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(最終更新日 : 2019/02/15)
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2018年10月号 (2018/10/20)
第五回熟年祭り開催、中平マリ子さん特別出演
去る九月二十九日(土)九時半から熟連会館において、熟年祭りが開催された。これは以前、援協、憩の園、老ク連、ゼニブラ(日系高齢者研究グループ)の四団体が共催で行っていた「老人週間」が前身で、その後、援協、熟連だけが単独で行っている。熟連では「熟年祭り」と称して行っており、今年で五回目となる。
上野美佐男会長の挨拶で九時からは始まり司会は片田甲子己援護理事が担当。約百名が参加した。幕開けは川添先生の健康表現体操で、椅子に座ったまま「♪荒城の月」「♪七つの子」などを皆で音楽に合わせて体操した。続いて片田援護理事が皮膚を引っ張る整膚(せいふ)マッサージの概要を面白おかしく説明し、皆、大笑いしながら身近な話として真剣に聞いた。
続いて毎年七月の日本祭りに合わせ来伯している中平マリ子さんが歌で特別出演。中平さんのブラジル訪問は今年で十五年目となるが、毎回コロニアの福祉団体や文協などに様々な形で援護活動を行っており「皆様とこうしてお会いし、歌を届けられることが私の生きる力となっています」とご自身の思いを語られた。歌に入り、最初は「♪同胞の歌」から始まった。これは南米へ移民を送りだす時に歌われたもので、今ではこの歌を知っている人は少ないが、玉井相談役をはじめ、幾人もの人が一緒に歌い「懐かしい、なつかしい」を連発していた。今回、中平さんには前もって皆が希望する歌をリクエストしていたのだが、大変な数になっていますので…と、その中から唱歌や美智子皇后陛下「♪ねむの木の子守歌」やひばりの「♪哀しき口笛」など十五曲を熱唱。参加者も共に歌った。
また、途中、熊本県へ行った時、ある地方で教わったという炭鉱節の替え歌を披露。その歌詞には参加者一同大いに同感。大盛り上がりで会場は沸いた。その歌を後記しておく。
十時半から十一時半までは玉井先生の踊り教室で、「♪熟年讃歌」「♪十日町小唄」などが披露され、その後、足立先生とコーラス教室のメンバーが「♪森へ行きましょう」を参加者に指導。共に合唱を楽しみ、最後にはコーラス部員がきれいな歌声を響かせ会場を和ませてくれた。
お昼にはおにぎりとサンドイッチの軽食で約四十分間の休息をとり、午後からは寺田先生の練功体操。最後に岡田みどりシニアボランティアが「一人ジャンケン」を指導した。
また、二階では去年も大好評だった血圧と血糖値検査が行われた。これは辺原副会長の御厚意で、御息子の辺原クレーベル医師と看護士二名がボランティアで会員の血圧と血糖値検査をして下さったもの。五十六名の方々が朝八時から十一時まで列をなして、診断してもらった。
隣接する教室では、石井先生の絵手紙教室も行われていて、絵手紙体験で賑やかに過ごしていた。熟連内の教室を披露しながら、さまざまな催しで皆、楽しみ、最後にはお土産ももらい「熟連の敬老の日」は和やかなうちに終了した。
尚、終了後も片田援護理事の無料整膚マッサージを受ける人が延々と続き、初めての整膚マッサージ体験に興味が尽きない様子だった。
ところで日本でも九月十五日から二十一日までの一週間のことを「老人週間」とし、老人の日と同じく二〇〇二年(平成十四年)より実施されている。
老人週間の最初の日が「老人の日」でその歴史は古く、一九五〇(昭和二十五)年九月十五日に「としよりの日」という名前から始まり、一九六三(昭和三十八)年に「老人の日」と改名され、「老人週間」と同じく高齢者のことを考え、高齢者自身にも意識を持って生活を向上して欲しいという願いのこもった日となった。
その後、一九六六(昭和四十一)年には「敬老の日」と改名され二〇〇四(平成十六)年からは九月の第三月曜日と定められている。長年、社会に貢献し生活してきた高齢者を愛し、長寿を祝うという意味合いが込められており、そんな先輩方に対して、若人ができることは何だろうと社会に向けて考える祝日でもある。
