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熟年クラブ連合会
     エッセイ  (最終更新日 : 2019/02/15)
2009年2月号

2009年2月号 (2009/02/06) 危ない、あぶない

セントロ桜会 矢野恵美子
 今の世は日に日に世知辛くなるばかり。テレビをひねれば胸の痛むニュースばかり。他人事とは思えない悲しいニュースばかり。特に日本の振り込め詐欺など、非常に巧妙な手口で「怖い、こわい」と思いながら見ている私ですが、いつか私の友が「ブラジルでも同じ事が起きているんだよ」と言いました。
 そしてある日の午後、我が家の電話が鳴りました。(全部ポルトガル語ですが)
 「アロー。そちらは矢野正勝(私の息子の名)さんのお母様ですか?」
 「はい、そうです」
 「貴女の息子さんは貴女を一人にして引っ越してしまいましたね。お淋しいですね」と。
 息子は五月に出稼ぎ十八年に見切りを付けて帰ってきたばかりなのです。でも、私は黙って聞いていました。
 「最近、息子さんは車を買いましたね」。
 息子も「まずは車を買わなければ不自由だと言っていましたので、私は「はいはい、そうでしょう」と返事をしていました。男性は「ところで、息子さんは今日、手続きのためサンパウロへ来ています」と。息子は「サンパウロには住みたくない」と言いプライア・ブランという海辺の小さな町に家を買って、引っ越したばかりだったのです。
 その時点まで「尤も」と思い聞いておりましたが、その後「貴女の息子さんは来る途中、事故を起こしてしまいました。でも、ご心配なく。彼は無事です。軽い打ち身だけですが車の方はだいぶ傷みました」。
 そこまできて、私はこの話は一寸臭いな、と思い始めたのですが、終りまで聞いた方が良いと思い黙って聞くことにしました。男は息子が途方に暮れて「お母さんと話がしたい」と言うのです。私は「これは所謂詐欺だな」と思いました。息子が私にお金をせびる事は絶対にありません。日本で働いてきたお金は、家を安く買えたし、全部銀行に預けてあるのですから現在は私よりもずっとお金持ちなのです。
 男性の話は続きます。「私は交通局の者です。今、彼に電話を渡しますが、風邪を引いているのでそのつもりで」と言うのです。やがて「ゴホン、ゴホン」と咳をしなが「ママイ」ときました。私はすぐに「お前のような息子と話は無い」とガチャンと電話を切りましたが、私の胸はドキンドキンとしていました。
 一番恐ろしいと思った事は私の身辺を調べ尽くされていた事です。このような事が私の身に降りかかるとは夢にも思っていませんでした。
 どうぞ、皆さまも私同様、亡き夫に残して頂いた財産、貴重な年金を騙されないよう、大切にし、余生を楽しく送るために使いましょう。


INSSの委託契約詐欺

サンパウロ中央老荘会 安本丹
 先日ある邦字紙に投書し、私がブラジルに来てから三十四年の間に巻き込まれた色々な犯罪について述べ、皆さんの注意を喚起した。その中で特に年金退職者が注意しなければならないのは、我々の殆ど唯一の生活資金であるINSSに関する詐欺である。ブラジル政府は数年前に退職者の便宜を図るため、委託契約(コンシグナソン)と呼ばれる制度を始めた。これは車の購入や、アパートの頭金などちょっとした資金が必要な人々が銀行から一定金額の融資を受け、毎月受け取るINSSの年金額から最高二〇%までを約三年間返済する制度である。一見してまことに便利な制度であり、既に利用された方もおられるに違いないが、そこにはやはり落とし穴があるので注意すべきである。
 それはこの制度を斡旋すると称して、年金受給者のデータを盗み、自分が融資を受けて雲隠れし、返済義務だけを被害者に押し付けるグループが存在するからである。私の友人の奥さんももう少しでこの手に引っかかりそうになった。ある男が銀行融資の世話をするといい、色々なデータを聞き出そうとした。そのためその奥さんは怪しいと感じ、ご主人と共にその銀行へ赴いたところ、偽の契約書にサインされ、融資が付与される寸前であったという。銀行側にキャンセルを申し込んだところ、確認のためにサインをしてくれと頼まれた。しかし弁護士は悪用される恐れがあるため、簡単にサインしてはならないという。
 かなり多くの銀行が積極的にこの委託契約を推進しているらしい。今回は相手が電話をしてきたから良かったものの、中にはINSS内部のものと結託し、誰かのデータを流す場合も考えられる。他人が委託契約を出来ないようにするには、INSS受給を申請した事務所で委託契約が出来ないようにブロックしてもらう必要がある。私の場合はすんなりと手続きをしてくれたが、友人はそのようなことは出来ないと断られた。そこで強硬に申し入れ、上申書を書いてようやく手続きをしてもらったという。
 次はあなたの番かも知れないので、十分に気をつけたほうが良い。


