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(最終更新日 : 2019/02/15)
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2017年5月号
2017年5月号 (2017/05/12)
盛りだくさんG・ABC老ク芸能祭
第三十七回グランデABC老人クラブ連合会芸能祭が四月二十六日(水)にパウリセイア文化会館で行われた。
この催しものは毎年この時期に行われるが、会場はサンベルナルド、リベロン・ピーレス、パウリセイア、みずほ文協等四文協の御好意で持ち回りとなっており、今回はパウセイア会館で行われた。
八時半から式典が行われ、森博G・ABC副会長の開会宣言の後、サンベルナルド市議会から宮口マウロ氏、パウリセイア文化協会から池田マウロ会長、サントアンドレ文化協会から黒川瑛輝会長、みずほ文化協会から藤森忠敏会長、サンベルナルド文化協会から中野シルビア会長、サンベルナルド文化協会連合会から中原アルツール会長、サントアンドレ日系連合会から喜納ジョージ会長、ルジラーモス日伯文化協会から三浦常裕会長、リベロンピーレス日伯文化協会から村木アント二オ会長、ペデレイラ文化協会から松村ルイス会長、G・ABCゲートボール連合会から本田幸雄会長とG・ABC老人クラブ連合会から上野美佐男会長、ブラジル日系熟年クラブからは代表で中川浩己文化理事等計十五名が紹介され舞台上に並び、挨拶が行われた。
上野G・ABC会長は挨拶の中で「あいにくの悪天候ですが、皆さん、ご参加下さいましてありがとうごいます今回で三十七回目となるグランデABC芸能祭ですが、地区文協また市議会の皆様のご協力で無事開催の運びとなりました。また、今日は熟連本部から中川文化理事、西丸書記理事、畠中事務局長もご出席頂き、ありがとうございます。どうぞ、会員の皆様も日ごろの練習の成果を十分にはっき氏、楽しい一日をお過ごし下さい」と述べ、約三十分の式典が終了し、早速芸能祭へと移った。
芸能祭では体操、カラオケ、舞踊、ダンス、民謡、寸劇、合唱などなど盛りだくさんで全八十五演目が行われた。一番多いのはカラオケで半数以上を占めていた。
九時から始まった芸能祭は、昼食をはさみ午後三時には全項目が終了。
八十五歳以上の参加者は十六名で、特別参加賞が上野会長から手渡された。
G・ABC芸能祭に招かれて
熟連書記 西丸俊子
四月二十六日、G・ABC老ク芸能祭に出席させて頂きました。午前七時に本部を出発とのことで、朝五時半の電車に間に合うよう子供に駅まで送ってもらい無事、出発しました。
熟連から車で四十分ほどで到着。いつも熟連の会合にはG・ABCから三人の理事さんが出席されますが、交通の激しい時間では二時間もかかるそうです。私は普段、モジからの出席で遠いと思っていましたが、皆さんそれぞれ大変な思いをして役員の仕事をされているんだなとつくづく思いました。改めて自分のできることは喜んでしなければと身の引き締まる思いでした。
芸能祭は日曜日にするものと思っていましたが、水曜日開催だったので不思議に思っていましたが、その意味が後で分かりました。
パウリセイア文協、リベロン・ピーレス文協、ペデレイラ文協、サントアンドレ文協、みずほ文協、サンベルナルド文協、ルジ文協の老人部に所属している人たちが健康に毎日を送れるようにと日々様々な体操や踊り、歌などを仲良く稽古し、その成果を発表するのです。若い人たちは週末に会館などを使いますが時間に余裕のある高齢者が平日に会館を使うことで、すみ分けができているのでした。
皆さまとてもお元気で、それぞれの演目を楽しみながら、生き生きと進行していきました。私も飛び入りで歌わせて頂きました。接待も至れり尽くせりで恐縮しました。最後に出席者全員で炭鉱節を踊りました。
