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熟年クラブ連合会
     エッセイ  (最終更新日 : 2019/02/15)
2008年1月号

2008年1月号 (2008/01/02) 二人の女性

俳句教室 栢野桂山
 嘗て佐藤春夫の「晶子曼陀」という小説を読んだことがあった。その与謝野晶子は短歌の師である与謝野寛と結婚したが、寛は初めの愛人との間に一児があり、次の女と結婚して、その実家から資金援助を受けて短歌活動をした末に離婚した。
 そして晶子と結ばれたが、美しい女弟子を、しかも二人も愛人にもつという、自由奔放な自然児であったーー。そう言えば恰好が良いが、実際は手のつけられない放蕩児なでのである。 
 そんな夫を守り、歌を作り、歌誌「明星」を育て、生活のために小説を書き、その上、十一人もの子を産んだ。
 晶子と言えば、二十一、二歳の頃、覚えた彼女の歌がある。
 やは肌のあつき血潮にふれもせで さびしからずや道を説く君    その子二十櫛に流るる黒髪の おごりの春の美しきかな
と言う歌を知って口ずさみ、血を沸かせたものである。
 それらの歌や詩によって詩才の豊かな努力家で、エネルギッシュで、あらゆる苦難に苦悩に耐えてきた女性であることを識った。
 十七歳の頃に、僅かしか識らなかった日本語を覚えるため、父に従いて村の俳句会に行って、その清記などして文字を覚え俳句を習った。
 三十歳の頃、俳句にゆき詰り、晶子の短歌の影響が残っていたのか、一年ほど短歌に熱中したことがあった。そして佐藤念腹先生の近くに移転してより、写生俳句の新鮮な魅力に取りつかれて、現在に及んでいる。
 さて現在、この与謝野晶子に比肩できる女性と言えば、ホトトギス誌を主宰して、選者を子息の稲垣広太郎に代ったとは言へ、虚子の孫の汀子先生であろう。
 三十年ほど昔、訪日して鎌倉の虚子忌に出席して、三人の仲間と共にその汀子先生に面会する機会を得た。日本着をきりっと着こなされた先生は日本座敷に坐られて、名も無いブラジルの俳人に丁寧な言葉をかけて下さったが、永年ホトトギスを主宰した貫禄ある姿が、今もはっきり目に浮んでくる。
 月々数万という雑詠の選をし、俳句随想、文章を掲載し、句評を書き、雑詠選予選稿を執筆し、方々の句会に出席のため全国を駆けめぐる。
 そしてある時には、難病で倒れた父年尾や夫の看病をし、三人の子を育てるという八面六臂の活躍をされている。
 日本の俳壇では最も権威のあるホトトギスを主宰して来たという一つをとってみても、どれほどの重圧があるかを推察する。
 そのエネルギッシュな活動は、テレビで見るNHK俳壇でのお姿の、あの貫禄は二十年昔を想い出させる。そして「晶子詩歌集」にある与謝野晶子の写真と重ねて想い出すのである。
 尚これは余計なことかも知れないが、この晶子の孫に当る与謝野馨は安倍内閣に続く福田内閣の重要閣僚である。
 日本では「一流のサラリーマン」「二流のスポーツ選手」「三流の芸能人」「四流の政治家」と言われているが、そういう中にあって昔なら与謝野晶子、現代なら稲垣汀子先生が、女性としては一流中の一流ではないか。


