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熟年クラブ連合会
     活動報告  (最終更新日 : 2019/02/15)
2015年11月号

2015年11月号 (2015/11/15) 第二回熟連祭り(旧・老人週間)開催

 十月三十一日土曜日九時半から熟年祭りを開催した。これは一昨年まで老人週間として毎年、援協、憩いの園、GEENIBRAと熟年クラブの四団体共催で行われていたものだが諸事情により解散。今年は援協が十月二十三日に単独で老人週間を行い、熟連は昨年から「熟年祭り」と銘打って行っている。今回は二回目で十月三十一日の土曜日に開催した。
 当日は約百二十名が参加。会場には書道教室生徒の作品や絵手紙教室の作品も展示。また古本なども売られていた。
 今回は遠路はるばるバウルーから早川政雄ご夫妻がお越し下さった。また九十九歳の当会の杉本正相談役も当会主催の祭りだからと、娘さんと共にご夫婦で参加して下さった。
 司会は玉井須美子副会長が担当し、小坂誠副会長の挨拶で「今年もいろいろな楽しいプログラマを準備しています。皆さんで楽しく過ごしましょう」と挨拶した。
 九時三十分から始まり、十時から十一時までは川添先生の健康表現体操。「茶つみ」「静かな湖畔」「北国の春」などを音楽に合わせて体操し、最後は中平マリ子さん作詞・作曲でブラジルの国花イペーを歌った「イペー音頭」を川添先生が振付けた盆体操を皆で踊った。続いて十一時から玉井先生の踊り教室で「柔」「草津節」「ソーラン節」「十日町小唄」「お座敷小唄」「炭坑節」の六曲を二回ずつ十二時まで踊った。お昼は会員有志が作った美味しいおにぎりやサンドイッチの軽食サービスで約四十分間の休息。
 午後からは与那覇先生のレクリエーションで始まった。テーブルを三つ用意して、一つ目のテーブルでは輪投げ。二つ目はハンドキャッチャーという道具で碁石を移動させるゲーム。三つ目は碁石をお箸で挟むゲームなどで賑やかに過ごす。その後、与那覇先生のご家族と「あさどやユンターの唄」などの沖縄民謡を合唱。最後は先生がマジックを披露して賑やかに閉会となった。
 また二階の教室では、朝から石井先生の絵手紙教室が行われ、初めて絵手紙をする人などもたくさん。絵手紙などを楽しんでいた。
 帰りには園田昭憲さん提供のしめじの菌庄が参加者全員に配られた。パッケージには育て方が書いてあるのだが、初めて手にした人もいて、しばらくは事務局や経験者は質問攻めとなるだろう。思わぬお土産に皆大喜び。楽しみがまた一つ増えた熟年祭りであった。園田さん、それぞれの部門を担当して下さいました先生方、ありがとうございました。
◆熟連祭り協力者
 園田昭憲、森博、早川正雄、杉本正、サンパウロ中央老壮会


第二十九回熟連親睦ビンゴ大会

 今年最後のビンゴ大会が十月三十日金曜日、熟連サロンで十時から行なわれた。数多くある塾連行事の中でも、年に二回行われる行事である。今回もジュンジアイ睦会の西一人会長の好意でコンピュータによる抽選である。
 会場の皆さんは二回目なので、だいぶ慣れてきたが、いつものビンゴのプラッカ(黒板)にも番号を貼り付けるようにした。今年も朝は六時半から詰めかける人もいて、最終的には百八十人を越した模様。
 賞品は役職員から集めた寄付金で購入したものと、役職員や会員有志から差し出された数多くの品物で、一回につき約四十三名は当たるように取り揃えた。この七回のビンゴの他に、前売りの赤券・青券の賞金付きの分も行なわれ、さらに当たらなかった人には残念賞も出された。
 今回も与那覇先生がちょんまげのかつらをかぶり、ビンゴの札をプラッカに貼り付けてくれた。また、「あまり長い間座っていると血の巡りが悪くなるので、少し運動をしましょう」と言って、休み時間を利用し、手足を動かす体操も指導された。
 この何時間も数字に向き合う集中力はとても高齢者とは思えないエネルギーである。これも若さの証だろう。
 今回は数字を全部埋める青券も赤券も当選者は一名だけでそれぞれ大変な喜びようでああった。
◆賞品寄贈者(順不同)
 上野美佐雄、中川浩巳、西丸俊子、戸田房子、小坂誠、井出香哉、滝ヶ平功、西一人、高山友巳、川添敏江、田中礼子、岡タツミ、赤木竜巳、長山豊恵、 玉田伯夫、今野米子、相沢絹代、外山保、辺原よしこ、畠中和廣、金藤泰子、池淵信子