G・ABCの皆様、本当に素晴らしい一日をありがとうございました。
G・ABC芸能祭に参加して
サントアンドレ白寿会 多川富貴子
去る四月二十六日に第三十七回G・ABC芸能祭が行われました。私共も日ごろ励んでおります健康体操を発表するために参加し、体操の手順をしっかりと頭に刻み込み、会場へと向かいました。
到着すると、会場には沢山の出演者が来ており、熱気を感じました。顔なじみの人たちによる歓迎の中、時間通り八時三十分に開始されました。
舞踊、民謡、カラオケ、コーラス、体操、ダンス、寸劇など一寸の隙間もなくプログラム通りに順調に進みました。
四十年、五十年の舞踊歴の方々の踊り込まれた舞の姿、また老人会と言っても六十代、七十代の若い人の踊りや民謡、コーラスなど生き生きとしています。老後の楽しみとして各クラブで各種の習い事が行われており、いずれも素晴らしい発表でした。
特に目を引いたのが、みずほ福寿会とサンベルナルド松寿会の寸劇で、今年の干支(えと)の酉年にちなんだ鶏の物語をユーモアを交えて総勢十一名で熱演。会場から大きな拍手が贈られました。
私の出た健康体操はますます盛んで多くの人々が参加し、会場内の席も満杯でした。
参加された方々はこの一日で沢山の元気をもらったようでした。人々が笑顔で過ごしたこの催しも午後三時半には無事に終わり、来年の再会を約束しつつ小雨降る中を家路に着きました。
なお、当日の役員の方々の働きぶりは大変素晴らしいものがありました。ありがとうございます。私も頑張らねば、と今思いつつ拙い感想を記させて頂きました。
民謡教室を見学して
熟連文化理事 中川浩巳
昔から民謡は「心の故郷」「遠い遠い昔より、その土地その場所で唄い継がれている伝説 芸術」であります。日本の北から南まで各県に民謡のない県はないと思います。特に北海道から秋田県、福島県、山形県、宮城県、岩手県、と北の方が多いように感じられます。
誰にでも思い出の歌や忘れられない民謡をお持ちかと思います。私事でありますが、私の忘れられない思い出の民謡が一つだけあります。それはもう四十年前にもなりましょうか、私の一人娘が大学試験を受け、一番の親友が合格し、娘は落ちてしまったのです。娘は大変なショックを受け、悩んでおりました。私は「来年もまたチャンスはあるのだから、その時に頑張ればいいよ」と話しあっても決着つかず、ある日突然、「旅に出る」と言い出し、北伯の方へあてもない旅に出たのです。女の子なのに行くあてもない旅に出るのに私はどれだけ心配したことか。そのうちバイア州を過ぎ「リオグランデ・ド・ノルテ州のナタールに着いて仕事をしているので心配しなくていいから」と、連絡が来ました。仕事とはぺダージオ(車の料金徴収所)で働き、旅費を稼ぎ、最後はベレンまで行ったのです。私は自分に納得したらそのうちに帰って来ると思っていました。
ベレンでは「日本人のレストランで仕事をしながら勉強をしている」という電話があり、「まぁいいか」と、安心していました。それから半月過ぎた頃、今度は「良い日本人男性と出会っている」と言います。私は「この子はどれだけ心配させるのか」と、腹がたって人にも話せない事でした、
その頃、ベレンには日本の遠洋魚業が盛んな頃で、太陽漁業やニチレイなどの大手企業が進出していたそうです。そのニチレイの漁船のエンジニアの男性にポルトガル語を教えていて、二人は仲良くなったそうです。私はてっきり「騙された」と心を決めて、しばらく様子を見ることにしておりましたら、半月が過ぎた頃にニチレイの現地の社長さんが我が家に来られて、「娘さんを相手の男性と結婚させくれませんか」と相談に来ました。遠く一千キロメートルもあるベレンから来られたので「嘘でもあるまい」と思い、承諾をしました。
