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熟年クラブ連合会
     活動報告  (最終更新日 : 2019/02/15)
2016年8月号

2016年8月号 (2016/08/19) 審査なしで多芸の熟連芸能祭

 七月二十三日(日)、静岡県人会にて第四十回熟連芸能祭が開催された。当日は朝から晴天で、七時には貸し切りバスで到着した人たちが続々と到着し、八時から予定通り始めることができた。
 司会は今年もベテランの藤瀬圭子さん。はじめに上野美佐男会長の挨拶がありその中で「皆様のご協力のお陰で四十回目の芸能祭を開くことができました。これらの催しを通じ、親睦をはかり会員増強に繋がれば」と話した。引き続き、中川浩己実行委員長が「熟年クラブ連合会四十回芸能祭に出席下さり、ありがとうございます。一年を通じて練習を重ねてこられた成果を発表する、晴れの舞台です。がんばって下さい」と激励した。
 今回の芸能祭は、一昨年と同様で審査員なしの形で行われた。また、開催日が変更になるなど、戸惑った方々もいた事と思うが、思ったより出演者も多く、全員で約三百名になり、民謡の部ではA、Bで二十四名。個舞、対舞では二十二組。団舞でも十八組。体操の部は、表現体操が五組。さらにギター演奏、寸劇、フォークダンス、フラメンコなどもあり、楽しい芸能祭になった。
 教室発表はバラバラに組み込み、複数の教室に通っている人でも全員が出演できるようにと考慮した。
 また、出演者の中で目を引いたのはアニャンゲーラ仲良し会の高橋八千代さん)九十九歳である。ひょっとこのお面を付けて、元気にドンパン節を踊り、みんなに拍手をもらっていた。寸劇では「ウサギと亀」をサン・ベルナルド松寿会の皆さんが面白可笑しく披露し、観客の笑いを誘っていた。
 今回は上野会長から特別賞が高橋八千代さんに、また、恒例の福袋が最後に抽選され、二十名に手渡され、五時半に無事、終了した。
 いつものことながら、遠くから何時間もかけて参加して下さる方々、またチラシ配り、前日の楽屋作り、会場準備、楽しい舞台も見ずに終日売り子を務めて下さっている方々、着任早々裏方を務めて下さった鈴木先生など、こうしたすべての方々に感謝の芸能祭でした。


芸能祭に出演して

ジュンジャイ睦会 長山豊恵
 毎年恒例の熟連芸能祭が今年も七月二十四日に行われた。当初、六月の開催に決まっていたが、日程が変わり、ちょっと迷ってしまった。それでも当日は皆、朝早くから集まり、六時半には小型バスで出発した。おかげ様で天気も良く、暑からず寒からずの天候に恵まれた。
 日曜日だからバンデランテの道も車が少なく、バスは悠々と飛ばしていった。到着してみると、多くの人がすでに見えておられた。受付けにテープを渡しに行く途中、久しぶりに会うお友だちと会い、あっちでおしゃべり、こっちでおしゃべりしていたら「早くお出で。仕度の時間ですよ」と呼ばれた。あわてて階上に駆け上がれば、バザーがある。これも見たいとウロウロしながら仕度を終える。
 舞台上では皆きれいな着物姿でゆったりと踊っている。自分もあんな気分で踊ってみたいと思うけれど、舞台に上がると、やっぱりボッーとしてしまう。もういい歳をしているけれども…と、自分に言い聞かせるけれど、やはり稽古の時とは違う。
 楽屋裏で待つ時間は長く感じるが、踊ってしまうとアッという間に終わってしまう。自分がどんな風に踊ったかもわからない。踊り仲間もほっとした顔をしていた。
 同じ町に住むお友だちですら、なかなか会えず、一年に一度、多くの友だちに会えるこの芸能祭はやはり楽しい。
 プログラムを見ると、九十九歳や九十六歳のお方が踊っておられる。負けてはいられないとがんばっているが、情けなや、体がいう事をきかない。
 役員の皆さまもお疲れになった事と思う。色々とお世話を頂き、感謝いっぱいだ。無事、事故もなく、楽しい一日だった。また、来年も懐かしい顔と会えるのを楽しみに頑張りたいと思う。


