう一人の親友で佐々木アルナンドさんの二人だけでした。
 朝枝さん、どうかあの世にてお休みになり、残るご家族の皆様や人々の安泰をお守り下さい。ありがとうございます。


出会いに感謝して

熟連クラブ事務局 金籐泰子
 上原玲子さんの突然の逝去に際し、初七日が済んだ今でも信じられない思いでいます。
 上原さんは一九九一年に事務局長として老ク連に入り、その一年後に私が入ったので、二十年以上の付き合いでした。その間、それこそ朝から晩までかなりの時間を老ク連で共に過ごして来ました。老ク連は私たち二人の生活のすべてでした。
 年間を通じての多彩な行事、節目の記念祭、各種のイベント等を切り盛りし、会館建設に向けた寄付金集めに役員共々奔走しました。帰宅が夜の九時、十時になることも度々でしたが、上原さんと一緒だと一つも大変だと思ったことがありませんでした。
 今でこそ高齢者の立場は社会に理解されていますが、当初は遊んでいる老人の団体に寄付など必要ないという人もいて、会館建設の援助をお願い行った政府系の団体にも冷たくあしらわれ「年寄りの事が一つも分かっていない」と悔しがっていた上原さんの姿が目に浮かびます。多分、上原さんの一番の喜びは会館建設が出来、大勢の高齢者が生きがい作りに、健康活動にと励み集う姿が見られたことではないかと思います。
 上原さんの性格を一言で言うと、真面目。その一言に尽きます。会計にしても運営にしても人との付き合いにしても、どうでもいい、適当にということの出来ない人でした。何事にも全力投球。常に本音で向き合い、乗り越えていて、私はいつも見習いたいと思っていたものです。
 私と上原さんは同郷で、それゆえか性格は違いますが、考え方や物に対する思考もよく似ていました。一を言って十を知るではありませんが、互いの事はすぐに分かり合えました。こういう人にめぐり会い同じ職場で楽しく仕事が出来た事を心から感謝しています。
 また、上原さんは旅行が好きでした。パンタナール、レイソイスなど数え上げたら切りがありません。いつも老クの仲間と出かけていました。退職後は外国旅行も度々でした。今月の十二日の老ク親睦ブラジリア旅行も皆と一緒に行く事になって、楽しみにしており、すでにカバンは用意されていたそうです。
 上原さんが会を退職すると決めた時は非常に淋しかったものです。しかし一会員としていつも会に顔を出し、教室に参加し、声をかければいつでも相談に乗ってくれていましたので、今の今まで全てにおいて、安心しきっていました。 ご主人を早くに亡くされ、一人で二人のご子息の成長を見守り、無我夢中で走ってこられた上原さん。初孫の顔も見ることが出来、今頃はご主人に色々とご報告されている事でしょう。長い間、本当にありがとうございました。心から御冥福をお祈り申し上げます。


