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熟年クラブ連合会
     活動報告  (最終更新日 : 2019/02/15)
2014年6月号

2014年6月号 (2014/06/13) 屋根付きコートで雨でも元気にGB大会

 第二十九回熟連ゲートボールふれあい大会は、ブラジルゲートボール連合の主管で、五月二十四日(土)ジャバクアラの連合スタジアムにおいて賑やかに開催された。今年もブラデスコ銀行が一位のトロフィーを、下本八郎氏が二位と三位のトロフィーを寄贈。久保商会からは毎年の事だが、過分なご祝儀を頂いた。
 前の晩は雨が降り、開催当日も朝から小雨が降り続き、肌寒い一日だった。会場は屋根付きが四コートあり、土のコートがぬかるみで投げれない状態なので、屋根付きコートで行われた。
 八時からの開会式は中川浩巳文化理事による司会で、赤木竜巳実行副委員長の開会宣言(かいかいせんげん)に始まり、黙祷、(もくとう)、持ち廻りの優勝杯返還(ゆうしょうはいへんかん)と続いた。
 小坂誠副会長が主催者代表として挨拶し、ゲートボール連合からは古賀誠二会長の挨拶があった。
 今年も熟連で敬老品を八十七歳以上の方たち二十二名に準備して、その後、本田八郎審判部長と田篭輝生競技部長から注意があり、昨年鶴組で優勝したサント・アマーロあおぞら会の選手宣誓が力強く行なわれて式典は終了し競技が始まった。
 本年の出場者は八十歳以上の寿組十二組、七十歳台の亀組十二組、計二十四チームで約百三十名である。
 今回は各クラブ共、寿組、亀組と年代別に編成できないチームが多く、二名まで該当外の年代の人を入れてチーム構成を認めたが、それでも一チームも出来ないクラブが多く、他クラブとのミスト混成チームがだいぶあった。また、若年層の鶴組チームが一チームだけということで、亀、寿に分散して組み直してもらった。
 今年もみずほ福寿会から最高齢者の宮本信雄さんが出場。まだまだ背筋もしっかりしていて、見ていても、とても一〇二歳には見えない。一人住まいなので(隣家に息子たちが住んでいる)朝四時半に起きてカフェを沸かし、朝食をして万端整えて、出て来たという。「寒くないですか?」と聞くと「大丈夫だよ、このぐらいの寒さ」と元気にコートへ向かった。スポーツをしているせいか、みなさん若々しく、てきぱきとゲートボールに取り組んでいる。
 朝早くからの集合で、たくさん用意されたカフェとサンドイッチも次々と平らげ、選手たちは心身ともに健康である。
 連合役員の方々の手際良い進行で試合は滞りなく進み、三時には十二回戦全てが終って各チームの得点が出て、表彰式に移った。
 今年の優勝は、寿組、亀組共に混成チームという思いがけない結果で、選手たちは大喜び。本当におめでとうございました。また、グァラニー桜クラブは最高七チーム出場して、そのうち二チームが入賞。サント・アマーロあおぞら会も三チーム出場で二チームが入賞した。皆さんが見ている前で表彰され、記念撮影をしたりして喜び合っていた。そして沢山の友と握手をし合って、またの再会を約し、今年の大会も無事終了した。出場二十四チームに対して、入賞八チームと入賞率も大変良く、怪我人も病人も出ずに午後三時半には全部の片付けも終わり、未だ陽も明るいうちに帰途につくことができた。

☆今年の入賞者
◎寿組
優 賞 リべロン・ピーレス錦友会
準優勝 サントアマーロあおぞら会
三 位 みずほ福寿会
四 位 ジュンジアイ睦会
◎亀組
優 勝 イタぺチ万寿会B
準優勝 グアラ二ー桜クラブD
三 位 グアラ二ー桜クラブA
四 位 サント・アマーロあおぞら会B
*寄贈賞品
 ブラデスコ銀行-優勝トロフィー二本、下本八郎氏-二位・三位トロフィー四本、久保商会-現金四百レアイス


