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熟年クラブ連合会
     エッセイ  (最終更新日 : 2018/12/14)
2006年1月号

2006年1月号 (2006/01/17) 新年の御挨拶

老ク連会長 重岡 康人
 老人クラブ会員の皆様、明けましておめでとうございます。
 会員の皆様におかれましては、爽やかな二〇〇六年の新春を迎えられた事とお喜び申し上げます。
 昨年は私たちの老ク創立三十周年という節目の年を迎え、去る八月七日の式典には、母国日本からは、全国老人クラブ連合会の永井愛子副会長と齊藤茂樹事務局長、また、パラグアイ老ク連からも石田完副会長が参加され、国内からは日本総領事館・JICA・文協・援協・県連他日系団体代表が揃って来席していただき、さらに予想を上回る会員の皆様方のご参加を併せまして、千二百人収容の会場も満杯となり、記念式典は盛況裡に終りました。これは改めて申すまでもなく各老人クラブの御協力の賜と厚く御礼申し上げます。
 ところで世界情勢は、鳥インフルエンザの大流行で世界中が大騒ぎとなりましたが、更にアメリカでは狂牛病が発生したり、またこれらの余波がおさまる向きもなく、当ブラジルではフェブレアフトザが南マットグロッソやパラナなどで発生、或いは再発したり広がつたりで、国民は恐怖におびえた年になりました。
 しかし、年末になり心の和むニュースがございました。それは皇女紀宮様と秋篠宮様の学友黒田慶樹さんとの御結婚です。紀宮様は内親王として皇室外交にもご熱心で、ブラジルとも御縁がありまして、一九九五年に公式に御来伯されてより、日系社会にとりましては、懐かしい思い出の方でした。心よりお祝い申し上げます。
 さて、当老ク連はと申しますと、お陰さまで昨年も同じく平穏な年でした。顧みますと、私もすでに二期四年間、老ク連のお世話をさせて頂きましたが、この間浅学非才な私ごときを中心に、老ク連を支えて下さいました理事会並び関係の皆様へ衷心より厚く御礼申し上げます。
 なお今年は改選となりますが、何方が受け持っても、老入クラブの方針である「健康」「友愛」「奉仕」の三大運動を心がけて、会員にとって無理のない、楽しい毎日が送れますよう祈念申し上げて、新年の言葉と致します。


年頭所感

(在日本)全国老人クラブ連合会会長 長尾立子
 ブラジル日系老人クラブ連合会の会員の皆様、新年あけましておめでとうございます。
 ご健勝にて新春を迎えられ、心からお慶び申し上げます。
 老人クラブ活動を通して、地域に根ざした活動に日頃から積極的に取り組まれ、ブラジル社会に大きく貢献している皆様のご努力に対し、母国の仲間も大きな声援を送っています。
 昨年は創立三十周年の節目を迎えられ、老人クラブ創設の原点に立ち返り、今後の活動に決意を新たにされていると存じますが、高齢者の声と力を結集して、ますます福祉の充実に重要な役割を担われますようご期待申し上げます。
 わが国は人口の減少が現実のものとなり、「団塊の世代」と呼ばれる戦後のベビーブーム世代がまもなく定年を迎え、多くの定年退職者が出ることから、年金・医療・介護制度などの社会保障制度をはじめ、社会への影響が大きな関心事になっております。
 近年の日本は悪質な犯罪が多発するようになりました。老人クラブではこれまで、子どもたちの登下校時の見守りや日常的な防犯パトロールなど、地域の安全・安心の見守り活動を行ってきました。また、昨今は児童を標的とした悲惨な事件が相次ぎ、大きな社会問題になっています。老人クラブでは「地域のこどもは地域で守る」を合言葉に、高齢者の数とパワーによる犯罪防止を目的とした見守り活動を全国的に強化することに致しました。
 このような地域のさまざまな期待に応えるためにも、まず健康づくりの学習・実践・点検の活動に取り組み、他の各世代と手を携えて、人と人との結びつきを大切にした高齢者ならではの温もりのある活動を広めていくことが重要と考えております。
 二十一世紀の社会は、国際的な連携と協力が一層求められております。ブラジルの仲間とともに、激動と苦難の時代に体得した知識と経験を活かして、新しい時代の「担い手」「支え手」として社会貢献に努めて参りたいと存じます。
 年頭にあたり、ブラジル日系老人クラブ連合会の一層の発展と、会員皆様のご健康とご活躍を祈念いたしまして、新年のご挨拶といたします。


