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熟年クラブ連合会
     エッセイ  (最終更新日 : 2019/02/15)
2007年2月号

2007年2月号 (2007/02/12) 献体のこと

名画なつメロ倶楽部 田中保子
 いつぞや、ブラジル生れの医者の卵と雑談の折、彼氏曰く「小母さんが思っているほど、ブラジルの医学は遅れている訳ではありませんよ。ある分野では世界のトップレベルのものもあります」。
 後で知ったことですが、医学界十一分野で、ブラジルは群を抜いて進んでいるそうです。
 「僕は外科医なので、内臓の正しい位置とか、骨格の構造、構成に関心があります。勿論、解剖もいわゆる『腑分け』もしましたが、人体の断面は比較的正確な推測だけです。ヨーロッパのある国には〇・五センチの胴体の輪切りの標本があり、日本ではその一枚を譲り受けて保存しているそうです。僕も一度それを見たいと思っています。ブラジルの国教カトリックは遺体の損傷を嫌いますので、大っぴらに出来ません」とのこと。
 私はこの話を聞いてから、以前に作成した遺体献納の遺言の一部書き換えを考えています。
 「盲腸と胆嚢が無いけれど、私の胴体でも役に立つかね」と聞いたら、「役に立つけれど、手続きが面倒らしい」と。何の因果か、娘はこの種の文書作成の専門家である。
 私の遺言は「死後、役に立つ部分があれば、すべて利用されたし。葬式・供養一切無用」のほかに「胴体は見本用輪切りとすること」と書き加えようと思っている。
 貧乏で養国ブラジルに何の恩返しも出来ないが、それぐらいなら私にも可能でしょう。そう遠くない将来『矢切りの渡し』ならぬ『輪切りの私』がブラジル医学界に些かの貢献ができる日が来ることを信じている。
 付記・ブラジル医学がトップの座にあるのは次の分野。
心臓外科、ニューロンサイエンス、伝染病人体遺伝工学、原子物理学、化学触媒、アマゾン生態系、酸化性新陳代謝、量子物理学、避妊医学、ゲノム工学 (科学誌「ネイチャーとサイエンス」による)


老ク連の皆様

サウーデ老壮部 林壽雄
 毎月、サウデ区の老壮会には出席している今年九十六歳の老爺です。
 若い頃、世界をまたにあらゆる地方を歩き回った、旅行好きの著者ですが、寄る年波に只今鉾を納めて悠々たる閑日月。今さら乾坤一擲の勇をふるって、浮き世の荒波に身を晒す。蛮勇などさらさらなく、ジッとして、浮き世の殷誉褒貶を眺めているのが精一杯。今になって出しゃばって名もなき老爺が殊更に虚名をさらしたって、一体何になる。
 嘗ては「臥薪嘗胆」「邯鄲の夢宜しく」ブラジル力行会の会長を二十三年も務めたが、その当時の有名先輩達も殆ど幽明界を後にして、雲集霧散、天国とやらに去ってしまった。
 村上眞一郎氏、破魔六郎氏、野上豊氏、歴史家の佐藤常蔵氏など数え切れない豪傑連がいたが、すべて邯鄲の夢と消え去ったのか。
 ひとり粗忽者、強情だが半面淡々として無欲、無位眞人を生き甲斐に余世を謳歌する肥後仙人(自称)時たまサウデ区老壮会にも顔を出している位が関の山か。
 今更浮き世の事など馬耳東風。娑婆に一片の未練もなし。毎年十月頃、故国日本を訪れて、故郷訪問。既に百二歳を迎えた実姉の御機嫌伺いなどが趣味の一つか。いつ行ってもふるさとの山に向って言うことなし。ふるさとの山はありがたきかな。啄木の詩か。
 然し乍ら故郷熊本を去って、早七十八年。時代の過ぎ行くこと矢の如しか。
 去年、熊本訪問の途次城南温泉に甥と行ってみた。そこは単に温泉だけでなく、一種のレジャーセンターだった。日本も豊かになったのか。悠々としてゴルフを楽しむ一群の人たちなど、殆ど週日でも遊んでいる群がいたが、これが現実の日本かも。豊かになった祖国日本よ。どこへ行く。
 一筆認めて。毎月読ませて貰っている老壮の友誌にお礼を申し上げたい。
 お互いに老後をうまく生き抜きませう。


ビバ!ブラジル!

