移民百年祭
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(最終更新日 : 2019/02/15)
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2018年7月号
2018年7月号 (2018/07/14)
西日本記録的豪雨、お見舞い申し上げます。
ブラジル日系熟年クラブ連合会会長 上野美佐男
全国老人クラブ連合会会長 斉藤十郎様
拝啓 貴会ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。
このたびの西日本を襲った記録的豪雨により被災された多くの全老連会員の皆様並びにご家族の皆様には心よりお見舞い申し上げます。
たいへんなご事態にご苦労も多いことと存じますが、皆様の安全と被災地の一日も早い復興と、平穏な生活に戻られますよう切にお祈りいたします。
まずは取り急ぎお見舞い申し上げます。敬具
日本人ブラジル移民百十年と日本内地の大豪雨
熟連顧問 五十嵐司
一九〇八年、大きな希望を胸に抱き、新天地ブラジルに向かう笠戸丸に身を託した移民の先輩たちがサントス港についてから百十年の歳月が流れました。開拓の苦労は予てより覚悟の上とは言え、日本内地の生活とは打って変わった習慣、そして過酷な労働にも耐えて一家を守り、後進にも道を開いてくれました。そして今再び、これらの開拓戦士たちを偲ぶ記念の日を迎えます。この間、第二次大戦の末期そして直後には、現在の我々が享受しているこの平穏無事な状態からは全く想像もできないような苦難の日々もありました。戦後移住の者たちも戦中戦後、無差別爆撃、敵兵の来襲そして激しい食料難などの苦難を味わいましたが、当地ではまた別の大きな困難に立ち向かわねばなりませんでした。コロニア内の異なる見識と信条の違いに由来する勝ち負け抗争などや官憲そして無理解な民衆などからの圧力や迫害もあり、大変不幸な時期も過ごさねばならなかったのです。しかしながら時は流れ、復興を遂げた内地との交流と自己努力、そして日ごとに深まってきた一般市民との信頼関係によって今日の日系コロニアの確固たる社会的地位が築き上げられたと云えるでしょう。百十年間に培われた日本人の順応性について面白いエピソードをご紹介します。初期移民の一行が受け入れ耕地に向かう途中、与えられた昼食用のパンとサラメソーセージを少しかじった後「こんな臭いものが食えるか」と云って皆道端に捨てていったという記録がありますが、近頃の話で日本に出稼ぎの二世が「どこの店に行ったらサラメやリンギッサが買えるのですか」と街の人に聞いたという記事を読み、今昔の感を覚えます。なお、ブラジル市民の日系人に対する親愛の情と自然災害については「老壮の友六月号」に掲載の拙稿「幸いなるかなブラジル日系人」をお読み頂ければ幸いです。
この程、母国を襲った「西日本豪雨」では暴風と河川の氾濫で過去最大規模の被害が広島、岡山、愛媛、を始めとする日本西部の広範囲に及び、多数の家屋の倒壊と人的被害を与え、犠牲になった死者約百六十名、行方不明者約七十名、多数の負傷者と云われ、数はさらに増え続ける予想と云う新聞、テレビ報道です。わが熟連の古強者も駆けつけて、いくらかの救援のお手伝いにでも加わりたい、との強い思いも、体力的にかなわず、今は一日も早い復旧を遠くからお祈りするばかりです。
新井知里先生を悼む
当会機関紙「老壮の友」短歌欄選者の新井知里先生が、去る七月三日夜十一時半、自宅に於いて入浴中、心臓マヒにて亡くなられました。
翌四日、東本願寺でお通夜が執り行われ、夜八時ビラ・アルピーナ火葬所にて荼毘に付されました。享年八十歳。
新井先生は昭和十三年(一九三八年)一月十七日、長野県飯田市生れ。一九六一年、新井均氏と結婚後、渡伯されました。七二年からは日本語教師として三十年間、教鞭を取られ、日本語教育に尽力されました。また、その間NHK短歌特別賞をはじめ、数々の短歌大会に入賞し、九六年には宮中歌会始、御題「苗」にも入選され、両陛下に御謁見する栄も受けられました。定年後は移民史料館の案内ボランティアをするなど、社会活動も活発にされていました。
「老壮の友」短歌欄選者には、二〇一五年四月から藤田朝壽先生の後を受けて担当して下さり、高齢歌人会員が減少する中、新人を意欲的に勧誘して下さり、また、日本への投句を勧めるなど、短歌欄の充実に努めて下さいました。ここに会員一同心よりご冥福をお祈り申し上げます。