年の瀬

年の瀬の忙しさに
年賀の一つもよう書かず
主なき隣の床を眺める
【サントアマーロ青空会 竹内千賀子】


あおぞら老人クラブの唄

(♪「青い山脈」の曲で楽しく歌いましょう)

一、われら一同集い来て
  心はずませ生き生きと
  話し合ったり みな笑ったり
  胸ひらく
  我らあおぞら老人クラブ

ニ、今日も一日集い来て
  歌に踊りに意気意気と
  いやな思いはさらりと忘れ
  信じ合う
  我らあおぞら老人クラブ

三、毎週月曜集い来て
  昔の若さを思い出し
  強く生きよう楽しい老後
  助け合う
  我らあおぞら老人クラブ

四、若く明かるい歌声に
  我ら一同ほがらかに
  希望に燃えた楽しい笑顔
  明目を待つ
  我らあおぞら老人クラブ

【作詞 吉田春雄】


息子健介が遺していったもの ⑤

サンパウロ中央老壮会 徳力啓三
 次男健介の遺していった最大のものはなんといってもの家族の和ではなかったかと思う。彼の持つ天性の心の使い方で、常に自分のことより周囲に対する気遣いを挙げられる。彼を中心とした家族の動きは、一糸も乱れることなく、仕事は仕事として互いにカバーしあいながら、健介の療養のためには何よりも最優先事項として扱った。母親洋子、長女のまゆみ、末っ子耕介と父親私の四人がそれぞれの持分に応じて、それぞれの特技を活かし、健介の療養を支えていった。中でも健介の妹にあたるまゆみは、病院関係の複雑な交渉ごとを見事にこなし、お医者さん達の言葉を手話とパソコンを駆使して確実に伝え健介に安心感を与えた。
 健介の病気を扱うお医者さんの数は、月日とともにどんどん増えて行き十余名にもなったが、どの医者も健介を最高級の扱いをしてくださり、ファンになり、励ましてくださった。二十年も前に手術をしてくださった日本のお医者さんや看護婦さん達までも、彼を励ます手紙を下さったりしたのも、やはり彼の心使いのなせる技であったかと思う。不思議なことに励ましている側の人達が、返って自分が励まされていると感じておられたことだ。
 最初に受けた手術は一九八九年であったが、当時の済世会松阪病院の総婦長、脳外科病棟の婦長、ケースワーカーさん、看護婦さん達が、健介の見舞いにブラジルまで来てくださり、イグアスーの滝に案内したことがある。不思議な健介の力が呼び寄せたのではないかと思うし、いまだに家族ぐるみのお付き合いをさせて頂いているのは、健介の持つ和の心が生きているからだと思う。
 健介は体が不自由になってから外での友達付き合いは出来なくなっていた。しかしながら一度友達付き合いを始めるとズーと長く長く続いていた。中でも家の近くに住む日系二世のジョージや学校時代のブラジル人ペイシェは、時折ふらりと家に来ては長い間筆談をし色々な情報を交換して行ったようだ。健介がだんだんと痩せ細り、胃ロウの手術を受け、ものを食べることが出来なくなり、一日中同じ場所に座るようになった頃であった。彼らは健介が少しでも安心して生活出来るようにと、家中に非常用のベルをつけ家の者に健介が呼んでいることを知らせ、且つ健介には目視できるように非常時用のピカピカ電球を取り付けてくれた。階下の事務所から階上の住宅の居間、健介の寝室・トイレ、食堂のすべてに張り巡らされた。完成するのに2月も掛かったが健介のために毎夜やってきては工事に取り組んでくれた。お陰で、どこで何が起こっても、ベルひとつ押せば、助っ人が飛んで行けるようになった。なぜあれほどまでに彼らが尽くしてくれたかを考える時、それは一に健介の優しい心のエネルギーにあったと思えてならない。
 健介を中心とした我が家は、病人を持つじめじめした雰囲気はなく、しっかりとまとまり、それぞれが自分なりの生き方をしながら、健介の介護を怠ることはなかった。出来上がった家は健介にとっては、快適であったと思う。日当たりもよく、すべてバイアフリーであった。熱いシャワーがほとばしり、もうもうと上がる湯煙の中に時間を忘れて入っていることは数少ない彼の楽しみであった。
 時間の経過と共に、彼の五感は確実に病魔に冒され、衰えていった。それに反して、頭の方は冴え渡り、一度彼の頭に届いた情報は記録され、それは間違いであると説明するのは難しかった。自分の置かれた状態を常に知っており、その中で毎日を淡々と生き抜いて行った。自分を通すところは通し、何でもないところは家族のするに任せた。「これがよい」とすべてを受け入れ、不平不満をもらすことなく、家族に「ありがとう」と言い続けていた。【この項終わり】


