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熟年クラブ連合会
     活動報告  (最終更新日 : 2019/02/15)
2016年5月号

2016年5月号 (2016/05/29) 交流旅行、第一回目はレジストロ

 四月二十一日、二十二日の両日、熟連は今年初めての親睦旅行を行いました。今回はレジストロ春秋会との交流が目的でした。これは親執行部の「地方クラブとの交流を積極的に行いたい」という意向に沿ったものです。
 熟連からの参加者は上野会長以下五名の役員と支部クラブ会長、会員など二十名。
 当日は熟連を朝七時に出発。十一時にレジストロ着の予定でしたが、連休初日と街道工事のため渋滞しており到着が大幅に遅れ、予定より三時間も遅い十四時着という大ハプニングの出だしでした。
 しかしこんな事態にもかかわらず、春秋会の皆様総出の歓迎を受け、熟連一行は恐縮しつつも大感激。清丸婦人部長以下が心を込めて作って下さった昼食を美味しく頂き、その後、交流会に移りました。
 翌日は玉田春秋会会長、黒沢元会長、坂本役員の案内でレジストロ市内を観光。ゴザ工場や移民史料館などを興味深く見学しました。
 往路でのこともあり、帰りは早めに出発しましたが、昨日のことは嘘みたいに二時間半で聖市着。無事、解散しました。今回、モジから参加した小川マリ子さんは「レジストロは五十年前、ブラジルに第一歩を印した地。懐かしい人たちに会うことが出来てうれしかった」と語っていました。また、副会長の返原さんは「レジストロは母が七歳で連れられ、最初に入植した地。移民史料館には入植当時の区分け地図も残されており、母の家の名も記されていて、感無量でした。写真を撮ってきて母に話しましたが、今はあまり理解できる状態ではなく残念です。でも私にはブラジルのルーツ」と語るなど、参加者それぞれが感慨に浸る旅であったようです。レジストロ春秋会の玉田会長はじめ皆様、本当にお世話になりました。


第三十回熟連親睦ビンゴ大会

 年に二回行われる恒例のビンゴ大会初回が四月二十九日、金曜日熟連サロンで午前十時から行なわれた。
今年は二、三日前から急激に寒くなり始め、参加者の出足は最初鈍かったが、時間には百七十名以上が来館し、相変わらずのビンゴ人気を呈した。
 賞品は役職員から集めた寄付金で購入したものと、役職員や会員有志から差し出された数多くの品物で、一回につき約四十二人は当たるほど揃えられた。中でも人気の賞品は参加者が女性が多いためか消耗品の鍋類が喜ばれた。また今回はイタケーラ寿会の故・菅沼久人さんや、レジストロ春秋会の小野一生さん手作りの額も変わった所の賞品で人気だった。
 今回もコンピュータによるビンゴで、ジュンジアイ睦会の西さんが朝早くから手伝いに駆けつけてくれた。また、モジ・ダス・クルーゼス、リベロン・ピーレス、ジュンジャイからもマイクロバス一台をチャ―タして駆け付けてくれたし、サン・ベルナルド、サント・アンドレからの参加者もあった。
 賞品のみのビンゴが七回と赤券、青券の二回で、全部で九回もあり、数字を全部埋める青券は、一人が当たり、最高の赤券も今回は二人にあたり皆に拍手で祝福された。
◎賞品寄贈者(順不同)
 上野美佐男、西一人、戸田房子、小坂誠、玉井須美子、高山友巳、中川浩巳、川添敏江、小野一生、菅沼久人、辺原よし子、赤木竜巳、相沢絹代、田中保子、中西恵美子、外山保、長山豊恵、上田孝子、玉田伯夫、岡たつみ、井出香哉、小野ちとせ、池内よしお、畠中和廣、金籐泰子


