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(最終更新日 : 2019/02/15)
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2018年8月号 (2018/08/15)
第42回熟年クラブ芸能祭、総領事も楽しまれて
七月二十九日(日)静岡県人会会館にて開催された熟連第四十二回芸能祭。前日昼過ぎから準備が始められ、商品や会場作りに必要な機材がカミニョネッチ(トラック)で熟連から会場まで運ばれた。それらの運搬は結構、重労働なのだが、今年は熟連宿舎に寄宿している青年も手伝ってくれ、大助かりである。
当日は朝から上天気で、七時頃には三々五々、会場入りが始まり、階上のバザーもにぎわい始める。
定刻八時より少し遅れて八時半開幕。
司会は今回もベテランの藤瀬圭子さんにお願いする。最初に中川浩己実行委員長より開会の辞が「我々熟年クラブの芸能祭も四十二回を迎え、また今年はコロニア移民百十周年と云う節目に当たり、先輩移民の方々の苦難と努力の御蔭を持ちまして、私たち熟年クラブの芸能祭を迎えられる事を心から感謝するものであります」と述べられた。
次いで開幕演舞となり、これも毎年恒例のようになっている玉井先生の舞踊教室生徒さんによる「熟年讃歌」「人生これから」が披露され、午前の部が始まる。
今年の出演番組総数は七十一で、昨年より少し下回っており、締め切りを過ぎてもなかなか出揃わず、関係者をヤキモキさせた。「来年こそは早めに申し込んでもらいたい」とは担当理事の西さんの言葉。
十一時半頃にはサンパウロ総領事も到着され、式典に移った。舞台には、上野美佐男会長を始め当会役員、そして来賓として野口泰サンパウロ総領事、重田エウゾ文協副会長、塩野彰ブラジル日本民謡協会会長、各教室の先生が登壇。
挨拶の中で野口総領事は「皆さんのように趣味を持って健康的に長生きする生活モデルをブラジル社会に広げることによって、さらなる貢献をなされることは素晴らしい事だと思います」と語られた。
式典後も演目は続き、昼食を挟んで午後の部が始まる。
今回は七夕祭りなど、複数のコロニアの催しものが重なり合い、バザーへの客足はいつもより少なめであった。しかし終日、日本語教室の斎藤市美先生、ポルトガル語教室の岩崎ルリカ先生、JICA新任の岡田みどりボランティアらが会員ボランティアにまじりバザーの売り子を引き受けて下さる。
今回も複数の番組に出演する人を考慮したプログラム構成で、合間合間にはコーラス(足立弘子先生)、練功(寺田洋子先生)、体操(川添敏江先生)、民謡(会田郁子先生)、舞踊(玉井須美子先生)、抒情歌(黒木慧先生)などの教室発表が各教室の先生の協力で演じられた。中でも体操教室生徒五十四名による今年の移民百十周年を記念した中平マリ子作詞作曲の「♪手渡された百十年」は舞台、会場の通路を全部使って演じられ、大きな拍手を受けていた。
祭りの最後は恒例の福袋の抽選があり、これも今年はお米五キロという大盤振る舞いで、最後まで会場に残っていた観客を大変喜ばせていた。
来年への課題も色々垣間見えた第四十二回芸能祭であったが、今年も皆々様のご協力で、無事、終了することができた。ありがとうございました。
Muito prazer(はじめまして)
JICAシニア・ボランテイア 岡田みどり
はじめまして。日本から来ました、JICAから派遣された岡田みどりです。二年間熟年クラブ連合会でお世話になります。よろしくお願いします。
日本では、障がい者支援施設で作業支援員として働いていました。施設では十八歳から七十七歳の方が働いていました。作業をしたり、レクリエーションをしたり、障がいを持っていても皆さん明るく個性豊かな方ばかりで、毎日いろいろな変化がありたくさんのパワーをもらっていました。
家族は、主人と娘二人、主人の母の五人です。
主人の母は九十歳で、五年前に犬に飛びつかれ、尻もちをつき圧迫骨折になってしまいました。二か月起き上がれませんでした。介護は大変でしたが、なんとか日常生活が送れるようになりました。しかし長く寝ていたためでしょうか、足が弱り、外出しては話をすることが大好きだったのに、杖や押し車がないと外出できなくなってしまいました。あまり外へも出なくなってしまいました。そんな母の介護を通して、高齢になったら転ばない事、そして、いつまでも歩くためには、筋肉がとても大切だと教わりました。
私の出身の愛知県岡崎市では、高齢者のための筋肉をつける体操や、認知症予防のゲームが盛んに行われており、皆さんにもお伝えしたいと思っています。
不慣れで、ご期待通りにはいかないかもしれませんが、精一杯活動させて頂きますので、よろしくお願いします。
さて、七月十日にブラジルに来て、早いもので、もう一か月がたちました。生活にも少しずつ慣れてきました。
私がブラジルに来て驚いたのはフルーツのおいしいこと。そして何という安さ。マンゴーをおなか一杯食べられるなんて、とても幸せ。持ってきた洋服が着られなくなる日もそんなに遠くない気がします。
驚いたことの次は、失敗したこと。
その一、家の近くで道に迷いました。一ブロックを左へ、次も左へ、もう一度左へ曲がれば元の場所に戻って来られる。と頭の中でイメージして散歩していたら、全然見たことのない場所へ出てしまいました。人の流れの多いほうへ行ったら大通りか、メトロの駅に行けるかもしれないと思って歩きました。ますますわからなくなりました。とりあえずコーヒを飲んで落ち着こうと思い、パン屋に入りました。覚えてきた単語を並べて隣の人に聞きました。私が理解できていない様子だったからだと思います。何度も教えてくれて、おかげで無事に家にたどり着けました。
