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熟年クラブ連合会
     エッセイ  (最終更新日 : 2019/02/15)
2009年1月号

2009年1月号 (2009/01/01) 新年の御挨拶

老ク連会長 重岡康人
 皆様、明けましておめでとうございます。平成二十一年の輝かしい新春を迎えられましてお慶び申し上げます。
 昨年は移民百周年祭典が、サンパウロでは六月二十一日に執り行われ、皇太子殿下の御来伯で最高潮に盛り上がりましたが、あいにくの小雨が惜しまれたことでした。当日は日系人ばかりでなく、多数の非日系人の参加を見ましても、まさに百年に一度の祝いにふさわしい一日でした。
 私たちの老ク連では、「移民百周年記念事業」として、「お地蔵様」の建立を決定し、モジ・ダス・クルーゼス市在住の小嶋晃氏が二、三体作製された経験者であることを聞き、同氏にお願いして、四か月後、八十センチのこじんまりした慈しみに満ちたお地蔵様が完成。八月十五日の良き日に、佐々木陽明総監により「地蔵尊開眼供養」が行われました。
 変化の激しいであろうこれからの百年を、お地蔵様が私たちの後継者たる四世、五世の皆さんを常に健やかにして、慈悲と愛情を持って見守ってくださることを確信しております。
 また、十一月にコロニア文芸賞委員会により「老ク連三十年の歩み」が記念誌賞を、さらに「老壮の友」も顕彰賞を頂きました事は、長年にわたり夜を日に次いで、資料の収集や編集に努めて下さった関係者に心より厚く御礼を申し上げると共に、更なるご協力をお願い致します。
 一方、世界の情勢を見ますと、金融危機が世界に及び、日系社会にもたらす影響も大きく、今後もあらゆる方面に拡大していくものと思われますが、お互いに真心を持って団結し、この難局を克服されることを願っております。
 なお、これからの皆さんも社会は自然に出来ているものではなく、「人間」が作るものである事を心に留めて邁進されますようお願い申し上げます。
 終わりに会員の皆様、並びにご家族、ご一同様の旧年に増すご多幸とご健康を心より祈念し、新年の挨拶とさせて頂きます。


年頭所感

(在日本)全国老人クラブ連合会会長 斎藤十朗
 新年あけましておめでとうございます。
 ブラシル日系老人クラブ連合会の会員の皆さまには、健やかに新年を迎えられたこととお慶び申し上げます。
 昨年は「ブラジル日本移民百周年」を記念し、貴会では「地蔵尊建立」及び「文芸誌発刊」という意義のある記念事業を成し遂げられました。また、日系社会で刊行された出版物の中から最高作品に贈られる文協のコロニア文芸賞の二部門に「三十年の歩み」(記念誌賞)と「ブラジル老壮の友」(顕彰賞)が入賞されました。心からお祝いを申し上げます。
 特に「ブラジル老壮の友」は、日本「老壮の友」を創刊された木村健一氏が、ブラジルを訪問して、老人クラブ育成の指導に当たられたのを契機に、その名を受け「ブラジル老壮の友」として創刊。以来、会員の皆様の心のよりどころとして三十五年の長きにわたり、会員をつなぐ磯関誌として発刊を重ねてこられました。
 「継続は力なり」と申しますが、このことを通じても歴代の役員をはじめ、会貴の皆様が老人クラブ活勤にかける熱い思いと歴史の重さを感じております。今日、各地のクラブは地域の老入ホームや憩いの園での慰問活動をはじめ、健康体操、懐メロ合唱、コーラスなど各種教室の開設に取り組まれていますが、会員の結束が結実した成果であろうと存じます。
 日本では、若い世代の人口減少によって、増加する高齢者を支えるこれまでの社会保障制度の仕組みが大きな転換期を迎えております。そのような中で、私たちは老入クラブ活動を充実させ、高齢者の健康、寿命を延ばし、「元気な高齢者」を目指すことを大きなテーマに掲げています。家に閉じこもらず、多くの仲間と交わり、健康を維持し、社会に貢献できることは高齢者の最大の喜びです。今後ともブラジルの仲間とともに、高齢者パワーに自信と誇りをもって老人クラブ活勤に邁進(まいしん)して参りたいと存じます。
 年頭にあたり、貴会の一層の発展と会員皆様のご健康とご活躍を祈念いたしまして新年のご挨拶といたします。