おめでとうジュンジャイ睦会45周年

 ジュンジャイ睦会の創立四十五周年が去る四月二十一日、ジュンジャイ文協会館で行われた。
 この日はジュンジャイ文協会長の酒井次男氏をはじめ、近隣のカンピーナス明治会の鈴木正昭会長、インダイアツーバ親和会の今西正子会長、熟連からは上野美佐男会長と玉井須美子副会長、中川浩巳文化理事、与那覇博一シニアボランテイアと畠中和廣事務局長など多数がお祝いに駆け付けた。
 十時三十分からの式典では、最初に小林直也さんが開会の挨拶を行い、そして先亡会員に一分間の黙祷。続いて正面舞台横の壁にプロジェトールで映し出された熟年賛歌の歌詞を見ながら斉唱した。次いで西一人会長が挨拶を行い「睦会は一九七一年に十四名から始まり現在、九十一名の会員が在籍しています。これも一重に睦会会員の皆様のご尽力の賜物と感謝致しております」と述べた。
 その後、各来賓挨拶、表彰に移り、会の役員が五名、創立会員三名、荒木毅前会長、多額の寄付をされた治部正哉氏などに表彰状と記念品が贈られた。
 続いて、睦会を紹介する約六分間のDVDを見て、ケーキカットに移った。カットは酒井次男文協会長、荒木毅前会長、西一人会長、長山豊恵副会長で行われた。
 そこで式典は終わり昼食へ。ビュッフェ・奄美の食事を頂いて、十二時四十分から第二部となり、シニアボランテイアの与那覇先生の指体操から始まった。
 踊りの部では、ジュンジャイ睦会の大田康子さん大田孝之さんご夫婦が踊りを披露。その後、吉村春枝さん、小林節子さんの舞踊と続き、カラオケは約十名が歌い、締めくくりとしてジュンジャイ音頭を全員で踊った。最後に睦会の長山豊恵副会長の閉会の辞で四十五周年記念祭が無事終了。おめでとうございます。


レジストロ交流旅行

ビラ・ソニア老壮クラブ 滝ケ平功
 四月二十一日の交流旅行に欠員が出たので行ってくれ、と頼まれて、最初は少し躊躇した。その理由はパパイ(父)は夜に大きな鼾(いびき)をかくと家族に言われていたので、一泊となると、どうしても相部屋になった人にご迷惑をかけてしまう。でも最終的には行くことになり、本部に七時までに行くのはちょっときつかったし、BR116の高速道路の始まりも私の住むビッテンコートの町から始まるので、家の近くの街道筋で一時間ほど待って乗車。
 サンローレンソのペダージオ(料金所)を過ぎた辺りから渋滞し、なかなかバスが前に進まず、わずか四十キロそこそこの路を通過するのに五時間。十一時到着の予定はほど遠い。ヤキモキしてもどうにもなるものではありません。上野会長がセルラー(携帯)で連絡を取ろうとしておられましたが、どこにも通じず、お手上げの状態。携帯なんて、べんりなようで、山間部にはこれほど不便なものはないと痛感した次第です。
 予定時間を三時間も遅れてレジストロの方々には本当に申し訳ないと思いましたが、現地に着いた時は皆さん、玄関までお迎え頂き、感謝の気持ちで一杯でした。
 早速、昼食をご馳走になり、空腹から解放されました。赤飯と白ご飯の美味しかった事。特に名物マンジューバの唐揚げと、生を酢で〆たものだと思いますが、とてもおいしかったです。それに茄子の味噌和えも美味しく、あとでお代わりしようと思ったのですが、皆さん少食で最初のひと皿で辞めてしまったので、私も茄子の味噌和えのお代わりを諦めました(あぁ、残念!)。
 中にはマンジューバの唐揚げの骨をきれいに取って食べておられる方を見ましたが、これは、私がへその緒を切ってこの世に生まれて八十一年間で初めて見た光景でした。
 一泊して翌日は三人の役員の方々が町を案内して下さり、国道に出る所まで付き添って頂きました。誠にありがとうございます。三時間も遅れたせいで、交流の時間が短くなってしまいましたが、色々と親切にして頂き、感謝に絶えません。また、この次に行ける機会がありましたら、遅れることのないように計画を立て直していきたいと思います。レジストロの皆さん、大変お世話になりました。ありがとうございました。