なお、四十九日法要は、八月十九日(日)午前十一時より東本願寺にて執り行なわれます。
帰国に際して
JICAシニア・ボランテイア 鈴木京子
代表者の皆様、今日この私にとっての最後の代表者会議に出席出来ないことをお詫びします。
右も左もわからない私を、熟年クラブまで朝早く迎えに来てくださり一緒に皆様のクラブに連れて行って貰い、楽しく活動できた事に感謝しています。
また、毎回迎えに来ていただいた会員の方々、本当にありがとうございました。一品持ち寄りの手作りの美味しい料理に舌鼓をうち、ビンゴが盛んなことに驚きながら、ビンゴの景品で洗濯や食器の洗剤、また、お米や醤油までも当たり、嬉しくてJICAボランテイアの青年たちに自慢をしていました。
蘭の花やサボテンなど花も当たり、自宅で飾ったり熟年クラブのお地蔵様に供えたりしました。今、アパートにはセントポリアの花が咲いています。その花達は金藤さんや友人に
養女に出して可愛がってもらいますので、安心して帰国できます。
手紙を書いていて、二年間にいろいろな場所の各クラブの活動と、また、熟年クラブに配属してすぐに芸能祭で古本の売り子になったり、カラオケ大会では弁当売りと楽しく会員の方々と活動出来たことに感謝し、皆様とお話しをして一緒に笑った事や、ゲームをして笑った事を思い出して一寸涙が出てきました。手紙を会長に読んでもらい正解です。私は泣いて最後まで読めなかったと思います。「鬼の目にも涙」って誰か言っていますね。遠くに居ても悪口は聞こえていますよ。それは嘘です。
最後の活動でカラオケ大会の審査員をさせてもらいました。人の歌を審査するなんて、なんて大それた事か。でも、審査員の一人の方が当日休みなので、仕方なく代役を引き受けましたが、本当に難しいですね。発音が違うだけで違う歌に聞こえてしまい、発音の大切さが分かりました。また、緊張してしまい声が上ずっている方など、もっと普段は上手なのにと思って点数をあげたいが、そうもいかず、知っている人に甘くなってもいけないと、大げさに言うと自分と戦いながら点数を付けました。「そんな事はない」と、ここで皆さまと笑ってください。あはは…。
熟年クラブ代表者の方々、大いに笑ってくださいね。一日を楽しく笑って過ごしてください。笑うから楽しいのです。健康で長生きしてください。皆さまの健康を祈っています。本当にお世話になりました。ありがとうございました。
がんばっています!「九十八歳会長、河中司さん」
サンパウロから北へ九十キロ。アチバイアのお隣りにナザレー老壮会があります。創立は一九七五年ですから、今年で四十三年になります。会員数は七名と小会ながら、年末助け合い募金などにも率先して協力して下さいます。
さて、このナザレー老壮会の会長・河中司さんは、現在、熟連一のご高齢会長さんで、今年九十八歳になります。
毎月第三水曜日に最寄りの会館に集まり、例会を行います。例会と言っても、会員もご高齢者ばかりなので、娘さんやお孫さんが一緒に出席をしたり、送迎の面倒をみてくれます。
それぞれがご馳走を持ち寄り、食べながらのおしゃべり。その後、ビンゴを楽しみます。ビンゴの景品代は、日会が持ってくれるそうですが、賞品集めや買い出しは、河中さんと娘さんが準備するそうです。月一回のお話とビンゴ、美味しいお食事を皆、楽しみに待っているそうです。河中さんの会長歴はもう十年以上になりますが、皆、高齢でなかなか次のなり手がいないので、がんばっているのだとか。
河中さんは一九二〇年、山口県生まれ。一九三三年に十三歳で渡伯。一男四女をもうけました。五十数年という人生の大半を炭焼き一筋で過ごし、十年前まで毎月四千俵以上の炭を出荷していたそうです。
目も耳も弱っては来ていますが、自分のことは全部自分でされています。
河中さんの四女の美津子さんは「パパイは用のない時は横になるとすぐに眠ってしまいます。でも、人一倍働き者で、努力家の父です。若い時から酒もタバコもやらなかったし、ただただ働き、家族と人のために尽くしてきました。いつまでもがんばって欲しい」と語っています。
ジュンジアイ睦会を訪ねて
サンベルナルド松寿会 片田甲子巳
五月十六日水曜日に上野会長と私とJICAの鈴木京子先生と畠中事務局長の四人で、ジュンジアイ睦会の五月の定例会に参加させて頂きました。
私は何事も初めての体験で、ましてや他の会の例会に参加させて頂き、大変感動し、勉強にもなりました。