新年の御挨拶

在サン・パウロ日本国総領事 西林万寿夫
西林万寿夫氏.jpg
 二〇〇六年の年頭に当たり、謹んで新年のご挨拶を申し上げます。
 本年で三十一周年を迎えられる「ブラジル日系老人クラブ連合会」は、昨年八月に日本やパラグアイからも来賓の参加を得て、盛大に創立三十周年を挙行されたとうかがっております。
 私は八月末に在サンパウロ日本国総領事として着任致しました。この間多くの方々とお会いする機会に恵まれ、移住者の方々のご苦労話や子弟の活躍、そして当国の日系社会事情をうかがいました。日本からの移住者の皆様が厳しい環境にありながらもこの国において果たした役割を振り返って見ますと、正に「大和魂」を発揮され乗り切って来られたことに深い感銘を覚えました。
 皆様方は社会人としてまた家庭人としての責務を果たされ、悠々自適の環境にありながらそれに甘んじることなく、一九六〇年代に高齢者問題を先取りし各地に老人クラブを結成し、互助精神に基づき会員相互の親睦のみならず心身機能の維持増進に努めてこられています。更に一九七五年にはブラジル日系老人クラブ連合会を結成し、各地区の老人クラブを補完しつつ結集され、発展を遂げてこられました。
 今や恒例となりました老人週間行事、芸能祭、スポーツ活動などの数多くの活動に積極的に取り組まれているほかに、機関誌「老壮の友」の刊行など活発な事業を展開しておられますことに心から敬意を表する次第です。また年を追う毎に組織は充実され、今やブラジル日系社会の一翼を担う有力団体の一つとして誰もが認めるまでに発展されましたことを嬉しく思っております。 現在、多くのブラジル生れの子弟がブラジルの各界で活躍されていますが、日系社会においても確実に世代交替が進んでおります。そのような中で日系社会の将来を考えますと、日本文化の継承は極めて重要な課題として取り組むべきものと考えており、そのためには皆様方の豊かな体験によって実証された貴重な知識と知恵による助言が大きな役割を果たすものと確信しております。
 皆様もご存じの通り、二年半後にはブラジル移住百周年という大きな節目を迎えます。百周年は、百年間という年月を通じて結ばれ強化されてきた日本とブラジルの関係を一層緊密にするうえで、また日系社会の今後の発展の方向性を示す重要な契機となるものと存じます。この百周年をいかにして将来の日系社会にとって意義深いものとするかについて、皆様方が大きな役割を果たされることを期待しております。
 最後になりますが今後とも後進の良き模範としてご指導頂くことをお願い申し上げますともに、貴連合会の益々の発展と会員皆様のご健康を祈念し、私の年頭の挨拶とさせていただきます。


