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熟年クラブ連合会
     エッセイ  (最終更新日 : 2019/02/15)
2008年4月号

2008年4月号 (2008/04/07) 同船者

セントロ桜会 出平寿美子
 二〇〇八年二月号の老壮の友に纐纈久雄様の「コロニア時代の思い出話」に『九百人のブラジル移民を乗せたインド洋廻りブエノスアイレス丸は、一九三七(昭和十二)年九月四日サントス入港』とあり、私の脳裏に婚家の出平家と同船だとすぐに浮かびました。
 常々出平の人たちが話していました。出平は親子七人、長男二十二歳、次男二十歳、次女十七歳、三女十五歳、四女十一歳と当時結婚していた長女と婿夫婦の九人家族だったと聞きました。
 ブラジルはノロエステ線グヮララペス駅で岡山県人の三宅耕地へ落ち着き二年余り働いて、土地を求めて自作農となり、綿作りを始めました。その頃、世話をする人があり、私が上岡から出平へ嫁入りしたのです。仲介人という人がいまして、知らない家へ娘を送り込むような嫁入りでした。
 長男の嫁として大家族の嫁になりまして、実家の上岡は昭和二年の渡伯で自分の土地でコーヒーを作り、家族はやや落ち着いてコーヒー園の仕事をしていました。実家の暮らしと違う綿作りの忙しさに戸惑ってしまいました。
 あれから六十余年、当時若く元気に働いていた人たちはもう逝ってしまいました。生き残りのような私は八十八歳。親戚中で一番の高齢者となりました。お陰様で元気に「セントロ桜会」のお仲間に入れて頂き、毎月の例会を楽しんでいます。
 明日のこと思わず今日も日が暮れ晴れた夜空を眺める日々


【遺稿】 陽気な未亡人(九)

カンポグランデ老壮会 成戸朗居
 やす子さんは夫を亡くして、大分の年月が経っている。八十九歳の今もゲートボールのコートに日参する。杖を突いていく。試合に参加するのではない。観戦するのである。昔、楽しみにしていたゲートボールが懐かしく、知人がプレイするのを眺めるのが今の楽しみなのである。
 頭がしっかりしているから、話すことも達者である。送り迎えは娘がしてくれる。厄介になっている娘の家では、新聞、雑誌、本を読み、テレビやビデオも観るから退屈はしない。ただ一つの悩みは、日本にいる一人息子である。
 息子はサンパウロの優秀な農業大学を卒業して親の後を継ぎ、百ヘクタールの農場経営に携わった。しかしこの辺の百姓仕事の現実は、学校で習った理想とは食い違い、思うように行かず、とうとう畑を賃貸し、出稼ぎに行ってしまった。
 日本では結構うまく行き、ブラジルには帰って来ずに十年は過ぎている。畑を四年契約で貸しているのは、五年以上貸していると、解約して借主を出そうとしても、中々出せない難しい法律があるためだそうである。 やす子さんは結婚している娘のアパートのすぐ下の階に住んでいるので、不自由は感じない。快適な生活である。短歌と詩をたしなんで余暇を過ごしている。たまには刺繍もする。
 やす子さんにはもう一つ耕地があったが、それはインヂオが大挙侵入して占領してしまい、いろいろ経緯があったが、結局、インヂオの言い分が通り、彼等に引き渡す結果に終わった。昔のことで死んだ夫が騙されて買った土地がインヂオの土地だったというのである。この辺の土地は地権があやふやで複数の所有者があったりして、登記所もでたらめで「安いから」といって買って、後で大損をすることが往々にしてある。
 百姓も大変である。昔は作りさえすれば売れた。しかし、今では売ることに研究を重ねなければならない。豊作貧乏と言われれば、何にもならない。過去にコーヒー栽培の全盛時代があった。霜にやられたのは事実ではあるが、コーヒーの衰亡を招いたのは、国際価格の下落である。
 米の栽培の衰亡はそれとは事情が違い、雨が降らなくなったからで、森林を無くしてしまって、雨量の激減を招き、米作が立ち行かなくなった結果である。昔の人たちは森が無ければ、雨が降らなくなるということを知らなかったようである。エジプトの歴史がそれを物語っている。マットグロッソも同じ歴史をたどった。


