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(最終更新日 : 2019/02/15)
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2005年6月号
2005年6月号 (2005/06/22)
父の話「あるペルー移民の足跡」
レジストロ春秋会 清丸米子
私はペルー移民の子です。父の名は佐々木定一、母はリユウで。父は大正四年の今から九〇年程前に、友人一人と従兄弟と三人でペルーの国に移民したのです。
その時、父はもう結婚してゐて、日本には二人の子供(兄三才、姉三ヵ月)と妻、そして母(私の祖母)がいました。
父の故郷は八丈島です。小さな島で、昔は悪者を流した島だという言い伝えがあります。唄にまで
「遠くで見た時やーああー。八丈鬼が島と見たが、来て見りゃ八丈。情け島 ああコリャコリャ」とあります。
今でも八丈観光バスに乗ると、最後に此の唄を唄って別れます。島に残った母は二人の子供を抱え、そして祖母を看る大責任を持ってゐたのです。父は家族が止めるのも聞かずに、母には「三年たったら沢山のお金を持って帰るから、我慢をして待ってゐてくれよ」と云って別れたそうです。
ペルーに着いて驚いたのは、半年たっても一年過ぎても一粒の雨も見ることがなかったことです。それでも、先輩の沖縄県の人達と野菜作りに精一杯働いたそうです。
ペルーに着いた当時に住んだ家は、掘っ建て小屋のあばら屋で、屋根は木の枝や椰子の葉でふいてあり、夜、寝て上を見ると透き通ってお星様がキラキラと見えたそうです。
雨の降らない国、小遣いも残らない所でどんなに頑張っても、日本に送る金は僅かでした。そこで、こんな国にいたらお金が儲かるどころか、自分達の健康状態まで狂ってきそうなので、今度はボリビアへ行ったそうです。
ボリビアでは、鉄道線路工夫として働きました。もう既に麻薬がのさばっている国で、あまり見込みがないと思いながら一年くらい働いて、今度はチリの国へ行ったそうです。
チリは日本の海と同じで、とても良い魚が沢山とれ、日本で慣れていた漁師として働きました。魚は沢山とれましたが、これを売るのはとても大変だったそうです。チリは細長い国で、片方は海に面し、反対側はアンデスの険しい山が続いてゐますが、とても住み良い国だったため、つい三年といふ年月がたってしまいました。 仕事はあったものの、お金は儲からず、その時になって三人は「ブラジルだ!金の成る木のあるブラジルに行こう」といふ決心をしました。
夜逃げするしか方法はない。それで三人はカラビーナ、磁石(ブッソラ)とハンモック、大きなファッコン(山刀)を揃え、懐中電灯を持って夜半に出発しました。険しい山に次々と登り、川に行き当ると木を切ってシッポーで筏を組んで川を下りました。
一番怖いのはオンサ、大蛇、人食い人種の蛮人ですが、幸いそうしたものに行き当らずに、何ヵ月か歩いた後、たどり着いた町はベレンでした。ベレンで一番先に知り合ったのが日本人の測量技師で、仕事のことを尋ねると、すぐ明日から働けと云われ、その通りに三人はピッカドンあけに働きました。
或る日、大きな大木のような物が動くので測量技師を呼んでくると、何とそれは巨大なスクリューだったので三人ともびっくり仰天しました。測量技師はそれを撃ち殺して、腹を裂きました。キレイな肉だったので、友人がみんなの止めるのも聞かずに食べたところ、その肉のせいか身体はブクブクに腫れて、とうとう死んでしまいました。それを見た父は、「こんな所にいたらスクリューの餌になってしまう」と、今度は従兄弟と二人でアマゾンに行き、ゴム園に働きました。