新年のご挨拶

在サン・パウロ日本国総領事 西林万寿夫
 新年明けましておめでとうございます。二〇〇九年の年頭に当たり、謹んで新年のご挨拶を申し上げます。
 昨年は日伯交流年・日本ブラジル移住百周年が日系社会のみならず、ブラジル社会全体で祝賀され、一年を通じて数多くの記念事業が実施されました。
 日本人のブラジル移住の歴史は、日伯両国のメディアは勿論のこと、フランスなど他の国でも取り上げられました。このことは日本人移住者がブラジル社会の中で行なってきた農業振興など、数多くの貢献に対する評価といえましょう。
 また六月二十一日に皇太子殿下をお迎えして行なわれたサンパウロでの記念式典は多くの方々に感動を与えました。式典を通じて移住者の皆様は、自らの人生の軌跡を振り返られ、感慨深いものがあったことと思います。
 ブラジル日系老人クラブ連合会におかれましては創立以来今日まで、老人週間行事、芸能祭、スポーツなどの多くの活動に積極的に取り組まれてこられ、そのボランティア活動は今やブラジル日系社会の主要団体の一つと認められるまでに発展されました。こうした皆様方の活気あふれる取り組みに心より敬意を表します。
 今や日系社会は世代交替が進んでおり、様々な日系団体においてブラジル生まれの方々がその中核を占めるようになってきておりますが、今後の日系社会並びに日系団体の維持、発展を考えます時に、日本語教育や日本文化の継承という観点から、皆様方の豊かな経験と知識でもって、後継者育成にご尽力頂ければ幸いです。
 最後になりましたが、私はこの度帰国命令を受けサンパウロ勤務をまもなく終えることになりました。二〇〇五年八月の着任以来、三年四か月の間、温かいご支援をいただいた日系社会の皆様に心より感謝申し上げます。特に日伯交流年・日本ブラジル移住百周年の記念すべき時を皆様と共に祝賀できました事は、この上ない幸せだと思っております。
 ブラジル日系老人クラブ連合会の皆様におかれましては、どうか今後ともご健康に留意され、後進の良き模範として毎日を過ごされますよう祈念致しますとともに、引き続きご指導賜りますようお願い申し上げ、私の年頭の挨拶とさせていただきます。


年頭のご挨拶

国際協力機構(JICA)サンパウロ支所長 千坂平通
 新年明けましておめでとうございます。
 コロニアのご婦人方の集まりがサンパウロ文協ホールであり、歌や踊りを見る機会がありました。移動は、遠く離れた地域からでもバスで日帰りするとのこと。その強行日程もさることながら、驚いたことは、九十歳を越えてなお現役で歌や踊りを舞っておられる方も少なくないことです。 そのお姿は、背筋をピンと伸ばし、手首から指先の一本一本をしなやかに動かしながら、手先の方向に視線を向ける。中腰のすり足で舞っておられる姿は本当にお見事です。
 このご婦人方の踊りを見ながら、この方々の若い時代に、ふと思いを巡らせました。時代は戦前、戦後を問わず、ご婦人方の多くは、若い頃には農作業に従事するかたわら、乳飲み子を背中におんぶし、食事の準備や縫い物に精を出し、また日々の暮らしの中では子供を厳しく躾、本当に朝から晩まで、多忙な生活を送られてきたのでしょう。また、今でこそ、ハエや蚊はサンパウロではあまり見られませんが、当時のコロニアでは料理が盛られた皿にはハエがビッシリ集り、手でハエを追いながら食事をしたと聞いています。
 更に、当時の衛生状態は必ずしも良くはなく、不幸にも親戚縁者の中にはマラリア等で他界された方もおられます。今までの人生は決して平坦な道ではなく、大変苦労をされたのではと考えれば、熱いものが込み上げてきたのを憶えています。このご婦人方の頑張りには、本当に頭が下がる思いで一杯です。
 今年はブラジル移民百周年で各地にて多彩な行事が行われ、ブラジル政府を始め各州政府が挙ってお祝いをして下さいました。
 私が思うには、老一世の活躍なくして、現在の日系人の高い評価はありえません。日本人移住者の農業における貢献は多大で、ブラジル社会からも沢山の賛辞を頂戴していますが、日本人の特質としての勤勉、実直にして労働意欲旺盛と言った精神文化もきちっと後世に伝えていくべきものだと思います。
 その日本人の特質である勤勉、実直という精神文化は日系人のみならず、ブラジル社会に広く浸透し、今日ブラジルの繁栄の基礎を築いているのではないかと考えています。三十年前と比べるとブラジル社会は勤勉なブラジル人が増え、時間のルーズもなくなりつつあると思います。
 最後になりますが、ブラジル日系老人クラブ連合会の会員の皆さんには、今までの皆様のご苦労に感謝申し上げるとともに、本当に余生を大いに楽しんで頂きたいと心底から申し上げ、結びとさせていただきます。