愛読した作家たち

名画なつメロ倶楽部 津山恭助
⑱ 「チャタレイ夫人の恋人」の翻訳者 伊藤整
 昭和二五年に起きた「チャタレイ夫人の恋人」(D・H・ロレンス)の翻訳をめぐり猥褻文書の疑いで裁判沙汰となった事件は大きな社会問題として取り上げられた。訳者の伊藤整には三二年に有罪が決定したが、二九年には前年に「婦人公論」に連載された「女性に関する十二章」が単行本として出版されて同年のベストセラー(一位)になったこと、またチャタレイ裁判についても「伊藤整氏の生活と意見」というエッセイを発表して広く読まれたこともあって、彼自身はいちやく有名人となり、時ならぬ伊藤整ブームを巻き起した。「女性に関する十二章」は特に目新しい主張があるものでもないが、やはり戦後になって強くなった女性を惹きつけるような魅力が文中にちりばめてあり、戦後を代表する文学者の叡智が溢れているのは流石である。
 高校時代に「典子の生き方」という文庫本を読んだ時の爽やかな感動を思い起す。二〇才になったばかりの両親のいない女性が世話になっていた叔父の家を出て一人になり、厳しい生活環境の中で誠実に生き抜く姿に共感をおぼえたのだ。北国の風物詩をからめた学園生活を描いた「青春」というのもあった。
 伊藤整は北海道出身、小樽中学の教員時代に詩作を始め詩集「雪明かりの路」を自費出版。その後「生物祭」で新進作家としてデビュー、小説を書くかたわらジョイスの「ユリシーズ」、ロレンスの「チャタレイ夫人の恋人」の翻訳を手がけた。一方、「小説の方法」「文学入門」「日本文壇史」などを著わし、評論家としての一面も見せている。特に労作「日本文壇史」は高い評価を受けている。長編「火の鳥」は美しい混血の舞台女優の恋愛にからめて〝組織と人間〟と本格的に取り組んだもの。「鳴海仙吉」では敗戦直後の飢餓や混乱を背景に、詩人、小説家、評論家である鳴海仙吉を主人公に、戦後の共産主義思想と対決させるとともに、多面的な文明批評を加えた上に、諷刺的性格も備えている自伝的要素が強い長編である。また、日華事変の中では知識人の生き方を追及する「得能五郎の生活と意見」を発表、心理的方法と私小説方法を融合した独自の知的小説を完成させている。
 「氾濫」は昭和三一年に「新潮」に二年間連載されたものだが、作者は努力によって克ち得た栄光や幸福を虚しいものとする一種の諦観の境地に達しているようである。
 真田は接着剤の発明で小会社の技師から大化学会社の技術重役に出世し、地位も名誉も富も得た。この成功は妻子の生活を変化させ、華美に走るようになる。しかし、真田の新しい防錆剤の研究がラチがあかず、社内の彼の地位も危機に瀕してくる。真田、妻、娘の浮気や恋愛を通して家庭生活が崩壊していく。社会生活と家庭生活と両面を同時に展開させながら、人間の生命にとって富も名誉も虚しいものとする虚無思想が漂っている。「氾濫」は昭和文学史に残る傑作だと思う。伊藤は日本近代文学館の設立には高見順の後をうけて理事長となり、運営に尽力している。四四年にガンのために六四年の生涯を終えた。