ブラジルでは比較的、若人がメトロでも率先して席を譲ってくれるし、公共交通が無料だったり、銀行やスーパーのレジでも高齢者を優先してくれる制度があり、非常に優しい国である。移民した当初、苦労を重ねてきた人々が年老いてこのようなサービスを受けられることはありがたいことだと思う。
♪炭鉱節替え歌
〈歌詞〉
一・年は逆さに取るものよ ヨイヨイ
一年一年若返り 愚痴や頑固は皮むいて
若者たちの仲間入り サノヨイヨイ
二・うちの娘は よその嫁 ヨイヨイ
よその娘がうちの嫁 三千世界を歩いても
死に水取るのはうちの嫁 サノヨイヨイ
三・しわも白髪も何のその ヨイヨイ
むかし文金高島田 海千山千くぐったり
世話も苦労もくりぬいた サノヨイヨイ
四・今じゃ年金頂いて ヨイヨイ
私しゃ達者で歌が好き 時に炭鉱節歌います
やがて米寿の祝い酒 サノヨイヨイ
五・一番の繰り返し
第一回お笑い大会、ジュンジャイ睦会で開催
十月三日(水)、ジュンジアイ睦会に於いて「第一回お笑い大会」が開催された。これは山口県防府市で行われている「笑い講」にちなんだもので、睦会会員で山口県出身の田中日出夫さんの提案によるもの。
今回の大会は初めての試みであることから、実行委員長は提案者の田中さん。審査員は熟連の上野美佐男会長、中川浩己副会長、玉井須美子相談役、岡田みどりシニアボランティア。また、ジュンジアイ日本人会からは竹富アウグスト会長代理が担当した。
九時十五分、全員でラジオ体操の後、片田甲子己援護理事の開会の辞で始まった。まず黙祷、熟年讃歌の斉唱の後、田中実行委員長の挨拶と笑い講の説明があった。来賓祝辞と進み、十時からはいよいよお笑い大会本番の始まりである。
記念すべき大会の第一番目は西会長がお手本を示し、次々と司会者の片田さんが名前を呼んでマイクを持って参加者を回る。一人一分三回という持ち時間だが、一分間は結構長い。たいていは一分に満たないで終わってしまう。また、この審査が難しい。一応、三つの審査基準①笑顔②声量③態度(真面目さ)によって審査する。
全出場者五十八名が笑い終わったのが、十一時四十分ごろ。最後は審査員も笑いを披露。全員で記念撮影をして終了。午後は岡田シニアのレクリエーションとビンゴで楽しみ、閉会となる。お笑い大会の結果は下記の通り。
特別賞:和田ちどりさん(九四歳)、堤清之介さん(八九歳)
一位: 高尾憲一さん(七七歳)
二位: 嘉悦千恵子さん(七二歳)
三位: 斎藤敏雄さん(七七歳)
四位: 山崎美子さん(七八歳)
ちなみに「笑い講」は山口県防府市大道小俣地区に鎌倉時代より伝わっている神祭で、その年の収穫に感謝し、翌年の豊穣を祈念する神事で豊作物を奉納する。それと一緒に様々な決め事にのっとり三回の笑いを神様に献上する。
笑いの第一声は、今年の豊作を喜んで、第二声は、来年の豊作を祈って、第三声は、今年の苦しかった事、悲しかった事を忘れるため。
Muito Difìcil. 難しいです
JICAシニア・ボランティア 岡田みどり
ブラジルに来てもう二か月がたちました。熟年クラブでは会員の方がいろいろ教えて下さり、わからないことを質問すれば、その方だけではなくその場にいる皆さんが助けてくれます。おかげで生活にはずいぶん慣れました。しかしポルトガル語の方はさっぱりです。聞き取りが特に難しいですね。明日はこの文を使ってみようと調べて覚えますね。いざ使ってみると、それに返ってくる言葉がわからない。会話にならないんです。速いし、単語が短縮されている。(と思われる。)
そこで今回の失敗の話は会話です。その四になります。
フェイラは野菜や、フルーツが新鮮ですね。少しでもポルトガル語の練習になるかな?と思ってよく出かけます。メルカードでは、あまり魚を見かけないので、その日は魚を買おうと思い眺めていました。名前は全くわからなかったのですが、白身のタラのような切り身があったので、「ウン、ポルファボール」と指さすと、おじさんが袋にすごい勢いでどんどん切り身を入れるじゃないですか。「ノン!ノン!」と言って止めてもらい、もしかしたら「ウン」の発音がいけなかったのかな?と思い、「ドイス」と言うとおじさんは「ドイスキーロ?」と聞き、さらに袋に入れるスピードが速くなりました。あっ。そうかキロ単位なんだとわかり、でも今度は一枚二枚の「枚」の単語がわからない。次のお客さんは待っているし…「ドイス、ドイス。ポルケ ソジーニャ(一人だから)。」でようやくわかってくれて、二枚だけ買うことができました。ほんとは一枚でよかったんですけどね。それも言えずに、冷凍すればいいわ。と思い帰りました。早速、「枚」はポルトガル語では何というのか調べました。「ペダッソ」と出ていました。一枚とか一切れというときに使うのですね。