ご挨拶

国際協力機構(JICA)サンパウロ支所次長 石橋隆介
石橋隆介氏.jpg
 明けましておめでとうございます。昨年は老ク連の創立三十周年という記念すべき年にあたり、八月に文協講堂において盛大な記念式典が行われました。特に私が印象に残っていますのは、式典後のアトラクションで日本の歌い手さんにより懐かしい日本の歌がたくさん歌われたことです。歌謡曲あり、唱歌あり、童謡ありで、私のように駐在で来ている人間でも懐かしさのあまり涙が出たのに、ましてこの国に移り来て何十年というご高齢の方々にとりましてはいかばかりの思いがあったことと推察いたします。大勢の人に見送られ日本を出た時のこと、当地においてささやかながら新しい所帯を持った時のこと、あるいは初孫を抱いた時のこと、そして永年苦楽を共にした人生の伴侶を失った時のことなど、歌を聴くことによってそれぞれの人生の節目がまるでタイムスリップしたかのように脳裏に浮かんで来られたのではないでしょうか。
 これも昨年の話ですが、私どもが老ク連に派遣していましたシニアボランティアの指導により、自分史を書かれて賞をお取りになられた方がおられました。その方は、おそらく最後の機会になるかも知れないということで、高齢をおして訪日され、日本での授賞式に臨まれたように聞いています。ご高齢の方々はみなさんそれぞれにいろいろな人生経験を積んできておられます。自分では何でもないような経験であっても、実は人生というレールの後ろの方を走っている後輩たちにとりましては、それが参考になったりヒントになったり、あるいは自分だけがという疎外感から開放され立ち直るきっかけとなったりすることが少なくありません。お年寄りの経験談は若い人に煙たがられるように思われがちですが、それはよくある自慢話や成功談の繰り返しのような話であり、そうではなく、普通の人が真摯に話す経験談は、世代を越えて聴く人の心の中に伝わっていくものだと思います。
 新年を迎えるにあたり、老ク連のますますのご発展を祈念いたしますと共に、今年は高齢者の方々が若い人たちにおおいに語りかける年であっていただきたいと願っております。ありがとうございました。


年頭に際して

ブラジル日本文化協会会長 上原幸啓
 ブラジル日系老人クラブ連合会会員の皆様、新年あけましておめでとうございます。
 輝かしい二〇〇六年の新春を迎えるに当たり、ブラジル日系老人クラブ連合会の皆様の今年のご活躍、ご健勝を心よりお祈り申し上げます。
 昨年は、ブラジル日系老人クラブ連合会が創立三十周年記念の年にあたり、八月七日には日本より全国老人クラブ連合会や隣国パラグアイなどから沢山のお客様をお迎えし盛大な記念式典を開催されて、内外にブラジル日系老人クラブ連合会の存在感を如実に示されたことは記憶に新しいことでございます。
 皆様の意気軒昂なること誠にもってこころ強いものでございます。機関紙「ブラジル老壮の友」が一回も休刊すること無く続けてこられた事に対して、改めて敬意を表するものです。毎月二千部もの機関紙が発行され、ブラジル国内はもとより、中南米各国、日本にも配信されていることは、如何に愛読者が多く、支持されているかの表れであります。
 母国日本においては高齢化が進み社会問題となって久しいものがありますが、ここブラジルにおいて、ブラジル日系老人クラブ連合会の皆様の日頃の御活躍を拝見しますと日本での社会問題は何処吹く風の感じが致します。
 機関誌創刊時に掲げられた、六つの基本理念にもとずいて、自己の得意分野で日夜研鑚をお続けになっていらっしゃる皆様には、人生経験豊な皆様が放つオーラに圧倒される思いでございます。
 機関誌に投稿されました記事を拝見いたしますと、投稿者の一人一人が楽しい、にがい、苦しい経験を子に孫に、正しい日本語で伝え残したいとの気持ちが脈々と感じられて頭の下がる思いでございます。
 親が子に、孫に正しい母国語を、歴史を継承してゆくと言うあたりまえの事が、機関紙を通じて、ブラジル日系老人クラブ連合会に存在すると言う意義は非常に大きいものがあると思います。
 ブラジル日本文化協会は、日本伝統文化をブラジルに普及させ、由緒ある日本語を日系社会に正しく伝承させることを一つの使命としておりますが、同じような活動を行なっているブラジル日系老人クラブ連合会の皆様を、我々の力強い協力者と感謝申し上げる次第です。
 二年後に迫った移民百周年記念の節目に、日系人の心の中に日本文化、日本語を根付かせ、日本人とは何かと改めて問い掛けることも大きな行事の一つではないかと考えております。ブラジル日系老人クラブ連合会の更なる活動に期待を寄せるものです。
 年頭にあたりブラジル日系老人クラブ連合会、会長重岡康人様はじめ会員の皆様の更なるご活躍と、機関紙「ブラジル老壮の友」のご発展を祈念して新年のご挨拶と致します。