魔除けのカランカ

サンパウロ中央老壮会 栢野桂山
 サンパウロ市の奥地から離農して、今住んでいるのは地下鉄駅サンタクルースのすぐ近くにあるが、平屋の出入口すぐの所にカランカが鎮座している。
 カランカはサン・フランシスコ河を航行する船の船首に取り付けた、奇怪な貌の木の彫刻で、魔除けの効果が絶大であると信じられている。サン・フランシスコ河はミナス州の中央を水源地として、北部に緩やかな進路をとり、バイアの大平原を横切り、ペルナンブーコに至り、大西洋に流れ入る全長三千キロの悠々たる大河である。
 昔からこの大河を就航する船には必ずカランカと呼ばれる魔除けが船首に飾り付けられていたが、どのようにしてカランカが生まれ、魔除けとして信じられるようになったかは船頭の誰も知らない。
 この人間と獣の合いの子のような貌の、未知の怪物はネグロ・ダ・アグアと呼ばれ、水魔を恐怖させる力を備えていると信じられていて、何か事故がある前には必ず予告のうめき声を三回上げるという。今までにそのうめき声を聞いた船頭たちは難破事故から無事に逃れられたと言っている。
 私の家の出入口にある古いカランカはミナスに住む長男が、サン・フランシスコ河岸に住む友人から貰った物で、それを一目見て欲しくなり、口にしたら願いが叶って手に入れることが出来た。
 そしてこの魔除けの効果があって、転居して十年になるが、盗難や災害にも遭わず、老夫婦共に病気もせずに暮らしている。このずしりと持ち量りのする堅い木質のカランカは、かなりの年代物で眼鼻口の辺りが河風に腐食され、魔除けの効果を倍増させているようだ。
 この出入口のカランカの周りには鉢植えのアンツリオがあり、その真紅の心臓形の花から肉穂が出て、その怪奇な貌を撫でるのである。


老いてこその工夫

インダイアツーバ親和会 早川正満
 友人の金婚式で宴も酣(たけなわ)を過ぎた頃、「少し昔の話だが…」と、当会の丸山会長が老ク連の会議の時、トイレで一緒になった人の話をした。
 「あなたはまだこの必要は無いでしょうね」と一寸した筒を見せて話しかけられたという。つまり、その筒をしっかりはめて持ち上げないと小水が便器に届かないということだった。
 最近、ゲートボールで彼方此方の大会に行くが、どこのトイレでも便器の中より、外が零れている事にびっくりする。老人の大会にはあの筒を持たせようかな?
 そこで私が日本のドラマの中での話をした。「あなた、この頃トイレを汚すから、小でも大でも座ってやって下さいよ」と妻に約束させられしょんぼりした男の話だ。だから、足下を汚すと自分で気が付いたら進んで小でも座ってやるべきだ。老いは恥ずかしい事ではない。老を認めない事の方が恥ずかしいことなのだと気付くべきだ。
 亡き母が七十歳を過ぎた頃息子には話せない女の事は妻によく話していた。年寄りになると、一寸した事で小水が出る。そのため、年寄り仲間ではパンティを重ねる、厚い下着をする、または外に出るのを極力止めるなどをしていると話した。
 そこで妻が女は生理が終わっても最近の生理品は老女の要求に合う物があるからと買い与え喜ばれた事があった。それから母は同じ悩みを持った人には「うちの嫁が教えてくれたのだが…」と、話を伝えていたようだ。
 老いの道の険しさは、先達は何も置き土産はしてくれない。同行の者同士、工夫をして解決していかなければならないと思っている。
 老人会の運営にしても、会場作りから後片付けまですべて老人の手で行うブラジルでは、八十歳代後半で身体が自由でなくなってから入会するのであれば、早晩、会は続けられない。六十歳後半、七十歳前半頃には入って先輩を立て、会の後ろ盾になる人を誘い込まなければ明日の老人会はないと思う。
 老いてこそ工夫をすることは老後の人生を明るく楽しくすることであり、意義ある事だと思いますが…。