次の週またフェイラに行き、今日は「ウン、ペダッソ」を使おうと、昔話の団子の男の子のように「ペダッソ、ペダッソ」と言いながら魚屋さんに行きました。すると顔を覚えられたようで、「おはよう!」と日本語で声をかけられ、せっかく覚えてきた「ペダッソ」を使わなくても買うことができてしまいました。
『団子の話』
むかしあるところに、忘れん坊の男の子がいました。
ある日男の子は、お母さんに頼まれて、隣村のおばさんのところへ届け物をしました。おばさんは、「よう来たなぁ。これ食べて行きなさい。」と見たことのない丸くて、白いものを出してくれました。男の子はひとつ食べると、「うわぁ。すごくおいしいね。」と言い、もうひとつ。もうひとつ。といくつも食べました。「おばちゃん、これなんていうもの?」と聞きました。おばさんは、「これはな、団子というんだよ。おまえの母さんも、おいしい団子を作るから、帰ったら頼んでごらん。」といいました。
男の子は帰り道、「だんご、だんご、おいしいだんご」と唱えながら歩きました。しばらく行くと小川がありました。男の子は濡れてはたいへん母ちゃんに叱られると思い、「どっこいしょ」と掛け声をかけて小川を飛び越えました。「あー。濡れずにすんだ。よかった。よかった。」そして、男の子はまた唱えながら歩きだしました。「どっこいしょ、どっこいしょ、おいしいどっこいしょ」
家に着くとすぐに、「母ちゃん、母ちゃん、おばちゃんの家でおいしいどっこいしょ食べたよ。作っておくれよ。」と言いました。「なんだいそれは?どっこいしょなんて変な名前だねぇ。」「おばちゃん言ってたよ。おまえの母ちゃんも、おいしいどっこいしょを作るから帰ったら頼むといいよって。」「知らん、知らんそんなもん知らんよ。」男の子が「作って。作って。どっこいしょ作って。」と言って騒ぎ出すと、あんまりうるさいので、お母さんは「うるさい!何度言ってもそんなもん、知らんよ!」と言ってげんこつで男の子の頭を叩きました。
「うぇーん。母ちゃんがぶったー。」男の子は泣き出し、頭には、こぶができてしまいました。「あれあれ。おまえがあんまり騒ぐから、団子みたいなこぶができたじゃないか。」といいました。すると男の子は、「あ、だんごだ。だんごだ。」と言いました。
チャチャチャ・バンブー
何のことだと思いますか?
熟連謹製の竹の割りばしを使った肩たたきの道具です。先日の熟年祭りでも紹介し、四十名ほどの皆様に差し上げ、大変に好評です。
これはリベルダーデのラーメン屋さんで一日に使い捨てる竹の割りばしの量が大変多量であることを知り、書道教室の若松先生が「もったいない。何とかならないか?」と考案したのが、上記の品です。
竹製ですので、叩くととても良い音がしますし、丈夫です。束にしたものですから、当たりがとても柔らかで気持ちが良いのです。頭、肩、腰、足、背中とどこを叩いても良く、血の巡りが改善され、健康になります。また、袋に入れて足踏み用に使うこともできます。
その他、音もいいので、踊りや体操の鳴子代わりに使っても調子が取れ、盛り上げに一役買うこと必定です。
写真はシンプルな試作品ですが、色を付けたり、リボンを付けたり、ご要望に応じます。一度、試してみることをお勧めします。
♪チャチャチャ・バンブーの歌(メロディーは「おもちゃのチャチャチャ」で)
〈歌詞〉
割り箸 チャチャチャ
わりばし チャチャチャ
竹の割り箸 チャチャチャ
肩を叩けば 軽くなり
腰を叩けば シャンと伸び
足を叩けば 踊りだす
魔法の割り箸 チャチャチャ
割り箸 チャチャチャ
わりばし チャチャチャ
チャチャチャ バンブー チャチャチャ
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