感謝を込めて

ジュンジャイ睦会 長山豊恵
 暑い日が続いていますが、皆さまお元気でお過ごしのことと思います。
 年月の過ぎるのは早いものです。ふりかえって見れば、遠いようで短い日々です。私も睦会に入会して、知らず知らずのうちに創立四十五周年を迎えることになりました。まるで夢を見ているような感じです。
 四十数年前からのお友だちは齢に関係なく、次から次へと先立って行きました。今、私を含め九十歳前後のお友だちが七名がんばっています。今年は何か記念事をしましょうと話し合い、会議また会議と続き、やっとまとまりました。
 次は初代からの会長さんの写真などを探し出して記録を取り集めて、一つの本にまとめるという大仕事が始まりました。役員の方たちに手伝ってもらって、やっと出来上がりまして、その日が来ました。
 四月二十日でセマーナ(平日)ではありますが、例会の日でもありますので、この日を選びました。熟連本部からは上野会長をはじめ、役員の方々をお迎えし、また、シニアボランティアの与那覇先生も来て下さいまして、指の体操などをして賑やかに楽しませてくれました。お忙しい中をご臨席下さいまして、ありがとうございます。
 カンピーナス、インダイアツーバ、カンポリンポの皆様方、また会員の皆様もこの度は本当にありがとうございました。その上、たくさんのご祝儀まで頂きまして、誠にありがとうございます。心より感謝する次第です。
 この度、西会長には一方ならぬご苦労がありましたが、皆様のご協力で無事、四十五周年記念式典を挙げることができました事を、ここに厚く御礼申し上げます。皆々様のますますのご健康とお幸せを祈りながらペンを置きたく思います。ありがとうございました。


与那覇先生をお迎えして

リベロンプレット壮寿会 志方裕子
 四月十七日の例会はサンパウロよりJICA派遣の与那覇先生が来られるとの知らせがあり、みんな楽しみにして出席しました。
 最初に先生の自己紹介があり、先生のお話に入りました。年を取ってボケて来る人がいますが、そのボケとは昔の言葉で今は認知症といい、その認知症についてお話をして下さいました。
 認知症は脳の活動が衰えて発症するのであり、その予防として①良い食事②適当な運動③睡眠の三つを挙げられました。この三つの説明があり、その後、先生の手品を見せてもらいました。
 最後はお手玉遊び。会員の中にはお手玉を知らない人もおり、先生の説明によってお手玉遊びをしました。お手玉はボールみたいにコロコロとは転ばないので、みんな「これはいいね」と言って楽しみました。
 時間が経つのも忘れ、もう一度、このリベロンプレットに来て欲しいとお話しましたが、先生は七月に日本へ帰国されるとか。本当に残念です。今月の例会は楽しかったと話し合いながら、お別れしました。先生、遠路はるばる来て頂き、ありがとうございました。


与那覇先生に習った事

リベイロン・ピーレス錦友会 中馬淳一
 私たちの錦友会にボランティアの与那覇博一先生が来られ、会員の皆さんにボケ予防の方法を話して下さった。頭の運動、脳神経を働かせること、肩の力を抜いて深く深呼吸をする。さらに手足の運動、お手玉を使っての運動、そして一日に一リットル半から二リットルぐらいの水を飲むこと。お酒はほどほど、たばこは吸わない。
 そして何か趣味を持ってたくさんの人々と交わりを持つ。本を読む。釣り、将棋(しょうぎ)、碁(ご)などをして皆さんと交わり頭を働かせ、人生を楽しく暮す事。その他、私たちを面白おかしく指導して下さった。
 私の感想として、朝早く起きたら、コップ一杯の水を飲むこと。これは誰にでも出来る簡単で一番の健康でボケない方法だと深く感じ入った次第です。


福本千賀人さん逝く

 去る四月二十一日午前四時四十分、福本千賀人さんが日伯友好病院にて老衰による感染症のため亡くなられた。
 葬儀は同日、ビラ・マリアーナのベローリオで行われ、近親の方々に見送られた。
 福本さんと当会は老ク連創立当初からのお付き合いで一九九四年に行われた老ク連福祉センター建設チャリティーショーを始め、二十五周年チャリティーショーなどで実行委員長を務めて下さり、三十周年記念ショー、芸能祭など奥様であられる藤瀬圭子さん共々老ク連の催事には欠かせない方でした。ここに長い間の御尽力に感謝し、会員一同、衷心よりご冥福をお祈り申し上げます。
 大分県出身。享年八十七歳。
 尚、四十九日の法要は六月十日(土)午前十時より西本願寺にて執り行われます。


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