リオのカーニバル

JICAシニアボランティア 貞弘昌理
 思い出に、リオのカーニバルに出て踊った。先ず衣装合わせ。電話で伝えただけなので、不安ではあったが、その不安は的中した。法被は少々大きくても良いが、靴が大きすぎてどうにもならない。仕方がないので、かかとの部分を縫い付けてどうにか間に合わせた。
 我々は移民船の「笠戸丸」。先ず山車で遅れを取ったようだ。我々が見ると良く分かるが、知らない人には何だか良く分からないだろうなと思った。周りはすごいインパクトがあり、見ただけで「うわぁ!すご~い!」。
 二十二時を過ぎていよいよ始まった。我々の出番は二番目。一グループ三千人から四千人が六組、明日の晩にまた六組踊る。総勢四万人から五万人。観衆が五万人くらい、三〇m×八〇〇mの道路の両側のスタンドから見ている。否が応でも興奮する。盛り上がる。へたくそな踊りで五十分。本場のサンバはさすがに激しい。我々シニアは、動きは緩やか。シニア風サンバとでも言おうか。歌は覚えられないので、終始口パクで通した。前も横も上手かった。後ろはへたくそだなと思ったら、同僚のシニアだった。ま、しょうがないけどね。スタンドでは一緒になって歌う人、踊る人が見えた。スタンドの観衆はびっしり、踊る方も自然に力が入る。一緒に行った甲子園出場の経験のある野球少年は、甲子園の興奮を思い出したようだった。
 終わった。踊り続けたので、のどが渇いた。冷たい水を配っている。急いで並んだ。ちょうど前の人でなくなった。他の列に並ぶ。紙コップにほんの少しだけもらった。美味い。水がこんなに美味いとは。「水も料理も、高いものをほしがるな。美味しいものでなく、美味しく食べよ」なんちゃって。
 初めてのリオ、ついでにいろいろと観光した。ちんちん電車にも乗った。ドアも壁もないので、気をつけないと振り落とされる。雨が振り込んでくる。
 タクシーに乗った。バス停について集合場所の日系協会まで、五十レアルは、倍くらいぼられたと思うが、地理が分からない弱みだ。メトロ、オニブスにも乗ったが、自分は付いて行くだけ。地図を見たり道を聞いたりは人任せ。有名なイパネマ海岸に、大昔の娘たちと観光。雨の中、アスーカルとキリスト像にも行った。雨の降らない時には、眺めが良い。霞んで見えるのも良い。すぐ近くのキリスト像が霞んでいたのは、これはこれで良い経験だった。
 怖かったこと。みんなは平気で流しのタクシーを捕まえる。被害にあった人の話を聞いているので、とても怖かった。踊りの帰り、流しのタクシーを捕まえた。行き先がおかしい。知らないのにどんどん走る。同乗者が怒って「もう良い。降りる。」と言って降りた。自分も料金を払わずにそれに従った。そばにパトカーがいて、ホテルへの道を尋ねている間に、タクシーは逃げて行った。「これはやばい!」と思ったのかも知れない。やれやれ、追いかけてくるかと思った。パトカーがいなかったらどうなっていたか。後から思うと、ぞっとした。被害に会わなかったのは、単に運が良かっただけと思う。


呆け

サンパウロ中央老壮会 柏野桂山
 最近、認知症という昔は無かった新語をたびたび見るようになった。これは極端に落ち込んだり、憂うつになったり、物事すべてを悪い方に先読みすることだと先日NHKのテレビで観て知った。
 その新語よりもっと悪いのが、昔からあった呆け、アルツハイマー病、痴呆症などであろうか。私は今年、卒寿になって、その前後から少しずつ呆けを感じるようになった。
 知人に逢って顔を覚えていても、名前が口にすぐ出てこない。昔、シネマを観て憧れた有名女優の名前が思い出せない――などは毎日のようにある。
 有吉佐和子の小説「恍惚の人」を読んで、面白かったが、その当時は若かったからで、卒寿の今なら、「この次は自分の番だ」とおぞましく思うであろう。
 私の妹の姑は百歳をいくつか越えている。これほどの長寿者になると、長男に先立たれ、嫁に行った娘のところで世話になっているが、呆けた所は無くしっかりしているように見える。妹が見舞いがてら訪ねると「ああたはわしより年上じゃが、元気じゃのう」と言ったりするという。百歳を越えるおばばに年上だといわれた妹は、ただ苦笑するばかりだったそうな。
 その妹がジャバクアラの真言宗の昔のお寺にお参りした時、その日はちょうど一月二十一日の初大師で、お参りする信者に接待の五目飯を炊いていた。その一人の老女が柄の付いた小さな杓文字でそれを混ぜている。よく見ると、なんと靴べらではないか。それもかなり使い古したものだ。
 「それ、男用靴べらよ!どこにあったの?」
 「これ、靴べらかぁ。壁に掛けてあったので、ちょうど杓文字に良いと思ったんだぁ」と老婆。
 その日のお大師参りの善男善女は使い古しの靴べらで混ぜた五目飯を食べる――というお陰?を得た訳だ!
 その妹もあまり他人の事はとやかく言えない。先日、老人の無料キップでメトロに乗った。その途端に発車したので、転びそうになり、何か柱のごときものが目の先にあったのでそれにしがみ付いて身を支えた。
 ところがそれがぐらりとして支えにならないので、よく見ると、盲目の老女が手にした杖であった。
 「呆けは本当に治療の必要があるのであろうか?恍惚の人になることによって、生活苦、病気の苦痛、死への不安などから逃れられるということもある」
 医師であり、流行作家でもある渡辺淳一は、こう問題を投げかけている。呆けを治療する新薬品が次々と登場するという。
 まだ、社会に役立つ人の老化やアルツハイマー病の防止薬はもちろん必要で、そういう新特効薬が登場したら、まず真っ先にこういう筆者が服用したい。