年頭に際して

ブラジル日本文化福祉協会会長 上原幸啓
 「老壮の友」ご愛読の皆様、ブラジル日系老人クラブ連合会会員の皆様、新年あけましておめでとうございます。
 輝かしい二〇〇九年の新春を迎えるにあたり、ブラジル日系老人クラブ連合会の皆様の今年のご多幸を心よりお祈り申し上げます。
 昨年はブラジル日本移民百周年記念を日系社会のみならず、ブラジル国民と一緒に祝い、慶びを分かち合えたことは誠に喜ばしいことでございました。
 ブラジル日本移民百周年を記念して、ブラジル日系老人クラブ連合会が発刊しました記念誌「三十年の歩み」と機関紙「老壮の友」が昨年コロニア文芸賞の二部門で受賞を果たしたことは、長きに渡ってブラジル日系老人クラブ連合会の弛まない努力と継続の熱意が正しく評価されたものとお慶び申し上げます。正にブラジル日本移民百周年記念に相応しい慶事であると喜んでおります。
 特に三十五年に渡って、一回も休むことなく機関紙「老壮の友」が発刊されてこられた事に対して、改めて敬意を表するものです。毎月二千部もの機関紙「老壮の友」が発行され、ブラジル国内はもとより、中南米各国、日本にも配信されていることは、いかに愛読者が多く、支持されているかの表れであります。
 機関紙に投稿されました記事を拝見いたしますと、投稿者の一人ひとりが子に、孫に、正しい日本語で伝え残したいとの気持ちが脈々と感じられて、頭の下がる思いでございます。親が子や孫に、正しい母国語を、歴史を継承してゆくという当たり前の事が機関紙を通じてブラジル日系老人クラブ連合会に存在するという意義は非常に大きいものがあると思います。
 母国日本においてさえ、日本語が乱れ、古式ゆかしい美しい日本が消えつつある現状を鑑みますと、実に貴重な伝承が行なわれていることに驚くと同時に、日頃より日本文化の伝承と普及を掲げておりますブラジル日本文化福祉協会として、感謝申し上げたいと思います。
 今年はこれからの百年に向かって新たな歴史を刻む最初の年に当たるわけです。今年を新たな出発点として、日系人の心の中に日本文化、日本語を根付かせ、「日本人とは何か」と改めて問いかけることも大きな行事(課題?)としているブラジル日系(社会)に、老人クラブ連合会の更なる活動は大いに期待を寄せるものです。
 年頭にあたりブラジル日系老人クラブ連合会、会長重岡康人様はじめ会員の皆様の更なるご活躍と、機関紙「老壮の友」のご発展を祈念して新年のご挨拶と致します。


新年のご挨拶

サンパウロ日伯援護協会会長 森口忠義イナシオ
 新年、明けましてお目出度うございます。
 ブラジル日系老人クラブ連合会の皆様にはご健勝にて二〇〇九年を迎えられたこととお慶び申し上げます。
 旧年中はサンパウロ日伯援護協会の社会福祉・医療事業に温かいご支援、ご協力を頂き深く感謝申し上げます。
 前年度は日本移民百周年を記念して数々の事業が行われましたが、貴老ク連も地蔵建立と文芸誌作成を成し遂げ、又、コロニア文芸賞では百周年記念誌賞並びに顕彰賞というダブル受賞で、意義深い充実した年であったことと推察致します。
 相変わらずの老人パワー溢れる活動を続けられる貴老ク連の存在は、高齢者福祉活動に関わっている当サンパウロ日伯援護協会にとっても心強いものがあります。
 多種に亘る教養活動、各クラブ間の交流と親睦を図る恒例行事の開催、各クラブへの講師派遣等、年中通して進められております。加えて機関紙「老壮の友」は三十五年間欠かさず毎月発行しているという、活発な活動には深い敬意を表する次第であります。
 社会の高齢化が進み、夫婦或いは一人暮らしの高齢者が今後ますます増える社会において、親睦と相互扶助、生きがい増進の活動に努める老人クラブ、老ク連はますます重要な存在となり、社会に大きく貢献する存在として期待されます。
 四つの老人ホームを経営しているサンパウロ日伯援護協会では、貴老ク連の活動の輪が一層広がり、一人でも多くの高齢者が老人クラブの活動に参加するよう、老人クラブの活動を通して心身とも元気で老後を送られることを願っております。
 今年は当協会にとって創立五十周年を迎える大きな節目の年であり、日系社会の福祉・医療の拠点として百周年記念事業の一つである福祉センターが完成する記念すべき年となります。
 景気後退で厳しい年になると言われていますが、次世代の福祉・医療活動の基盤となる福祉センターの完成に全力を傾ける所存です。
貴老ク連の皆様方におかれましても、日頃の意気盛んな精神を発揮され、活発に活動、活躍されることを期待しております。
 年頭にのぞみ、皆様のますますのご健勝を祈念し、私の挨拶とさせて頂きます。