失敗その2、水を二日に一本買っていました。帰り道、「今日も一本買わないと、明日の分がない」と思い、店に入ると大きな水があるではないですか。一人で持ち帰れそうな六リットルを買って帰りました。これで一週間くらい水を買わなくてもいいわ。と思い、いざ開けようとしても開きません。びくともしません。握力がなくなったのかしら? 何度も何度も右手でやったり、左手でやったり。タオルを使ったり、ゴムを巻いたり。そのうちに手が真っ赤になってしまい、降参。誰かが来た時に開けてもらうことにして、飾っておくことにしました。これは、サーバー用だったんですね。
はじめての一人暮らし、はじめての海外生活。これからも、いくつも失敗しながら覚えていくのだと覚悟しています。でもみなさん助けを求めたら、その時はお手伝いしてくださいね。よろしくお願いします。
イタケーラ寿会、サントス日帰り旅行へ
イタケーラ寿会 北川宏信
イタケーラ寿会はこれまで年に一回慣例の「憩いの園」訪問をしてきました。
しかし、今年は日本移民百十周年の年でもあるので戦前、戦後この地に大きな夢と希望を持ってその第一歩を印したサントス港と「移民の家」の見学をすることになりました。その「移民の家」とは『援護協会四十年史』によると、
「その当時、移住者の通関手続き、両替、入植先の紹介等の業務に手間取り、その間、昼は炎天下で行列、雨の日や夜は倉庫の軒先で雨露をしのぐ状態で、老人や子供たちは大変であった。そこで当時の海協連が「移民の家」として購入された。」ものだそうです。
それが現在では「サントス厚生ホーム」となっています。
この日帰り旅行は、寿会の年間行事の一つとして年始めに決められました。会員の皆さんはその日が来るのを楽しみしておられますので、先方の「サントス厚生ホーム」と連絡を取り、日時を調整し、五月二十二日(火)と決まりました。
そこで未知の所でもあるので、下検分にと一週間前に四人で行ってみましたが、さすが案内人無しでは歩けません。五月の例会に会員の皆さん一人一人に電話で参加の有無を確認したところ、十九名が希望されました。その後、増減があり二十二名で行くことになりました。
当日の朝は十四度で肌寒かったです。バスを待つこと四十分。予定の十分前に来たバスが四十八人乗りの大型バスで、皆さん驚きましたが、「大は小を兼ねる」で、乗り心地にも安定感があります。無事、サントス厚生ホームに着きました。
ホームの前で今回案内して下さる桑原邦夫様、Sihnaraさん、JICAの与那覇さんらが出迎えて下さりました。
ホーム内を案内してもらい、近くに日本人が経営しているセルフサービスの日本食堂がありましたので、そこで昼食をすることにしました。
ところが、その食堂にバスを横付けるのに一苦労。道が狭いのと、バスが大きのが重なり、曲がり角では前後ずらすこと十五分。ようやく食堂に着き、活きの良い魚の刺身と握り寿司などを頂きましたが美味しかったです。午後の市内見学もホームの方にお願いしました。
最初に案内して頂いたのは、サントス市営水族館です。
水槽の数三十一槽で、淡水と海水合わせて百三十万リットル。百五十種約四千匹の魚たち(たこ、カニ、サメ、ペンギン、飛び魚、Raia Prego=エイ)が仲良く泳ぎ回っているのは楽しかったです。
次はすぐ近くのサントス市営の「ホベルト・マリオ・サンチーニ公園」へ。海に面した広い公園に巨大な芸術作品が配置よく建ち並びます。すぐに「日本移民ブラジル上陸記念碑」の銅像が目にとまりました。
これは二〇〇八年六月二十一日、日本移民百周年祭に徳仁皇太子がお見えになった時にHomenagem(=敬意を表し)で、建てられたそうです。
また、併せて日系人芸術家の大竹富江氏による真赤に塗られた巨大モニュメントRestauracaoEsculturaがサントスの青く広がる海原を背景にとても目を惹かれます。皆で記念写真を撮って帰路につきました。
今回の旅は、高齢者でもあり中には足のご不自由な方もおられ、心配していましたが、案内をして下さった厚生ホームの方が車椅子を用意して下さり、全員無事に楽しい一日を過ごすことができました。
紙面を借りて、心より御礼申し上げます。
それから後日談ですが、二日後の二十四日に、突然カミニオン(トラック)のグレーべ(スト)で、全伯の道は混乱状態に。もし、日が少しでもずれていたら…と思うと、冷や汗が出る思いでした。
西日本豪雨災害、義援金ご協力のお願い
西日本豪雨災害による死者はすでに二百人を超え、床上床下浸水は約三万五千棟もあると言います。河川や道路、家屋の復旧作業はまだまだ先の見えない状況の中にあります。
また、逆走台風の追い打ちもあり、その被害は広範囲かつ甚大なものとなっております。
熟連では、七月末より、その救済に少しでもお役に立ちたいと、義援金の募金を行っております。
各支部倶楽部、個人会員の皆さま、金額の多少にかかわらず、その真心を事務局までお寄せ下さい。なお、募金の締め切りは八月末日までとさせて頂いております。
どうぞ、よろしくご協力の程、お願い致します。集まったお金は全老連を通して、各被災地に送られます。
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