熟連親睦旅行、パラグヮス・パウリスタ温泉へ

 今年最初の熟連親睦旅行は、去る五月九日から十一日にかけて、一泊三日のパラグヮス・パウリスタへの温泉旅行となった。
 九日夜十時半、熟連前を出発する予定であったが、熟連の前の道路が工事中のため、大型バスではタグア通りからサンジョアキン通りへ抜けられないだろうと、急きょ、静岡県人会会館前に集合場所を変更して出発することとなった。
 今回の旅行は色々な都合で、母の日と重なってしまい、人集めに苦労したが、それでも七クラブから総勢三十四名が参加。大型寝台バスにゆったりと座り、乗り心地は満点。後部座席では、横になって寝る人もいるほど。
 約八時間かけて、翌朝六時半にアグア・ダス・アララホテル着。朝食後、疲れも見せず早速温泉に浸かる人、麻雀を始める人と、それぞれの温泉の一日が始まった。
 ひとしきり遊んだ後、昼食は近くのペスケイロ(魚釣り場)へ。
 サンパウロを発つ時は天候が崩れ、寒波が押し寄せており、「パラナ境のパラグヮスはもっと寒いかも」と皆、厚着をして心配していたが、晴天で気温もほど良い暖かさである。
ラブ系の人(?)に経営者が変り、新規開業したもので、どの部屋も新しくて気持ちが良い。
 敷地も広大で芝生あり、林あり、今もまだ造成中であるが、五一度の源泉から流れる豊富な湯はぬるめのプールと熱めのプールに注がれている。
 二日目、早朝の暗い内から温泉に浸かる人、体操をする人、歩く人と、高齢者とは思えない元気の良さ。朝食後は、マリアフマッサ(蒸気機関車)に乗りに行く人とホテルに残り温泉三昧の二つのグループに別れる。
 パラグヮス・パウリスタは同行の玉井須美子副会長が青春時代を過ごした地で、蒸気機関車の休憩時間に色々と思い出話などを話してくれた。
 町の中心の日本庭園などを見て、半日観光を済ませ、ホテルで昼食。母の日という事で、アイスクリームとケーキのデザートが出るが、味わっている間もなくバスへ。
 今回、ホテルは母の日で祭日だったためか、客はブラジル人が二、三人とあとは熟連の我々だけ。プールも食堂も全館私たちの貸し切り状態だったので、大変気楽にゆっくり過ごすことが出来たと、参加者全員の感想である。
 最高齢者の長谷川乙次(おとじ)さん(九九)も、「今年中にぜひもう一度、企画して下さい」と希望を述べられた。何はともあれ、皆が満足してくれた良い旅だった。

旅のこぼれ話
◎パラグヮス・パウリスタは私が十一歳から二十歳までの青春時代を過ごした地です。この地で初めて日本語学校へ通わせてもらって、友達もでき、うれしくて張り切っていた日々。一日百キログラム近い綿摘みをし、腕自慢だった日々。大戦により、サントスから強制的に疎開されられてきた日本人たちをパラグヮスの駅にお迎えに行き世話をした事。父親が初めてこの地に産業組合を作った事など、思い出は尽きません。渡伯してからどこへ行っても一年、二年、ひどい時は三か月ぐらいで引っ越していたので、九年もいたこの地は私の故郷のようなものです。久しぶりにここに来ることができて、感無量です。(玉井)
◎物忘れも増えて、もう、皆との旅行は無理かと思っていましたが、ちょうど帰伯中の娘が同行してくれることになり、孝行してもらいました。温泉なんて、何年ぶりかしら。良かったです。(菊池)
◎主人が交通事故で怪我をして、何か月も外出できなかったので、久しぶりにのんびり、自分の時間が持てて麻雀も楽しめて最高でした。    (森久保)
◎私たちピニェイロスからは男性二名と私の三名が参加しました。長谷川さんは、今回の旅行の最高齢者で九十九歳ですが、気持ちが若々しく、何に対しても積極的な方です。こんな所が長生きの秘訣なのかとお見受けしました。(中川)
◎温泉ピシーナ(プール)は私たちだけだったので、同行の人の指導よろしきを得て、生まれて初めて水に浮きました。いつかスイスイ泳げるかも。うれしい (田中)