世界に交流の輪を広げよう

ブラジル日本都道府県人会連合会会長 与儀昭雄
 謹んで新年のお慶び申し上げます。
 旧年中はいろいろとご支援をいただき、心より感謝申し上げます。
ブラジル日本移民百周年という節目もつつがなく無事盛大に終わり、海外最大の日系人集団地であるブラジルで、これから新しい第一歩を踏み出すことになります。
 これまでの移民の歴史は、コーヒー園へのコロノ生活に始まり、幾多の年月の中には志しを果たせず、また過酷な労働の中で生を受けた子供が早世するなど、一言でブラジルの日本人移民を語ることはできません。また一九四二年から約十年間の移民空白の時代を経て、戦後の移住が再開され、七十年代後半まで続いた移住も、日本経済の高度成長とともに打ち切られ、八十年代に入ると逆現象として日本への出稼ぎが始まり、現在三十万近くの日系人が在住しているといわれております。このように日系社会の移り変わり、日本からの移住者の途絶とともにブラジル生まれの人たちが多くなり、今では日系人口の中に占める日本人一世の数は五パーセントを切ったのではないかと思います。
 そんな中でブラジル日本人百周年を祝い、母国日本を初め海外に在住する日系人同胞の方々をお迎えしたことは、これからの相互交流に大変役立つことと考えます。これからの交流は、若い方々を中心に新しい交流を広げることが大切です。
 県連では、このような交流を民間にも広げ、郷土芸能、郷土食の祭典であるフェスティバル・ド・ジャポンを通じて、伝統ある郷土芸能を守って来られた方々、郷土に永く伝わり郷愁を呼ぶ郷土食をブラジルの地に残すことで、交流をこれからも深めて行きたいと思います。また外国から来られた日系人にブラジルの県人会活動を知っていただき、新しい交流が生まれることを期待します。
 今年も昨年同様よろしくお願い申し上げます。


新年を迎えて

老ク連特別支援者 小畑博昭
 新しい年が始まった。
 「良い思いでにふける人」にも、「悲しみで胸の痛みを抑えている人」にも正月は同じようにやってくる。
 かつて読んだ本に一〇四歳で見事な生涯をおえられた「諸田つや」さんの「長寿の秘訣」が思い出される。もう六十年も前になくなった一介の老婆。千葉県出身。晩年は一人暮らしの清貧にあまんじて、趣昧の川柳作句に、死の直前まで没頭した、こうこう婆さんだ。
 晩年の作品には、「百歳になって親しい友ができ」―友だちには年は幾つになろうと関係ない。
 「百歳になうても女は恥ずかしい」―色気は死ぬまでなくならないのよ。
 「また一つ年を加えてほめられる」―毎年の正月を迎える童心を失わないでね。
 「かぼちゃでも色づきゃ人がだいてくれ」―この婆さんを忘れないでね。
 「初恋もあった顔かとしわをなで」―熱くなった過去の思い出が懐かしい。
 皆に好かれ、この句作には後援会までできて、有名となった。
 世界中の老人福祉の専門家達が、ヨーロッパの老人先進国を見学に訪れた。そこでは至れり尽せりの制度や、立派な施設、慰安の数々をほこり高らかに紹介するが、老人たちが自ら作り出している楽しみや、生き甲斐つくりには納得できる説明がなされないままに、老人たちはさびしく天国に旅立とうとしていると批判された。
 豪華な住宅、施設と食事は充分すぎるほど与えられても、訪問者に話しかけられない孤独な老人の寂しさは癒されそうも無い。物や制度がいかに充たされても、自らで生きる喜びを作り出そうとする意欲や努力の無いところには、本当の幸せは生まれない。
 焦点をそこに当てている我らの老ク活動をいっそう守り立てて行こうではありませんか。老人クラブ活動の真価を再認識して、クラブが益々元気に活動して行くように、新しい年も手をたずさえて前進しましょう。


仲良く元気に良い年に

健康体操教室指導者 戸塚マリ
 昨年は私にとって大変な年でした。こうして良いお正月を迎えられる事をこれ程嬉しいと思ったことはありません。
 オートバイに接触し転倒。その後、後遺症で頭の手術をして、二か月位療養し、また、仕事が出来るようになりました。
 皆様「運が良い」とおっしゃって下さいますが、運が良いのではなく、まったくもって、周りの皆様のお蔭なのです。
 生徒さん方やお友だちがどんなに良くして下さったか、計り知れません。後から色々と聞いてビックリしています。
 老ク連で教え始めて十年になりますが、最初から一緒に始めてもう九十歳を過ぎた方たちもいらして、その方たちや他の皆様のパワーに引っ張られてやっているようなものです。
 入院の時もその後も、物質、精神共に皆さんに助け、支えて頂いてこの正月を無事に過ごせる訳です。
 世界の様子を見ても地球温暖化や不況、テロなど大変な事ばかりですが、せめて私たちは手を取り合って、仲良く元気にやって行きたいと思っています。