ようやく仕事にも慣れ、落着けると思っていた矢先、今度は恐ろしい病気マレッタ(マラリア)に取り付かれてしまいました。四十度の熱で父は倒れてしまい、付近の人達も次々と寝込み、弱い人から死んでいきました。父も震えと熱が毎日続きましたが、キニーネを飲み少し良くなったので今度は、一人でサンパウロ州の金の成る木の所へと急ぎました。
長い長い旅から旅の末にやっと、モジアナ線に流れ着いたそうです。カフェの樹を見た時には、はじめて自分の思いが叶った思いで、それからは夜昼仕事のある限り働いたそうです。
その後、日本を出てから十四年目にソロカバナ線を下り、カフェザルで儲けたお金でレジストロに来て、初めて求めた土地がラッポーザの土地なのです。
やっと準備が出来たので、十五年目に父は日本に家族を連れに帰ったのです。十五年というと日本に残して来た三才の息子は十八才になり、生後三ヵ月の娘は十五歳。妻は年を取り、母親はおばあさんになってゐて、本当に浦島太郎さながらだったそうです。
母は女手一つで十五年間は苦労の連続、生活費にいつも追われ、乳牛を飼い、蚕を飼って繭から糸を紡ぎ機を織り、その布地で浴衣や帯、その他いろいろな着物を縫って生活を立ててゐたのでした。
父が母達の生活費を送ったのは初めのうちだけでした。今度はブラジルに土地を買ってあるのだから、父はどうしても家族を連れて行きたいのですが、母と兄は行きたくないと強く反対しました。父は困り、いろいろ話し合った上で、「それなら今度は十年経ったら皆で揃って引上げて帰る」といふ固い約束で家族は納得しました。
そうして父は、昭和四年の暮れに再びブラジルの土を、今度は家族と共に踏むことが出来たのです。それから私の兄が生まれました。昭和八年には私が生れました。こうして、ラッポーザ人が二人も生れ、本当に良かったと思います。
今、レジストロ史料館に母が織った絹のキレがあります。両親はとうとう日本に帰れず、レジストロの土になってしまいました。
懐かしの想い出 パカエンブー体育館
レプレーザ高砂会 原香津夕起
昭和二十六年(一九五一年)八月の新聞に”日本プロレスラー日伯親善使節団一行来伯”来る十二日、パカエンブー体育館において第一回親善試合が行われる、という記事が載った。その記事を見た私等は嬉しさに胸湧踊り、足が地に着いていないような気持ちになってしまったのだった。そして、その十二日までの間の長かったこと。
いよいよ待ちに待った日が来た。その前日、仕事もそこそこにサンパウロ入りし宿を取り、朝の来るのを待ち、夜明早々、宿を飛び出した。吾こそ一番槍りとばかり目指すはパカエンブー体育館へ。
来たりてみれば此は如何に。体育館前には既に八十メートルを超す長蛇の列ができていた。その列の後につき、またその後に陸続として集まり来る人々は忽ち、彼の巨大なパカエンブー体育館を取り巻いてしまたのであった。
さて、そうなると、二番目の列が出来、また三番目の列が出来るといった具合に列の数が段々増え、もうしまいには何がなんだか分からなくなってグルグル廻りを始めたのであった。入場時間は何と午後二時からだったのである。それを主催者側は一般に知らせてなかった。だから此んな混雑が起こったのだと思う。
いよいよ時刻が来て、係員が一人通行のカタラッタを開けるや否や、吾先にと入り込んだ人と人とが詰まって挟まり、カタラッタは回らなくなってしまった。さあ、そうなると後の方から罵声が挙がりだし、「何をグズグズしてやがるんだ。早くせんか!」「コラ!押すな。背中のデキモンが潰れるゾ!」「早く大門を開けろ!」とか様々な怒鳴声が渦巻いた。
とうとう、持ちきれなくなった主催者側の係員が大門を開けた。大戸門を開けるや否やパカエンブー体育館前の垣外に詰め掛け、押し合っていた何千人の人々は堤防の切れた潮の如く犇(ひしめ)きあって体育館内へと雪崩れ込んでいったのであった。一番馬鹿を見たのは、朝早々と起きて一番列についた者だった。
花々の神秘 落花後の鉢植えどうしてますか?