悪いことばかりではない人生

短歌教室 渡辺光
 毎年、年の暮れが迫ってくると、一年間何もなさずに過ぎたことをあれこれと悔やんでいます。来年こそは…と、夢のさまざまを描いてはみますが、夢に終わってしまい、今では夢さえ描けなくなってきたようです。
 体のあちこちに障害が発生して、その修理に悩まされています。十一月にはUSPのキャンパスの中で、頭から見事なまでに滑ったのです。試験のシーズンだから滑ったのではなく、足元を見ないで、遠方を見て歩いていたので、野球の盗塁の様でした。ズボンに大きな穴、時計、眼鏡はすっ飛び駄目にしました。幸運にも足と顔に軽い擦傷があった程度で済みました。
 やれやれと思っていると、今度は定期的に血液検査を受けた方が良いということで、血液検査をしたら、「腎臓が二〇%しか働いていない」と言われ、精密検査。ところが、ウルトラソンの検査では「異常なし」と出たので、医者が首を傾げて再度検査のやり直しとなりました。今のところ、結果が出ていないので、何とも不安で仕方がありません。自覚症状がないので始末が悪く、今はもう諦めています。
 ところが、昨年十二月になって間もなく、宮内庁から電話があり、「歌会始の詠進歌に選ばれましたので、書類を送付します」とのことでした。驚いたの何の。実感が湧くというより、夢のようでした。
 まったく自信などなく、今年も出してみようか、と言った具合で、自分自身の行事みたいなものでした。五、六回位出したように思います。選ばれたとなると大変です。訪日も年末とあって、航空便もキャンセル待ち。服装も規定されるので、その準備も大変。嬉しいことに変わりはないものの、宮内庁の儀式となると……等など。腎臓障害など忘れてしまいそうです。
 人生悪いことばかりではない。誰でもいつの日か思いがけない幸運が巡ってくるかも知れないのです。黄泉の旅に出るまで、諦めず一日一日を感謝して過ごしましょう。


日本から書の名品が来る

書道教室 若松如空
 いよいよ百周年のお祭が始まります。年頭から押すな押すなの催しで、賑やかな年になりますが、私の関係の書道も大きな事業が予定されています。その最大のものが、毎日新聞社が主催する日本の書家の展示会です。時期は十月十五日から十一月五日までと、ほぼ決定しています。場所は、アベニーダ・パウリスタのサンパウロ美術館「マスピ」です。
 一九七五年に毎日書道会がマスピで書展を催して大きな反響をよんだことから、それが契機となって、私が今、会長をやっているブラジル書道愛好会が生れ、現在に及んでいます。したがって、今回の展示会は三十三年ぶりです。我々老人にとっては、もう一度見ると云うわけにはいきません。
 今回の展示会では、過去五十年間に特に注目された作品が二十五点選ばれて来ます。加えて、現代の有名書家百人の作品が持ち込まれます。合計百二十五点という華麗な出展です。この二十五点は日本全国に散らばっているものを集めて持って来ます。有名書家は故郷の美術館に作品を残したい希望が多く、東京に作品が集まっているのではありません。七五年の来伯の団長を勤めた金子鴎亭先生がリオの景色を書いた詩文「南十字星」は、書家なら誰でも知っている名品ですが、これは現在、北海道にあります。
 だから、日本でも全国から作品を集めた書道展は見られません。それが、ブラジルに集められるのですからスゴイです。スゴすぎてオッカナイ位です。万一、飛行機事故でもあったらなどを考えたら、震えが来ます。
 そこで、老人会の皆様にお願いがあります。孫達に日本の「ほんとう」の書を見せてほしいのです。おじいちゃん、おばあちゃんに連れられて日本の最高の文化を見せてもらえれば、孫達は一生、その日のことを忘れないでしょう。彼等の眼底に感動と共に焼きつけられることは必定です。マスピは六十才以上と十才以下の小学生は入場無料で、学生は七レアルを支払えば入れます。開館は午前十一時で、午後五時には閉めます。
 マスピには欧州の世界的な画家の作品が数多くあります。ルノアール六点、ゴッホ五点、セザンヌ三点、モネー二点、ピカソ四点、マチス一点など、これ程の作品を揃えていえる処は世界でも稀です。ブラジルに何でこんなに良い作品が集まっているのかと言うと、頭の良いあるブラジル人が、第二次大戦の戦乱時に欧州で集めたからです。悪い比喩で申し訳ありませんが、銀座の土地を戦争末期に買い集めたと考えれば理解が得られると思います。
 こんな作品を同期に観賞できるのですから、絶対の好機です。私達のささやかな努力で、子供達に本物の文化を見せることができるのです。「十月には孫を連れてマスピに行こう」。