新年のご挨拶

(在日本)『百歳万歳』編集長 植松紀子
 新年あけましておめでとうございます。
 二〇〇九年の幕開けをブラジル日系老人クラブ連合会の皆さまとともにお喜び申し上げます。
 昨年はブラジル日本人移民百周年のおめでたい年でした。日本からは皇太子殿下がお祝いに駆けつけるなど、様々な催しが行われ、皆さまにとってもお忙しい一年であったことと思います。また、『ブラジル日系老人クラブ三十年の歩み』発刊おめでとうございました。苦難を乗り越え、育ててきた老人クラブの歴史を記す貴重な一冊となることでしょう。
 目を世界に向ければ世界の各地でテロなど恐ろしい事件が相次ぎ、さらに世界同時不況などと言われ、日本もその波に翻弄された一年で、現在もまだ多くの問題をかかえつつ新しい年を迎えています。
 オレオレ詐欺など、高齢者が被害をこうむる事件が日本では非常に多くなり、なかなか解決策がなく、頭を悩ませています。全国各地の老人クラブではこういった事件の被害者にならないよう、様々な研修会を開いたり、対策を立てています。
 また、単位老人クラブでは加入者の減少、クラブそのものの解散など、老人クラブ自体が抱える問題も多いのですが、一方で新しい考え方の老人クラブがいくつか出現し、地域を上げての様々な活動を展開し始めています。会員は増え、老人クラブの活動そのものが活性化している地域も出ているのです。そんな老人クラブを『百歳万歳』は取り上げ、全国の老人クラブに紹介することによって、低迷する単位クラブにもパワーが出るようにしたいと考えています。
 日本の高齢化はますます進み、高齢化率は世界一となっています。そうした中で、高齢社会の先駆者として日本の高齢者は世界にお手本を示さねばならないと考えます。
 仲間が集まって、持てる力を結集し老人クラブ活動をすることはもちろん、一人一人が生きがいをもって、健康に暮らすこと、そして後からくる若い人たちに高齢期の過ごし方を示すリーダーとして今後も重要な役割を持つことになるのではないでしょうか。
 ブラジル日系老人クラブ連合会の会員の皆さま、今年もどうぞ健康に留意され、お仲間と共に楽しく活き活きと毎日を過ごされますよう。そして地域に過ごす方々のために役立つ存在になりますよう、はるか遠い日本の空の下、願っております。


百周年の風

舞踊教室指導者 玉井須美子
 二〇〇八年の移民百周年も様々な思い出を残して終わりました。意義のある年でした。
 私たちの舞踊教室は数々のお祭りに参加し楽しく、また忙しい年でもありました。日本祭りに参加した時の私達の踊りの模様が、今でも毎日のようにカナル145のテレビで放送されていると友人が知らせてくれました。
 老ク連の芸能祭では七支部の方たちにご協力いただき、「老人クラブの歌」と「海を渡って百周年」を踊りました。六十八人の方々が心を一つにして舞台と客席で踊り芸能祭の最後を飾ったのです。踊りを通じて各支部の方たちと交流が出来て、素晴らしいことでした。
 十二月十日にはサントスの厚生ホームを民謡、コーラスの方々とバス一台で慰問して来ました。また、サントスの海を遊覧したりもしました。
 その他、カンポ・リンポの学校でも百周年を記念した祭りがあり、そこへも招かれて踊りに行き、最後は見物の方達も交えて炭坑節を一緒に踊りました。ブラジル人たちは喜んで輪に加わり、陽気に踊ります。その様を見て、改めて、百周年の昨年は日伯の交流が深まり、絆が強まったという感でいっぱいになりました。
 さらにイタペチニンガ千歳会にも招かれました。サンパウロを八時に出て、イタペチニンガに着いたのは十一時十五分。やはり遠いなぁと思いました。イタペチニンガの小野さんが待っていて下さり、ほっとしました。すぐ近くのレストランへ行き昼食を済ませ会館に着くと、多くの会員の方たちが待っていて下さいました。紹介の後、すぐに踊りの練習に入り、みなさん一生懸命、大汗をかいて踊って下さいました。中にはかなり高齢な方もおられましたがとても上手に踊られていて、あまりに上手でしたのでお伺いしたら「かつて踊っていたけれども、ここしばらくは踊っていなかった」とのことでした。さすが昔とった杵柄(きねづか)。踊りが身についていらっしゃるようです。夢中でみなさんと踊ってますと、あっという間に時間が経ち、名残を惜しみつつ、三時半に踊りの練習をやめてイタペチニンガを後にしました。心温まるおもてなしを頂き、とても良い思いでとなりました。
 踊りを通していろいろな支部の皆様方と知り合い親交がさらに深められ、とても有意義な年であったと思います。記念すべき百周年が風のように吹き過ぎ、二〇〇九年も幸せの風が皆さまに吹くことを祈っています。。
 移り来て今は幸せ百周年


もういくつ寝たらお正月

カラオケ教室指導者 田巻夏枝
 ♪ もういくつ寝ると お正月 ♪
 皆さんもこの歌を歌った思い出がありますね。幼い頃の懐かしい美しい思い出です。でも今はあっという間に一年が過ぎてしまって、あまり早くお正月が来られては困るようになってしまいましたが、二〇〇八年はとても良いお年でした。
 スザノ、サント・アマロ、イタケーラの皆さんに敬老会や忘年会にご招待頂き、大変楽しいことばかりで、皆様、本当にありがとうございました。
 二〇〇九年も良い年でありますよう。そして皆様と共に健康第一に踊って、歌って、楽しく長生きが出来ますように老ク連のお地蔵様にお願い致しましょう。