ポッソス・デ・カルダス

イタケーラ寿会 岩佐光子
 イタケーラ寿会は去る五月六日、七日、八日と二泊三日の待ちに待った温泉旅行に行きました。
 天気にも恵まれて総勢三十三名、朝六時、定刻通りにバスは来ました。六時半にはコロニア・アクアリオに着き、皆様に載って頂き、リベルダーデでは田中千英子さん、柿浪ご夫妻、宇野博先生にも乗って頂きポッソス・デ・カルダスに向かいました。
 宇野先生には四月二十四日の例会に来て頂きました。二回目で、バスの中ではすでに皆様と打ち解けてとても楽しそうでした。
 バスはカンピーナスの方へ向って走り、モジミリン、モジイグアス、サンジョン・ダ・ボアビスタ、アグア・ダ・プラッタを経由し、ポッソス・デ・カルダスのホテル・マイアミには午後二時に予定通り到着。
 バスの中で朝のカフェ、お茶、ボラッシャ(ビスケット)を頂き、昼食はおにぎりと漬物とお茶で済ませました。バスも良いバスでDVDを見て楽しく過ごしました。
 皆様の部屋を決め、川向うにはポッソス・デ・カルダスの市営温泉があります。ホテルから百五十メートルぐらいの所で、十レアイス払って温泉に入りました。
 硫黄の匂いのするお湯はドロッとしていました。ブラブラと川べりを散歩して、六時にホテルの夕食となりました。日本食で美味しかったです。その後、カラオケダンスをして、休みました。お湯がとても気持ちが良くて、ぐっすりと眠る事が出来ました。
 翌七日は朝六時に起床し、庭園を散歩し、七時の朝食の後、八時半にバスに乗って、日本庭園を見学し、その後ガラス工房へ行きました。溶かしたガラスの玉を熱いうちに馬や花、瓶、飾り物などを作って見せてくれました。石けんやお菓子、チーズ、ワインなどの買物。そしてホテルへ昼食に帰り、午後二時からワゴンで Fonti de Amorの水を飲みに行きました。「この水を飲むと若返る」と言われて、皆で飲み、若返りました。でも水量がちょっと少なかったのが残念です。
 Pedra Barao caracteritica, Rochas, Magma, Volcaoは高さ一四七〇メートル、大きな石がボコボコありました。
 Cristo Redentor,Comprete Vista c/a cidadeは高さ一六八六メートルからはポッソス・デ・カルダスの町が良く見えました。
 Veu das Noivas, Bela Queida d Aguaはとても素晴らしく、Veu das Noivasは水の流れがすごかったです。
 最後に毛糸類を購入。ホテルに戻り、夕食、カラオケで楽しみ休みました。
 翌八日は自由行動です。私の友だちは「まだ買い物がしたい」との事で、市営市場を探して行きました。石鹸から何でも少し安かったです。私も知らなかったのですが、次からはみんなにお知らせしたいと思いました。
 十一時半、昼食をして、午後一時にはサンパウロへと向かって、バスは出発。皆、名残り惜しんでまた、旅に行く時は「お願いします」と言って別れました。


アルジャー親和会に入会して日系社会に思うこと

アルジャー親和会 鈴木純子
 私は、JICA日系社会シニアボランティアの夫(任地先=AFLORD花卉技術指導)の随伴として、二〇一一年七月から今年の六月末迄、アルジャー市で生活をしています。
 アルジャー親和会に入会したきっかけは、私が日本で保健・医療・福祉の現場で長年働いていた経験や、東京大学大学院医学系及び社会学系で、生命医療倫理や高齢者研究を行っていることを、援協及びAFLORD役員でアルジャー親和会の安武氏が知り、親和会会長の玉田氏より、会員の皆様にお話をしてほしいと依頼されたことです。
 日本で介護保険制度が二〇〇〇年から導入され、それに伴い、介護支援専門員としての資格を得て、現在に至る高齢化社会の現状や、千葉大学病院を経て、リハビリテーションセンター視能矯正科に勤務した経験から、食生活と生活習慣病、交通事故などによる高次脳機能障害の事。「死生学」研究から、認知症になる前の事前指示書や、後見人制度などの概略をお話ししました。その際に、会員の皆様の直接の声を拝聴することができました。その言葉は前向きで、明るく、苦労を感じさせない強さに感銘し、継続して皆様と交流したいと思い会員になりました。
 毎月第一木曜日にラジオ体操、出席者確認、「人生これから」等を歌い、玉田会長挨拶、時には外部からの講話、体験談、レクリエーション、ビンゴ、民謡披露などがあり、会員交互に作ったお弁当の昼食を食べて散会となります。毎月、出席を楽しみにしています。当日、親和会を欠席した知人がいると、電話で様子を伺うか、次回に声掛けをするようにしていました。
 私が注目したのは、①アルジャー文協会館まで家族の車やバスに乗れない会員を車で送迎する八十六歳。
②ラジオ体操の時、前に立ち、体操の手本を見せてくれる八十七歳。彼女がいない日は、皆おろおろするばかり。
③おいしいみそ汁や団子汁を作ってくれる八十五歳。手伝う会員も手際が良い
④毎回スイカを差し入れしてくれる九十歳。⑤ビンゴの景品にシクラメンやアザレア、蘭などを惜しげなく寄付するAFLORD会員。
⑤縁の下の力持ちの何でもこなす六十五歳。⑥毎月、日本から送られた書籍を借りて読書する会員達。
 玉田会長の高潔さと、原沢氏の存在感、安武氏の慈愛のもとで男性会員は二割です。
 依田副会長の頼れる存在と、会長夫人の品格の良さや、百歳を迎えた新明さんの長寿で、女性会員は八割を占めます。出席率もよく、会の健全さを表わしています。
 継続する手段として、高齢者の閉じこもりをなくすこと。外出は、個人に頼るだけではなく、声掛けと、送迎バスや、契約タクシー乗合など、拠点集合が必要と思いました。
 会館にAED(自動体外式除細動器)が設置されれば、救急救命ができます。日本では約十八万ヶ所以上の施設に導入され、レンタルが可能です。ブラジルでも施策として導入されると安心です。
 ブラジル日系社会は、JICAボランティアの私達にとても親切にして下さり、心から感謝しております。アルジャ親和会はじめブラジル日系熟年クラブの今後の発展を祈念して七月一日に帰国いたします。皆様大変お世話になりました。


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