絵画教室 森田冨久子
 朝、おもしろい夢を見た。私が絵の授業をしている。生徒さんたちと楽しそうに話をしながら…。そこに一人のブラジル人青年がいる。おもしろい絵を描く人で、ちょっと暗い背景に茶色の平たい線で物を構成している。何か心の惹かれる絵である。
 ある日、離れで寝ていると庭の方で車が止まる音がした。その時、なぜか「彼だ」という気がし、戸をうっすらと開けて台所の方を見ると、やっぱり彼であった。
 いつものよれよれの服を着、皆のためにコーヒーを用意してくれているようだ。やっと台所へ行って彼と話を始めた。
 話を聞いてみると、お母さんはブラジル人ではないようだ。何気なく「お母さんはパラグアイの人?」と聞くと、青年はふと顔を曇らせて、話したくないような表情をした。私はハッとして「あっ、別に私はあなたの生活を探ったりフォフォカ(興味本位?)のために聞いているのではないのよ。何かパラグアイの人みたいだったので…。私は死ぬ前にパラグアイとペルーだけは一度行ってみたいと思っている国なのよ。私の絵の友達が二人も「『森田、絵を描き続けるんだったら、ぜひパラグアイは見ておけ!』と言ったので、その国にとても興味を持っているの。気にしないでね。これから私とあなたの間では、何でもありのままに話すことにしませんか?また、虚をついてもいいのよ。よく考えると、この世には虚も本当も無いのよね。私たちが絵を描く時、そうですものね。絵は虚の面もたくさんあるでしょう。でも、その虚は私たちの心の底の方にある本当の希望なのよね。心の欲する真実なのよね。この虚が真実の我々の〝本当〟じゃない?我々は心の中の虚を通じて、我々の心の中の真実を人に伝えているような気がするのよ。だから心配しないで〝ありのまま〟か本当の虚をじゃんじゃん話してね!」
 青年は嬉しそうな温かい目をして「うん」と頷いてくれた。何だか久しぶりに自分を理解してくれる人に出会ったようで、心がほのぼのとして目が覚めた。「たくさん、描くぞ!」という気持ちになって、一日が始まった。
 人間は日ごろの現実で叶えられない事は夢に見て心を満足させ、ほっとするのではないだろうか。ちょうど現実に夢を足すと良い人生になるなぁと思った。
 今年もこの夢の青年のように私を単純に理解してくれる友達に会える年でありますように・・・。


お正月

健康体操教室 戸塚マリ
 とうとう百年祭。私も踊りを教え始めて六十年。振り返ってみると、一番懐かしいお正月は、十歳の頃の北京でのお正月でした。父が尺八、母は琴で合奏し、その前に私たち子供は着物を着せられて、真面目に座って聞いている姿が思い出されます。
 午後になったら、もう着物は脱ぎ捨てて、庭へ出ると、ピラパラピラパラと中国式花火の威勢のいい音。中国人の子供たちと走り回って遊ぶのもまた、楽しいお正月でした。
 でも終戦を境に中国と日本の文化の中で育った私は、子供から大人の域に入って行ったのです。
 終戦の年のお正月は、家を接収され、小さな家に皆、詰め込まれ、男たちは仕事も無く、毎日安酒を飲み、麻雀に明け暮れてばかり。それを見ると私でさえ、何とも可愛そうだな、と思ったものでした。
 女たちは食料獲得に頭を使い、インフレの激しい中、少しでも安い食料品を買い求め、料理、洗濯と気がふさぐ暇も無いほどの日々。私と妹も自分のアクセサリーでも売って、何か買って来ようと出かけると、日本人が中国人たちに寄ってたかって叩かれているのを見て、恐くなって帰って来たり。
 我が家では中国人に恐い思いをさせられた事がなかったのですが、それは両親が中国人ときちんと付き合っていたからなのだなぁと思い、私も人種によって人を見ないようにと、両親の姿から学びました。
 三十五年前、ブラジルへ移り来て、三ヶ国に住めたことを今、幸せに思います。いつも自分に忠実に、平凡に生きていきたいと思います。
 二〇〇八年が良い年でありますように。また、お年寄り「私を含めて」の皆様が幸せでありますように。