健康あっての物種

老壮の友歌檀選者 渡辺光
 二〇〇八年移民百周年という記念すべき年も恙なく終り、新しい年を迎えました。老人クラブ連合会というような健全な団体にあっても一年という年月を過ごすということが如何に重いものかと改めて感じさせられます。
 若い時の一年はアッと言う間かも知れませんが、八十、九十を数える年齢になると一年がとてつもなく長く感じる時があります。これは心や身体が不自由な時だと思います。
 健康であれば身も心も自由自在に時間を楽しめます。歌を詠み、絵を描き、唄い、奏でる、書を楽しむ等など、自分の趣味に取り組める人は誠に幸せだと思います。
 八十年、九十年も働かせていると、どこかに不具合な所ができます。巧妙に創られた人体も古くなると思いがけない所が傷んできます。病院の待合室を覗けば後期高齢者の沈んだ顔が目立ちます。
 我家でも今年草々、予て腰痛に苦しんでいた家内が五月頃から三度も手術をして入退院を繰り返していました。ところが私自身が体調を崩し、入院する羽目になりました。枕を並べて入院なんて余り例がない状態だと思ったものです。
 入院すると、点滴、酸素吸入、注射、投薬といった具合に何度も起こされ眠る時間もないほどでした。右と左の腕にチューブを射されます。
 上手な看護婦だと一回で余り痛みもありませんが、下手な看護婦だと腕に何度も刺し直しますから、紫色に変色してあたかもゴジラの腕のようでした。トイレへ行くにも点滴のチューブを吊るしたキャスター付きの器具を押して行くのですが何だか電柱を押しながら行く犬の用足しみたいに思えて一人でおかしくなったもです。左も右もチューブが射され、マリオネットの様に思えました。
 首も自由に動かされないまま何時間も過ごす時がありますので、時折、首の運動をすると、中国のお偉い人の名前みたいに「コッキントウ・コッキントウ」と音がします。病院の食事は不味いに決まっていますが、私は十日間、何も食べられませんでした。病気のせいだと思いますが、見ただけで吐き気がしたものです。
 一度だけ海に芥(あくた)が少し浮いたような味噌汁が出ましたが、初めて口にした時、これほど美味しい物が世の中にあるのかと思ったくらいでした。やはり日本人だなぁと感じました。
 不自由の中にあっても必ずや何らかの明るさを見出すことも出来ます。自分の体の自由な部分に感謝しつつ一日を過ごすのが一番大事だと思っています。それぞれ不自由な部分を助け合いながら元気に老クの行事に参加される会員さん等の姿を見ると、実に晴れ晴れとした気分になります。
 老ク連はそういった場であります。これからも元気で頑張りましょう。最後に今年の丑年ちなんで一首。
 八十年にれがみつつも現在(いま)があり
 牛歩のままに余生おくらむ 【ひかる】


信ずるということ

絵画教室指導者 森田冨久子
 三谷隆正氏の本を読んでいる。「しからば行けよ、我なんじの口にありて汝の言うべきことを教えん」出エジプト記四―十二。人は自分が計画者であり、事業の主である時、最も力弱く勇気の出ないものである。これに反し、神に頼りて自己に恃(たの)まざるものの如何に大胆にして勇敢なるか」とおっしゃっている。
 全くその通りで、アブラハムも然り、行く先を知らずして出て行ったと聖書にある。人生すべて行く先を知らずして神に恃んで進む信頼の大切さを教わった。
 ソクラテスが毒杯を受けた時、弟子たちに「死後の事は誰も実見した者はない。だから我々は結局、斯く信ず、というまでの事である。あるいはそんなことは信じられないと言って死ぬ人もあろう。しかし自分は霊魂は死せずと信じつつ死ぬのである。そう信じて快く毒杯を飲むのである。彼と自分とどっちが正しいか一つやってみるのである。
 これは一種の冒険だ。行く果てを知らぬ冒険的確信。信仰生活も冒険だ。行く先を知らずして神と共に出掛ける。「信ずる者にはすべての事ができる」とキリストはおっしゃった。「あらゆる力の中で最も力強い力は何であるか?」「それは心の力だ」とある老人が答えたという。
 私はあまりにもこの世の大変さを見るにつけ、信ずる心を忘れかけていた。信ずる心の回復の大切さに気付かされた。
 この頃、自分の無気力さの原因が分かった。これは理屈ではなく信ずる心が神の力を引き出すのだと、手島郁郎という方が書いていらしたのを思い出した。信ずる心を取り戻し、今年も元気に絵を描き出そう。


