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熟年クラブ連合会
     エッセイ  (最終更新日 : 2019/02/15)
2007年12月号

2007年12月号 (2007/12/08) 家族慰安運動会に参加して

レジストロ春秋会 小野 一生
 九月十六日(日)レジストロ文化協会主催による年中行事である家族慰安運動会がRBBCの野球場で開催された。
 昨年はあいにくの雨に降られて、やむを得ず体育館で出来るだけの競技をやったが、今年はよく晴れて絶好の運動日和に恵まれ、朝早くから大勢の子供や老若男女が集まり、予定の九時には開始する事が出来た。
 まず、ラジオ体操部員に依る活発な元気溢れる体操を皮切りに次々と競技が進行された。今回は文協の会長清水ルーベン武氏自らマイクを持ち一日中グランドを走り回り呼び出しから競技の説明、又準備一般を役員やボランティアの方々に指揮をして今までにない熱の入れようですべてが順調に運営された。こうした運動会で一つ注目した事があった、それは計算競走であった。出された問題は極簡単な足し算、引き算で小学二、三年程度のものだが一、二、三、等の入賞になるのは毎年高齢者である事だ。
 こういう結果を見て考えさせられる事は現在では総てが機械化され計算機やコンピュータなどでポンポンとボタンを打てば答えが出るのに慣れた者が多く、我々が習った時代のように先ず九九を覚えそれを暗記して頭に入れていわゆる暗算の出来る者には非常に早く出来て有利であるが現在の人には鉛筆と紙を持っての計算は苦手なのである。時代遅れと言われて居る我々高齢者にもこの様な時には誇らしさを感じ面白く思った。
 午後の部に入りまた一つ高齢者に期待され喜ばれ楽しまれる競技があった。それは主催者側から七十五才以上の方々に贈られる宝探し競技である。競技と言っても宝物の入った袋がグランドの中央に置かれてあるのを取りに行くだけであるから走ることも急ぐこともない。中には杖をついて行く人、子や孫に連れられて行くお年寄りも居て非常に楽しまれ喜ばれる場面である。その宝袋には敬意と愛情をいっぱい詰め込んだ健康食品が重い程入っているのである。
 こうした和やかな雰囲気の中であまり良くない行為をされる人が居るのには驚きと怒りを感じたのである。それは主催者から決められた年齢未満の者が仲間入りして図々しく宝袋を下げて退場する姿であった、このような非常識な行為は絶対止め慎んでもらいたいものだと思った。
 楽しかった運動会もいよいよ終わりとなりここで老若男女総出で日頃あまり出さない力を出し合って綱引きをした。これを最後の競技としてそれぞれ頂いた賞品を手に帰路についた。


陽気な未亡人(六)

カンポグランデ老壮会 成戸朗居
 りつ子さんは四十年以上の未亡人歴の持ち主である。戦後移民で早くに夫を亡くされ、まだ小さい子供に助けられながらの長い苦闘の生活を経験された。しかし、今は息子さんたちが立派な農場を経営されていて、りつ子さんは何の心配もなく、趣味に生きる余生を送っておられる。
 俳句、短歌、詩の他、人形、紙細工、千羽鶴と何でもこなすのである。俳句の集会には毎月欠かさずにご馳走を持参される。
 ゲートボールも公式試合に出場されるほどの元気の持ち主で、結構、誰にも負けない巧プレーを披露される。まさに万能選手の手本のようである。
 りつ子さん一家が入植された移住地は、日本政府の資金で購入された広大な土地であったが、間に立った不動産の代理人は、悪徳な日本人だったため、移住者は苦渋に満ちた辛酸をなめた。日本から派遣された役人も不徳漢で、悪徳代理人によって連日サンパウロの料理屋で接待を受け入り浸り、彼のなすままになって、農業に不適当な土地を移住者に押しつける結果となった。
 日本政府の役人のある一面で、やり方は大事に守るが、その結果を見極めることをしない。後は野となれ山となれ式の無責任な役人根性のせいである。初めに入った人たちの報告で、移住は中断され、後続するはずだった家族は結局ブラジルに来ないままで終わった。
 何もできない土地にしがみついての苦闘の何年か後、現地の指導機関の適切な援助で、養鶏に活路を見出し、ようやく現在の安定した生活にたどり着くことができた。リーダーは「土地が悪かったお陰で今の移住地の繁栄をもたらすことができた」と書き残している。「もし土地は良かったならば、今頃は借金で苦しんでいただろう」というのである。「何が幸いするか分からない」との結論である。この移住地から将来への望みを捨てて、入植者の半分近くの家族が近くの大都市へ移転して都市生活を始めた。現在のところ、移住地を出たのが良かったのか、残った方が良かったのか、まだ、結論は出ていないそうである。日本から来てこのブラジルで新生活を築くというのは、大変な冒険であるのは誰しもが気付くところである。
 りつ子さんは夫が死んでも、日本へ帰ろうとはしなかった。子供たちを励まし、養鶏に将来を託し、脇目もふらずに一心不乱に働き、息子たちに後を継がせて、今では悠々自適のんびりした生活に身をゆだねている。時間に余裕があるから、移住地の催し事には必ず参加し、先頭に立って采配を振っている。今のりつ子さんの生きがいは、周囲の人々のためになることなら、何でもやろうとの意気込みである。