私の幸せ

コーラス教室 三木八重子
 明けましておめでとう御座います。
 コーラスを始めて四半世紀、アチバイアでのグループの殆どの方は花卉栽培者でした。そんな関係で、我が家は何時も花一杯です。今でこそあちらこちらで生産していますが、その頃(四十数年前)セアザの花の殆どはアチバイアからと言われてました。知人から「花がたくさんあるから取りにおいで」「はーい」喜んで、いそいそと出かけて行きます。嘘でないのですよ。車一杯のランを頂いてきます。また国道沿いに家があるので、よくその他の花々、鉢物もたくさん頂きます。まるで花屋さんのように!生産者の方たちは、軒先から花一杯なので、あえて家の中まで飾らないそうです。仕事がいそがしい為、飾っても、枯れたままになってしまう事もしばしばとか。私の仕事は、それからです。庭先や近くの家の葉物をちょっと失敬して、水切りして、家中飾りまくり、ご近所さんに上げたり、水替え、しぼんだ花を取り除くと、(一つでもしぼんだのがあると全部汚くいたなく見えてしまうのです)綺麗に甦ります。そして下手の横好きですが、趣味の水彩画に収め、自己満足している。これって、しあわせ!
 訪日して、お墓参りの時いつも思う事、ブラジルだったらね、沢山飾って上げられるのにごめんなさーい。せめて遺影には飾ってるからね。
猫、大好きです。犬も好きですが、余りにも利巧すぎて気が疲れます。たとえば、本を読んでる時、ずっと、尻尾を振ったまま声を掛けてもらいたくて見つめている。絶えられません。私は、本に没頭したいのに。その点、猫は意のまま、構ってもらいたいときだけ近ずいてくる。ヨーロッパのとある漁村、TVで猫が沢山いるので聞いたところ、ねずみがいるより良いと市民が大事にしているそうです。老夫婦の話で、胸が痛いとき抱いて寝ると、痛みを取ってくれる。と言っていたのは初耳。抱いて寝てまーす。これも幸せです。
 二人の子供は外国住まい。夫婦だけの生活は、時には寂しくもありますが、気楽なのは良いです。食事つくりにしても、ご馳走――たまに食べるのが、健康にも良いのよ。なーんて嘯いて、本当は手を抜きたいのです。お日様と一緒の生活で何は無無くても、これって、これ以上の幸せはないのよね、と、噛み締めています。


大家族

名画なつメロ倶楽部 中原二男
 今、日本では子供の数が少なくなって人口が段々減っているようですが、私が子供の頃は何処でも大勢の子供がいたものです。
 私の家でも男三人、女三人の六人兄弟で、私は兄と姉の次に生まれたので、二男(つぎお)と名づけられました。
 私が小さい頃は、私たち兄弟に祖母、父母、叔母のキトエ、叔母のキクエの家族三人と、十三人が住んでいました。
 それで正月前の餅つき等、一日がかりでついたものです。
 私の家は百姓で、一町二反歩位を耕作していました。田植の時など母の里や叔母のハルエさん等も加勢に来ていました。一町二反歩のうち、半分ぐらいは家の土地で、あとの半分ぐらいは小作でした。終戦後、農地改革により、自分の耕していた分は小作人の手に入ったのです。それでうちは少し生活が楽になったようです。
 父は百姓一筋に生きてきました。私もずっと百姓をしてきました。私が小学校六年の時、終戦になり、私は農学校へ進学しました。
 農学校卒業後、村の農協に四年程勤め、ブラジルへコチア青年として移住して来ました。
 バルゼン・グランデの下川農場に配耕となり、そこで四年務め、コチア組合の斡旋で、イビウナの村上植民地へ入植しました。イビウナで二十年位農業をやり、トマトや人参、最後にはイチゴを栽培していました。野菜作りも段々難しくなり、百姓を辞め、サンパウロへ出て四年程水木(鍼灸、健康会社)の駐車場で働いたけれども、また少しでも百姓をしたいと思い、イタペビで少し土地を買い、今、家族は町に、私はシチオに住んで、土地を耕している。時には大家族で百姓をしていた昔を思い出しつつ……。