旅の思い出

コーラス教室指導者 三木八重子
 高校も三年生になると進学や就職活動で忙しくなるからと、修学旅行は、その年から、二年の秋になりました。当時、私の地方は一般に関西旅行でした。
 東京駅で乗り換えての鈍行列車は、ほぼ満員でした。静岡で一人の老紳士が乗って来られ、私たちの席の前に立ち止まりました。誰からともなく立ち上がり、席を譲りました。途中、その紳士は沢山の話を聞かせて下さいました。
 特に松下幸之助さんの話。仕事に関しては勿論のこと、小指を立てて、「こちらも」と言ったのは強烈で、こういう話は、今でも忘れないのです。
 列車が豊橋に着いた時、「此処のちくわは美味しいのですよ」と言って、沢山買って下さり、少々小ぶりでは有りましたが、彼が丸かじりされたのには、びっくり。「そのままで食べて大丈夫?」と、目を丸くしたものです。
 海無し県育ちの私達は、ちくわはお寿司の中に入っているか、煮物で食べる習慣でしたので…。私達も同じように丸かじりして、その新鮮で美味しかったこと、何本も食べてしまいました。列車の中が暑くなって来ると、老紳士は背広を脱ぎ、窓際に掛けながら、「このバッチ知っていますか?」と尋ねました。三人は答えられなかったのですが、ただ一人、青木さんが「国会議員バッチでしょう」と答えると、「そう、良く知ってるね!」背広には『大野』とありました。
 そうこうするうちに、列車は岐阜駅に着き「ここで降ります。有難う。」と、何度もお礼を言って、夕闇の中に立ち去りました。
 今思えば、一九六四年オリンピック目前の東海道新幹線施工に当たり、田んぼの真っ只中に羽島駅を作る計画等、その後のマスコミ報道で、その方が国会議員の大野伴睦氏と知りました。時は昭和三十五年の秋でした。


私の雑煮物語

百人一首の会指導者 田中保子
 「豆腐の始めは豆である。終わりなき世はめでたいか。門松ひっくり返して大騒ぎ。祝う今日から大目玉」
 小学校の四方拝が終わると男女生徒、徒党を組んでこの歌を歌いながら担任の先生宅へ移動した。
 師範を出てすぐ赴任したオナゴ先生はいつも和服に紫の袴姿で我々の自慢の先生であり、他クラスの羨望の的であった。
 双六や「いろはカルタ」をして遊んでいるうちに先生は、お餅を焼いて雑煮とおぜんざいを作って御馳走して下さった。先生の卒業した学校は日本海側の県とかで、美味しいお魚が入った少し変わったお雑煮だった。
 我が家の雑煮はなぜか雉(きじ)の肉と人参、大根、里芋、椎茸が具で人参は嫌いだし、雉の肉は硬くて嫌だった。大人になって生家を出て自炊するようになり、鰤(ぶり)の切り身や烏賊(いか)を入れて、自己流の雑煮を作って食べてご機嫌であった。
 所帯を持って初めての正月、この自己流の雑煮を作って得々と出した途端に「阿呆。雑煮は白味噌仕立てに八つ頭ときまってるもんや」と背の君に怒鳴られて呆然とした。味噌汁の雑煮など食べたことも考えたことも無かったのである。
 ひと悶着の後、様々な曲折があって田中家関西風伯国型の雑煮が出来上がって今日に至っている。
 今回、友人知人から聞き、ご教示賜った各地の雑煮を次の正月からボチボチ試してみようと思う。
◎北海道の知人から
昆布と鰹の出汁醤油。具は鶏肉、大根、人参、椎茸、芋の子など。
◎秋田出身の友人
北海道風に鶏肉の代わりに人の長となるようにハタハタの頭を入れる由。
◎富山、福井
出汁は昆布と鰹節。野菜少々、鶏肉の代わりに鰹の切り身や鯛など身の締まった魚の切り身を入れる。
◎石川(主に旧武家社会)
昆布出汁のすましに切り餅を入れ、少々熱した後に多めの鰹削り節を振りかける。
◎関東
鰹節と昆布出汁。醤油味。人参、大根、芋の子、貝柱、蒲鉾、三つ葉等など。
◎大阪
白味噌仕立てに丸餅。八つ頭。
◎福岡
昆布鰹節の出汁。醤油味。具は人参、大根、芋の子、椎茸だが、必ず白菜と烏賊を入れる。
お餅を入れない雑煮もあるとか。様々なお雑煮を工夫して美味しい雑煮で祝いましょう。


