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熟年クラブ連合会
     活動報告  (最終更新日 : 2019/02/15)
2014年3月号

2014年3月号 (2014/03/13) おめでとう纐纈さん日本の全老連より表彰

 第四十二回全国老人クラブ大会が、昨年十月一、二日の二日間、岩手県盛岡市において開催されました。
 大会初日はテーマ別の活動、交流部会、二日目は全国からの参加者千六百人が一堂に会しての式典が行われました。
 その席上、全国の育成功労者百三十名が表彰され、本会からも書記理事の纐纈蹟二さんが表彰を受けました。
 当日の大会には出席できませんでしたが、後日、表彰状と副賞が贈られてきており、昨年末、役員が氏宅に赴き、伝達を行いました。
 氏は二〇〇六年から本部書記理事を務め、「書」をよくすることから、催事の大字幕などすべてをお願いして参りました。また、文芸にも長けていて、たくさんある教養教室関係のお世話を進んで引き受けて下さっています。
 十七年来の病と向き合う日々ですが、その前向きな姿勢は我々会員の範とするところです。


御礼の言葉

熟連相談役 纐纈蹟二
 熟年クラブ五十嵐会長その他の理事の方々より推挙を頂き、平成二十五年十月二日、全国老人クラブ連合会の斉藤十朗会長より、老人福祉の向上に功績ありとして、表彰の栄を賜りました。
 去年十月頃より持病が進み、十一月には最悪となり、私自身、二〇一四年の正月は越せないかも、と思いました。
 そうなるとテレビは見たくない。本は読みたくない。もちろん、俳句も川柳も考えたくない状態でした。
 正月に五十嵐会長、小坂副会長、玉井副会長、中川文化理事の四人の方々が私宅に来て、表彰状と記念品を手渡して下さいました。また、それぞれの見舞いの品も頂戴しました。しかしながらその時は、義理を欠くようですが、礼状を書く気も起こらず過ごしてきました。
 この度、日系の親切な癌専門医が色々と難しい手続きをしてくれ、高価な新薬を無料支給してもらうことが出来、新薬服用でめきめきと快方に向かい、体力がつき、気力も充実してきました。
 百日ほどどこにも行けず、寝たり起きたりでしたが、また趣味の書道や俳句、川柳、民謡に絵手紙をやれるようになり、良き日系医に出会えたことに感謝しています。
 このたびの受賞を含め、熟年クラブの五十嵐会長を始め、幹部の方々、一般の会員の皆様には厚く御礼を申し上げます。


第三回熟年クラブ麻雀大会、優勝は松井氏

 熟連の麻雀大会も三回目を数えることになった。しばらくぶりの雨にたたられた今回は、当初は五卓ほどを予定していたものだが、何と希望者が増えてしまって遂に七卓(二八名)に達してしまった。二名が欠席で心配していたところ、ブラジリアからたまたま遊びに来ていた吉田夫妻が快く加入してくれたので胸をなでおろした。いつものように五回を戦ったのだが、オールプラスはやはり難関とみえ皆無。
一回での最高得点は五九・八〇〇点(松井)で彼は第二卓から急にトップに躍り出て優勝。得点は合計八八・三〇〇点だった。
 このほか上位陣第一卓の顔ぶれは小松、大矢、大浦、山福。第二卓が松井、松田、アマウリ、中村。結局この中から二位=小松(六〇・五〇〇)、三位=大浦(五七・四〇〇)、四位=大矢(四三・二〇〇)、六位=アマウリ(三五・一〇〇)が出て、五位には健闘の池尻が入った。ブービー賞はこれも新顔の鈴木(女性)。得点表を眺めてみると、最終的にプラス点になった者が十五名、残りの十三名はマイナス点。
 そのほかの参加者は吉田夫妻、石川、井関、大西、小林、水戸、大門、垣添、寺崎、長谷川、馬場、松田、光内、森久保、中村、山中、鈴木、角谷、田島の皆さん(敬称略)。
 なお、収支報告は次の通り。収入(二八人X三〇・〇〇=八四〇・〇〇)。
支出(弁当、三〇人x十三・〇〇=三九〇・〇〇)。
景品(三五〇・〇〇)。茶菓子(九〇・〇〇)。その他(一〇・〇〇)。