新年の御挨拶

老ク連会長 重岡康人
謹賀新年
 老ク連会員の皆々様におかれましては、二〇〇八(平成二十)年の新春を、めでたく迎えられた事とお悦び申し上げます。
 今年の移民百周年祭には、皇太子殿下の御来泊が決定し、一世は元より、二世、三世、四世全ての日系人は、早くもお合い出来る日を心に浮かべながら、楽しみにお待ちしておられることと思います。
 さて、世界の情勢を見ますと、国際原油価格は、バレルあたり既に百ドルの線を上下しており混乱を招いております。一方、ブラシルですが、官僚の汚職などは別として、流石に資源大国農業はバイオ燃料生産によって伸びており、関連事業の発展や軽重工業なども数年前の比ではなく、政治次第では今後、経済は更に成長するものと予測されます。
 次に、身近な当連合会でございますが、昨年は会員の皆様方の誠意ある御協力によりまして、無事平穏に過ごさせて頂きました。今年はいよいよ日本移民百周年という大きな節目の年になりましたが、外部での事は別として、老ク連と致しましては自力で出来る程度のささやかな記念事業を現在企画しております。きっと皆様の心に残る記念物が出来る事と楽しみにしております。
 顧みますと、私も老人クラブの副会長を一年、会長を六年務めさせて頂きました。この七年間の長きにわたり、無精者の私を支えて下さいました理事会の皆様、並びに全国に散在する会員の皆々様の暖かい御支援を賜りまして、無事に務めさせて頂きましたことを衷心より厚く御礼申しあげます。
 一区切りの百周年後も、二世、三世、四世へと続く日系社会の益々の発展を祈念し、全会員の本年のご健勝と御多幸をお祈りしまして、新年の挨拶と致します。


年頭所感

(在日本)全国老人クラブ連合会会長 斉藤十朗
 新年あけましておめでとうこさいます。ブラジル日系老人クラブ連合会の会員の皆様には、健やかに新年を迎えられ、心からお慶び申し上げます。
 今年はブラジル日本人移民百周年にあたり、移民の足跡を振り返る意義深い年であります。一九〇八年、第一回移住船「笠戸丸」がブラジル・サントス港に入港してから、先人たちのたゆまぬ努力の積み重ねによって、ブラジル全土で移民社会への理解が進み、日本・ブラジル両国の関係発展に多大な貢献を賜りましたことに、あらためて感謝を申し上げます。
 高齢者の皆様がブラジルの地で互いに励まし、助け合って、生きがいや福祉の向上を目指して老人クラブ活動を推進している姿に、母国の仲間も大きな声援を送っています。
 さて、日本社会はいよいよ人口減少社会が現実のものとなってきました。若い世代が減少し、高齢者が増加するなかで、社会の活力を維持するためには.高齢者が社会のさまざまな分野で活躍することが大事になってまいりました。
 そのためには、まず健康でなければなりません。わたしたちは、仲間とともに健康づくり、介護予防の輪を広げて、心身ともに健康な高齢者をめざす取り組みを積極的に推進することとしております。また、長寿化に伴い認知症(痴呆)対策や高齢者世帯の増加による孤独死、高齢者を狙った犯罪の多発化など、高齢者を取り巻く課題にも力を注ぐ必要があります。
 かつて日本の高齢者は、「悠々自適」、「晴耕雨読」という暮らし方を理想とする人が多かったように思いますが、いまでは私たちがめざす「生涯現役」の高齢者観が広がり、社会の第一線で活躍する姿が目立つようになったことを心強く感じております。
 百年前、ブラジルは遠い国でありました。今日では通信技術の進歩によって、両国の情報も瞬時に届くようになりました。老人クラブにおいても、情報交流によって、互いの活動に良い刺激をもたらすことを期待しております。
 年頭にあたり、貴会のますますのご発展と会員各位のご多幸を祈念しまして、ご挨拶と致します。


