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熟年クラブ連合会
     活動報告  (最終更新日 : 2019/02/15)
2014年9月号

2014年9月号 (2014/09/14) 第四回地蔵祭り、盆栽の講座も

 第四回地蔵祭りが終戦記念日でもある八月十五日(金)午後十二時三十分から行われました。前日までは天気があまりよくなく曇り空だったのですが、当日はよく晴れました。
 今年はイビウーナ日伯寺の櫻井聡祐氏が法要の導師を勤め、お地蔵様の前に約四十名が集まり四十分間に亘り地蔵法要が行われ全員が焼香を済ませました。
 五十嵐会長は挨拶の中で「地蔵設置の経緯を振り帰り、ぜひお地蔵様を触るなど親しくして欲しい。そうすればいざという時、きっと助けて下さるだろう」と述べました。
 その後、場所を熟連サロンに移動し、小坂誠副会長の司会で、櫻井聡祐師の講話が約四十五分にわたり行われました。「私は長野県出身で、大学を出てブラジルに来ました。現在四十三歳でブラジルに来て二十三年になります」と最初に自己紹介され、続いてお地蔵様に関してのお話がありました。
 さらに「人間、一番の幸は健康である事、そして長生きすることですが、そこには生きるためのお金が必要となります。『身、命、財』これが揃った時が一番幸せという事です。しかし、欲を出してはいけません。『少欲知足(しょうよくちそく)』という言葉がありますが、できるだけ欲を少なく、そして足りることを知るという事が大事です。感謝の心を持って生活しましょう。今ある命は自分の物であって自分の物ではありません。いずれは返さなければなりません。大事に次の世代の手本になるように生きましょう。仏様が見ていらっしゃいます。先に逝った人が見守ってくれています。明るく楽しく仲良く毎日を過ごしましょう」と話された。
 その後、今年は東京農大会の沖真一氏による盆栽講座が行われた。盆栽とは、小鉢に草木を植え込み自然の姿や形を保つように育てる園芸技法で、好きな樹形に配植して楽しみます。鉢に植物を植えて育てる。植えた植物を剪定する。石や砂、植物で山水の景色を楽しむ。鉢に小石で自然の風景を作るなど、色々な形で植木を楽しむのが盆栽です。
 盆栽に適した樹は針葉樹なら松、杉ほかで、常緑樹なら椿、サザンカなど。落葉樹ではケヤキ、イチョウ、実がなるものでは梅、桃、ミカンなどがあり、植え方も樹形の作り方も色々と工夫して楽しめます。盆栽を作り上げるにはまず、樹の表裏を確かめる。樹を大木とイメージする。樹の変化(花、実、紅葉)を楽しむ。針金かけで自然の姿をイメージする。苔(こけ)張りなどで自然美を出す。石付、株立ち、寄せ植え、直幹、懸崖、双幹などの形がある。肥料、土壌、農薬、苗作りなどについても分かりやすい説明があった。
 その後、熟連コーラス教室のメンバー十四名が五曲の歌を披露した。最後に盆栽の質疑応答が行われ 抽選で五人に盆栽がプレゼントされた。参加者の中には「是非もう一度やって欲しい」と時間の足りなさを残念がる人もいた。