初めまして、鈴木京子です

JICAシニアボランティア 鈴木京子
 JICAシニアボランティアとして、宮城県仙台市から来ました鈴木京子です。
 熟年クラブには七月十九日に来ました。その週の土曜日に第四十回芸能祭があり、皆様、とても忙しく、楽しく活動的に働いていらっしゃいました。前日遅くまで、準備していたのに当日は、歌に、踊りに、体操に、また、売り子に転じて皆様の年を感じさせない元気な姿に感心しています。
 ちなみに私は古本を売っていました。今後、その元気な身体、柔らかい脳をいつまでも維持するための体操をお伝えしていきたいと思っております。健康維持と呼吸法はとても大切です。
 私の日本での専門は「笑うヨガ」という、笑って良いホルモンを出す呼吸法です。また、転倒予防の体操をして転ばないように足腰を鍛える運動もします。新聞を使った
棒体操をして、背筋を伸ばす体操などもします。指体操の脳トレーニングなども引き続きご指導できたらと思っております。
 遠いクラブにもぜひ、おじゃましたいと思っておりますので、お気軽に声をかけて下さい。
 二年間、皆様と笑って、楽しく体操をして、健康維持のお手伝いをして行きたいと思っていますので、どうかよろしくお願い致します。


書道愛好者展俳句コーナーも

書道教室指導者 若松如空
 いま、書道教室は大変です。九月二十四日、五日(土日)に文協貴賓室で行われるブラジル書道愛好者展に出品する作品を作らなければならないからです。
 出品作品は漢字、かな、近代詩文書、一字書などです。漢字は草書、行書、楷(かい)書、隷(れい)書とあり、それぞれ好きな文字で好きな内容のものを選んで書きます。展示される作品にするためには紙の裏に別の紙を貼り付ける作業があり、これが素人では難しいので、裏打ちの技術者に依頼する必要があります。
 その上、参加費もありますから、お金もいるわけですが、年に一度の展示会ですので、ガンバって下さるようにお願いしています。
 多くの生徒は作った作品を自分の子どもや友人に差し上げていますが、大変喜ばれているようです。自分自身にとっても書いた字が将来ずっと家族と共に存続するわけですから、こんなに嬉しいことはありません。
 愛好会展では二年前から一定の題名のコーナーに書道作品を集めておりますが、今年は『俳句』というテーマに決まりました。
 自作の俳句で、句会で、入賞や入選した自慢の句をこのコーナーに出展して戴こうという試みです。
 このコーナーは公募ですから、誰でも参加できます。作品の形態は短冊か色紙に書いたもので、自作自書が原則ですが、今回は初めてのこともあり、自分の句を他人に書いてもらったものでも良い事になりました。
 短冊については、愛好会が掛け軸二十五本を用意し、掛け軸のない方にお貸しすることにしました。お友だちで俳句の愛好者がおりましたら、この書展のことをお伝え頂ければ幸いです。なお、参加費は二十五レアイスです。
 申し込みは熟連クラブの若松までお願いします。第二、第四金曜日、九時から三時まで本部にいます。


熟連から熊本地震のお見舞い

今年四月十四日に起きた熊本地震の報に際し、当会の上野会長が熊本老連に対し、お見舞いのメールを差し上げました。以下はその全文です。 以上のような状況から、当熟連でも義援金の募金を行いました。一万三千四百九十四・八〇レアイスが集まり、熟連拠出金と合わせ合計一万五千レアイスとなりました。この度、上野会長が個人的理由で日本に行かれましたので、これを熊本県老連まで直接お届け致しました。

財団法人熊本県老人クラブ連合会会長 菊川忠一様
 拝啓 この度の御地の突然の大地震の事は、当地ブラジルでもNHKワールドで繰り返し繰り返し報道されました。
 母国の大地震に、いつも母国の方を向いている私たちは唖然としました。
 皆様のご不幸を誠にお気の毒に思います。住み慣れた家を離れての避難生活はどんなにかお辛いだろうとお察し申し上げます。苦楽を共にしている隣近所の皆さんと一緒なので、どうかお気を強く持って、我が故郷のために一日も早く復興するよう努力してください。何らかのお手伝いに駆けつけたい、と思いながらも、遠隔の地にあってはその意もかなわず、残念に存じております。微力ながら出来る事をしたいと思っていますが、先ずは気持を届けたいと思います。敬具
ブラジル日系熟年クラブ連合会会長 上野美佐男

義援金の詳細は以下の通り(順不同)

ジュンジアイ睦会      一五二〇・〇〇
サンパウロ中央老壮会    一〇〇〇・〇〇
プラッサ・ダ・アルボレ    二〇〇・〇〇
レジストロ春秋会       五〇〇・〇〇
みずほ福寿会         六〇〇・〇〇
山本茂            一〇〇・〇〇
サウーデ老壮部        五〇〇・〇〇
イタペチ万寿会        七〇〇・〇〇
ピニェイロス老壮会      二〇〇・〇〇
モジ中央日会老人部      八〇四・〇〇
サンパウロ鶴亀会       二〇〇・〇〇
カンピーナス明治会     一二一〇・〇〇
サンベルナルド松寿会     六〇〇・〇〇
サント・アンドレ白寿会    七〇〇・〇〇
熟連事務局(募金箱)    二一一〇・八〇
ルジラーモス 桑原三郎    五〇〇・〇〇
G・ABC老ク連合会    一〇〇〇・〇〇
イタケーラ寿会        五五〇・〇〇
ビラ・ソニア老壮クラブ    五〇〇・〇〇
熟連本部(拠出金)     一五〇五・二〇
合計                            一五〇〇〇・〇〇