新年の挨拶

サンパウロ日伯援護協会会長 酒井清一
 明けましてお目出度うございます。
 ブラジル日系老人クラブ連合会の皆様には御健祥にて二〇〇六年の新年を迎えられたこととお慶び申しあげます。
 旧年中はサンパウロ日伯援護協会では物心両面の温かいご協力・ご支援を賜り、お陰をもちまして予定の事業がとどこおりなく遂行できましたことを衷心より感謝申しあげます。
 貴連合会はブラジル各地の日系老人クラブを代表する機関として創立以来、充分にその役割を果されていることに大いなる敬意を表しておる次第であります。
 特に昨年度は創立三十年の三つの大きな節目を迎え、ブラジル国内は勿論、日本の全国老人クラブ連合会や隣国パラグァイからも代表者をお迎えして、盛大に記念式典を催されたことは貴連合会の日頃の充実した活動が周囲に評価されている結果であり、御同慶の至りです。
 五十五の支部クラブを擁し、会員数三千二百名、支部老人クラブ員は約一万名を数える、貴連合会は各日系クラブの中核として、各クラブ間の交流と親睦のために多彩な催しを一年を通じて展開する傍ら、生きがい増進のための文化・体育活動を精力的に続けられていることは、老人問題の比重が大きい私共、サンパウロ日伯援護協会の福祉活動と通じ、大いにエールを送る次第であります。
 現在、日系社会は高齢化が進み、日本並の高齢化社会と云われております。日本のように政府の援助・保護が期待出来ない当国では、相互扶助、生きがい増進の旗印を掲げている貴連合会はますます必要とされ、日系社会で一層重要な役割を務めることになると期待致します。
 年頭にあたり、皆様のこ健祥をお祈りし、二〇〇六年が実り多き年でありますよう願って新年の挨拶とさせて頂きます。


懐かしいきもの「移民博物館にて」

ジュンジャイ睦会 長山豊恵
 朝から曇りがちなお天気に風が吹いていた。娘から電話がかかってきた。「ママイ、ムゼウ・デ・イミグランテ(移民博物館)へ行こう」との電話であった。
 ムゼウ・デ・イミグランテはサンパウロにある昔の移民収容所である。今は使わないので、博物館になっている。
 昔、各国の移民たちが使った品物がいっぱいある。この一つ一つは移民たちの苦労と涙が染み込んだ品物である。ブラジルに来る時のトランクや行李が隅々に重ねてある。一部屋一部屋覗きながら行くと、長い廊下の突き当たりの部屋に日本のものばかり特別に揃えてあった。
 奈良の寺の写真やおひな祭りのお人形が綺麗に飾ってある。田舎時代に聞いた手回しの蓄音機が置いてあった。小さい手ミシンも目に付いた。昔、母がよくこのミシンでゴトン、ゴトンと縫っていた事を思い出す。寒い日、ミシンが回らないと、外に持っていって、箱の上に乗せ、日光で暖めて鶏の油を流し込み、縫っていた母の姿が蘇えってきた。後ろでイタリア人の婦人が二人「ミーニャ、マイ チーニャ エッセ(私の母も持っていたわ)」と涙を流しながら覗き込んでいた。
 日本人の苦労もイタリア人の苦労もみんな同じである。声を詰まらせて、昔の苦労話をしながら歩き回った。
 裏に出れば、マリア・フマッサ(蒸気機関車)がお客さんを待っていた。昔のように切符を買って乗ると、汽笛を鳴らしコトンコトン煙を出して走り出した。切符切りが回ってきて、切符にはさみを入れて行く。昔そのままの姿である。
 汽車から降りて次の部屋にはイタリア人の写真が色々と貼ってあった。二階に上がってみると、世界各国の大きな人形がそれぞれの国の着物を着て、部屋いっぱい立っていた。重い大きなレンガも並べられていた。私にはどれも皆懐かしいものばかりでゆっくりと見て歩きたいのに一緒に行った孫たちは余り気にも止めずに通り過ぎて、ドンドンと先へ行ってしまう。慌てて追いつき、また、立ち止まる。
 二階から下りて暗い部屋に入ると大きな地球儀が回っていた。ブラジルから日本へ、日本からブラジルへと航海の道順である。
 日本から太平洋を渡る船道に小さな電気の光がチカチカと進んで行く。ブラジルから日本へと小さな光は縫うように進んで行く。
 娘たちがインターネットを見ていると、一九三五年、再渡航で帰伯し、この収容所で一夜を過ごした親たちの名前が出てきた。
 戦後は飛行機の便だから余り知られてはいないと思う。ルア(道)に出るとボンデ(ちんちん電車)である。子供の頃、ルス駅からカンタレイラ行きのボンデでメルカード(市場)までよく行ったものである。チンチンと鳴らしながらガイドと共にブリュッセル駅まで行き、そこで色々な話を聞いて、座っていたバンコ(回転椅子)をぐるりと回し帰ってきた。夕方、娘たちにロドビアリオ(長距離バス停留所)まで連れて行ってもらい帰途に着いた。