安倍晋三首相を迎えて

熟連会長 五十嵐司
 総理大臣としてばかりでなく、現在、日本で最も信頼できる指導者であると 思っている安倍晋三ご夫妻に直接お会いし、声を聞くという、またとない機会に恵まれた。
 近隣諸国を含む現今の油断ならぬ世界情勢の中で、国内では自然 災害も続出し、内外の諸問題を抱える国民が首相に寄せる期待は非常に大きいと思う。長年続いたデフレ不況からの克服を図るアベノミックスの断行、高齢化に伴う財源獲得のための消費増税、それに対応する勤労者所得の増加方策、北朝鮮拉致問題の急速な解決、そしてまた、防衛政策としての機密保護法の設定、集団的自衛権の閣議決定と引き続いて議会での決議への準備など矢継ぎ早の施策がとられている。また来月には 内閣を強化すべく改造をし、年末までには将来の国益に影響の大きい貿易自由化を促すTPP(環太平洋貿易協定)への難しい交渉に備えねばならない。今回の中南米歴訪もなかなかの強行軍であったが前回の東南アジア・大洋 州諸国訪問同様に太平洋沿岸諸国の首脳と直接会談をして、日本の立場を説明し、理解と支持・賛同を求める旅であった。
 さて、サンパウロの日本文化福祉協会での首相講演は身内である日本人・日系人との出会いを大切にして、内政・外交の複雑な話などは避け、ブラジルの日系コロニアでも日本人伝来の誠実な心と誇りの継承を大切にして欲しいと訴えられた。昔親しかった前ハワイ州知事、故ジョージ有吉氏から聞いたエピソードをしみじみと披露されたが、それは 敗戦の街東京で、みすぼらしく飢えていた靴磨きの七歳の少年が進駐軍勤務の有吉氏から与えられたサンドイッチを食べずに「家で待っている 三歳の妹と一緒に食べる」と言って深くお辞儀をしたということで、有吉氏はその優しさと礼儀正しさに打たれ、日系人の誇りを取り戻したと語ったというお話であった。
 講演の後、異例な聴講者全員との記念写真の撮影を望まれ、夫人ともども多くの人々との握手も交わされ、私もその一人として望外の思い出となりました。
 私は熟連からの帰り道、車の中で懐メロ合唱の会で所有しているDVDデイスクで宮城まり子さんの唄「ガード下の靴みがき」の悲しく 切ないメロディを聞きながらパウリスタ大通りにさしかかった時、あの終戦後、瓦礫のまだ残っていた東京の街角で靴をせっせと磨いていた、 けなげな戦争孤児たちの姿を思い浮かべ止まらぬ涙で運転が難しくなって、やっと赤信号までたどりつきました。
一.紅い夕日が ガードを染めて
  ビルの向こうに 沈んだら
  街にゃネオンの  花が咲く
  おいら貧しい 靴みがき
  ああ 夜になっても帰れない
 (セリフ)
 「ネ、小父さん、みがかせておくれよ、ホラ、まだ、これっぽちさ、てんでしけてんだ。エ、お父さん? 死んじゃった…エ、お母さん?病気なん だ…」
二.墨に汚れた ポケットのぞきゃ
  今日も小さなお札だけ 風の寒さや
  ひもじさにゃ  慣れているから 
  泣かないが ああ 夢のない身が辛いのさ
三.誰も買っては くれない花を  
  抱いてあの娘(こ)が泣いてゆく
  可哀想だよ お月さん
  なんでこの世の幸福(しあわせ)は
  ああ みんな そっぽを向くんだろ
(昭和三十年、作詞:宮川哲夫、作曲:利根一郎)
 こんな人たちがそれから頑張って、頑張って、廃墟のようになった日本を復興し、経済大国までに押し上げてくれたのです。


早くもブラジルのとりこに

JICAシニアボランティア 与那覇博一
 はじめまして。新しいJICAシニアボランティアの与那覇博一(よなは ひろかず)と申します。沖縄出身、四十九歳、八人家族です。
 介護福祉士として主にレクレーションを担当します。日本では病院で介護の仕事をしていました。南米でのボランティアに関心があり、日系社会の高齢者の方々の心と体の健康に貢献したいと渡伯して参りました。
 私の家族は、葉子(妻)、鈴(二女・高3)、花奈(三女・高1)、大(長男・小6)、彩良(四女・小4)、恵(五女・小2)です。優衣(長女)は日本に残って進学の準備をしています。子供の学校の関係でVila Formosaに住んでいます。子供達も将来、ブラジルと日本の交流の懸け橋になれるように願っています。現在はポルトガル語に悪戦苦闘しながら一生懸命勉強しています。
七月十五日に到着、研修を終えて八月五日よりブラジル熟連にお世話になっています。歌や体操、ゲームや脳トレーニングなどレクレーションを中心に健康に関する勉強会を取り入れ、皆様が楽しく健康管理が出来るように頑張りたいと思います。
 ブラジルの気候は沖縄に似ていて、ここの料理も大好きです。(太り過ぎないように注意します。)ブラジルの、特に日系の方々はおおらかで、明るく優しいですね。心が広く冗談も楽しくて大好きです。皆さんが集まるとピアーダ(ブラック・ジョーク)がポンポン出て、入れ歯が飛び出しそうになるくらい大笑いして楽しそうですね。昔の苦労話も明るく語る姿に感銘を受け、逞しさを感じています。さすが老人クラブを熟年クラブに改名しただけあって元気なパワーを持っていらっしゃり、しょっぱなから圧倒されっぱなしですが、これまでの前任者と違い、私は若さが売りですので、皆様に負けないように頑張ります。
 真の健康は心と体の調和が大切です。食事・運動・休息で体を整え、趣味・娯楽・笑いで心を満たしましょう。
 昨年の十二月に日本の「和食」がユネスコの無形文化遺産に登録されました。皆さんの受け継いできた食文化に誇りを持ち、もう一度「和食」を見直してみましょう。高齢になっても元気な方が多いブラジル日系社会の皆様が、これまた世界文化遺産(昨年六月)に登録された「富士山」のように美しく歳を重ね、日本に誇りを感じられますように願っています。
 これから二年間、家族共々お世話になります。ブラジルが第二の故郷になれるように頑張りますのでどうぞ宜しくお願いします。