時計

レジスト春秋会 大岩和男
 もう何年も前のことである。今井順平さんの奥さんが亡くなり、遺体をベローリヨに安置し、お通夜で一晩を過ごした翌日、今日はいよいよ最後の別れという日だった。六十余年も連れ添い、苦しみも楽しみも一緒に乗り越えてきた最愛の奥さんに先立たれた今井さんの姿は、見るも気の毒なほど落ち込んでいた。一挙手一投足、すべてが奥さんへの愛慕、愛情の表れに見えた。今井さんの妹さん母娘、特に姪の幸子さんは、実の娘さんのように親身に世話をしておられた。
 ところがその日の午後、間もなく出棺という時になって急に今井さんの姿が見えなくなってしまった。「伯父さんが見えない」と姪の幸子さんが血相を変えて探し回ったが見つからない。「おかしい。伯父さんは気がどうにかなって川にでも入っちゃったんじゃないかしら…」とまで心配して、若い人二人にそれとなく言い含めて川べりの方まで見に行ったりもした。また、他の気心が知れた者たちで町の方へも探しに行った。
 今井さんは植民地では古くからいる人だから、どの店へ行っても知らない人はいない。片っ端から店を回り、「今井さんを見かけなかったか?」と尋ねたが、どの店の人も「今日は見なかった」という人ばかりで、ますます不安が高まった。もうこの辺で探すのは諦めて、引き返そう。ひょっとしてもう帰っているかもしれないと思いながら、最後に時計屋さんに入ってみると、なんと当の今井さんが出てきてばったりと出くわした。
 「あぁ、よかった。どうしたんですか。みんながとても心配していますよ」と言うと、あの憂いに満ちた顔にちょっと戸惑い笑いを見せ「いやぁ、それは悪かった。実はな、妻と最後の別れだと思うと、何かおれの形見をあげたいと思って、おれ愛用の腕時計をお棺に入れてやったんだ。けれどもいつも腕にあった時計がないと、これも不自由で寂しい。それで誰にも言わずにこっちに買いに来たんだ」と言って寂しく笑った。身投げでもしたんじゃないかとまで心配した家族や身内の人たちの気持ちも分かるが、今の今井さんにそんなことは言えない。無事であったことを喜ぶばかりだった。それほどまでに亡き奥さんを思う優しい今井さんの気持に心が打たれ、頭が下がった。
 つい先日、親戚の人が亡くなった時、やはり生前に愛用していた時計を手にかけてやる場面を見て、数年前のことがまざまざと思い出されたのである。