母の日にもらった可憐な鉢植の花。花祭りで買った花々。そのどれもが美しく咲き誇っています。でも、この花々、咲き盛っている時はサーラや食卓の上の目立つ場所に置かれていますが、盛りを過ぎると、次第に配置替えされ、いつの間にやら洗濯場の片隅で細々と生き長らえていたりします。
庭のある家では土に下したりもできますが、アパート住まいの場合は、それもできず、ただ場所を取り、悩みの種です。
さて、老ク連の書棚には植物の不思議について実験し、書かれた本があります。それによりますと、植物には人間に勝る能力があるといいます。植物の根は人間の頭脳と同じように、大地が乾いている時は湿り気のある方向を察知してそれに向かい、コンクリートにすら穴を開けます。
ツルはいつも震えながら何かにつかまろうとしており、一時間七分でやっと一回転するツルが止まり木を見つけるとわずか二十秒でしっかり巻きついてしまうそうです。
○植物は人間の心を感じ、身に迫った危険を察知します。
ある植物を切ったり燃やそうと、心に殺意を持ったとたん、その植物に付けた検流計の針がジャンプする程の強い反応を起こしました。そして、どうしても危険を逃れられない時は「意識を失って」自己防衛することが観測されました。また、その植物を好まない人間にも反応したそうです。
○植物は記憶します。
密室において二本ある植物の一本を六人のうちの一人が根っこから引き抜きました。誰が抜いたかは本人しか知りません。生き残った一本の植物をポリグラフに接続してから、一人ずつその植物の前に立たすと、その引き抜いた人が前に来た時だけ、メーターが強く反応しました。
○植物は動物の細胞の死に反応します。
植物は廻りの生きている細胞の死に反応します。特に人間の細胞の死には間違いなく強烈に反応し、時には耐えられず自分まで枯れてしまうことがあります。実際、私達の廻りでも主人が死んだら、それまで元気だった松が弱ってきて枯れたとか、奥さんが大事にしていたサマンバイアがその奥さんの死後数日で枯れてしまったなどとかの話も聞いています。
○植物は人間の愛情に応えるそうです。
切り取った一枚の葉でも念じ続けると、何もしないのより何日も長生きするそうです。
○植物にもノイローゼや絶望があると言います。
突然大勢の仲間から離されたり、全然人の目のない部屋に置かれたりすると孤独感にさいなまれ、病気になったり枯れることもあると言います。
○花の交信は匂いで分かり合います。
○ある種の音は植物の生長を早めます。 音のエネルギーが分子活動を高めるのか、音楽を楽しんだ花は生長も早く、長生きもするそうです。例えば、バッハのバイオリン曲を麦に聴かせると、普通より六六%の収穫増があったと言います。
また、ロック系音楽は植物を疲れさせるといいます。私達老人が好む演歌や民謡は植物にとってどうなんでしょうか。老ク連では、ほとんど毎日聞こえているのですが…。それによって長生きしている花があるのでしょうか。
その他にも植物の神秘についていろいろ書かれています。皆さんの家では花々の老後をどうしていますか。いたわってあげたいですね。一輪の花、一本の木にも感情と意識があることを知って、慈しみの思いを忘れないようにしたいものです。
私のペット物語③「初めての熱帯魚」
サンパウロ中央老壮会 近藤泰子
我が家のペットは熱帯魚です。熱帯魚と言っても、そんな高価で上等な種類ではありません。私の好きなレモン・イエローのごくありふれたアフリカ産の魚です。
ペットショップに行った時、白い砂を敷き詰めた水槽の中を柳の若葉のように、ひらりひらりと泳いでいてとてもステキでした。早速、買い求めました。 ところが、買ってから知ったのですが、この魚はいつも岩陰やら貝殻の中に隠れていて姿を見せません。エサの時だけ電光石火、忍者の如く、サッと浮き上がり、パクッとくわえてサッと隠れてしまいます。
「エー、なーに、この魚は」「変な魚」「アフリカの魚なんだから、ゆっくり泳いで、ゆっくり食べてなんかいたらワニなんかに食べられてしまうからじゃない?」などと…。予想外の展開に我が家は面食らってしまいました。
その上、こんな数匹の魚の世界でもボスがいて、エサ場を仕切ります。ボスは好きなだけ食べるので丸々と肥えて大きく、他の魚が食べようとすると、追っ払います。ボスが目を離したスキに他の魚はコソコソと慌てて少しだけ食べるので、発育が良くありませんでした。
ところが、この間、そのボスが死んでしまいました。水替えの時、貝殻の奥深くへ入ってしまい、出てこれなくなってしまったのです。それなら、貝を壊して出してやろうとアルカッチではさむのですが、硬くて硬くて壊れないのです。貝殻がこんなに硬いものだとは知りませんでした。こんな時は一体どうしたらいいのでしょう。
結局死んでしまいました。ボスがいなくなったので、残された魚達はエサも良く食べて日毎に大きくなっています。この頃では、エサの時間に私たちが覗くと立ち泳ぎやハの字泳ぎをして、愛嬌を振りまくようになりました。そうでない時も岩陰からジッとこちらを見ていて、目が合うと嬉しそうに出て来て胸びれ、腹びれをちぎれるほど振ります。
外から帰ったり、仕事の合間には「花ちゃん(一匹の魚の名前)、どこにいるのかなー」「あー、見つけた」なんて、結構楽しんでいます。声を出すでもなく、抱っこする訳でもないのですが、つぶらな瞳でジッと見つめ、小さな口をパクパクする姿は可愛いものです。
ところで、この魚は結構、魚見知りをするのです。だから、どんな魚とも一緒には飼えないのだそうです。
そんな訳で、我が家の水槽は普段は魚の姿もなく、酸素がブクブクと泡を吹いているだけです。でもどこかにいるのです。ゆったりと優雅に泳ぐ魚を思い描いていたのですが、「でもまぁ、こんなのもいいか」と思うこの頃です。
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