お地蔵様へ貯金しよう

熟連会長 五十嵐司
 日本移民百周年に際し、私たちの連合会は会館の前庭にお地蔵様をお迎えしました。
会員みんなのご先祖と家族そして先輩や仲間たちを護って下さる仏様です。考えると、あの機会に日系社会で唯一つ成功した未来永久に残る立派な記念のものと言えると思います。
 青々と繁った色々な植木の鉢に囲まれたお地蔵様の前にはいつも季節の花々が供えられていますが、その間にお賓銭(さいせん)入れの壷(つぼ)が置いてあります。これに集められた浄財(じょうざい)はお花代や一部を八月の地蔵祭の費用に当てられますが、それと大きなことは、仏様からのお慈悲として大病や大怪我などの災厄に苦しんでいるクラブ員や関係者へのお見舞金に使わせていただいています。しかし、最近そのような件が増えているのにもかかわらず、壷の方は軽くなっている状態が続いており、残念に思っています。
 みなさんもご承知のように、お地蔵様は単なる仏教の像ではなくて、私たちの善意、同胞への思いやりのシンボル(象徴)です。ご来館の節にはこのことお忘れなきよう、お願い致します。それからもう一つの大事なこと。日本では昔「三途の川の渡し賃」と書いて死者のお棺に六文銭(寛永通宝六枚)を入れる習わしがありました。原則としてみんな誰でも一人で生まれ、また、必ずたった一人で死ぬ。愛する人、親しい人と別れて暗い闇の中に入っていくとき、温かく手を引いて、父母などの懐かしい人たちのいるところへ連れてってくれるのはお地蔵様だけなのです。皆さん、寛永通宝ではありませんが、今、人のために役立ち、いつかは自分のために返ってくるお地蔵貯金をほんの少しずつしながら、元気で若々しく、いつも希望を持って生き、働き、ある日が来たらポックリとさよならして、後はすべてをお地蔵様にお任せしようではありませんか。


二〇一四年度事業計画案

◎一月三十一日 第三十五回定期総会を開催
◎二月十六日 第一回マージャン大会を開催
◎三月三十一日熟連クラブサロンで第一回クラブ対抗スリーアイズ大会。
◎四月二十九日および九月三十日 熟連親睦ビンゴ大会を熟連サロンを開催。
◎五月二十四日 第二十六回ゲートボールふれあい大会を連合スタジアムで開催。
◎五月三十日 レクリエーション講習会を熟連サロンで開催。
◎六月二十八日 第三十八回熟連クラブ大会&芸能祭を静岡県人会館で開催。
◎七月二十九日 カラオケ教室を中心に第十四回 ミニカラオケ大会を熟連サロンで行う。
◎八月中旬 マージャン大会を開催。
◎八月十五日 第四回地蔵祭りを開催。
◎九月末~十月初旬 第四十五回老人週間を援護協会・救済会・日伯高齢者研究グループとの共 催で開催。
◎十一月二十三日 第二十回熟連親睦カラオケ大会を静岡県人会館で開催、バザーも行なう。
◎健康体操、舞踊、カラオケ、民謡、練功体操、健康表現体操、百人一首、カラオケ・ダンス、マージャン教室と俳句、川柳、コーラス、書道(二種)、ポ語教室、絵手紙などの教養教室を定期的に開き、会員の生きがいとする。なつメロ合唱や名画鑑賞などの集いも催し、高齢者の楽しみとする。
◎他クラブとの交流と地域の見学などで、見聞を広げる為の交流旅行として、その他に親睦の為の小旅行も数回行なう。
◎六月まで各熟年クラブへ宇野シニア・ボランティアを派遣する。また要望があれば随時他の講師も派遣する。尚七月から次期シニアが派遣された場合は、各クラブへ行ってレクリエーション指導をしてもらう。
◎今年も会員の親睦と啓蒙のために熟連機関紙「老壮の友」を毎月発行する。
◎日本語学校生徒を対象に、童話やレクリエーションなどで日本人の心を伝える。
◎サロンの空き時間を利用して、出来るだけ講演などの催し事を開催する。
◎毎年参加している県連の日本祭りには、場所代次第で参加か否かを決める。
◎今年も年末助け合い募金をして、福祉施設に寄付を贈る。
◎会員のために日本語書籍・CDなど文化方面の便宜を図る。
◎会員の要望にこたえて、無料および割引協力の医師や病院への手続きをする。
◎医療保険などの取り扱い事務をする。
◎福祉センターの宿泊施設やサロンの利用で運営資金の一助とする。