忍び寄る危険(上)

サントアンドレ白寿会 宮崎正徳
 ニューヨークのブロンクス区に大変大きな動物園があります。その動物園が普通の動物園と異なる点は動物がほとんど自然状態で放し飼いにされていることです。聞いた話ですが、その動物園の中に「世界中で最も危険な動物」という表示がある檻(おり)があるそうです。一体どのような動物がいるのだろうと思って入ってみると、大きな鏡がかかっているとの事です。そうです。鏡に写ったあなたが世界中で一番危険な動物だというのです。アメリカンジョークです。でもこれは真実と認めざるを得ません。なぜなら人間を捕食する動物はいないからです。
 すべての動植物は食物連鎖(しょくもつれんさ)の中に組み込まれています。すべての生き物は他の生き物を食べて事故の生存を維持し死ぬ時はほかの生き物に自分自身を食料として提供します。
 ただ人間だけがこの食物連鎖から乖離(かいり)しています。通常人間は自然死しても遺体を他の生き物に与えるということはありません。生きているときも死んでからも他の生き物に何のお返しもしない人間という動物は他の生き物の視点に立ってみれば徹底した利己主義者、悪魔、そのものにしか見えないのではないでしょうか。
なぜなら衣食住に渡って私たちは毎日膨大な数量の他の生き物の生命を奪っています。食はほとんど全部、他の生き物の生命です。つまり他の生き物の命の供与(きょうよ)を受けずして自己の存在を維持することは不可能なのですから…。
 現実にはほとんどの国において人間の遺体は土葬か火葬に付され、他の生き物の食料に提供されるなんて事はありえません。人は死してもなお墓もしくは遺品、遺作のような形で自己が存在した痕跡を残しておきたいのです。すべての存在は縁起によってのみ存在しているわけですから死しても自己存在の痕跡を留めたいというのは滑稽(こっけい)以外の何ものでもありません。その意味では人間は徹底した利己主義者とも言えます。しかし他者に報恩(ほうおん)を考えない利己主義者が長く栄えたことはありません。
 人間はどうしてこんな利己主義者になったのでしょうか。その淵源(えんげん)はキリスト教の教義にあるような気がしてなりません。現在世界はキリスト教が最大の勢力を保持しています。そのキリスト教では神が人間を作り地上の支配権を与えられたことになっています。旧約聖書創世記第一章に「(人間に対して)生めよ、増えよ、地に満ちよ、地を従わせよ、また海の魚と空の鳥、地に動くすべての生き物とを治めよ」とあります。これによって人類(キリスト教徒)は他の生物の支配権を持ったことになっています。キリスト教の歴史を俯瞰(ふかん)してみるとキリスト教を信奉しない人間は一人前の人間と見なさない時期がありました。主に白人のキリスト教徒が非キリスト教の国を侵略し、その国の住民を奴隷として酷使し、虐待したことは消しようのない事実です。当時のキリスト教徒にとって非キリスト教徒は人間ではないのです。言葉を話す便利な家畜だったのです。人間に対してですらこんな態度ですから、他の生物などは好き放題に狩猟採集しました。
 キリスト教が世界に進出した十六世紀以降、地球の環境破壊は徐々に進み十九世紀以降、過速度的に地球は荒廃し、現在に至ったのです。依正不二の原理、因果応報の真理を知らないキリスト教徒は死ねば天国という別の場所に移動してしまうため、地球の破壊などあまり関心がないのです。いよいよ愁眉の急となった地球温暖化現象は主にこのキリスト教徒や近代資本主義を信奉した利益至上主義者によって推し進められた人間の傲慢な支配に対する自然界の悲鳴なのです。そして今、地球温暖化現象に先んじて恐ろしい危険が忍び寄っているのです。


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