この日は朝七時に熟連を出発し、ジュンジアイの町には結構早く着きましたが、途中道に迷いながら、お墓の向かいの会館をめざし、GPSと戦いつつ、車内は笑いながらの道中でした。
最初に驚いたのが、会館の敷地面積が広いのなんのって、また管理が行き届いており、雑草一つない素晴らしい施設にグランドでは十数名の選手の方がゲートボールの練習をされており、まず一つ目の感動がじわっと来ました。
案内されて会館の中へ。「わぁ~広い!大きい!素晴らしい!」。六十人分位あるだろうと思われる椅子とテーブルが、何と会館の端っこの方に申し訳なさそうに並べられています。このブラジルらしい、でっかい会館にジワジワっと二つ目の感動が押し寄せて来ます。そこでまた度肝を抜かれたのは、舞台近くに並べられたビンゴ景品の数々!壁に君臨している大型テしビジョンが二台、すべてパソコンで管理されています。
一般的に定例会といえば、黙祷、会歌、体操、会計報告、誕生会、その後ビンゴゲームやレクリェーションという流れで運営されます。でもジュンジアイ睦会では西一人会長を中心に会員様とのスクラムががっちり組み合って、定例会の目玉である運動とビンゴゲームもコンピュータで操作され、元気一杯進んで行きます。
まず定例会は体操からです。ラジオ体操第一が始まります。参加メンバーがみんなで元気いっぱい体を動かします。続いて、ラジオ体操第二!「え~、すごい」と思ってるうちに、続きまして健康表現体操の『北国の春』等、どんどん続きます。
このあと鈴木京子先生の健康ゲームに大笑い体操、そして大きな声を出して歌う熟年賛歌に老人クラブの唄とまあ、びっくりするやら楽しいやら、ジュンジアイ睦会の皆様の元気の源がここにあったのだと、改めて再確認させて頂きました。
誕生会に議事報告の後、昼食会がありました。昼食は皆様の持ち寄りという事で、これもまた美味しそうな品がずらり、最後のソブリメーザまで、遠慮しないでしっかりいただきました。
お料理の中には、まさかブラジルでいただけると思っていなかった、わらびの煮物があり、美味しさと懐かしさと感動で、お腹も心も満たされました。
昼食後は待ちに待った、ジュンジアイ名物ビンゴ大会の始まりです。毎月のこのビンゴ大会は皆様、楽しみにされていて、参加人数が八十人位になっていました。その景品の種類と量の多さには驚きっ放しです。例えば、季節の野菜、レンコン、長ネギ、青梗菜、大根やら、日用品では洗剤、柔軟剤、台所で使う醤油からお米、食用油に至るまで、ありとあらゆる製品が所狭しと並べてありました。ちょっとしたスーパーも顔負けです。これらの製品のほとんどが会員様の寄付であることをビンゴが始まる前に、大型テレビで紹介されていました。
感激している私の目の前に飛び込んできたのが、新鮮なレンコンです。もしこれが当たったら、きんぴらと煮しめが一度に味わえるじゃありませんか。もう狙いはレンコンー本です。浅ましさに勝る欲の皮がツッパった顔になっていた事でしょう。そしてビンゴのやり方にも注目しました。一枚のチケットで、初めは縦横が揃ってビンゴ、四隅が揃ってビンゴ、最後に全部のマスが埋まってビンゴ、それぞれに景品が違います。これが十五レアルで三回分ですから、とても嬉しくなりますね!つまり、なるべく多くの人にビンゴのチャンスが来るようになってます。まだチャンスがあるぞ!という期待感で、否が応でも盛り上がってしまいます。かなり盛り上がったビンゴ大会が終わる頃、私の膝の上には、景品の山がありました。そして最後のチケットには最後のチャンスが残ってました。最初に三枚目のチケットの裏に名前を書いておいてください、と言われた理由が解りました。最後の最後はLIXOという形で収集され、抽選でまたまた景品が当たります。因みに私はしっかりレンコンが当たりました、にも関わらず、お隣様が当たったレンコンまでも頂戴してしまいました。図々しいにも程がありますが、遠慮ができない性格なのであります。
定例会は無事終了し、楽しかった時間を皆さんと共有できた事は、私の心の財産になりました。本当にありがとうございました。
私は今年の初め、援護理事という大役を拝しました。熟年クラブの活動はおろか、右も左も全く解らないままお引き受けしてしまいました。
一九五三年生まれ、巳年の日本男子、健康優良爺であります。これからも皆様の足を引っ張らないよう精進致しますれば、諸先輩方のご指導、ご鞭撻の程、よろしくお願い申し上げます。
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