アチバイア清流クラブ 三木八重子
 不勉強がたたり、ブラジル語会話は、もっぱらお天気の話に始まり一時間もしたら話すことが無くなる。娘は、「天気の話しかないの、いつも同じなんだから」と。
 若い時の余暇は、昼間はもちろん夜中に目が覚めるともっぱら読書三昧でした。TVはほんの少し、ニュースを見るのみ、その後、NHKの衛星放送を見ることができるようになったら、チャンネルを変えることは、まずオリンピックとワールドサッカーの時だけで、またまた娘に、「もう、日本に住んだ方がいいんじゃないの」と皮肉を言われる始末です。読書は、遠い昔の話、長年薄暗い中で読んだ為か、付けが回ってきて今では小さい活字が駄目になりました。二十三歳まで日本で過ごした日々より、はるかに多く過ごしているブラジルですが、「三子の魂百までも」で、今でもしっかり日本人をしています。
 都合の悪い時はもちろん、ブラジル人になる事も使い分けるしたたかさも身に付けました。折りあるごとに日本とブラジルを比較しています。思いつくままに、いくつか書いてみましょう。
 大人はもちろん、知らない小さな子供たちでさえ、道で会えば「オーイ」とにっこり微笑んでくれる。 銀行で長い列に入り順番を待つ時、前後はもちろん、五、六人の人達が皆うちとけて、話しがはずみ、待つのも苦にならない、嬉しい事です。
 人々は、明るくて、親切ですし(時たま、約束などどこ行っちゃったかな?)なんてこともありますけど。気にしなーい、気にしなーい。
 娘さんたちの多くは、スタイル抜群!一般にブランド品とは縁がなく安い物を上手に着こなし、高価に見えるのには、感心させられます。
 それより何より心から明るいから内なる現われでしょうか?心が伴ってこそ美しく見えるのでしょう。センスの好さ!一人一人がモデルと言っても良いほど。太っていても、細いところは細く、お年を召した方も、自分が何を身に付けたら一番きれいに見えるかを充分知り尽くし、綺麗な色を召されるのでとても若々しく見え、良い目の保養をさせてもらっています。
 駅、列車、高速道路等
 駅周辺は控えめな広告で、車内でも、色使いが全く気にならず、それに網棚が無いからすっきりしていて快適です。
 ラッシュ、アワーでも皆さんおとなしく、我先になんて人はまずいないですね。私は日本の癖が抜けなくて、発車ベルがなっていても、飛び込んで、後から、はしたないなぁと思いはしますが、相変わらず、心がちょっと痛みますが、一分を争ってます。
 そして、日本では親切の押し売りと思われるほどの構内放送。「まもなく列車が到着します。白線までお下がり下さい。」これって騒音を増やしているのですよね。ここでは、アナウンスがなく静かだから列車がくるのが聞こえて来るし、皆、当たり前のように安全な所で待っています。事故が起きたなんて聞いたことは無いです。
 高速道路はどこまで行っても豊かな大自然を満喫でき、騒音防止のフェンスが延々と続き、まるでプリズン(刑務所)の中を走っているような事はありません。広告も自然と調和していて心憎いほど!
 色彩感覚は、カーニバルで培われたのでしょうか?思いもよ
らない組み合わせにはびっくりします。
 変化にとんだ四季こそありませんが、気候もすばらしく、何はなくてもここに住んでいる有り難さを感じます。ビバ!ブラジル!