千の風になって

ピ二ェイロス親睦会老壮部 中川浩巳
 皆様もすでにご存じのことと思いますが「千の風になって」という歌が、今年のNHK紅白歌合戦でテノール歌手が歌い、今年のクラシック部門でCDの売り上げが最高となり有名になった曲です。
 ♪私のお墓の前で泣かないでください。
 そこにわたしはいません。眠ってなんかいません。
 千の風に 千の風になって
 あの大きな空を吹きわたっています♪
 この歌は演歌ではなく、好きな人や嫌いな人もあると思いますが、私はこの歌を初めて紅白で聞いた時、大変に感銘したのです。と言いますのは、今から二十数年前でしょうか。近所にビデオテープを貸し出している所がありました。そこへは色々な人が集まり、時の話題で賑わって日本人の集いの場所となっていました。その頃、私もよくそこへ行き、テープを借りておりました。シルクロード、チベット仏教、近代医学の前途などドキュメンタリーのものばかりを見ておりました。 ある時、その場所へ物知りのおじさんが見えて、いろんな話が弾み、人工衛星の話をしてくれました。人工衛星にも色々な衛星があること、気象衛星、通信衛星、航海衛星、科学衛星、軍事衛星、森林や農作物の植付を調べる人工衛星、これらの衛星が地球の周りを回っているが、途中で故障したり、部品が外れたりして機能を失って、仕事をせずただ地球の周りを回っているものもある。それで宇宙は「鉄ゴミでいっぱいだ」と一生懸命に話していました。おじさんに私は「わぁ、危ないね。死んであの世に行く時、そんなものに当たって、死んでからまた事故に遭ったらいやだよなぁ」と言いました。すると「じゃあ、おばさんが死んだら一気に霊界そして神界に上っていこう」と話したことがあったのです。その時「おばあさんは変わっているね」とみんなに言われたことを思い出したのです。
 それでこの「千の風になって」の歌詞が今の私にぴったりの詩なのです。作者不明でアメリカのインディアンが作ったとか。詳しいことは知りませんが、お互いにその時が来たならば、「千の風の~」の歌のように「あの大きな空に向かって吹きわたりたい」ものです。ピニェイロス親睦会老壮部では今年に五人の人が大空に向かって旅立っていかれました。どんな所か電話も手紙も届きませんが、あの大空の果てより手を振っているような気がします。今年も残り少なくなってまいりました。また今年の紅白にはどんな新しい歌が生まれてくるのか、楽しみに待ちましょう。そして老ク連のカラオケ大会も大いに盛り上がり、出場された皆様が元気で歌われたことを心からお祝い申し上げます。


持つべきものは

サンパウロ鶴亀会 井出香哉
 私の友達にAさんという一回り年上の丑年の人がいる。彼女はアエロポルト、私はカランジルの反対方向に住んでいる。私はいつもAさんは駿馬で、私は駄馬だと言っている。彼女は駿馬だから、何でもできる。自分が知っていることは何でも私に教えてくれる。私は駄馬だから不器用でなかなか上手に出来ない。私がイライラして彼女にあたりちらして皮肉を言っても「私は鈍感だから、あんたの言っていることはわからないよ」とニコニコしている。
 その駿馬も九十歳になって「足がしびれる」「指が曲がらない」「腰が痛い」「年には勝てない」とまるで引退した競走馬みたいにションボリしているかと思うと「まだこれからよ。頑張るぞー」と、叫んでみたりする。
 また、私には変な病気があって、自分で「食べたくない病」と名付けている。突然、食欲がなくなって何日も食べずにいる。私は彼女に電話をする。「また、食べたくない病が始まったよ」。すると、大きな袋をさげてAさんが現れ、ご飯を炊いて食べさせてくれる。これで少しずつ食べられるようになる。
 それに私は風邪の神様に好かれているのか、年中風邪を引いている。いつもは喉が痛い、鼻がつまるくらいだが、今回は風邪の総攻撃を受けた。これが夜のことで息子たちは海に出かけて誰もいない。氷枕で頭を冷やした。二日目にAさんが来て、うどんを作ってくれた。彼女も風邪を引いていたので、二人でゴホゴホと咳をしながらうどんをすすった。
 私は日本で腰を痛めているので、腰に負担をかけると腰痛が始まる。近頃もエビみたいに腰を曲げて歩いているとAさんが来て、指圧をしてくれた。ツボを押されると痛くて、電気をかけられた囚人みたいにビクンと飛び上がる。「痛い」と言うと面白がって、もっと押すので「あんたはマゾか。痛い。痛い」と飛び上がりながら、悪態をつく。
 閑話休題
 持つべきものは友である。感謝。