すると、今度はベレンの方で結婚式を挙げる事になりました。その話を私は一番仲良い友だちに打ち明けましたら「それは娘さんのご縁よ」と私をなぐさめてくれました。
ベレンへ結婚式に行くことになり、親友が我が家に来て、娘へのプレゼントよと言ってサーラ(部屋)で立ち上がり、「秋田長持唄」を唄ってくれたのです。
「♪蝶よナーョ 花よとョー(ハーヤレヤレ)育てた娘 今日はやナ 他人のョーオヤ 手に渡すテーエー ∥笠を手に持ち さらばと云うて 重ねがさねのいとまごいイエー ∥さお立だ お名残―おしや 今度ナー来る時 孫つれてー」
さんざん心配をかけて早結婚するなんて、嬉しいはずなのに心はさみしく、複雑な気持ちが急に訪れ、私は背をゆすり泣いてしまいました。
この民謡が私の心にぴったりだったからです。それからこの民謡が一生忘れない唄になりました。
唄って下さった友だちも一、二年前に亡くなりました。娘はそれからベレンに住んでもう、四十年位になります。四人の孫も大学を卒業して、それぞれの道に進んでおります。
娘も四人の子供を育て上げ、今やっと私のあの頃の心境が分かって来たのか、最近は本当によくしてくれ、年に何度も遊びに来ます。
さて、民謡にはこのような別れの唄や荒波を乗り越えて行く漁師の唄、商いの唄、馬子唄、田植の唄や甚句(じんく=主に七七七五形式で、江戸時代後期から各地で歌った、民謡の一体。節はいろいろ)、音頭など幅が広く、その土地の風景が目に見えてきそうです。
寒い時には心が暖かく、暑い時には心が涼む季節季節の四季が現れます。こんな風に日本のふるさとには沢山の民謡があります。
熟年クラブの民謡教室は尺八、三味線の生演奏です。皆さん、楽しく一生懸命、唄っておられます。この教室を訪れて大変驚きましたのは、三味線の伴奏者が二人もおられ、しかも若いイケメン(=美男子)が演奏しておられるのです。本当に感心しました。
唄う民謡の幅も広く、北海道から沖縄までの唄をそれぞれが唄い、心が暖まる雰囲気に、つい、私もつられて初めて唄ってみました。出来ないと思っていた民謡が、下手ながらも唄えたという満足感でいっぱいでした。やればどなたにでも唄えると思います。どうぞ皆さま、一度教室を訪ねてみてはどうですか? 本当に楽しいですよ。たった一度の人生。楽しみは多い方がよいと思います。
酉年会
サンパウロ酉年クラブ 浜照夫
四月二日(日)、第十九回ブラジル酉年会親睦昼食会が熟連センターにて行われた。
酉年の人と付き添い人、合わせて約三十名がセンターを「鶏舎」にして終日、おしゃべり、踊り、ビンゴ等、楽しく過した。
今回の年男、年女の参加者で、最高齢は九十六歳、次が八十四歳、その下は七十二歳。干支(えと)は十二歳間隔だから、参加者は当然、兄貴または父母のごとく尊敬したり。
少し見方を変えてみると、十二年前の自分がいたり十二年後や、二十四年後の自分の姿にお目にかかれる大変貴重な日でもあったわけだ。もちろん、もし生かせて頂けたなら…。
出席者の中にUさんがおられたので、体験談をうかがった。Uさんはブラジルに囲碁を教えたり、普及活動されながら、ついにこの国に居ついてしまったということで、当時教えた若者が自分より強くなってしまったとか、味わい深い話しが多かった。また将棋や囲碁の世界ではコンピユータと人間との対決が話題となっているが、「勝ち目はどちらに?」の質問に、即答で「コンピュータ」と答え「機械には迷いなし」など現役をうかがわせる言葉が次々と聞けてその顕在ぶりに脱帽した。
「皆で歌いましょう」の時、Nさんのオハコの『♪同期の桜』を歌いながら、歌詞の「~同じ兵学校は~」の所を「~同じ酉年会~」に替えることができるなぁ等と思いながら歌った。
待望のビンゴでは、ハズレくじ無しで、皆さん三つも四つも抱えきれない賞品を手に、「来年の四月第一日曜日」を合言葉に帰路についた。
戻って来ました。鈴木京子です!