再び先生をお迎えして

ジュンジャイ睦会 長山豊恵
 毎日の暑さに悩まされたお天気も風の涼しさを感じる今日この頃となって参りました。毎月第三水曜日は私たち睦会の例会となっています。二月十九日はかねてよりお願いしてあったシニアボランティアの宇野先生を再びお迎えしました。
 七時半のコメッタのバスで来られるということで、山崎さんにお願いして長距離バスターミナルまでお迎えに行ってもらいました。
 会館で待っていると、九時頃に先生は来られました。先生がレクリエーションとして取り入れているのは、スリーアイズというボール遊びです。早速、コートの準備を始めました。五人一組で黄色と白色の列を作り、コートの中にボールを投げ入れます。簡単に見えるボールも転がしてみれば思うようにいかず、横に転がったり、思ったところへ行き届かず手前に止まったりして笑い声ばかりで会場は賑やかになりました。なかなか面白いゲームです。頭を使い、手を使い、体を動かす良いゲームだと思います。
 先生が「ちょっと休憩しましょう」とみんなで休んでいる間にお転婆な私はボールを追って、童遊びを始めました。足を上げ、ボールを蹴った途端、ひっくり返ってしまいました。その時、頭を打ち、みんなをびっくりさせてしまいました。心配して下さる皆さんのご親切に甘えて、プロントソコーロ(救急病院)に連れて行ってもらったりして、ご迷惑をおかけしました。どんな遊びでも不注意は禁物ですね。色々とありがとうございました。
 あとで聞けば、先生も最後までいて下さったそうです。七月には日本に帰られるそうで、残念に思います。折りがあれば、もう一度来てほしいと思います。先生のご健康をお祈りしながら、いつもでもお元気で。ありがとうございました。


ミクロ蘭と竹の子狩り

サンパウロ中央老壮会
 中央老壮会は去る二月二十三日(日)、昨年に続き二回目となるミクロ蘭と竹の子狩りの一日ピクニックにモジダスクルーゼスへ行った。
 雨が降らないため、予定を一週間延ばしたがそれでも降雨はなく、どの程度竹の子が伸びているかと気をもみつつ一路モジへ。
 バスの窓から見るモジの町は、いつも思うのだが、通りがとてもきれいな事、紙くずやゴミが一つも落ちていない。住民の意識が高いのか、行政が行き届いているのか、サンパウロ市内と比べて、これが同じブラジルかと思うほど。
 七時にリベルダーデを出て八時にはシチオ「カヤジマ」に到着。嘉矢島夫妻の出迎えを受ける。挨拶の後、早速、嘉矢島夫人が用意して下さったカフェ・ダ・マニャンを頂く。それぞれ熱々のパンに好みの具をはさんだサンドイッチを食しながら話が弾む。
 薪をくべた竈(くど)の上にはカフェや牛乳のブーレ(湯沸し)が置かれ、「開拓時代を思い出す」と思い出話を語る人も。
 朝食が済んだところで、嘉矢島さんからミクロ蘭の説明を聞く。
 十三歳からミクロ蘭を学び、五十年以上ブラジルのミクロ蘭の保護活動に取り組んでいるが、一向に環境は改善される気配がない事、それどころか乱伐による絶滅の危機はさらに進んでいて、海岸山脈など森はまだたくさんあるように思っていたが、全体の5%しか残っていないと驚くような話を聞く。
 嘉矢島さんはご自身の土地、四ヘクタールを雑木林にし、自然のサイクルにかなうよう、猿、リス、蟻、虫との共生を心がけ、鳥なども四十二種類以上来ると言う。
 現在、氏の手元には一万二千株のミクロ蘭が育っており、ミクロ蘭のコレクターとしては、世界一であるという話などを聞きつつシチオを一回り。その一角にある栗の大木の下ではひと時栗拾いに興ずる。
 いささか「花より団子」の感もあるが、皆、楽しそう。たくさん拾って意気揚々(いきようよう)と引きあげると、嘉矢島夫人がお土産にと、栗を一袋ずつ既に準備しておいて下さる。二重の喜びに恐縮しつつ、次の目的地シチオ「ヤギヌマ」へ。ここでも家族総出で出迎えて下さる。一休みの後、早速、竹の子取りに出かける。
 やはり雨が少なかったので、竹の子の伸びは今一つという所だが、それでも皆、大きなファッコン(ナイフ)を持って切り、皮をはいで勇ましい。
 一行は竹の子狩りの後は今度は袋を持って柿もぎに出かける。栗に竹の子に柿と、帰りの荷物を心配しつつ、それでもつい、とってしまう。
 田舎の太陽を十分浴び、お腹も空いた所で、今度はシチオ「ヤギヌマ」の心づくしの昼食となる。日本人好みのフェジョアーダという事で、リングイッサ(ソーセージ)も肉も良い所ばかりが入っている。したたる汗の中、冷えたビールや水がのどに心地よい。
 持ち物は充分増えているのにまだバナナのお土産。ほおずきにコーベマンテガ(ケール)とドンドン増える。
 さぁ、それでは、と腰を上げようとすると、今度は大夕立。ベランダでの雨やどりも風情があってなかなか良い。田舎の休日を大満喫したところで帰聖の途に着く。