たのしい例会

ジュンジャイ睦会 長山豊恵
 毎月一回ある例会は楽しいものです。
 月日のたつのは早いものです。振り返ってみれば、初代の田中会長に勧められて本部に入会してから四十周年。本当にあっという間です。
 ジュンジャイの睦会も同じように歩んで来ました。
 本部の老人クラブは熟年クラブと名前もかわり、睦会も活気付いて来ました。
 男性よりも女性の方が多くいますが和気藹々で、皆さん仲良く一品持ち寄りで参加してくれます。ご飯は会館で炊きます。
 この度の例会では、シニアボランティアの与那覇先生をお迎えしました。先生が睦会に来て下さるのは二回目です。バスの都合でちょっと遅れてご到着なされましたが、休む暇もなく体操を指導してくださいました。色々と手や足を動かす体操を一緒にやりました。なかなか思うように指も手も動きません。笑いながら、どうにか真似が出来ました。体操をやってから、ご飯になりました。
 メーザ(テーブル)に並べてある皆さんの心のこもった美味しい昼食がすむと、お決まりの開会の挨拶。出席者を確認します。先亡会員に黙祷が捧げられ、その後、熟年讃歌の斉唱や会長さんの挨拶があります。
 そのあとは、その月に誕生日がある人へお祝いとして、一キロのお米を差し上げます。さらに♪パラベンスの唄を歌います。
 次にお知らせと各種の報告です。それらが済むと、与那覇先生から高齢者の認知症(にんちしょう)についてのお話をいただきました。
 先生はお若く、ユーモアたっぷりで朗らかな方ですから、アルツハイマーについて分かりやすく説明して下さいました。最後に先生お得意の手品を見せて頂き、みんな大笑いで会場は笑い声で一杯になり、それはそれは賑やかでした。手品が終わってからビンゴに移りました。ビンゴの景品は誕生日の方や皆様からお米、食料油、洗濯洗剤、さらに自分で栽培した野菜までご寄付頂きました。ビンゴの好きな人がたくさん来られます。出来るだけみんなに当たるようにしています。
 日常を忘れて一時の楽しい時間を過ごしました。与那覇先生も最後までお付き合いして下さいました。本当にありがとうございます。また次の機会を会員一同楽しみにしています。先生とご家族の皆様のご健康と幸せを祈っています。


故・沖純一会長に感謝して

カンピーナス明治会 和田茂恵
 私共カンピーナス明治会の会長、沖純一さんが亡くなられました。二〇〇八年から二〇一五年まで七年にわたって明治会を束ねて下さいました。明治会を財政的にも豊かなクラブに育て上げたのは、一重に厳格な鈴木会計と共に沖会長の人望であったと思います。
 会長が体調を崩されましたのは、今年五月頃だったと思います。お顔にちょっとしたコブのようなものが目につくようになり、「これは二十年前からあるけれども、痛くも痒くもない」と言っていたのが命取りになってしまいました。
 今年一月、奥様が亡くなられて、半年足らずにお迎えが来られたのも、運命でしょうか。
 役員会や例会日などに出席できない時はいつも電話を下さり「お願いします」と言われ、夕方にはまた電話をかけて、様子を聞いていつも心配して下さっておりました。
 六年ほど前に足の手術をされてから、本部へ来るのは無理となり、副会長の平井さんに出席して下さるように依頼されていましたね。
 毎月の例会日には大きな声でお話もし、また、ゲートボールも昨年までは行かれて、運動もなされていたようでした。
 今は懐かしい思い出となりました。
 九月の敬老会に明治会より感謝状を差し上げました。亡くなられる三日前の八日の役員会には沖会長より多額の寄付を頂き、役員二人で領収書を持って、お礼かたがたお見舞いに行かれました。その時、ちょうどアンブランシア(救急車)が来ていて病院に出かける所だったと言いますが、お話は少しできたと聞きました。
 UTI(集中治療室)に入られたと、ご家族より電話があり、翌日、面会に行きました。病院の許しがなかなか出ませんでしたが、沖さんの娘さんと二人、ようやく入れてもらえて、お見舞い致しました。大変喜ばれて、にっこり笑って、少しの間お話しできました。重体でしたが、しっかりしていらして、会員の皆様のことや私の息子にまで「よろしく」と繰り返し仰ってくれました。
 この日が最後で翌日は家族の方もお話が出来ず、夜の十時に亡くなられたそうです。
 今、私は同じように足の手術をして、六年ほど杖と息子を頼りにボケ防止のためと言って、月二回、明治会に連れて行ってもらっています。
 ボツボツとボケが始まり、会のご迷惑にならないうちにと思いながら書いています。どうか、沖会長、奥様とお二人で御仏に抱かれて、西の岸にお着きになりますよう。ご冥福をお祈り致します。