カルモ公園の桜まつりに昭恵夫人をお迎えして

イタケーラ寿会 小坂誠
 六月のある日、ブラジル・イペー桜連盟の矢野ペドロ会長から電話があり、八月二日(土)に日本国の安倍総理夫人がカルモの桜を見に来られるとの知らせがあり、驚いた。長年、カルモ公園の桜植樹の人々と付き合ってきたが、日本の総理大臣夫人が訪問されるとは、こんなに嬉しい事は無い。
  この桜公園は「切腹を賭けて咲かせし桜かな」と俳句の星野瞳先生が詠まれた桜園である。一九七六年、時のオラボセツバル・サンパウロ市長が「カルモの土地を市の公園にする」と発表されたのをニュースで知ったカルモ日本人会の役員、三人男の松原勝利、大沼薫、蜂須賀高徳氏が桜を植える許可を貰いに行った。しかし市長は、「ブラジルでは桜の花は咲かない」と言ってなかなか首を縦に振らなかった。
 その時、カルモ三人男が「もし咲かなかったら切腹をする」と言って腹を切る真似をして、市長から桜植樹の許可をもらった。その話を知っている私の脳裏には、その三人の先輩の顔が浮かんだ。そして植樹の許可を貰った後、サンパウロ市東部地区の日系団体に呼び掛けて、二十二の協力団体をまとめたビラカロン文協会長で、カルモ桜植樹委員会の初代会長・片岡久義氏と「カルモの桜守り」と呼ばれた第四代会長の西谷博氏の顔も浮かんだ。また、今日まで桜を育ててきた各文協の先輩仲間の顔が次々と浮かんで来た。
 さて、総理夫人はお忍びで来られるという。なぜお忍びかと思ったが、警備の問題があるらしい。
 七月四日、ブラジル駐在梅田邦夫大使御夫妻と在聖福嶌総領事が他の領事二名と共に公園を訪れた。彫刻家の絹谷幸太氏制作の「夢と感謝」(日本移民百周年の際に作られた七つの記念石)の前に皇太子殿下と時のサンパウロ市長が植えられた記念樹があるが、それと並んで安倍昭恵夫人が植樹される桜苗の位置を決めた。
 次に車を連ねて桜園に行き、昭恵夫人が歩かれるコースを確認し、桜園正面の近くに大使ご夫妻が新種の葉の大きい桜の苗を記念植樹された。
 次に加盟文協が祭り当日に出す食堂のバラッカ(ブース)の位置、そして踊り広場、舞台の位置などを見て事務所へ行き、公園の責任者であるペードロ・ジョンと事務長のマグダ・マサエ・カタオカに挨拶し、梅田大使と恵子夫人に桜植樹委員会が始まってから今日まで続いている訪問者のサイン帳にサインして頂いた。
 その日受け取った昭恵夫人のスケジュールを書いた紙には地図があり、細かく分刻みで行動できるよう書いてあって、総領事館職員の人たちがどんなに計画を密にしているかを知る事ができ、大変勉強になった。
 いよいよ八月二日当日、安倍晋三首相夫人をカルモ公園にお迎えする日である。桜イペー連盟会員は朝早くから作業に取り掛かっている。私は受付係である。準備をしていると目の前に日本移民百周年の記念石の彫刻家である絹谷氏が立っているではないか。
 久し(六年)ぶりに再会できてうれしかった。昭恵夫人は彼の作品を見て、その前に雪割り桜の苗を記念植樹されることになっている。戸田さんと吉岡さんは昨日からエンシャーダ(鍬)を用意して持っている。