年頭にあたり

ブラジル日本都道府県人会連合会会長 中沢宏一
 謹んで新年のお慶び申し上げます。
 旧年中はいろいろとご支援をいただき、心より感謝申し上げます。二〇〇六年の年頭にあたり、『老壮の友』紙上をお借りして新年のご挨拶を申し上げます。
 日本語で読み、書き、話す会員の啓蒙と親睦のため、ブラジル日系老人クラブが一九七四年に創刊した『老壮の友』が、以来一度の欠号もなく発刊され、日本や中南米の国々の関係者に送られ、愛読されておりますことは、貴会の活動が多くの日系老壮の方々に受け入れられていることを示すものです。そして、支部の数五十五、会員数は三千二百人を超え、支部の会員数も一万人。サンパウロ州を始めパラナ州、ブラジリア連邦区、さらにはマットグロッソ州と会員の輪が広がっておりますことは、海外在住の老壮の方々にとって力強いものであると思います。
 私たちブラジル日本都道府県人会連合会も、今年創立四十周年の記念すべき年に当たり、ブラジルに在住する同胞の方々、またその子孫へ日本の文化伝統、風俗習慣や郷土芸能、郷土食などを継承するために、一九九八年に始めた『日本郷土食・郷土芸能まつり(フェスティバル・ド・ジャポン)』も、皆様方の支援、ご協力のおかげで年々大きくなっています。このフェスティバルにはブラジル日系老人クラブ連合会も参加していただいておりますが、これからも皆様方の支援とご協力で続けていきたいと思います。
 また、二十三回続いております移民のふるさと巡りにも、多くの老壮の方が参加され、同じような苦労をされた各地の人たちとの交流は、好評でこれからも続けるつもりです。
 ブラジル日系老人クラブ連合会の皆様には、それぞれ日本にふるさとがあるわけですからこれからも県人会、そしてその連合会であるブラジル日本都道府県人会連合会とともに交流の親密化が図れることを願っております。
 最後になりましたが、貴会のますますのご盛栄と皆様方のご健康とご多幸をお祈りいたします。


