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(最終更新日 : 2019/02/15)
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2016年9月号
2016年9月号 (2016/09/16)
第六回地蔵祭清水主管を迎えて
熟連第六回地蔵祭りが八月十九日、熟連サロンに於いて行なわれた。
この祭りは移民百周年を記念して、二〇〇八年に熟連前庭に建立された「百年地蔵尊」の供養として、毎年八月の代表者会議に合わせて行われているもので、今年はモジ本願寺の清水円了主管を導師にお願いして、午前十一時半から行われた。
出席者は約四十名で読経、お焼香の後、五十嵐顧問の挨拶があり、先亡者を偲んだ。
その後、会場をサロンに移して昼食を頂き、十二時半から清水主管の講演が約四十分間行われた。
講演は「今の時代は、価値観が多様加し、宗教も多種多様となり、何が真実なのか分からなくなっています。そして、また、何のために生きているのか? この世に生まれて来た意味は何か? という自分の命の意味も見えなくなって来ています。
もう亡くなって久しくなりますが、『日本の良識』と尊敬された亀井勝一郎氏が、亡くなる時、奥さんに『自分は仏法心の熱い母に育てられ、幼い時から仏さまの教えを聞かせてもらった。お陰で上手に年を取らせてもらった。お前も仏さまの教えをしっかり聞いて上手に年を取ってくれ』と遺言されたと聞いています。
昔の方は、人生の目標として『徳を積む事』が上手に年を取る事とされてきました。今、それが社会から消えつつあります」と話し、「人の心に良い思い出を残せるよう、自分の人生を育てて欲しい」と結ばれた。
その後余興に移り、最初に踊り教室が「熟年賛歌」他三曲を踊り、続いて民謡部が民謡をそれぞれ披露し、最後は全員で「炭鉱節」を踊り終了した。
地蔵盆の由来
地蔵盆の由来には、いくつかの説があり本来の由来はこれ!という、決まった説がありません。子供の成長や幸福を願う地蔵盆の背景には地蔵菩薩のこんな物語があります。親に先立って亡くなった子供達が、三途の川の賽(さい)の河原で、両親や兄弟たちを懐かしみ石の塔を築くと、鬼がやってきてそれを壊してしまいます。それを哀れんだ地蔵菩薩が、子供たちを抱いて錫杖(しゃくじょう)の柄に取り付かせ、自分が子供たちの親となって救うことを誓いました。それ以来、町の辻に地蔵菩薩を建立し、こどもの幸福を祈る民間信仰として近畿地方で広まったといわれています。
熊本老連から熟連への返礼
熊本県老連会長松田正邦氏の挨拶(要旨)
本日は、上野会長様には遠いところから誠にありがとうございます。ブラジル日系熟年クラブ連合会を代表して、この度の熊本地震の被災に対し、義援金をはるばる南米のブラジルから日本へ届けに来て頂き、そのご芳意は感謝に堪えません。熊本県老人クラブ連合会の会員一同を代表して厚くお礼申し上げます。
いま、全国各地の老人クラブの皆様より身に余る義援金の数々が届けられておりまして、私たちも毎日感謝の気持ちが一杯で過ごしておりますが、海外から義援金が届くのは今回が初めてでございます。本当にありがとうございます。厚くお礼申し上げます。
さて、この度の熊本地震でございますが、今年四月十四日と十六日の両日、震度七クラスの二回にわたる直下型地震がありましてから、今日でまる四ヶ月になろうとしております。既に四ヶ月近くになりましたが、熊本県内各地では今なお震度一以上の余震が二千回近く続いておりまして、気象庁からも熊本地震が完全に収束したとの宣告はなされておらず、熊本県民は大分県民もそうですが、今なお不安にさらされながらの生活を送っております。
また、このたびの熊本地震につきましては、災害による直接の死者が四十九名、車で避難中にエコノミー症候群を患って亡くなるなどの関連死が三十八名、行:方不明が一名で犠牲者は全部で八十七名となっております。ただし、行方不明となっておりました学生の大和晃さん(二十二歳)は、おととい救助隊とご両親によって南阿蘇村の現地で遺体が確認され、行方不明者がなくなり本当に良かったと思っています。
二十数年前の阪神・淡路大震災や四年前の東日本大震災では犠牲者数が五千人とか、二万数千人といわれておりますので、それに比べれば今回の熊本地震では犠牲者数が八十七名と割と少なく不幸中の幸いではなかったかと言われております。