日本祭りでお手玉品評会表彰

 七月八、九、十日と三日間にわたって行われた第十九回日本祭り。今年は会場も全面的に改装され、広々としていたが、いつもの事ながら内部はちょっと分かりづらかった面も。
 さて、熟連ではここ二年ほど場所代が高いことから出店を取りやめていたが、今年は与那覇先生の尽力により、お手玉コーナーを頂き、六月十七日に行なったお手玉品評会の入賞作品や羽子板、けん玉、コマなどを展示した。また、それらを使った日本の昔遊びも披露した。
 十日の日曜日には高齢者広場で品評会入賞者の表彰式も行なわれ、玉井副会長、JICA佐藤事務所長よりそれぞれ賞状と副賞が授与された。
 ブースには連日、役員、職員、与那覇先生の御家族が交代で詰め、お手玉の実技を披露したり、けん玉、羽根つきの試技をすすめたりと大忙し。この昔遊びコーナーは子どもにも高齢者にもブラジル人にも大好評で、次々に訪れる人々が遊びに熱中、挑戦していた。
 そして与那覇先生は連日、健康講話やレクリエーションコーナーで大活躍。帰国を翌日に控え、超多忙中、最後までお付き合い頂いた。先生は「このコーナーが来年も続けられたら嬉しい。」また「お手玉がブラジルに根付いたらもっと嬉しい」と語っておられた。


重岡康人顧問逝く

 去る七月十日、重岡康人顧問が入院先のサンタクルス病院で亡くなられ、翌十一日、モルンビー墓地に埋葬された。山口県出身。享年九十一歳。
 重岡氏は一九三〇年、五歳で家族と共に渡伯。モジアナに入植。長じて出聖。家具工場を経営されるなどした。山口県人会会長、サウーデ文協会長、同老壮部部長など要職を歴任。二〇〇一年からは当会副会長として、また、二〇〇二年からは会長として三期六年間にわたり、老ク連の発展、充実に尽くされた。 氏の企業家としての明が今の熟連の健全経営の礎となっている。
 二〇〇九年会長を退き、その後、肺癌を患うなどしたが治療を続け、この五月のふれあいゲートボール大会にも元気に参加していた。
 葬儀には上野会長、五十嵐顧問をはじめ、役員、職員が参列し、大勢の人々と共に見送った。
 ここに氏の終始穏やかな笑顔を偲びつつ、御冥福をお祈り申し上げます。尚、四十九日の法要は八月二十七日(土)十二時より西本願寺で執り行われます。


杉本正相談役逝く

 七月三十一日杉本正(まさし)相談役の葬儀がスザノサン・セバスチアン墓地で執り行わた。
杉本氏は一九一七年生まれ。北海道出身。享年九十九歳。一九三一年カフェランジャに入植。その後はスザノに移転。一貫してバタタ(じゃが芋)栽培一筋で農業に従事。INCRA農産物増産賞、山本喜誉司賞などを受賞。
 一九八六年から老ク連の理事、一九八九年からは副会長を務めた。その後、相談役として会に尽力。熟連会館建設の際には故・真鍋氏共々一方ならぬ働きをされた。また組織というものを熟知し、当会選管の長なども度々務め「生き字引」的存在であった。氏はスザノ福栄会の会長を長年にわたって務め、またコチア産組合、こどものその、援協、文協などコロニアの役職も歴任された。
つい最近まで当会に顔を出していた。七月二十九日の夕方も家族の皆さんと話をするほどだったが、翌三十日の朝に自宅で亡くなられた。今年数えで百歳となる。苦しまずの大往生であったという。葬儀には上野会長他役員、職員が参列。多くの方が氏の功績を称え、最後のお別れをした。