パラダイス・アルジャ

アルジャ親和会 原沢和夫
 アルジャ、よいとこ住みよい処。
 緑豊かに、美味しい空気。
 美しき花の里に懐かしい歌声流る。
 アルジャは亜熱帯にありますが、標高八五〇米から九〇〇米で、人間の最も住みよい地であり、また花卉栽培に最適の地でもあります。以前は「魔のDUTRA街道」と言われていましたが、民営化され「NOVA DUTRA」となってからは車の事故も激減し、安全な街道に変わりました。
 そのお陰で良質の花を最大の消費地サンパウロ市とリオデジャネイロ市にいち早く安全に届けることが出来るようになりました。
 アルジャはサンパウロ市、グアルーリョス市に近くて住みやすいこともあり現在、人口は八万人に増加しております。
 アルジャの花祭りは昨年で十四回目になりました。
 実行委員長はアルジャ親和会副会長の安武誠さんでした。花作りの親父の背中を見て育った若者たちが元気溢れるパワーと新しいアイディアで協力いたしましたので、一層内容の充実した質の高い花祭りでありました。
 期間中、アルジャ文協は婦人会、親和会の協力で日本食レストランを開業。大きなモビメントをあげました。毎年の利益を蓄積し、只今新しい会館を建設中ですが、上棟も終わり、アカバメント(内装)に入っております。本年に迫ったアルジャ入植八〇周年、アルジャ文協七〇の素晴らしいプロジェクトとなります。
 また、アルジャは民謡が盛んです。日本民謡協会ブラジル支部の会長は親和会の横山正さんです。親和会の尾山会長は長い間、副会長を務めておられます。アルジャはブラジル日本民謡の中心地の感が致します。依田元会長、横山現会長のお孫さんたちの素晴らしい童謡や民謡を聞くにつれ、アルジャには日本民謡がよく継承されていることを痛感いたします。
 私にとってアルジャはサンパウロ州で一番住みよい処であります。


あけましておめでとうございます

月刊誌『百歳万歳』編集長 植松紀子
植松紀子氏.jpg
 ブラジル日系老人クラブ連合会会員の皆さま、あけましておめでとうございます。
 昨年は老人クラブ創立三十周年という大きな節目の年でした。記念祭にはブラジル全土から千二百人もの仲間が相集い、盛大な式典が行われ、その祭典にお招きいただきましたことを心より感謝申し上げます。そしてその会場で貴老連会員の皆さまと同じように活躍する日本の老人クラブの活動の様子を紹介することができましたことを嬉しく存じます。初めてのブラジル訪問で、同胞のみなさんと交流の機会も多く設けていただき、昔の苦労話や現在の幸せな生活のことなどいろいろお話を伺い感動いたしました。遠かったブラジルが身近な国となり、今、目をつぶれば日系老人クラブの会員の皆さまのにこやかで明るい姿が浮かびます。
 ♪同じ仲間だ輪を作れ、と「老人クラブの歌」にありますように、これからも日系老人クラブ会員の皆さまと日本の老人クラブの会員の皆さまが交流し、手をつなぎあう機会が多くありますように祈っています。
 日本では今年、介護保険制度の改革や医療制度の改革などが行われ、高齢者には厳しい時代に入っていくようです。しかし、皆さんが国の補助もないのに工夫して老人クラブ活動をなさっている姿をみますと、日本にいる老人クラブの仲間もまだまだ頑張らなければならないと感じます。私も今年は『百歳万歳』の誌面を通して老人クラブ活動や生きがい、健康な生活など、皆さまのお役に立つ記事をお届けしたいと願っています。そして身体はブラジルと日本と遠く離れていますが、皆さまと心の交流をもっと深めてゆきたいと思っております。
 年頭にあたり、ブラジル日系老人クラブのますますのご発展と、みなさまが今年も健康で、生きがいある幸せな毎日を送れますようお祈りし、新年のご挨拶とさせていただきます。