カレーライス

老ク連宿泊者 藤田建興
 カレーライスと言っても食べ物の話ではない。旅の思い出話だ。四十年前、私は初めての海外旅行に東南アジアへ行った。ベトナム戦争真っ盛りの頃だ。
 往路は貨物船の一等室で、復路はフランスのM・Mという船会社の客船の七等室で。
 その直後、客船は無くなり、貨物船も客を乗せなくなった。航空機の時代に完全に移ったのだ。
 シンガポールから上陸したのだが、まったくの貧乏旅行で、移動はほとんどヒッチハイク。ホテルに泊まることはめったに無く、たいがい寺院に泊めて貰った。誰からでも「泊めてやろう」「食べさせてやろう」と言われたら、一も二もなく飛び付いていた。
 あれはマレーシアの首都・クアラルンプールへ入る時の事。最後に乗せて貰ったのが、小さなトラックで、荷台にたくさんの労働者が乗っていた。
 そのうちの一人、インド人の青年が、彼の家に来ないか、と誘ってくれた。私は喜んでついて行った。着いてびっくり。
 堤防沿いの集落は、貧民窟であった。終戦直後の日本によく見られたバラック小屋が彼の家であった。六~八畳の部屋が二つあるだけ。勿論土間だ。電気も水も来ていない。最初は行った時は、五、六人の家族が出迎えたが、私が突然やって来たので、皆、奥の部屋に引っ込んだ。
 そちらが寝室兼炊事場になっているのか、やがて青年が食事を運んできてくれた。この部屋には小さなテーブルと椅子以外、まったく何も無い。ランプに照らされた皿にはカレーライスが山のように盛られていた。日本から輸入した魚の缶詰が入っていると、彼は嬉しそうに説明した。辛い。確かにカレーには違いない。しかし、日本のカレーのようにじゃが芋も肉も見当たらない。米と魚と特別辛いルー。こんな不味いカレー、未だかつてと言うか、その後も今日に至るまで食べたことは無い。
 彼は私の向かいに座り、じっと私の食べるのを見ている。彼の分はない。後で、家族と一緒に奥で食べるつもりなのか。ひょっとしたら、魚が入っているのは私の皿だけかもしれない。いずれにしろ、この突然の来訪者のためにこの一家の食料が減ったことは間違いない。これは残せない。彼らの精一杯のもてなしだ。私は必死の思いで口に放り込み、喉に押し込んだ。幸い、ランプしかない為、私の不味そうな顔付きはかれにはっきりとは気付かれなかったと思う。
 若い時分であったから、何とか全部食べ切ったが、今なら、スプーン一杯が限度であろう。翌朝は早々にそこを辞して、クアラルンプール中心街へ向かった。
 今でもカレーライスを食べる度にあの時の事を思い出す。旅行中、行き擦りの人に泊めてもらったり、食事をご馳走になった事は数え切れない。しかし、その事で彼らの家計が苦しくなったとはとても考えられない。それらはただの小さな親切と言えよう。だが、このインド人青年の場合はまるで次元が違う。
 その一家は彼の他は年寄り、女、子供ばかりで、働き手は恐らく彼一人であっただろう。その彼にしても仕事が毎日あるとは限らないし、古今東西を問わず、肉体労働ほど賃金は安い。あの魚の缶詰はあの一家にとっては貴重な食料であったに違いない。それを私のような赤の他人と言うより、どこの馬の骨とも分からない貧乏旅行者にあっさり提供してくれた。親切を通り越して、慈愛とも言うべき行為である。私なら二度と会うこともない他人になけなしの食物を与えるなんて真似は到底出来ない。
 あのインド人青年はどうしてあんなにも人に親切になれるのだろう? と何度も色々な角度から考えた。ヒンズー教という宗教によるのだろうか。いや、ヒンズー教徒はむしろ異教徒には排他的だ。貧乏な旅行者には親切にしろ、と教えられてきたのか。それは生活に余裕があっての話だろう。さりとて、彼が聖人とは思えない。案外、他では悪いこともやっているかも知れん。未だに彼の行為が理解できないのは、この四十年、私自身が人間的に成長していないからか。
 結局の所、作家・池波正太郎が言う所の「人間という者は悪いことをしつつ、善行をし、善い行いをしつつ、悪事を働く」。そういう生き物なのかも知れん。私も最近は気が向いた時位はせいぜい善行を施すように努めている。