愛読した作家たち

名画なつメロ倶楽部 津山恭助
⑫ 内田康夫「ミステリー界の新しい旗手」
 少年時代にシャーロック・ホームズものに魅せられて以来、推理小説の愛読者である。日本の推理作家ではやはり横溝正史がピカ一であろう。江戸川乱歩は海外の名作の紹介につとめた功績は極めて大きなものがあるのだが、一部の彼の作品は猟奇趣味が色濃くてついていけないところがある。
 ところで内田康夫の作品に接したのは一九九〇年代とかなり新しい。「白鳥殺人事件」「薔薇の殺人」「長崎殺人事件」等をまとめて読んで、この作者の端倪すべからざる資質にすっかり惚れ込んでしまった。魅力的な謎説き、論理的なストーリーの展開、意外な結末という古典的でオーソドックスな本格推理小説の系譜を引き継ぎながらも、古めかしさが全く感じられず、対象となるテーマはまさしく現代そのものの人間模様であり、世の邪悪のさまざまなヴァリエーションが見事に浮き彫りにされていく。そして何にもまして内田ミステリーの魅力は、決して外国の翻案ではなくて、まさに日本の風土からしか生まれない、日本人の心情を重視して描かれた点にもありそうだ。本格推理小説は既に新しいトリックは出尽くして切り開く道はない、と言われながらも相変らず書き継がれており、世に現れた凡百の推理小説でも、本格推理を標榜した作品は数多いが、かといって看板に偽りありで、そのどれもが本格フアンを満足させてくれるかと言うと断じて否であり、なかなかこれという傑作には巡り会わないものである。内田ミステリーはあくまでも現実的な背景の事件や、地道な推理を踏まえた、
したがって破天荒なあるいは独創的なトリックこそないものの、事件の背後に潜む人間関係や過去の事件との絡み、そして見立て殺人といった物語展開に工夫が凝らしてある。作者自身も次のように語っている。
 「およそ現実味のないトリックや偶然性によって完全犯罪を構築してみせる推理小説ほどしらけるものはありません。例えば新幹線の車内で男が声をあげる間もなく殺害され、しかも一人の目撃者もいないといった状況は極めて確率が薄く、いやしくも完全犯罪を目論むほどの犯人が、そういうリスクを冒すようでは読者として困るのです。また、捜査する側にしても、まるで神がかりのような飛躍した着想で事件を解決してしまっては、余りにも虚構に過ぎます。あくまで事実関係の地道な収集と卓抜した推理力の相乗作用によって真相を解明するーーそれでいて充分な意外性やドンデン返しが用意されているーーそういうケレン味の内容の作品が好きだし、書いていきたい」。
 氏は身をもって次々とその公約を実現させて読者を増やし、今や日本の推理作家でも最も人気のある作家の一人とされている。
 デビュー作の「死者の木霊」(一九八〇年)以来、年間四本から六、七本もの長篇を続けさまに発表しているほどの多作(一九九四年末までに約九五本著作)でありながら、そのほとんどが一応の水準に達している、というのも驚異である。第三作「後鳥羽伝説殺人事件」に初登場した長身でハンサムで独身、という素人名探偵の浅見光彦ものはその後五〇作を超えるシリーズとなり、今やその魅力ある風貌と人柄で、明智小五郎(江戸川乱歩)、金田一耕助(横溝正史)、神津恭介(高木彬光)をしのぐほどの人気を保っているのも、うべなるかなであろう。
 内田ミステリーのもう一つの特徴は、日本全国に跨るという小説の舞台の多彩な設定にもある。そしてそのローカルの紹介がそれぞれに極めて情緒的で旅情をそそる優れたイントロになっているのも、作品に色彩を添えてくれる。さらに作品の主要なテーマとなる設定にしても「後鳥羽」「平家」「高千穂」「戸隠」「佐用姫」「隠岐」「天河」
「日蓮」等々の伝説シリーズのタイトルのほか、角兵衛獅子(漂泊の楽人)虚無僧(喪われた道)アンバーロード(琥珀の道殺人事件)和紙の里(美濃路殺人事件)良寛と一茶(北国街道殺人事件)根付け(首の女殺人事件)等々勿論豊富な資料を駆使したものではあろうが、作者の巧みな引用によって単なる付け焼刃に終っておらず、その部分だけを抜き出しても充分に一読に価するように解説されているのも魅力である。
 例によって私の選んだベスト作品を挙げてみよう。まずグリコ森永事件からヒントを得たといわれる「白鳥殺人事件」、宮崎県高千穂峡を舞台にした意外性の面白さで見せる「高千穂伝説殺人事件」、平家の落人部落の美少女が登場する保険金詐欺「平家伝説殺人事件」がベストスリー。あと、「長崎殺人事件」「漂泊の楽人」「箱庭」「首の女殺人事件」「死者の木霊」「シーラカンス殺人事件」「江田島殺人事件」などもそれぞれ面白く読んだ。


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