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(最終更新日 : 2019/02/15)
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2005年11月号
2005年11月号 (2005/11/12)
サンパウロ東部紅葉会名誉会長多田正雄氏を偲んで
サンパウロ東部紅葉会 宿沢豊子
今年八月、老ク連は創立三十周年式典を盛大に催しました。私たちの紅葉会は創立してから三十三年と老ク連以前より延々と続いております。初代会長田中譲氏、第二代会長斎藤信愛氏、第三代会長高森氏、そして第四代会長として多田正雄氏が十六年間、会の為に尽力して下さいました。
多田氏は戦前移民の誰もが味わってきた艱難辛苦を乗り越え、明治、大正、昭和、平成という長い時代を生き抜いてきました。
パラナ時代には日本語学校の先生、そして日本人会の会長を長年務めたと聞いております。それは多田氏の誠実な人柄の所以でしょう。
サンパウロに出てきてからの余生は紅葉会一筋に会長職十六年、全力投球して下さいました。九十五歳の高齢まで、住まいのアクリマソンからベレン地区の会館までの遠路を早朝六時に出勤。雨の日も風の日も休むことなく通い続け、会の管理、運営とに心を配って下さいました。この間、気丈な多田氏からは一言の愚痴も聞いたことはありません。多田氏の心安らぐ唯一の憩いの場は紅葉会だったと思います。そこでは会長と会員一同の友情の絆が深く結ばれていました。
八月の本部の三十周年記念には功労賞を頂き、紅葉会でも八月の父の日を記念して、表彰状を送り、多田氏の功績を称えました。多田氏にとって八月は長年の苦労が報われた最良の月でありました。
最近、傍から見ても体の衰えが見えてきましたので、会員一同、心配をしておりましたが、十二日の日曜日に会へ来る途中で倒れました。
十六日の金曜日、亡くなる前日に山口さん、上本さん、私と三人でお見舞いに行きましたが、言葉はなくても涙を浮かべて手を合わせていた御姿が目に焼き付いています。
十八日、多田氏の葬式が計らずも紅葉会例会の日となり、大勢の会員が参列できたことは多田氏の御心が神に通じたからではないでしょうか。どうぞ、心安らかに眠って下さい。会員一同、ご冥福をお祈り致します。
親子の絆
カンポ・グランデ老壮会 成戸正勝
七月号の老壮の友に、歴史学者の西田恵美子さんが、ブラジルは家族主義の心暖かい国と、書かれているのを読んで大変に感動しました。お互いの喜び、悩み、苦しみを分かち合う、他人との濃すぎるほどの感情的なつながり、一緒に笑い、泣き、お互いを常に頼りあっているとも書かれています。
一方、全老連の六月号にはある町で演劇を通じて、家族の絆を強くしようと、老人達が活動を進めていると報じられていました。
日本では高齢者は食事を済ませると、逃げるように退席する家族が多いと言います。若い世代と高齢者の関係は希薄さを増すばかり。なぜ家族でありながらそこまで遠慮しているのでしようか。物質文明と引き換えに、心の豊かさ、優しさを忘れ去った、自己中心的な考え方。弱者、他人を慈しむ心はどこへ行ってしまったのでしょうか。
西田さんはブラジルは家族主義と言われましたが、実際はブラジルは個人主義の国です。普通日本で家族主義と言えば家族制度のことで、零細な農業経営、零細企業の分解を阻止しました。そして国民が天皇を宗家の家父長と仰いで、絶対服従する家族国家思想を生みました。
この制度は資本主義が発達して、労働者の自立した小家族が増えるにつれて崩壊していきました。でも日本古来の美風とし、今でも日本社会に残されています。杜会的地位の違いを身分に置き換える見方、地位の異なる者の間や、先輩後輩間で、下からの批判が行われにくい精神的土壌などに、家族制度の残り滓が見られます。
個人主義は利己主義とは全然違うもので、日本人はよく勘違いします。個人主義は個人の理性や良心を信頼して、健全な社会を形成しようという理論です。自由、平等、友愛を信念とし、他人に対しては寛容であろうとする自由主義は個人主義から発生したものです。