 夫人係の矢野勝喜さん、谷みきのさん、小坂順子(よりこ)も白い手袋を持って待っている。
 いよいよ夫人ご一行が到着した。矢野会長をはじめとする人々みんなが緊張をしながらも握手をする。植樹をして記念写真を撮り、絹谷氏から記念石の説明を聞かれた。聞き終わると、夫人は真ん中の丸い赤い石の上に靴を脱がないで登られ、後ろから上った絹谷氏と手を上げて写真を撮ってもらっていたのにはみんな驚いたそうである。
 桜園の案内係の私、小坂はその間上田徳良夫妻と今か今かと待っていた。車が着くと、昭恵夫人の後から大使夫人が降りてこられた。握手すると、お二人共やわらかい手であった。
 その日の天気は晴れ。雪割桜は満開。朝から見物客があらわれ、桜の下に腰を下ろし、食べ物と飲み物を置いて家族で見物している。それを見た総理夫人は「日本と同じですね」とつぶやいておられた。
 歩きながら満開の桜を見て「小枝が少ないですね」と言われた。そういえばカルモ桜は植えてもう三十年経っているからかな、と思った。間の若木に名札がついているのは、「一昨年、JICAのシニアボランティアの人々が記念植樹して帰ったからです」と説明した。しばらく歩くと、右側に葉っぱが青々と茂っている桜があった。その木は「沖縄桜でもう一ヶ月前に花が咲きました」とお話しました。桜園の正面に近づくと、左側に大使ご夫妻が記念植樹された大きな葉がついた苗木が目に飛び込んでくる。大使夫人が「私たちが植えた木です」と仰った。桜園の入り口に近づくと、妻の順子と一緒になった。そのとき、総理夫人が「ブラジルに来て何年ですか」と聞かれた。「そういえば、もう五十七年です」と答えると「奥さんを知っていましたか」と尋ねられたので、「五十四年前にサントスで初めて会いました」と答えたら驚かれて「誰が選んだのですか」と聞かれるので「父です」と答えたら再び驚かれていた。(妻は花嫁移民として、ブラジルの私のところへ来た)。
 それから「桜園の正面の階段で写真を撮るから」と領事さんが誘導して下さり、小さい夫婦を前に大勢の人々と共に写真に納まった。
 下の踊り広場では着物を着た婦人の踊りが始まっていた。予定通り受付の机に用意していた特別招待者のサイン帳にサインをしてもらった。それから踊り広場の横を通り、舞台に登られたところで司会者が矢野ペドロ会長を紹介。短い挨拶があり、次に昭恵夫人の挨拶があった。ポ語通訳が終わった時、小田セルジオ副会長の御礼の言葉があり、鈴木デシオ役員が日本語でお礼の言葉を言い始めたら踊りの音楽が鳴り始めた。そうしたら、昭恵夫人は静かに舞台から降りて踊りの輪に入られ、『おそ松君音頭』を一緒に踊られるではないか。私の横にいた絹谷氏と「感激です」と言って、顔を見合わせた。踊り終わった時、涙ぐんでおられたと新聞で知った。
 車に乗られる間際まで夫人を一目見ようという、人々に囲まれておられた様子を見て、昭恵夫人のカルモ公園訪問は大成功であったと感じた。皆さん、どうもありがとう。