戸塚マリ先生、ありがとう。そして、さようなら

 長年にわたって、当会の健康体操教室をご指導して下さっていた戸塚マリ先生が十月十五日夜、入院先の州立カンポリンポ病院で肺ガンのために亡くなられた。享年八十四歳。
 翌日、ビラ・アルピーナ火葬場で葬儀が行われ、二十四日にはサンゴンサーロ教会において初七日法要が執り行われ、夕方遅くにもかかわらず、大勢の人たちが別れを惜しんで参列した。
 先生は中国・北京生まれで、お父様は八木医師。十五歳で日本に引き揚げ、十七歳から子どもたちにバレーを教え始め、その後、タンゴ、フラメンコの第一人者として活躍。
 ブラジルには一九七三年、最後の移民船「日本丸」で家族と共に渡伯。コロニアの数々の催しに出演する傍ら、ピラチニンガ、文協、当会などでダンスや体操などの指導に当たっていた。
 当会との付き合いは古く、ほとんど創立間もなくからで、センター建設チャリティーショーなどにも出演して頂き、カラオケダンスの前身である、社交ダンス教室を開くにあたっては、第一回社交ダンス講習会などをお願いした。地方クラブへのレクリエーション指導、老ク連本部指導者研修会の講師なども度々務めて下さっていた。また、貴重な木製の百人一首や多くの本などを寄贈して下さったりした。
 九十八年から始めた健康体操教室は手拭いやほうきの柄、椅子を使ったりして、飽きずに高齢者の体力作りができるようにと様々な工夫をして下さり、先生の人柄そのものの明るくにぎやかな教室であった。
 今年に入ってから、疲れを口にすることもあったが、持ち前の明るさで笑い飛ばし、六月の芸能祭でも元気に生徒と共に教室発表を行っていた。
 今だに元気な笑顔でどこかで会えそうな気がして仕方がない。亡くなられたなんて、信じられない気持ちで一杯であるが、ここに会員一同、心からの感謝を込めて、ご冥福をお祈りする。


戸塚マリさんを偲んで

熟連会長 五十嵐司
  これを書いている机に向かって目をつぶると、いつか聞いたマリさんの歌声が蘇ってきます。
 彼女が生まれた北京の町で、子どもの頃、友だちとお手玉や手まりをしながら、歌ったという童歌。
 「♪一掛け 二掛け三掛けて 四掛けて五掛けて 橋を掛け橋の欄干 腰かけて」。 私も二つ違いの姉が子どもの頃、路地裏で仲間の女の子と歌っていたのをよく覚えていて、マリさんと思わず合唱してしまいました。
 この歌をご存知の女性会員さんも多いと思います。でも、マリさんとはもう歌えない。彼女やご主人のユポさんと知り合ったのは、かれこれ五十年も前、親しかった陶芸家の佐藤さんと木工芸のユポさんがプラッサ・ダ・レプブリカ(レプブリカ公園)の民芸市でのお店が隣り合わせで、飲み友だちという事で紹介されたのでした。
 明るくてキップの良いマリさんともたちまち家族ぐるみのお付き合いとなりました。いつも元気でお芝居の再公演を夢見ながら、ダンスや体操の指導にさまざまな犠牲を払って熱心に行って下さり、感謝していました。儚い運命を恨みます。最近覚えた、島崎藤村の友を送る歌をマリさんに捧げます。
  「惜別の歌」
一・遠き別れに耐えかねて この高楼(たかどの)に登るかな 悲しむなかれ我が友よ旅の衣を調えよ
二・別れといえば昔より この人の世の常なるを 流るる水を眺むれば 夢はずかしき涙かな
三・君がさやけき目のいろも 君くれないのくちびるも 君がみどりの黒髪も またいつか見んこの別れ


