K 林伊佐緒 プロの歌手で、作曲も手がけるケースは平尾昌晃(わたしの城下町、瀬戸の花嫁、恋のしずく、霧の摩周湖、カナダからの手紙等々)をはじめ、先例がなくもないが、決してその数は多くはない。林伊佐緒はその中の先輩格であり、ヒット曲も少なくない。その中で「高原の宿」(高橋掬太郎作詞)、「ダンスパーティーの夜」(和田隆夫作詞)は自分がオリジナル歌手で歌っているのだ。特に「出征兵士を送る歌」は、陸軍省が公募した歌詞(生田大三郎)にキング・レコードの作曲家、林伊佐緒(当時、多岐英二)が曲をつけたもので、林を含む男三人、女三人が歌っている。ほか、ヒットしたものでは「長崎の女」(春日八郎)、「りんご村から」(三橋美智也)等がある。 林のデビューは「もしも月給が上がったら」(昭和一二年、新橋みどりとデュエット)で、戦時には「出征兵士を送る歌」(一四年)を出している。戦後になってからは、「麗人草の歌」(二四年)、「愛染草」(二四年)、「ダンスパーテイーの夜」(二五年)「高原の宿」二九年)、ユニークなものでは民謡をジャズ風にアレンジしたものとして「真室川ブギ」(二七年)が広く歌われたものだった。 「麗人草の歌」は私の最も好むカラオケ・ナンバーの一つとなっている。
L 竹山逸郎 竹山逸郎と言えば、やはり「異国の丘」であろう。垢抜けしないところがあるが、高音にやや安定さを欠くものの、その男性的な豊かな低音には魅力がある。ところで、「異国の丘」(昭和二三年)には有名なエピソードがある。そもそもこの曲は、後年にはムード歌謡曲の作曲家として不動の地位を築いた吉田正が二二才の時、満州の野戦病院に入院中、軍馬の苦労を愛しんで作詞、作曲した「昨日も今日も」が病院で愛唱され始め、それがシベリア抑留所では増田幸治の詞で「俘虜の歌」となり、さらに「異国の丘」と改題されて、抑留者の間でひそかに歌われていた。その後、昭和二三年に「NHK素人のど自慢」で復員兵・中村耕造が歌って鐘を三つ鳴らし、レコーディングでは中村が二番を、プロの竹山が一、三番を歌ったものだと言う。吉田はこの歌が流行している頃復員し故郷の日立にいたが、二年間の抑留生活で疲れ果てており、NHKに出向いたのはずっと後のことだった。 さて竹山は戦後二二年、「泪の乾杯」でデビユーした歌手であり、続いて同年「誰か夢なき」、「月よりの使者」(何れも藤原亮子とのデュエット)で売り出し、翌年には「異国の丘」引き続き「熱き泪を」「流れの船唄」「別れの夜汽車」「今日われ恋愛す」等と活躍したが、その後早々と引退、晩年には闘病生活を送り、昭和五九年に六五才で他界した。 私自身、「異国の丘」も悪くないが、カラオケ曲では「誰か夢なき」が大好きである。