移り来て

名画なつメロ倶楽部 塩原保夫
 「人はパンのみにて生きるにあらず。」と云った哲学者がいました。しかしながら私が日本に住んでいた一九六〇年代の内地は、未だ文物によって満たされるような世相でなく、「人々はパンを求めて右往左往しその日を生きているだけだ。」と云って日本に見切りをつけ、このブラジルに移ってきたのです。
 現在のように飽食の時代になると若気の至りと云うか、パンと書物を求めて移住してきたのが正解であったのか、むしろ、日本に残って、あの競争社会の中で自分を見出す暇もなしに走り回わる人生を送った方がよかったのか。やはり、外国で自分が頼れるのは自分だけと云う環境に身を置いて、自己形成をせざるを得なかったのがよかったのか、などと、考えこんでしまいます。
 しかし、あの独りで生活していた頃は風邪を引いて寝込んだ時など「俺は世界で一人ぼっちなんだ」と悲愴感にとらわれたこともありました。日本に住んだとしたら、小さな夢の世界を追って息切れしながら駆け足で行き着いた社会が、開けた社会でなくて白けた社会と云うのでは洒落にもなりません。人間性がゼロになってしまった、バブルが生み出した社会、一九九〇年代の日本人は「みんな自由だ、何を好きにやってもよい」と云って泡の頂上で踊っていました。その結果、親族殺人、人を玩具のように殺してしまう小学生、生きる望み、いや、生きる義務を失い、集団自殺に救いを求める、と云ったゆがんだ風潮の日本にいなくてよかった、などと自己満足をしているのですが…。
 移り来てよかった事は、世界を広く、深く見られるようになったこと。日本および日本人が世界の中でどういう位置にあるのか、日本人と他国人との考え方の違いなどが分かったことです。
 おかしな例ですが、乞食の言葉に「金をお前から貰ったが、俺はお前に自己満足を与えたんだから、商業的には別に上下関係は無いよ」という日本では考えられないような理屈もあります。
 ここブラジルの新聞も裏が読めなければ新聞を読んだとは云えません。そして、裏が読めれば〃"風が吹けば桶屋が儲かる〃仕組みが分かるのです。
と云うのは、人間は物か金かで動く動物だと割り切って考えれば、誰が得して、誰が損をするのか、そこのところを考えて物事を分析すれば、おのずと裏側にある事実を突き止められると云うことでしょう。
 一応悟ったようなことを書きましたが、正直云って小生まだまだ人間社会は判らぬことばかり。七十歳。これから馬齢を重ねてもさして変わらぬことでしょう。移住した一九六四年、春だった我が人生もこの頃は「船頭小唄」を口ずさむ秋になりました。
 一茶宗匠の
 楽しさも
 中ぐらいなり
 おらが春
と云うのが偽わざる現在の心境です。


人間の技と知恵

サンパウロ鶴亀会 内山卓人
 先だって、愛知万博を見学する機会を得、二日間夜九時まで自然の英知にするをテーマとした壮大な文化、文明の創造を目指して催された会場を忙しく回りました。参加国百二十一カ国と大企業(日立グループ、三井・東芝、三菱、中部ガス、その他)が出展するパビリオンが並び、凝った映像やロボット、リニアモーターカーなど、世界最先端の技術の華を各企業が競って出展している感でした。
 日本が世界に誇り、実用の段階に入った「超電導リニア」は時速五百八十一㎞を達成した実物車両がJR東海館に陳列されてあり、超伝導磁石を装置した台車や空気抵抗を徹底的に減らした軽量の車体を間近に見ることが出来ました。実験装置や高温超伝導磁石による発車実験やその次の浮上実演など誰にも分かるように解説されており、約五〇分の一のスケールのリニア車模型が浮いているのも見られました。
 トヨタグループ館はどうしても見たいと思っていたのですが、長い行列で四時間待ちとの表示でテレビにしか頼れなかったのですが、人の活動をサポートできる「やさしさ」と「かしこさ」を持った七台の楽器演奏ロボットが見事なバンド演奏を披露しており、未来の科学の足掛けになる事でしょう。
 各国の会場で印象に残ったのは、マンモスから宇宙開発までを展示していたロシア館で、広大なスペースにシベリアから出土したマンモスの全身骨格、脇には凍土から出土した足の実物も展示されていました。その他、工芸品からテクノロジー研究、宇宙開発までを紹介。再使用可能なロシア版スペースシャトルの実物もあり、豊かな地下資源とさまざまな表情を持つロシアを知ることが出来ました。
 オランダ館は国土の二十五%が海抜〇メートル以下という国らしく「水の国」がテーマです。パビリオンの中心には池を模したスクリーンがあり、ここに四台から投影される立体映像は水の恐ろしさ(津波、氾濫水)、水の有り難さを紹介していて、そのダイナミックさには驚かされました。
 各国の会場がそれぞれ民芸品や資源を含めた自国の魅力を紹介しており、南米ではペルー、ボリビア、ベネズエラ、アルゼンチン等も出展しているのにブラジルが参加していないのは寂しく物足りない感じでした。
 スペイン館では出口でスペイン人の女性にお礼を言うとスペインの名作ドン・キホーテの小冊を持って来てくれました。色々な人間の知恵からの新製品が見られ、ブラジルでは十五年以上使用されている電話での残額問い合わせですが、数字をパソコンが声で言い表すのはどうして可能なのか不思議な限りで、二年振りの訪日でしたが、社会の移り変わりが激しく、沢山の小学生が携帯電話を持っていることやカーナビは以前は地図に信号が付いていたのが、今は地図が半分で半分はそこの建物がモニトールに写しだされる事、また、クレーンがリモコン操作で作動されている便利さにも驚かせられました。どんどん進んでいる社会ですが、社会が五歩進んだならば、せめて私も二歩ぐらいは追いつきたいものだと思った次第です。