みずほ桜祭りを訪れて

 八月二十日、みずほの桜祭りに招待を頂き、踊りの会の方々と行って参りました。
 前日、「桜祭りとは言うけれど、桜はまだ咲いていないよ」と地元の方に聞いていたので、そのつもりで花は諦めて出かけました。しかし、会館の入り口の門を入ると、両側の桜が七分咲きで出迎えてくれました。「あら、桜が咲いているじゃない」と、皆嬉しそうな声を張り上げます。
 まず、会館に入って荷物を置き、花見に出かけました。表側グランドに沿って桜が植えられ、奥のゲートボールコートの周りにも薄いピンクの雪割桜がほぼ七~八分咲きで並木になり、「これだけ咲いていれば十分」と幸せな気分。
 しばらく花を観賞して、バザーの出店を冷やかし、会館内へ。中ではすでにビンゴが始まっていました。豪華な賞品が舞台前面に飾られ、購買意欲をそそります。
 ビンゴとビンゴの間には、踊りあり、歌あり、我が熟連の踊り子達も三曲披露し、好評。たくさんの拍手を頂いておりました。 
 売店では桜餅や寿司などたくさんの手作り食品が売られており、婦人会の人達(熟連会員もたくさん)は、金曜日から準備にかかり、日曜日は朝六時から働いているとか。
 みずほ福寿会会長の上野さんも赤い水玉の前掛けを締めて頑張っておりました。婦人会自慢の焼きソバを頂きながらビンゴをしたり、舞台を見たりして大忙し。でも、残念なことに我々のテーブルはビンゴが一向に当たりません。頑張って買ったんですけれどねえ。最後の一千レアイスのビンゴまで居たかったのですが、遠くから来ている人や日本からのお客さんもいたのでちょっと早めに切り上げて帰途に着きました。みずほの皆様、本当にお世話になりました。道筋も分かったので、また来年も行きます。どうぞ、よろしく!


高木農園、桃の花の下で

 表現体操グループ有志は八月十日、ピエダーデの高木農園へ桃の花見に行って来ました。
 前日まで寒い冬の日が続き、夜中には霧雨まで降って、まだまだ固い蕾(つぼみ)だったそうですが、朝方から一気に暖かくなり、到着した昼時にはポカポカ春の陽気。桃の花が一斉に開き八~九分咲き。一番美しいところを見ることが出来ました。青空の下、蜜蜂が飛び、蝶々が舞う桃畑の中で皆で持ち寄ったお弁当も、なつ子夫人の手作り中華まんも最高でした。お土産のミカンも美味しかったし、高木農園での干し柿製造所の見学も大変勉強になりました。
 至福の一時でした。


玉井副会長、米寿と入選おめでとう!!

 八月三十日(土)、玉井須美子熟連副会長の米寿のお祝いが熟連サロンで行われた。
 主催は熟連舞踊教室、鶴亀会、タボン舞踊教室、ビラソニア盆踊り会、ピニェイロス親睦会老壮部など日頃、玉井先生に踊りを習っている人たちと関係老人クラブ会員が中心で、約百三十人が集まった。
 式典を前にサロンにはそれぞれの会が手分けして手配した手作り料理が所狭しと並べられ、豪華な花々が飾られていた。
 十二時から式典となり、司会は熟連文化理事でありピニェイロス親睦会老壮部部長でもある中川浩巳さん。最初に誕生歌を出席者全員で歌い、その後、鶴亀会副会長の相沢絹代さんが同会と熟連舞踊教室を代表して祝辞を述べた。米寿の祝いと日頃の感謝、そして図らずも今月、日本の俳句大会に玉井先生の句が入選したのでその句を披露。二重の喜びを祝した。入選句は「老い猫に愚痴(ぐち)を聞かせて冬ぬくし」。これは亡き母を詠んだものだというが、皆、自分のことのようだと共感していた。
 次いで、ビラソニア盆踊り会から鎌田マリアさん、タボン舞踊教室から刈花恵子さん、ピニェイロスから田公子さん、熟連から五十嵐会長が祝辞を述べた。この後、玉井先生が謝辞を述べ「今日まで元気にしてこれたのも皆様のお陰です。本日は盛大な祝宴をありがとうございます。心から感謝申し上げます。これからも益々精進したいと思います」と締め括った。
 ここで玉井先生が作詞した熟年賛歌を皆で歌い乾杯。乾杯の音頭は盆踊り会の長老、村島はるえさん(九六)で、元気な声で「乾杯、ビーバ、サウーデ」と三唱した。
 いよいよお待ちかねの昼食となり、皆さんの心のこもった美味しいご馳走を頂きながら、この良き日にあやかりたいと賑やかに談笑。昼食を挟んで後はアトラクションに移り、それぞれ自慢の喉を披露。ケーキカットに移った。この日の式典からアトラクションまで中川理事の軽妙な司会で進行され、会場は終始笑い声が上がり、和やかに米寿の宴が締め括られた。


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