お地蔵様について

民謡教室指導者 纐纈蹟二
 私の生れ故郷は隣の集落に行く辻に「七体の地蔵様」が立っていた。高さ六十センチぐらい。夏になると婆様や爺様が月に何回もそこに集まり、炒り豆や爆ぜ黍を持ち寄り、御詠歌やお念仏を称えるので、子供たちも集まり、夏の夜を楽しんだものである。
 その地蔵様は一体一体が形の異なる仏様であった。嘉永生まれの祖父に聞くと、「わしが子供の時から祀られている」と言ったから古いものである。
 老ク連は百周年記念に会館の前の庭に石地蔵を安置した。老ク連に出入りする人たちが皆合掌してお地蔵様に挨拶していく、親しまれるお地蔵様である。お地蔵様は真ん丸い優しい笑みをたたえた童顔の仏様である。仏教で正式名称は地蔵菩薩で経典ではお釈迦様が亡くなってから、五十六億七千万年、無仏時代が長い間続く事になっているが、地蔵菩薩だけは私たちのそばにいてくださる大変心強い仏様です。
 では、お地蔵様は男の仏か女の仏様かと問う人もおられます。そこで「地蔵菩薩本願経」の経典によると、地獄に落ちた母親と仏教で言うところの六つの世界「六道」で苦しみ悩む人々を未来永劫にわたって救い続ける誓いを立てた「光目女」という女性だそうである。
 前世は女だと言われるお地蔵様ですが、仏様である以上、男とか女という性別を超越した存在です。世の中では圧倒的に男性で、しかも小さな男の子姿で現れているのが断然多いようです。昔から幼くて死んだ子の魂を慰めたり、雨乞いを祈願するために建てられたものらしいのです。
 先日、訪日された五十嵐副会長からは訪日記念に東京巣鴨の高岩寺のとげぬき地蔵尊のお守り「御影」をいただきました。身代わり御守護、安産腹帯守、虫封じ、開運、厄除け等などのご利益があるのです。所によると頭痛地蔵、歯痛止め、咳止め、癪解きと恋愛の事まで祈願されるお地蔵様は目の回るほど忙しい仏様で、弱いものの味方であります。
 老ク連の地蔵尊の作者である小嶋さんは陀羅尼を称えながら彫って下さったと云う事です。梵語の呪文である一句一句の無辺の意味を蔵し、誦すれば、もろもろの障害を除き、功徳を受けると言われています。だから魂のこもったお地蔵様であると確信しています。合掌




俳句教室指導者 栢野桂山
 「女と病気と貧乏は文士の三種の神器」と言ったのは僕の尊敬する作家、故・吉行淳之介である。吉行の言う「女」とは、日本の高度成長期のバーやクラブのホステス、または巷の娼婦などを言い、享楽的頽廃的匂いのする「女」であろう。
 砕け米のご飯に青いマモン、新移民として配耕されたコーヒー園にいくらでも自生していた青いマモンの汁の実や、その漬物で育った僕。ましてや十一歳で渡伯した子供移民の僕に吉行の言う三種の神器の筆頭の「女」の魅力や味が解る筈がない!早生まれで七歳で小学校に入学したが、その担任の女先生は、まだ師範出ホヤホヤの少女のような細身の楚々とした美人先生であった。
 その女先生は我が家から近い旧家の娘で、小学校への道でよく一緒になった。そういう関係でその少女のような先生が後より手を回して習字を教えてくれた。その時、得も言われぬ芳香と体臭が僕の身体を包み、呆然となってもう習字どころではなかった。
 その時の僕は早生まれの未熟児で六十人の同級生の中では下から二人目のチビだった。その折から僕はろくろく文字が書けなかったが、その余禄で女先生が手を回してくれて母からも嗅いだことのない芳香を味わえた。それ以後、文字の上達はストップし、現在に至っている。
 十一歳で渡伯中の移民船で赤道祭があった。その時、竜宮城の乙姫様に選ばれて仮装したのは、同県同船の顔馴染み、二歳上のKちゃんという少女であった。それまで気にも留めなかった少女が乙姫様に仮装した姿を改めて見直した僕は、彼女に夢中になった。そして、幸運にもそのK一家と同じコーヒー園耕地にコロノとして同じコロニアに住み、毎日同じ道を歩み、同じ仕事をすることになり、炎天の下で日々手にするエンシャーダも苦にならなかった。だが、その幸せは義務農年が終わるまでで、それぞれに別れたままこれまで逢い会わず、遠い夕野火のような淡い思い出に胸を濡らしたことで終わった。
 僕が産青連(産組青年連盟)に熱中した二十三歳の頃、騎馬で遠方の友人を訪問した。友人は夫婦に子供一人と妹の四人暮らしであった。文字通り、転々と渡り歩く綿作りで、その住居は畑小屋に毛の生えた譬(たとえ)通りの二部屋に差出し屋の台所が付いただけのもの。久しぶりの話題が尽きて真夜中頃、寝室にされたのが何と、年頃の妹と同じ部屋のしかも同じ寝台ではないか。家も部屋も小さく寝台は別に置けないのである。それでも当時の軍国教育の思想に染まっていた僕は反道徳的な行為に及ぶことはなく、悶々として一睡だにしなかった。
 吉行淳之介の「女」に比べたら、今思っても歯がゆいばかりの「女」の「オ」の字にも触れられない稚拙(ちせつ)な思い出ばかりである。
 編集部からは「新年のおめでたい文章を…」という依頼であったが、僕も卒寿。人生を卒業する歳をもうすぐ越えようとして、三途の川を渡るのを、極楽か地獄か、どちらの美女か赤鬼かわからないが待ち受けているようである。
 身体頭脳から鉛筆を持つ指まで硬直して、良い文章など綴れそうにないので、こんな駄文で勘弁して頂きたい。


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