新年のご挨拶

在サンパウロ日本国総領事 西林万寿夫
 皆様、新年明けましておめでとうございます。
 二〇〇八年の年頭に当たり、謹んで新年のご挨拶を申し上げます。
 ブラジル日系老人クラブ連合会におかれましては創立以来今日まで、各地で活動している老人クラブのまとめ役として、また老人週間行事、芸能祭、スポーツなどの多くの活動に積極的に取り組まれてこられ、今やブラジル日系社会の有力団体の一つと誰もが認めるまでに発展されましたことを喜ばしく思います。
 こうした皆様方の活気あふれる取り組みに心より敬意を表する次第であります。
 今や、二、三、四世がブラジルの各方面で活躍するとともに、様々な日系団体においても数多くのブラジル生まれの方々がその中核を占めるようになってきており、日系社会において世代交替が進んでおります。そのような状況の中で今後とも維持、発展が望まれる日系子弟に対する日本語教育や日本文化の継承という問題を思う時、皆様方の豊かな経験に裏打ちされた貴重な知識と知恵による助言が大きな役割を果たすものと確信しております。
 皆様、日本とブラジルの両国間で年明けとともにブラジル日本移民百周年及び日伯交流年関連の各種記念行事が始まり、六月にはその頂点に達します。これらの行事、事業を通して、ブラジルに移住して来られた方々やその子孫の方々が築かれた百年の歴史を振り返りつつ、グローバリゼーションが加速化する国際社会の中にあってこれからの日本とブラジルの新しい関係の構築、次の百年に向かった歴史について皆様方が後輩の方々と一緒に考えていただきますことはきわめて意義深いものであると思います。
 最後に、貴ブラジル日系老人クラブ連合会の会員の皆様におかれましては、どうか今後ともご健康に留意され、後進の良き模範として毎日を過ごされますよう祈念致しますとともに、引き続きご指導賜りますようお願い申し上げ、私の年頭の挨拶とさせていただきます。


年頭のご挨拶

国際協力機構(JICA)ブラジル事務所長兼サンパウロ支所長 小林正博
 二〇〇八年、ブラジル日本人移民百周年の輝ける年の初めに、ブラジル日系老人クラブ連合会会員の皆様、「老壮の友」読者の皆様、そして老ク連関係者の皆様に対し、国際協力機構(JICA)を代表し、謹んで新年のお喜びを申し上げます。
 ブラジルのお年寄りは、お元気です。若き頃に頑張り苦労された、その気概が今でも体に満ちており、こちらが元気付けられることもしばしばです。また、日本人の折り目正しさとブラジル人の明るく気取らない所作の両方を自然に使い分けて、しなやかに暮らしていらっしゃるところが魅力的です。そんな多くのお年寄りたちには、なぜか「青春」を感じることもしばしばあります。現代の日本に比べ、ブラジルでは家族の結びつきが依然としてしっかりしており、おじいちゃん、おばあちゃんが、その中で大きな存在感を示しています。核家族化が進み、世代間の結びつきが弱くなった日本から見ると、うらやましい限りです。
 移民百周年の節目を迎え、日系社会の世代交代も着実に進むことと思いますが、ブラジルのお元気なお年寄りたちは、若い世代のがんばりを温かく見守りながらも、必要なときには経験豊かで適切な助言と支援の手を差し延べられる事でしょう。宜しくお願いいたします。
 今日の日系社会のみならず、ブラジル社会の発展にも貢献してきた先輩諸兄に対し、私どもJICAはこころから敬意を表するとともに、ボランティアの派遣などを通じて微力ながら必要な方々への介護のお手伝いを今後とも続けてまいります。また、より多くの皆様の日頃の楽しみ、レクレーションのお手伝いも行っており、お陰さまで好評を頂いています。さらに、JICAが日本語教育ボランティアの派遣や日系日本語教師の本邦研修などで支援する「継承日本語教育」は、より若い世代が日本語を通じておじいちゃん、おばあちゃんとお話しし、日本の良き伝統や習慣を受け継ぐことをお手伝いするのが目的です。「老壮の友」の読者の皆様には、引き続き若い世代に日本語により、皆様の豊かな経験と日本と日本人の良きところをお伝えいただいていることに、私どもは心から感謝申し上げる次第です。
 ブラジル日本移民百周年と言うこの輝ける年に、ブラジル日系社会の先輩諸兄がそれぞれの「青春」をふたたび謳歌して、若い世代にも多くの元気を与えてくださることを切に願い、年頭のご挨拶に代えさせていただきます。
あらためて、新しい年のご健勝とご多幸を心よりお祈り申し上げます。