全伯川柳大会祝辞

熟年クラブ会長 五十嵐司
 第六十回全伯川柳大会のご成功、誠におめでとうございます。
 併せて、その準備、そして執行に当られた方々のご努力に深い敬意を申しあげます。六十年もの長い年月、同人の心を合わせた “和”の運営が続けられ、そして今回の大会に見られるような和気藹々とした雰囲気の中でも、短詩文芸にいとしむ者の静かなる情熱を始めて目の当りにして、驚きとともに深い感銘を覚えました。さすがにベテランの皆さん、人生に達観しながらも、意味のこもった一語一語を大切に用いる、成熟した遊び心に圧倒されました。
 さて思うに、言葉は生き物であり、生々変化するものとは言われながらも、最近の日本内地で使われる話言葉のありようには、眼を覆うようなものがあります。文法無視、敬語の使用混乱、不必要な外国語の乱用、それに従って言語体系は乱れ、日本語の誇る豊富な語彙が貧しくなっていきます。川柳などの短詩系の文芸では特に、同議語の差し替えでニュアンスが変わったり。助詞(テ二ハオ)の不適切使用が命とりになったりする極めて繊細なものですから、このような風潮が続くと五、七、五で日本人の細やかな心情を伝える、優れた短詩の存続が可能であろうかと心配なことです。最近テレビの中の会話で毎度のように頻繁に交わされる、「プレゼン」「ゲット」そして「凄い」「もの凄い」「とか」「させて頂きます」「感じ」という言葉、そして「凄く」(副詞)ももはや使われず、凄い綺麗、凄い早い。それに従って今まで使われていた、「とても」「とっても」「とてもじゃまいが」「非常に」「たいへん」「まったく」「ほんとうに」などはすべて消え去り、「すごい」に画一されてしまっています。一般に自主性のある表明を避け、曖味さを好むようになり、「させて頂きます」「の感じ」を使い、「します」「致します」「思います」という自信と責任感のある断定語はあたかも差別語のように殆んど使われない。これからの日本語はどうなるのでしょうか。
 しかし、ここブラジルは遠く離れていて我がコロニアはそんな自主性喪失に汚染されていません。ここでは自由に自信を持って考え、語り、書いてよいわけです。したがって最近の内地での伝統軽視などに目を向けず、開拓の先人の時代から伝えられている歴史と文化を大切にする思いを持ち続け、あとに伝え、このブラジルの地において格式があり、研ぎ澄まされた多くの名句を残し、何時の日か正常に軌道修正した内地の人たちのお手本にして欲しいと夢みています。さて、あの川柳大会のなかば、名作を競う参会者の緊張をほぐすべく行われた健康体操、先生の指導で童話のメロディに合わせて、全員が子供のようになって手を振り足を振りのお遊戯、みんな結構お上手でした。そこでヘボ川柳一句。「柳人も今日は元気で老稚園」。


カンピーナス明治会から宇野先生へ感謝を込めて

芦川道子
 宇野先生にはカンピーナスへ二度目のご足労を願ったことになります。初回は「我が明治会なる会に先生はどんな思いをはせながらいらっしゃるか?」と、興味津々の私でした。が、先生が会館に入ってこられた時「見かけない若い青年が、場違いで入って来られたもんだ」と思ったものですが「こんにちは、お世話になります」の言葉を繰り返し繰り返しどんどん前に進んでこられるので、呆気にとられたものです。
 会長や副会長、平井さんたち役員の方々と話し合っている様子を横目で見て、一、二オクターブ遅れの私の司令塔もようやく納得。それが宇野先生との初回の印象でした。大変、失礼しました。
 宇野先生は楽しいレクリエーションを通して長期間健康維持できるようまた、百歳までボケ防止できるようにとストレッチ体操や小まめに身体を動かし筋肉を鍛えること、また交互に片足立ちや鏡をよく見て大きく口を開け「アイウエオ」とか言ったり、顔の変化の表現練習など実技も交えて教示下さいました。
 レクリエーションの方は他の会にて説明がなされていたので、省略させて頂き、明治会もスリーアイズやパーフェクトゲームなど三種類ご教示下さり、皆子どもに帰ったように夢中で遊び、一同満ち足りた気持ちでいっぱいで帰途に着いたことと思います。
 先生は非常にスポーツ好きとかで特に走る競技は何でもなさるとか。サンパウロで毎年大みそか恒例のサン・シルベストレ・マラソンにも昨年末には出場なされたとか。また今年の全伯ベテラーノ陸上競技大会に出場され、金メダルまで獲得なさったという誰が見ても若々しく素晴らしいスポーツマンでいらっしゃる。遅ればせながら「おめでとうございます」。
さて、私が明治会に会員としてお世話になり早六年。今までにお目にかかった先生はギターを抱えて奏でる姿がお似合いの貞弘先生お一人でした。コーラスや盛り沢山の歌、漫才風な日本一長い名前の「寿限無(じゅげむ)」の話でした。小さい時、隣家に招かれ、このレコードをよく聞かされ、覚えたものでした。
 話はそれましたが、会員は充分楽しく充電できましたが、肝心の先生は「野口英世公園」やフットサルもできる体育館が同敷地内にありながら…と、一会員として残念至極でした。カンピーナスの思い出も携えてご帰国して頂きたいと猛烈に思えるこの頃です。どうか任期中にもう一度、必ずご足労頂きたく、私の願いも込めて御礼に代えさせて頂きたいと思います。