一方、地震によって倒壊した家屋や建物などの被害は、熊本県内で全・半壊が三万二千三百十八棟、一部損壊が十一万五千七百二棟となっておりまして、家を失いテントや学校の体育館、地域のアパート、民家などに避難した被災者が、当初は二十五市町村でおよそ十九万人となりました。
更に、電気や水道、ガス供給の道が断たれ、いわゆるライフラインの損壊によって停電や断水、ガス供給停止など、一方では公共道路、公共施設なども地割れや地崩れによる損壊など熊本県全体が甚大な損害を被りました。
しかし、四ヶ月近くを経過しました昨今では、特に被害の大きかった益城町や西原村、南阿蘇村、熊本市東部など関係市町村では、いま少しずつ復旧、復興に向けて作業が進められており、被災者の方々が入居される仮設住宅も整備されている様子です。
一方で、余震はいまだに続いておりまして、報道によりますと倒壊した自宅の敷地内とか学校の体育館などで不自由な避難生活を続けておられる被災者が、今なお三千八百人程度おられるということであります。
ここで改めて尊い人命を失われた犠牲者の方々のご冥福をお祈りしますと共に被災者の皆様方に対しましても心よりお見舞いのことばを捧げたいと存じます。
さて、熊本地震につきましては、その後、全国の各都道府県老連や熊本県内の市町村老連など地元の仲間の皆様からあたたかい義援金の数々が寄せられておりまして、われわれ熊本県老連としましても感謝の気持ちで一杯でございます。
更に、災害後は兵庫県や北九州市老連などから日用雑貨品を袋につめた元気袋などの義援物資も届けられました。去る六月九日には、東京の全老連本部から齊藤常務理事が熊本まで慰問に来られまして、私ども県老連のスタッフと一緒に南阿蘇村、 西原村、益城町の三地区を訪問し、これらの義援物資の配付についても作業を終えたところでございます。
また、八月二十四日には東京都老連からも増田時枝会長ほか幹部の方々が熊本県まで義援金の目録を持参されて熊本の被災地の老人クラブを慰問訪問されることになっておりまして恐縮に存じているところございます。
義援金につきましては、去る八月一日に第一回目の取りまとめ期日を設けましたが、その時点で合計一億三千万余りの義援金が熊本県老連の災害義援金口座に振り込まれております。大変にありがたく第二回目の取りまとめ期日を本年十月三十一日に設定しておりますが、今後とも義援金の支援は続くものと考え、皆様方からのあたたかい善意に改めて心から感謝したいと存じております。寄せられました義援金の配分につきましては、県及び市町村の行政当局災害対策本部などをはじめ、東京の全老連本部からのご指導を仰ぎながら周到かつ慎重に計画を立てて作業を進めていきたいと存じております。
本日は、上野会長様には誠にありがとうございました。ブラジルのサンパウロの本部にお帰りになりましたらどうか会員の皆様方にくれぐれもよろしくお伝え下さいませ。本日は本当にありがとうござました。厚くお礼を申し上げます。
平成二十八年八月十二日(金) 熊本県総合福祉センター県老連事務局長 上原伸孝
八回を数えた熟連マージャン大会
二〇一一年からはじまったマージャン教室は、今年で五年になる。最初は二卓から始まり今では毎週火曜日に四卓で楽しんでいる。
そしてマージャン大会も今回で八回目を数え、八月二十一日(日)九時半から熟連サロンで行われた。今回の参加者は八卓三十二名。賞品は一位、二位、三位、大波賞、小波賞、ブービ賞、平和賞と用意された。
最初に大矢進貞主管からルールの説明があり、三十分を一回として、一回戦が終るたびに抽選を行いメンバーが入れ替わり、五回戦を戦うものとすると発表。早速、競技に入る。
この日は雨模様の肌寒い天候であったが、参加者の一人が「今日はマージャン日和、頑張りましょう!」と笑わせていた。
熱戦は四時半まで続き、結果は以下の通り。
一位=角谷博、二位=三木路生、三位=山中タツミ、大波賞(プラス点とマイナス点で差が多い人)=雨宮隆、小波賞(マイナスとプラスが小さい人)=田中栄一、ブービ賞=池尻孝信、平和賞=渡辺守。(敬称略)
熟連親睦旅行「モジ本願寺とトマト狩り」
九月四日、熟連はモジへの親睦日帰り旅行を行った。
今回は落慶間もないモジの西本願寺見学と中原農園でゆっくりと一日を過ごすという企画。
七時半に熟連を出発した一行は九時過ぎにはモジ本願寺に到着した。