年頭に際して

ブラジル日本文化福祉協会会長 上原幸啓
 ブラジル老壮の友をご愛読の皆様、新年あけましておめでとうございます。
 二〇〇八年の記念すべき年を、読者の皆様お一人お一人が大きな希望と新たな想いを描きながら新年をお迎えしたことと思います。
 旧年中はブラジル日本文化福祉協会に対しまして暖かいご支援、ご協力を頂きまして大変ありがとうございました。
 新年を迎え文協関係者一同、一層心を引き締めて文化活動に邁進してゆく所存でございますので、旧年にましてご支援ご鞭撻を頂きたく、年頭に当たりお願い申し上げる次第でございます。
 一九〇八年六月十八日笠戸丸がサントス港に接岸、ブラジル日本移民が開始されて以来百年の年月が流れました。この間多くの先駆者がブラジルの地を舞台に縦横無尽に活躍し、時には挫折の苦渋を味わいながら、この大地にしっかりと根をおろし、今日の日系社会の繁栄の基礎を築かれました。移民百周年の記念すべき新年を迎えるにあって、まず先駆者への感謝とお礼の気持ちを忘れてはいけないと思います。
 昨年四月三期目の文協の運営を託されて以来、会員の皆様、評議員の皆様、文協関係者の皆様と力をあわせて努力をしてまいりました。特に昨年末には第一回文協フォーラムを開催いたしまして、サンパウロ州はもとより遠くマナウスの文協からも参加して頂き成功裏に終了致しました。今回の文協フォーラムを通じて各地域の文協が持つ悩み、問題点を共有することによって一層の連携を強め日系社会のみならず、ブラジル全土に文協が何をなすべきかを考え、実施してゆく大きな共有基盤ができたことは大きな成果であったと考えております。
 今年のブラジル日本移民百周年記念は、百年の歴史の集大成であるとともに、新たな日系社会のスタートの年であると、言うことを忘れてはいけないことだと思います。
新たな時代に向かって何をするか、皆様と一緒に文協は考え、行動してゆきたいと思っております。
 全世界の平和と日系社会はもとより、日本ブラジル両国の限りない発展を祈念致したいものです。最後になりましたが、ブラジル老壮の友の皆様の本年のご多幸をお祈り致しまして、新年の挨拶と致します。


新年のご挨拶

サンパウロ日伯援護協会会長 森口忠義イナシオ
 明けましておめでとうございます。
 ブラジル日系老人クラブ連合会の会員の皆様には、ご健勝にて新年を迎えられたこととお慶び申し上げます。
 旧年中はサンパウロ日伯援護協会「援協」の福祉・医療活動に温かいご理解、ご支援を賜り、深く感謝申し上げます。
 新たな年は、ブラジル日系社会にとって移住百周年という大きな節目を迎える正に大事な年となります。種々の記念事業もさることながら、移住を受け入れた養国への感謝の念を思い起こし、日系社会がこの国で立派に貢献していることへの再認識、次の百年を展望した日系社会の在り方を考える良い機会であると存じます。
 貴連合会は会員三千二百名を有し、老ク連の名で親しまれている一大団体ですが、四十八の支部クラブ間の交流と親睦のために一年を通じ、各行事を開催し、活発に活動されていることはつとに知られております。そのパワー・組織力は一般から敬意を表されており、そのパワー、組織力は移民百周年の年において老ク連の働きは大いに期待されているのではないでしょうか。
 老ク連の活動は老人クラブ大会、芸能祭等七つから八つの恒例行事の他に各クラブへの講師派遣活動、教養教室開催の他に会員へ種々の便宜供与等、多岐にわたり活動の活発さ、充実さには実に感心させらせます。往年、若い頃開拓地において或いは戦前、戦後の苦しい時期を不屈の精神で頑張り、乗り切ったバイタリテイーを今日まで持ち続けておられるのか、皆様の元気な活動ぶりを見ると、つい、日系社会の高齢化について思いを馳せ、出来るだけ多くの高齢者の方々が社会交流を続けられるよう願わずにはいられません。
 ご承知のように、私共、サンパウロ日伯援護協会では四つの老人施設を経営しており、施設の窓口となっている福祉部には一日五十~六十件の相談が寄せられます。相談件数の中では高齢者問題が一番多く、その割合は毎年増えて来ております。又、五十歳以上の独身者が案外多いのも気がかりとなっており、高齢者問題は私共援協にとって大きな懸念となっております。
 貴老ク連の活動は、このような社会を背景にして大きな期待が寄せられております。老後生活充実を目的とする老人クラブの活動の基本となるものに健康づくりがあり、貴老ク連は生活の質も考慮した継続的な健康づくりに力を入れており、私共援協でも大いにエールを送るものです。
 年頭にあたり、ブラジル日系老人クラブ連合会の一層のご発展と会員の皆様のご健康とご活躍を祈念致しまして、新年のご挨拶といたします。