諏訪節子
 日本からシニアボランティアとしてブラジルへ来て下さっている宇野先生は七月二十五日、明治会の例会日にゲーム(輪投げ、お手玉入れ、ボールけり)などの指導に来て下さいました。私はゲームには慣れていないので、恥ずかしいほど間違えましたが、とても楽しかったです。また、健康体操の片足立ちは足腰の弱り始めた私たちには大いに参考になる体操で転倒防止のため、毎日頑張っております。
実は宇野先生がカンピーナスへおいで下さったのは、二度目で昨年は十一月の例会日に来て頂き、その時は早期認知症の自己判断法の講話とスリーアイズという頭と体を使うお年寄りから幼児までができる遊戯を体験させて頂き、会員一同大いに盛り上がりました。
早期認知症の自己診断法については、年齢なみのボケか?または認知症の始まりか?と悩んでいた我々には大いに参考になりました。先生、二度にわたる有意義な講演を本当にありがとうございました。

小林良俊
 去る七月の例会に宇野先生をお迎えして、誠に有益なる御講話を拝聴させて頂き、ここに厚く御礼を申し上げます。
 先生は舞台の上からではなく、舞台の右下に置いている拡声器の傍より親しくお話をして下さいました。私は先生のすぐ目の前の席に飛んでゆきました。先生は巧みに目や鼻、口を動かして、顔の筋肉の運動のお話しをして下さり、健康管理のキーポイントを拝聴することが出来ました。誠に興味深いお話しで、私も大変嬉しく、おのずから勇気が湧いて来て思わず海軍の軍歌「同期の櫻」の一部を生オケで力いっぱい歌わせて頂きました。
 そこで先生は「貴男は何歳ですか?」そして「何歳まで生きたいと考えていますか?」との質問があり、私は「九十歳になりますが、百歳まで生きたいと思います」と答えますと、会場にどよめきが起きた次第です。
 こんな感激はカンピーナスに来て十年になりますが、初めてでした。素晴らしい先生の印象は私の心に強く残っております。宇野先生、誠にありがとうございました。


ベテラーノ陸上大会に参加して

レプレーザ高砂子会 原克之
 去る九月八日、イビラプエラ総合運動場で開催された第二十五回全伯日系ベテラーノ地区対抗陸上競技大会に全伯から八つの陸上会が参加したのであった。その中のイビラプエラ会の選手の中に颯爽としたユニホーム、ランニング姿で熟連のシニア・ボランティア、宇野先生が加わっていたのだった。
 はじめ私は、先生は今日の大会の取材に来ておられるものとばかり思っていた。
 ところが何と六十五歳代八百メートルと三千メートル競争に出場するのだと聞いて、びっくりしたのでした。
 もちろん、走る競技はいずれもきついのですが、その中でも一番きつい競技だと思うそれらに出場されるというのですから。
 ところがである。先生は八百メートルも三千メートルもスイスイと先頭を切って走りぬけ、見事一位となり、二個の金メダルに輝いたのでした。
 この競技大会には私も八十五歳以上の部で投擲(とうてき)三種目に出場し、金メダルを一つ、銀メダルを二つ貰ったのでした。そして女性の部では私の友だちの熟連会員、あおぞら会の岡井恵美子さんも七十五歳代で金銀三つ獲得されました。


貴重なひとコマ!原さんの記録マンガ

記録マンガ.jpg
 レプレーザ高砂子会の原克之さんの記録マンガです。1930年代からの原さんの移民の歴史がボールペン画となっています。
原画は老ク連にありますので、ご覧になりたい方はどうぞ事務局までお申し出下さい。


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