只の山

サンパウロ中央老壮会 香山和栄
 NHKの連続テレビ小説「風のハルカ」を観るのが私の毎晩の楽しみである。主題歌「風花」のやわらかい声と曲に乗って写る湯布岳を始めとする風景がこよなく美しく懐かしい。
 そして思い出すのは昨年、永六輔氏のユーモア溢れる洒脱な講演である。それは昭和天皇が湯布院に行幸された折りの事、知事は御下問にそつがあってはならぬと、盆地を囲む周囲の山々の名前をしっかりと頭に叩き込んで、いざ本番という時、あいにくの霧が出て頂上も麓も隠してしまい、東西南北いずれも定かではなくなり、ちょうど現れた一つの峰を指された天皇の「あれは何と言う山ですか」とのお言葉に慌てふためき、つい「ハイ、只の山です」と答えて恐縮し、深くふかく頭を下げた知事が、ふと見ると天皇のおズボンが震えていて、笑いを噛みころされていらっしゃるのが判ったそうである。
 そして時が過ぎて、今度は皇太子殿下が湯布院をご訪問された。知事はこの間の失敗にこりて、前以てよく山の名前を暗記してお待ちしていた。その日は晴れ渡り、各峰もくっきりと青空に浮かび、首尾は上々であった。
 うやうやしく参上した知事に皇太子様はニコニコと周りの山々を見渡され、「あの只の山はどれですか?」とご質問になられたそうである。
 このエピソードに会場を埋めた私たちは、皆吹き出してしまった。
 これこそ我が敬愛する万世一系の天皇御一家であると、心暖まる思いでいっぱいになった。
 新年を迎えて、竹の園生(そのふ)の彌栄(いやさかえ)と日伯友好を願うことしきりである。


年賀状

イタケーラ寿会 小坂誠
 私は毎年、二十五通前後の年賀状を書いている。
 この頃は便利がよくなって、印刷を頼めば、印刷屋が作ってくれるが、それでは気が済まぬので、下手ではあるが直筆で一枚ずつ書いている。
 宛先はほとんど外国である。主に日本であるが、南米諸国には同期生がいるので、交流があるものには出すようにしている。
 最初に「謹賀新年」と書くか、」明けましておめでとう」と書くか、人によって変わる。一枚一枚相手のことを思い出しながら、ゆっくり書く。こんなことがあった。
 十四年前、三ヶ月程滞伯した婦人が「ブラジルには花の咲く木が多く、年中花を見ることが出来る」と言われた。それまで生活に追われて、花の咲く木のことなど考えたことのない私に、花の咲く木があることを教えてくれた恩人である。
 その御家族には、花の事等も入れて書く。
 友達に定年になっても「生涯現役だ」と言って、自分の田では足らなくて、借地して稲作をし、空いた時間にコンピュータの勉強をしているのがいる。その友達には「頑張れ」と書いた。
 年賀状を書くのも楽しいものである。


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