ブラジル人は個人主義者ではあるけれども、家庭内ではお互いに仲が良いのは、相手の権利を尊重し、相手や周りの者を傷つけない範囲で、自由に生きているからです。そこには長幼の序とか、序列、上下の厳しい関係はありません。儒教のような規律ではなく、人間的に自然に発露した愛情で、家族の平和が保たれているのです。
ブラジル人はバグンサ(乱雑)だと日本人からよく非難されます。確かにその点はありますが、自由さが限度を超した場合で、周りの者に迷惑を掛ける場合が良くあるのは欠点と言えば欠点です。
ブラジルは日本に比べれば、整頓という点では大変劣っているのは、否定できません。日本は安全な国です。ブラジルは安全な国ではありません。住みにくい国であるのは、みんな承知しています。日本に比べて文明と言う、国の発達程度を計る場合には、日本は各段にブラジルより上です。
文化については日本とブラジルの間では、大変な相違があります。どちらが優れているとかは、簡単には言えません。文化には優位を決める尺度は無いのでしょうか。文化はその民族の住んでいる地域の自然条件で違ってきます。司馬遼太郎は文明は合理的で、文化は非合理的だと、言っています。
ブラジルの国旗には秩序と進歩と書かれています。これは革命を起こした人物の理想でしたが、現在のブラジルには適合しない言藥です。それよりも自由、平等、友愛という言葉が適当です。この言葉は日本の教育勅語に出てくる言葉とはぴったりしません。教育勅語の内容は孔子の書いた論語をもとにして出来た、儒教の教えに似ています。
日本の社会は儒教の世界です。まさに秩序と進歩の国です。しかし自由、平等、友愛が欠けているように見えます。窮屈な社会です。日本の社会にはブラジルの社会のような暖かさが少ないと思われます。規律が厳しいのです。思いやりが少ないのです。相手の立場に立って判断すると言う寛容さ、柔軟性、友愛の精神が少ないようです。
戦後、沢山の自由移民が日本からブラジルに移住してきましたが、それらの人たちに渡伯の理由を聞くと、ほとんどが日本の社会が窮屈だからと言うのでした。日本の社会は建前の社会です。本音を外に表しません。ブラジルは本音の社会ですから、住みやすいのです。
私が東京のレストランで食事をしているとき、隣のテーブルでは親子三人の家族が食事をしていました。子供は男の子は中学生のようでした。小一時間ほどでしたが、この三人は一言も言葉を出さなかったのです。全然ものを言わないのです。こんな風景はブラジルでは見られません。和気藷々とした雰囲気で食事をします。
私が数家族の親戚を訪問した時、ブラジルでは見られないことを経験しました。どの家でも共通していることは、子供達を一応紹介しますが、子供達は硬い表情をして私に挨拶し、すぐに自分の部屋に隠れてしまいます。会話に加わらないのです。日本では子供は大人と違った世界に住んでいて、大人とは話が合わないと考えているようです。ブラジルでは子供も大人も一緒に坐って話をします。確かに大人と子供とでは話題が違うでしょう。日本ではそれが確然としていて、上下の間の一線が敷かれているのです。
日本で親子の絆が薄いのは、上下の関係の厳しさがあるからだろうと思います。上下の間の差別を取り払い、平等に親が付き合えば、和気繭々とした雰囲気が生まれるでしょう。民主主義の基本は自由、平等、友愛にあります。社会での先輩、後輩の、言葉を捨て、同輩に変えればもっと気楽な世間になるでしょう。
「ガランチード」
サンパウロ名画なつメロ倶楽部 塩原保男
あれは一九七〇年頃のことだったと思う。私の働いていた工場にサイレンの装置の売り込みに来たブラジル人ヴェンデドールが「以前この会社にいた技術者も目が細かったが、お前も細いね、」と両眼を横に引っ張って、アジア人を見下げたようなことを云うのです。当方が買い手で、そのブラジル人が売り手の立場だというのに。売り手が買い手を侮辱するようなことを云うのはありえない。それを堂々と云うのですから、日本では全く考えられない事と思いました。その頃までのこの国の社会では、日本人の地位は低く、そのため色々と我慢しなければならないことがあったと思います。これはブラジルだけではなく、技術上の打ち合わせに来たアルゼンチン人が、彼の国では日本人は洗濯屋だけど、ここでは技術者かあ、と変なひやかしを云ったのを覚えています。