イタペチ万寿会訪問

JICAボランティア 宇野博
 アルメニアから、私鉄バス(BOM)に乗り、一時間弱でアルジャーの長距離バスターミナルへ到着した。そこから、お迎えに来ていただいた壇会長の車で、十数分走ると舗装も途切れ、更に数分走ると、山の中にいきなり、ホワイトハウスのような建物が現われ、そのお家へと案内された。
 今回の訪問クラブ「イタペチ老人クラブ万寿会」は、モジ市内の一地域で、六十一世帯の比較的小さな部落で構成されており、内五十世帯が花卉栽培に携わっている、という花どころである。
 同敷地内には、幾つもの花卉栽培ハウスがあり、一年目の小さな苗から、今年花を咲かせる予定の三年目のシンピジュームの苗が、成長に合わせた鉢に植えられ、高床式の栽培棚に整然と並べられており、多くの従業員が水やり等細やかな手入れをしていた。花園を一通り案内いただいた後、豪華で手の込んだ奥様の手料理をいただき、三人で会館へと向かうと、既に数人の会員が準備を進めており、顔馴染みの方も何人か居られ、温かく迎えられた。
 十二時三十分から例会スタートとなり、音楽に合わせての老人体操、ラジオ体操と全員で体操をし、続いて「老人クラブの歌」、何故か「北国の春」、「熟年賛歌」を合唱した。その後会長あいさつ、書記による出席者読み上げ(二十四名)があり、続いて、文化部、ゲートボール部、更にはビンゴ担当者から、それぞれ結果報告、状況報告や今後の予定等が報告された。文化部からの報告では、日ごろの私たちの生活の中でありがちな、せかせかとした実態に対し、『「走り」・「あせり」・「求め」・「持ち」・「考え」すぎていませんか。少し捨ててみませんか。少しゆったりしてみませんか。』というほのぼのとした提案とともに、新聞切り抜き「ご長寿ばんざい」欄での高齢者の健康維持法を紹介されていた。ゲートボール部からは、先の全伯予選で二位になり「世界大会」への出場権を得たことが報告され、拍手喝さいを浴びていた。
 さらに続いて、会長から先の本部代表者会議の報告が丁寧にされるとともに、三月三十一日開催のスリーアイズ大会への参加も促していただいた。
 一連のセレモ二―が終わり、私の出番となった。事前に聞かされていた、「健康についての新しいお話し」をしてほしいとの要望に応え、あまり新しくもないが、京都大学定年退官後、鎌倉に「サロン・ド・ゴリラ」を主宰している大島清氏の「歩くとなぜいいか?」の中から、「人はなぜ歩くのだろうか?」、「歩く楽しみ」、「歩くとなぜ脳が若返るのか」、「歩けば歩くほど心臓病から遠ざかる」といったお話しをさせていただいた。多くの方が熱心に聴いていただくとともに、話しの途中でも積極的な質問をいただき、私としては充実したものとなった。更に、ゆっくりとした呼吸に合わせてのイキイキ体操の一部の紹介と腹式呼吸・胸郭呼吸法の違いと効用について紹介した。続いて、スリーパーフェクトゲームを楽しんでいただいたが、ここでも皆さん熱心に取り組んでいただき、二人の女性が、他のクラブで紹介するためか、実に丁寧にゲームコートの設営方法から得点法までメモしていた。
 私の持ち時間二時間が終わり、会長にバトンタッチするとお楽しみのビンゴとなり、結果的には出席者全員が賞品を手にするというビンゴ大会で例会を終了した。その後、ポント・ジ・オニブスまで送っていただき、暫らく待ちバスに乗ったが、既に五時を経過し、帰宅ラッシュで私の座席は無く、急発進、急ブレーキでガンガン走るバスの中、安定性の悪い二つの大きな袋(レクリェーション用ボール)を持っての一時間二十分は、トレーニングの一環としては充分満足できるものであった。