重岡康人、杉本正、両先輩を偲ぶ

名画友の会・なつメロ合唱の集い 五十嵐司・田辺豊太郎
 一九九九年七月に結成された「なつメロ合唱の集い」(田辺・五十嵐 主宰)と翌年九月に発足した「名画友の会」(松平・千葉・五十嵐 主宰)は、いずれもサンパウロ市のリベルダーデ大通りの最初の角にあった「ボーレバール」レストランの一部屋を借りて運営していましたが、事業経営の変更のため十一月になってグロリア街の「よど食堂」に移転。半年を過ごしたところで老ク連会館を紹介されました。
 重岡会長招集の理事会で事情説明を行い、了承されて二〇〇二年五月から毎月ホールで二つの会の催しができるようになり、ようやく安住の地を得て今日に至っています。
 ホールでの集会が始まってしばらくたった頃、重岡会長より連合会への参加のお勧めがあり、二つの会は合併して「サンパウロ名画なつメロの会」として老ク連傘下に入りました。
 二〇〇四年の理事会改選で杉本相談役より、代表の五十嵐に副会長職を引き受けるようにとの要請がありました。連合会の経営内部の実情を知らなかったので、条件として三つの重要な質問をしました。なぜかと言うと、老ク連は生まれも育ちも異なる戦前、戦後一世、二世、準一世、準二世男女の複雑な集合体であり、他の団体で経営上で深刻な問題を抱えているところもあるからでした。
 それに対し杉本氏の説明は①現在、役員と会員の融和は理想的。②余裕資産も充分あり経理は綿密で健全。③事務局と会員とは極めて家族的で一体、というお答えであり、ただちにお引き受けする次第になり、副会長三期、続いて会長三期を重岡・杉本両先輩のご教導を得て無事務めることが出来ました。
 重岡会長時代以降、サンタクルース病院との保険、特別援助関係の締結、日本移民百周年記念事業、定款の大改正などが行われ、記憶力抜群で連合会の生字引と云える杉本相談役のご協力は不可欠でありました。
 温厚ながら正邪の決断に優れたリーダーであった重岡顧問の最後までのみごとな闘病ぶり、耳と脚こそやや不自由ながら無病息災を保って九十九歳、文字どおりの「大往生」を成し遂げられた杉本相談役。お二方は私たちそしてコロニア人の人生のお手本であったと別離の悲しみと共に感謝の心を捧げる次第です。  (五十嵐)
 百年を超える日本移民史の初期時代に子供移民であった杉本さんが白寿のお祝いを受けた後、悠然として九十九歳の生涯を終えられた。私が杉本先輩を知ったのは十一歳でモジ・ダス・クルーゼスからスザノへ移った頃で、自分はまだ短ズボンを穿いた小学生、杉本さんの方はすでにスポーツ青年で、走り高跳びでは一メートル六〇センチの記録を持つ、輝かしい陸上選手でした。
 コロニアの社会的にも入植二十五周年を機に発足した二十五青年会でも盛んに活動されていました。
 事故のため早世されたお父上に代わり、早くからバタタ栽培に努力され、コチア産業組合員としても長期に亘って評議員の職責を果たされた。農業分野の功労者として栄誉ある「山本喜誉司賞」を授与されています。ご出身は私と同じ北海道で、いわゆる「元気な道産子」。
 ご高齢になられてからも催しごとにはいつも出席されて乾杯の音頭をとられていました。人格的にも誇れる先輩であったと思い、突然の訃報に接し、心からのご冥福をお祈りいたします。(田辺)


重岡康人氏を偲んで

サウーデ文協老人部 山田かおる
 わがサウーデ文化体育協会は大切な方を亡くしました。
 重岡康人氏、九十一歳。この二、三か月、体調がすぐれないご様子でしたが、毎月の老壮部の集い、体操とゲートボールにも励んでおられたのですが、「足が痛くて歩けずに入院」と聞き、会計の木原さんとお見舞いに行く相談中に逝去との知らせでびっくりしました。
 特に私たち老壮部は大変お世話になりました。氏が部長であった時、私と今は亡き小方しず子さんがご指導を受けながら、会計を七年間預かりました。
 その頃、氏は老人クラブ連合会の会長でもあり、とてもお忙しい方でした。その後、熟年クラブと名は変わりましたが、顧問の席にあって、サウーデ老壮部の顧問でもあり、相談にのって下さいました。
 氏は多くの功績と思い出を残して、逝かれました。
 サウーデ文協の四代目会長を五年間。そして老ク連の会長の時は日本での全国老人クラブ大会に出席され、さらには日系コロニアの功労者として日本からも勲章を授与されました。
 昨年の熟年クラブゲートボール大会ではご夫妻共に参加され、サウーデチームが優勝するという喜びもありました。奥様はカラオケのベテラーノでもあり、お宅にお伺いすると、サーラには所狭しと優勝カップが並んでいます。
 氏が尽くされ、そして守って下さった文協。そして今、私たちは、氏が大切にしてきた老壮部を受け継いで行かねば、と心に決めております。
 重岡康人様、長い間コロニアに、そして熟年クラブに、そして我がサウーデ文協に尽力下さいまして本当にありがとうございました。
 在りし日の温顔を偲びつつ…。ご冥福を祈ります。合掌。


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