年頭に望むこと

ブラジル日本都道府県人会連合会会長 松尾治
 一年の計は元旦にありと申しますが、ブラジル日系老人クラブ連合会が新年号機関紙「老壮の友」を発刊されるにあたり、ブラジル日本県人会連合会を代表いたしまして、皆様にメッセージを伝えることができますことを光栄に思います。
 今年はブラジル日本移民百周年の節目の時期でもあり、皆さんと盛大に祝いたいと思います。
 日本では少子化に伴い、高齢者に対する福祉などが社会問題となっています。ブラジルに移住された方は戦前戦後を通じて約二十五万人といわれ、今ではその数は五万人を切っています。そしてブラジルで生れた二世のかたがたでも高齢者は多くなっているのが実情です。
 ブラジル日系老人クラブ連合会が機関紙「老壮の友」を日本語で発刊されていますことに敬意を表します。最近では日本語による情報伝達のものが少なくなり、また日本語による会話も少なくなっているようです。県連では昨年十一月、若者による弁論大会を開催しましたが、その弁論大会で優勝したのは、イタリア系のブラジル人でした。日本に関心を持ち、日本語に興味を持つことが上達の手段だと思います。
 これからの若い人たちに日本への関心を持ってもらうために、まだまだ老壮パワーは必要です。会員相互の親睦と相互扶助、生きがい増進のための文化・体育活動、福祉活動やその他の行事に参加しておられることは、いつも老人クラブ大会、カラオケ大会、芸能祭、ゲートボール大会などを見させて頂いて、心強く感じておりますが、若者が日本へ関心を持たれるよう皆様のご協力を期待します。
 日本人移住の歴史も百周年という節目の期を迎えたことは、これまで我々の先輩の方々が困難辛苦を超えて、今日の日系社会を築かれたことを忘れてはなりません。そしてこの祭典をブラジル日系人の方はもとより母国日本の方々と盛大に祝いたいと思います。
 終わりにブラジル日系老人クラブ連合会が、これを契機にますます発展され、皆様方が心豊かな生活を送り、明るく活気ある社会作りに貢献されることを祈念しまして、年頭にあたっての言葉とさせて頂きます。


新年のご挨拶

(在日本)『百歳万歳』編集長 植松紀子
 謹んで新年のお慶びを申し上げます。ブラジル日系老人クラブ連合会の皆様におかれましてはよいお正月をお迎えになったことと存じます。
 皆さまが老人クラブ活動を通して生きがいと健康を得、さらに地域に貢献している姿は『ブラジル老荘の友』を通じて毎月拝見させていただいております。
 昨年は貴老連におきまして、重岡康人連合会長が旭日単光章を授章され、大変素晴らしい年でございました。心よりお祝い申し上げます。
 日本はと言えば「偽」という字が昨年の世相を表わす漢字として選ばれるほど、道徳観が薄れ、恥ずかしい姿を表わした一年でもありました。
 また、老人クラブでは会員減少に歯止めがかからず、各地でリーダーの皆さんを中心として会員増強に力を入れて活動を展開しています。
 団塊の世代もいよいよ地域に戻ってまいりました。その団塊の世代の地域活動の受け皿になるのが老人クラブなのではないかと思います。それには魅力的なクラブ活動が必要と、サークル活動や健康活動など六十歳代にも入りやすい老人クラブ作りに熱心に取り組んでいます。
 ブラジルではこれから二世、三世の方々が入会されるようになりますね。言葉や生活習慣などが少し異なる一世の皆さんとの意思の疎通をはかる交流が行われていることでしょう。そういう意味では日本もブラジルも同じような問題を抱え、解決にご苦労なさっていることと存じます。
 年頭にあたり、今年も皆さまがよりよい仲間作りの輪を広げてくださるよう、そして皆さまのますますの健康長寿を遠い日本の空の下で皆様のお顔を思い出しながら願っております。


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