姉妹のようだったマリ先生

サンパウロ中央老壮会 田巻夏枝
 マリ先生と初めて会ったのは、サウーデのダンスパーティーの時でした。お互い、「なんと生意気な女性でしょう」と、睨み合って、口も利きませんでした。それがいつからどうして仲良しになったのか、覚えがありません。
 姉妹のように仲よく「マリ」「夏枝」と呼び捨てにするほどになりました。いつも舞台のある時は助け合い、文協だけでなく、遠くに行く時も出来るだけ一緒に行くようにしました。
 私が歌う時はいつもお化粧をしてもらっており、私の歌に合わせて、踊ってくれたり、また二人でアルゼンチンタンゴを文協の舞台で踊ったこともありました。
 時々一緒に食事をして、彼女の好きなワンタンスープを食べながら、楽しく話し合いました。ダンス、歌、特にオペラなどの話をしました。なにもかも、今は思い出となり、淋しくなってしまいました。マリ! 足の痛い私のことを、労わってもらったわね。自分も手も足も痛かったのに、私のことを「可哀想、かわいそう」といつも心配してくれて、本当にありがとう。
 病院にお見舞いに行った時、「もう、手も足も痛くない」と言っていたわね。痛み止めを飲んでいたのね。でもあの日は話すのがとても苦しそうで、夏枝は辛かったから、早く帰って来ちゃったの。ごめんなさいね。夏枝は泣きません。貴方の分まで強く生き、歌い続けます。今、貴方の大好きだったグリークのソルフェージュの歌を歌います。「♪冬はゆきて、春過ぎて、春すぎて、真夏も去りて年経れど年経れど、君が帰りをただ我はただ我は誓いしままに待ちわぶる、待ちわぶる、あぁ」


凛とした背

セントロ桜会 田中保子
 戸塚マリさんを想う時、必ずスマートなスタイルとピンと伸ばした背中を思い出す。
 仕事とはいえ、あの体形を保つ苦労を聞いてみた事がある。一番は食事。それ相応の運動。例えば、毎朝縄跳び、腕立て伏せをする。エレベーターやエスカレーターは使用しない。公演の十日前から徹底した食事をする等など。聞いただけでも厳しい。ただし、喫煙を辞められなかったのは残念でした。取り巻きではなかったが、いろいろ話したことを思い出す。菜箸の短さを笑い、満州時代の李香蘭の思い出。バス旅行で酔った彼女の○○を始末した話。間違って持って行ったカバンを追いかけて、路上で取り替えた事もあった。そそっかしいマリさん、天国への道を間違えないでね。
 あのリズミカルで颯爽とした姿で、天国への階段を上って行くマリさん、さようなら。


楽しかった戸塚教室

 戸塚先生にはかねてご病気のため、入院していらっしゃると聞き、見舞いに行こうと思っておりました。
 ところがその矢先の十月十五日、逝去の報を聞き、ただただ驚くばかり。思いもよらぬ急変に私たちは茫然としてしまいました。
 元気な時、先生はいつもニコニコ笑顔で話をしながら、一つひとつ丁寧に教えてくれました。
舞台に出る時はその寸前まで練習をして、終わると「良かったよ」との一声で、またがんばろうと勇気が湧いてきました。
 いつも健康に気を付けて、「転ばぬように」と注意をしてくれました。
 体操前のちょっとした時間にバレーのような仕草で踊っていらっしゃり、「なんて体が柔らかいんだろう」と、いつも見ていました。
 食事を一緒にした時、おいしそうにビールを飲んでいらっしゃいました。タバコは「辞めよう」と言いながらも、辞められなかったようです。
 愛情あふれる先生を失いました事は私共生徒の深い悲しみとなっております。今だ先生の温かい顔が思い出されます。
 先生、長い間、ありがとうございました。安らかに永眠して下さい。(伊藤フミエ)
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 お世話になって何年になるかしら…と過ぎし日を思い浮かべながら、大きな声でいつも元気に飛び回っていた先生。
 少し怠けると、「遅いぞ」とか「早すぎるよ」といつも注意されていた私ですが、厳しくもやさしい大好きな先生でした。
 『踊りながら、死ぬまで元気でいられますように』と唄っておられた先生。
 あまり長患いもせず、最後まで好きな踊りを教えて下さった先生。きっと幸せな人生だったんじゃないかな…と、願いつつ、ご冥福をお祈りします。(迎田やゑ)
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「♪ 今は山中、今は浜!!」
 みんなで歌って、手を叩いて、楽しく過ごした日々。
 「死ぬまで元気で!」といつも仰っていましたね。
 あまりにも早く逝かれてしまわれて…。なぜ、こんなに早く。淋しく、悲しゅう御座います。
 謹んでご冥福をお祈り申し上げます。(伊藤梅子)
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 戸塚先生、長い間健康体操をご指導くださり、また、色々な事を学ばせて頂き、ありがとうございました。
 まだ、少し他界なされるのが、早いぐらいでしたが、こればかりはその人の天命もありますから、どうか、霊界でお幸せにお過ごし下さるよう、お祈り致します。(武智よしみ)


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