広い敷地に本堂、納骨堂、庫裏(くり)や諸施設がゆったりと配置され、木々に囲まれたたたずまいはまるで日本の仏閣のよう。あいにく、この日は住職の清水円了主管がプ・プレデンテ市で行われていた仏布大会に出席のため、お留守であったが、玉根管理責任者の案内ですみずみまで見学させて頂いた。
木の香もすがすがしい本堂や納骨堂、千人は収容できるという会館。どれを見ても真新しくピカピカ。庭からの見晴らしも素晴らしかった。一時間ほどじっくりと見せて頂いた後、玉根さんにお別れを告げ、次の目的地の中原農園へ。
中原農園は本当は今頃、梅の花が満開だという情報でこの日を選んだのだが、残念なことに一週間前に咲き散ってしまったとか。それでもミニトマトやミシリカ(オレンジ)狩りを楽しみ、トラトール(トラクター)に乗って農園の空気を満喫。おいしい手作り昼食を頂いた。小雨が降って来たのだが、その間はトランプやカイピリー二ャなどを飲んで屋根の下で時間を過ごした。
帰り道の途中で、カザロン・デ・シャに立ち寄り、建物の歴史や古いお茶の製造機などを見学。建物は皮をむいた原木そのものを精巧に組み合わせて作ってあり、昔の大工の腕の素晴らしさがうかがえた。
参加者は一様に「こんな気軽な旅行をまた企画して欲しい」と希望。四時には無事、熟連に帰館した。
鈴木先生をお迎えして
ビラソニア老壮クラブ 滝ケ平功
八月六日JICAの鈴木京子先生をビラソニア老壮クラブの例会にお迎えすることになりました。先生はブラジルに来られて一か月足らずとあって、一人で来て頂くという事は、メトロやバスなどの乗り物の勝手もよく分かっておられないので、本部まで行き、一緒に来て頂きました。
八月は父の日が第二週の日曜日になっておりましたので、例会は一週間前倒しで、会員の皆さんに一品ずつ持ち寄ってもらい、鈴木先生も共にお昼の食事をして頂きました。
食後、先生は日本で老人介護が専門でやっておられたということで、老人に対して日常気を付けなければいけない事とか、椅子に座ったままで出来る手足の筋肉を鍛える運動、手足の指先を使って脳の活性化をはかる運動などを分かりやすく説明して頂き、あっという間に時間が過ぎてしまいました。
人には相手が飽きないように話をする人と、何となく飽きるような話をする人がいると思いますが、鈴木先生はどちらかというと、私は前者の方ではないかと思いました。
当クラブではお迎えの車が来ると、すぐ帰ってしまう方がいるのですが、今回はそうではなく、お迎えの人を待たせて、最後までほとんどの人が残っていてくれました。これはみんなに飽きないように話をして頂いたからだと思います。さすがに日本で多くの経験をされた方だと思いました。
まだあと二年間ありますので、これからも何回か来て頂いて、ご指導を頂きたいと思いますので、今後ともよろしくお願い申し上げます。
初めて郊外のクラブへ
JICAシニア・ボランティア 鈴木京子
初めての郊外バスでの移動の仕事です。不安と期待が入り混じった日で、その日は、私の気持ちと同じ曇り空でした。モジ・ダス・クルーゼスから朝早く私を迎えに来てくださった西丸さんと一緒に出発です。
バスの中で西丸さんに果物の名前や豆乳の作り方など色々と教えて頂き、ずっとお話をしていて、あっと言う間にモジに到着です。
帰りのバスの切符を買い(一時間に二本のバス運行なので)会場にいきました。
始まる時間には早いのに、もう大半の方々が着席していました。例会が始まり、はじめに挨拶をし、報告事項が済むと、ビンゴゲームをやりました。残念なことに私は当たりませんでした。
続いて、私の番です。とにかく皆様若い。その若さを保つため、体を動かしたり、頭の体繰などをやり、積極的に質問などもして頂き、もう少し時間があれば、もっと楽しんで頂けたのにと思っています。
帰りはJICAの友人御夫妻にモジのバスターミナルまで見送ってもらい、不安な気持ちが少し消えました。でもバスに乗ったら、今度はチエテでメトロにちゃんと乗り換えできるかしら? と、心配しながら眠気と闘いながら帰って来ました。
チエテのバス停に事務所の片桐さんが迎えに来てくれているのを見つけた時、「良かった」と本当にホッとしました。早く一人で遠くまで行き、皆様と楽しんで健康体操をしたいと考えています。
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