そしてあの頃は日本人と見れば、黒人までが「オー ジャポネーズ。ガランチード」と日本人をからかったり、馬鹿にしたりしていた。そのくせ、てきぱきと仕事を片付けず、何かというと「アテアマニャアン」と云って先に延ばしていた。その言葉が仕事場で次第に使われなくなった一九八三年頃から日本人を見る目が変わってきたように感じます。ある時、トイレで「オー ガランチード」といつものように人を馬鹿にしたブラジル人にむかって「お前は俺の上司でも、お客でも、アミーゴでも、何でもないのに、変な文句をつけられる筋はないぞ」と云ってやったら、何も云わずに、こそこそ出て行ってしまった。そんな「ガランチード」を逆に使って、大型機械納入の時、「この機械はすばらしい結果が出る優れものだ。何を隠そう、貴方方がいつも云っている『オー ガランチード』が云っているんだ」とひねってやったことがあります。
さて、「オー ガランチード」と馬鹿にされたくなかったら、もうちょっとコロニアの文化水準も上げる必要があるように思いますが如何なものでしょうか。邦字新聞を見ていると、聖書の創世記を丸ごと信じて、神様が我々を作った、と云ってダーウィンの進化論などの近代科学を完全に否定しているコロニア人などの文章が散見します。全てをごっちゃにして、科学を宗教的に論じる、そう云った文化は十七世紀のものであっても二十一世紀では通用しません。一般に云って、新聞の愛読者投稿欄によく出るものも、内容に乏しく、読後に強い印象が残るものが少ないのは残念です。自分自身の意見を堂々と述べて読む人に議論を吹っかけるような人がいないのも淋しいことです。記事の方も新しい科学の進歩なども次々に紹介して欲しいと思っています。
ペルナンブコへの旅 ④
名画なつメロ倶楽部 水村春彦
第五日(五月四日)
午前中の町へ出て簡単なショッピング。バンコ・レアル、コレイオ、パラシオなどが集まっている広場だ。正午を過ぎてマイクロバスが迎えにくる。空港で待つことしばし、レシフェと向かう。時計を一時間遅らせて元通りとする。レシフェ空港からボルト・デ・ガリンニャまで約六〇キロの旅で、途中は小高い地形のさとうきび畑が続く。
ポルト・デ・ガリンニャに近づくと、コッケイロの林が目立つ。ホテル・マルピアラは海に面したホテル。バスの中ではとりあえず金曜日のツアーを申し込んでおいて、明日の木曜は自由行動をとることにした。
妻が両腕のかゆみがひどいとこぼすので、ポスト・ダ・サウーデに走って診察してもらう。三十分ほど待たされてアテンドしてくれたが、若い医者は「日本人はポストではなく、普通は病院に駆込むのだが…」と不思議そうな顔をしたそうだ。原因はどうやら草深い山道を通った際に植物にかぶれたものらしく、大したことにはならなくて安心した。
プライアに出てジヤンガーダが並んでいるので聞いてみると、一人八レアルで乗せてくれるそうだ。早速、明日来てみよう。プラッサの近くに「エスプレッソ・スシ」なる寿司店あり、「神風」と書いた鉢巻きをしめた痩せた黒人男性が威勢よく応対してくれる。味もまあまあで、久し振りに日本食にありつき満腹した。スシ・ミストは蛸、サルモン、まぐろ、プレーゴ(サン・パウロでは見慣れない白身
の魚)、カニカマ、海老の六種類だった。味噌汁まで作ってくれる。
「坂の上の雲」より抜粋。
「世界史の上で、ときに民族というものが後世の想像を絶する奇蹟のようなものを演ずることがあるが、日清戦争から日露戦争にかけての十年間の日本ほどの奇蹟を演じた民族はまず類がない。」
「旅順港を閉塞する実施計画については、下士官以下の乗組員六十七人をひろく艦隊から志願者を募ったところ、たちまち二千が応募して主謀者を驚かせた。そして、『このいくさは必ず勝つ』と言わしめた。それほどまでに、国民一般の志気が高く、国民戦争という思いが強かったのである。」(つづく)
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