一期一会「ザンビアでボランティア」

 二月十八日の教養教室の合間、一時間半をアフリカのザンビア共和国でボランティア活動をされていた吉田和代さんに講演して頂きました。
 そもそも「ザンビアとはどこにあるのでしょうか?」から始まり、アフリカ大陸の南部にある内陸国で、公用語は元英国の植民地であった関係上、英語を話すこと。主食はシマというトウモロコシ粉で作った蒸かしパンのようなものであること。アフリカには五十三もの国があり、あちらこちらで紛争が続いているが、ザンビア国民はいたって穏やかで、平和的な国であること。学校が少なく、教会がその代わりになっていること。ブラジルの開拓当初のような水事情、トイレ事情の話を聞き、見聞を広めました。

吉田さんよりご挨拶
 はじめまして、私はアフリカのザンビア共和国で「チャイルド・エイド」という教育環境改善のボランティアプロジェクトに参加いたしました、吉田和代と申します。
 私は、高等学校を卒業後、幼い頃からの夢でもあった保育士になるため、大学の短期大学部保育学科を卒業し、保育士として約三年問勤務いたしました。
 私が、保育士を目指すきっかけとなったのは、母が保育士をしており、よく母の勤務先のイベントに参加し、自分より幼い子どもとの触れ含いがとても楽しく、私も保育士になりたいという夢を抱きました。
 それと同時に、私が小学生の時に、テレビで報道されていた、ケニアの孤児院の子どもたちの様子を見て、その映像にとても強い印象を受け、その日からアフリカで子どもたちと笑って過ごすことが夢となりました。
 そして、成人を向かえた私は、アフリカに行くチャンスを求め、米NGO法人IICD(現One World Center)のサイトを見つけ、参加を決意いたしました。
 そして、昨年の五月から十一月までの六か月間、One World Center を通して、アフリカのザンビアという国へ行き、地域の発展に関わる活動を行ってきました。これまで親元を離れたことがなかった私にとっては大きな挑戦でした。
 この度、私がここブラジルを訪間いたしましたのは、私のザンビアでの経験を日系社会で暮らす皆様にお伝えしたかったからです。
 ザンビアでは、幼児教育関係に携わり、主に幼稚園の教育環境を改善する活動を行うとともに、地域の方々の暮らしを良くするための環境を作る活動を行ってきました。
 そういった私のザンビアでの経験を、ここブラジルのあらゆる場所でお話しさせて頂き、その後の質疑応答で新たに気づいたことも多く、私にとって凄く良い経験となりました。
 「ザンビアに行く前と帰ってきてからとで、何か自分の中で変りましたか?」と聞かれることがありますが、正直、アフリカに行って、自分の気持ちが大きく変った!と思えませんでしたが、こうして色々な方にザンビアのことを伝えていくことにより、色んな事に対しての見方が変った気がいたします。
 ザンビアや日本、アメリカに居るときには見えなかった事が、ブラジル日系社会の皆様とお話しさせていただくことにより、見えてきたものもありました。
 私は、このブラジルでの旅を通して、日系社会に生きる方々の生活実態に触れ、意見を聴くことにより、日本人のすごさを感じました。
 今回、熟年クラブ連合会でお話しをさせて頂く事が出来、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。(吉田和代)


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