愛読した作家たち

名画なつメロ倶楽部 津山恭助
⑩ 武者小路実篤 「新しき村の建設者」
 現代の文学青年の間で、武者小路実篤がどのような評価を受けているものか、甚だ関心をそそられるものがある。私が高校生当時、この人は現役の老作家であり、特に昭和二四年(六五才)から発表し始めた連作短編「真理先生」「馬鹿一」「空想先生」の山谷五兵衛シリーズは、文壇内のみにとどまらず、一般の多くの人々からも愛読され、ベストセラーの仲間入りをするほどに
なったことを記憶している。
 「真理先生」は一種の思想小説とも言えるもので、人間尊重、自然な人間関係の肯定など、楽天的で且つ向日的な人生肯定家としての武者小路文学の集大成を成すものと言えよう。真理先生をはじめ馬鹿一、白雲、泰山をとりまく小宇宙を天衣無縫に描いたものであり、この四人は多少純化され、誇張されてはいるものの、皆作者の分身とも言えるキャラクターであると言われている。
 昭和一四年に執筆された「愛と死」は青春文学の傑作の一つに数えられるものであり、「宙返りのうまい少女」夏子とヨーロッパへ留学した主人公とのひたむきな恋物語であり、高揚する愛の頂点における可憐な乙女の急死は、多感な若者の心に深く刻みつけられる。また、「友情」(大正八年)は極めて単純な失恋小説であると同時に、激しい情熱のほとばしる友情物語でもあるのだが、作者独特の楽天的な生の意志が全編を貫いている力強い代表作である。「幸福者」は弟子が亡き師を語るという形式で、作者の理想とする人間像を描いたもので、戦後の「真理先生」の原型をなす重要な作品と言えよう。
 武者小路の文章は格調の高さとか流麗さとか、艶やかさなどからは凡そかけ離れた、どちらかというとぶっきらぼうで無造作な奔放さに特色があるが、自分の言いたい事柄を自分の言葉で書く、という意味で真の言文一致を具現したもので、正に画期的な小説作法である。
 六〇〇本を超えるという多作家であり、戯曲の数も少なくないが、不遇な芸術家の兄妹を描いた、ストリンドベリの影響を濃く持つデビュー作「その妹」(大正四年)、彼の作品にしては珍らしく、猜疑や嫉妬や憎悪などの人間心理の暗い面にメスを入れた「愛欲」(大正一五年)の二作が代表的なものだろう。
 武者小路を語る上で欠かせないのは、大正七年の日向(宮崎県)の「新しき村」んも建設運動と一〇年間に亘って同地を生活倫理実践の場とした体験であろう。必ずしも成功した試みだったとは言えないかも知れないが、理想達成のためにかけた情熱はやはり稀有なものだろう。
 余りにも現実からかけ離れた感のある作者の理想主義的な作風についていけずに、四〇年以上もの間無縁のものと意識して遠ざけてきた。最近少しずつ読み返しているが、自分自身が馬齢を重ねてきたせいか、意外と抵抗もなく受け入れることが出来るのである。


我が家の気象予報官

名画なつメロ倶楽部 田中保子
 朝、出かける時とか、洗濯、庭仕事をしたい時、雨になるのか?暑くなるのか?判断がつかない空模様の日があります。そんな時は裏庭を見渡して、花子を探します。花子とは何十年も前から、我が家に住みついているメスの亀です。
 冬ごもりの最中でも気象異常で日中暑くなる日は、早朝から花子はアジトを這い出して歩き回っています。
 そこで人間さまは「今日は暑くなるな」と、判断する訳です。
 花子に言わせると、昔々からそうしているのに何を今さらと言いたいでしょうが、飼い主が忙しくて、亀のそんな習性を知らなかったのです。
 面白いことに朝早くからゴソゴソ動き回るのは、メスの花子で、オスのゴーンは寝坊助で、めったに早起きしません。何となく可笑しいですね。


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