「ブラジルはどうですか?」と初めて会う方々に言われ、「日本と変わりません」と答えていましたが、一時帰国後は「ブラジル人は優しく笑顔が素敵です。」と、はっきりと答えることができます。日本人はせわしなく歩き、人にぶつかっても謝らず冷たい人が多いと健康診断の為、東京に二、三日滞在した時に思いました。ブラジル人はまず道を歩いていてもぶつかる人がいないし、ぶつかりそうになると「オパー」と言い笑顔をみせてくれます。何故かホッとしますね。
宮城県に着き三月半ばなのに寒く次の日の朝は雪が降り地面が白くなっていました。帰りまで桜が見られるか心配していましたが、日本を離れる二日前には桜が満開で、雪と桜を見ることができ得した気分です。日本では友人達と会い昼食会や夕食会などをして一ヶ月がアット言う間に過ぎ又、東京で人とぶつかり後ろを振り向いた時に足をくじいて余り動かなかったこともあり、体重は一ヶ月の間に?キロ増えてしまいました。
ブラジルに戻り始めての仕事はイタぺチ老人クラブ万寿会です。壇会長にバスの終点アルジャーに着たら迎えに来てくれると約束していたので、切符を買い電話をしたら日にちが違っているとの事。二十四日(月)ではなく二十六日(水)だそうで切符を慌てて取替えに行きました。さて当日は九時出発なので八時に着いてバスを待っていると掲示板が変わり九時モジ行きと表示されました。『え、ここはアルジャー行きのバスではないの?』切符を確認するとモジと書いてあります。間違って買ったかな?いや、友人がアルジャーと言い買ってくれたはず。キャー、誰に聞く?熟年クラブに電話しましたが通じません。時間が押し迫っています。隣のブラジル人に「por favor japones」と話しかけても答えは「ノー」。ここでひるんでは駄目。切符を見せ「モジとアルジャーは同じ方向ですか?」と日本語で聞く。彼は私が困っているのがわかったようで、携帯で何か調べて私に「携帯に出ろ」と言います。私は「ポ語が分からない」と断ると「ジャポネーザ」と言い携帯を渡してくれました。その電話で「モジでアルジャー行きに乗り換えれば良い」との事でした。礼を言い携帯を返しましたが、まだ不安な私の気持ちを彼は察し自分の乗るバスの運転手にも聞いてくれて「この場所のバスに乗れば大丈夫」と教えてくれました。実は全くポ語が解らないので多分こう言っていたのだろうとの解釈です。バスに乗り三回ほど行ったモジへの道とは違う景色だなぁと思って乗っていますと、なぜか途中から一度だけ行った事があるアルジャーへの景色に似てきましたが、モジに着いてからのアルジャーと思っていたのでボッーとしていたら、「アルジャー、アルジャー」と運転手に声を掛けられ「アルジャー?」と聞き直し「スィン。アルジャー」と言われて慌てて降りました。想像ですがアルジャーを通りモジに行くバスなのですね。壇会長と会いイタペチの会長宅に行く途中、朝のゴタゴタを話すと余りバスを利用しないので、アルジャーが終点だと思っていたそうです。
会長の家に着き昼食前に欄のハウスを見せて貰いました。とても広い場所で色とりどりの綺麗な花々が咲き誇り、そこで働いている方が羨ましく思いました。雨が降ってきたので、いろいろ見られませんでしたが、奥様の手作りの美味しい料理と自家製の味噌で作った味噌汁や自家製の黒にんにくを頂き活力を貰いました。ありがとうございました。
イタペチ老人クラブ万寿会の会場に到着すると、参加者の三分の一は男性でした。車椅子の方が「月一回の例会が楽しみです」と笑顔で応えてくれて明るい会だと思いました。また、私が宮城県出身の方が少ないと『老壮の友』に書いたのを読まれた宮城県の方が声を掛けてくれました。例会は最初に『熟年クラブの歌』など四曲を歌い身体が温まったところでラジオ体操です。皆様大きな声で歌い、体操など元気にやっていました。その体力維持を保つ筋トレと毎日やって欲しいストレッチと呼吸法、脳トレ(手、リズム)などを楽しく笑いながらやりました。その間に看護士さんが来て血圧測定をされて色々とお話しをしていきました。最後にビンゴゲームをやり午後三時半頃終わりました。
帰りは五時五十分のバスで帰る予定でしたが十五分遅れて来ました。帰りもドキドキの連続です。切符を持ってこれで良いのか?この場所に本当に来るのか?時間が過ぎたが大丈夫か?と何回も切符売り場の女性に日本語で聞きましたが、嫌な顔せず本当に優しい方でした。無事、チエテ駅に到着。夜のチエテ駅は広く見え、別な場所かと驚きました。地下鉄に乗っている時に、壇会長から電話があり「メトロです」と答えると「もう、大丈夫だね」との事。「女は度胸、男は愛嬌」と、言っていた会長も心配してくれていたのですね。一日バタバタ、ドキドキなイタペチ出張でした。
感謝のご報告
会員の皆様に集めて頂いております空き缶の爪(プルトップ)ですが、「塵も積もれば山となる」の例え通り、今回もたくさん集まり、ウニメジ・ブラジルより車椅子四台等となり、そのうち一台は憩いの園に寄贈されたと報告を受けました。
このキャンペーンは引き続き行われていますので、空き缶の爪をどうか熟連事務局までお持ち下さい。放っておけばゴミ。貯めれば宝。福祉の小さな手助けになっておりますのでぜひご協力を!
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