愛読した作家たち

名画なつメロ倶楽部 津山恭助
はじめに
 「晴耕雨読」というフレーズがある。定年退職後は誰にはばかることもなく、思い切って本が読めるぞ、と期待していたものだったが、いざその身になってみるとそれほど読書に時間を費やす訳でもなく、獺惰に毎日を送っている。
 渡伯してから四、五年ほど農村生活を送ったが、当時は未だ電化もされておらず、夜は石油ランプの灯で本に親しんだものであり、あまり勤勉でもなかったので雨の降る日などはこれ幸いと喜んだものである。幸い、日本からは五〇〇冊ほどの本を持ってきていたので、読むものには不自由しなかった。あの頃(二〇代前半)が生涯のうちで最も熱中して活字を追っていたのではないだろうか。
 サン・パウロへ出てからは、今はもうなくなって久しい古本屋漁りが楽しみだった。正直言って、ブラジルへ来てこんなに日本語の書物に出会えるものとは想像もしていない喜びであった。かくして、貧弱だった私の蔵書も少しずつは充実したものになっていった。しかし、年をとってみると子供達は会話は通じても、日本語を読んで鑑賞するほどの理解力は持っていないので、五年ほど前からは増やすのはやめて、図書即売会などに寄付して整理するように心がけている昨今である。
 本を読むという作業を教養を身につけるため、学問する心を養うためという固定観念が古い時代に存在したことは認めざるを得ないが、今の時代では全くの偏見としか思えない。「ひまつぶしこそ読書の醍醐味である」と強く主張したイギリスの作家サマセット・モームの説に共感をおぼえるものである。私ごとで言うならば、中年以後になって眼が向くのはミステリー、推理小説を中心としたものに固まってきた。特に外国ではコナン・ドイル、アガサ・クリスティ、ヴアン・ダイン、チャンドラー等々、日本では横溝正史、松本清張、鮎川哲也、内田康夫の諸作品に惹かれて現在に至っている。近年ではミステリー界の新人作家の台頭も著しく、たのもしい限りであるが、何さま数が多いためどうしてもオーソドックスな古典名作に手が伸びてしまうのはやむを得まい。
 人並み以上に書物を読破したからと言って、人格が上等になったことにつながらないのは勿論である。あくまでも楽しむことを目的とした読書である所以である。とは言うものの、豪邸に住んでいる富豪であっても、蔵書が余りないというような人生は淋しい気がするのである。ともあれ、ブラジル生活も半世紀になった私の無聯を慰めてくれ、ヒマつぶしに大いに役に立ってくれた日本の作家と作品を、思いつくままに取り上げてみたい。


私のペット物語 ⑦「トントンと共に」

プ・アルボレ老壮会 戸田房子
 トントンと言ってもパンダではありません。我が家の愛犬の名前です。十年程前、それまで飼っていた犬が亡くなり、淋しがっていた末孫が「可愛いから」と、友達から貰ってきました。 真っ白くてふわふわとしていて、両手の手の平に入るほどで、本当に愛らしかったのです。
 でも、私は前の犬が病気で亡くなった時、もう二度と犬は飼うまいと思っていたものですから、「絶対にダメ」と強固に反対したのですが、結局、孫可愛さ、犬可愛さに負けて飼う羽目になってしまいました。そして、犬の世話は、最後は「やっぱり、私」ということになってしまいました。そのせいか、食べ物も行動も私似で、お菓子も、お煮しめも漬物も大好物。ンニャクなんて目がありません。
 この頃は体型まで似てきて、ちょっとふっくら気味です。私が何かを食べようとすると、どこに居ても嗅ぎ付けて、おねだりに来ます。
 「あぁ、分かっちゃったの?じゃあ半分こね」とか、「ヘジーメ(=ダイエット)、ヘジーメ。気を付けないと」などと話しかけながら、誰も居ない昼下がり、楽しいお茶のひと時を過しています。
 この私のトンコちゃんは美容院が大好きで、一週間に一度、おめかしに連れて行ってもらいます。そんな日はそわそわと待ちかねたように、迎えの車が来るとサッと飛び乗ります。シャンプーしてから、リボンを付けてもらったり、スカーフを巻いてもらったり、香水までつけてもらって、人間顔負けです。きれいにしてもらった時は、何となく得意げにすまして帰ってくるのでおかしくてたまりません。
 さて、その私の分身のようなトンコちゃんですが、昨年末、乳ガンと診断されました。まだ、初期のようですが、いずれ近いうちに手術をしなければならないと思うと、前の犬のことなども思い出して、可哀想で気が重くなります。
 その上、この月の初めにはいくら呼んでも小屋の中から出て来ません。隅の方でじっとしているだけで、食事も欲しがりません。やっとのことで小屋から出し、孫が病院へ連れて行きました。ガンが悪化したのでは…と、とても気を揉んだのですが、結局、リューマチということでした。注射をして薬を飲んで、今はまた元気に走り回っております。病院からかえって来た時は私のベッドのそばにじっと目をつぶって寝ていて離れようとしません。あぁ、犬でも心細いのだなぁと、いじらしくなりました。
 そういう訳で我が家の愛犬トントンは今年、もう十四歳の老犬です。この頃は白内障も出てきているようですし、犬の医療費も結構、高額で馬鹿になりません。犬も人間も老齢期はなかなか大変ですが、一人と一匹、高齢者同士、お互いにいたわり合いながら明るく、楽しく充実した老後を目指しています。


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