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熟年クラブ連合会
     エッセイ  (最終更新日 : 2019/02/15)
2009年10月号

2009年10月号 (2009/10/13) 地球は今、崖っぷち

サント・アンドレ白寿会 宮崎正徳
 週刊新潮の四月五日号と四月十二日号の二回にわたって、気鋭の評論家・桜井よしこ氏が「環境が危ない」と題して、肝(きも)を潰(つぶ)すような記事を書いています。
 副題が「CO2」噴出で八十年後「生存の危機」というもので、序文には「街は『環境に優しい』商品で溢れかえり環境を憂う声は日に日に高まっている。が、真の脅威(きょうい)は海中から放出されるCO2で、人類が八十年後に窒息死する」という驚愕(きょうがく)の予測なのである」と述べています。
 私は地球温暖化現象で困ることは、氷河など現在氷結している水分が融解(ゆうかい)して海面が上昇し、陸地の生活が脅(おびや)かされることぐらいしか知りませんでした。
 問題はもっと別の所にあるのです。それは気温の変化そのものが生物に大変な影響を与えるという事実です。皆さんは氷河期というと零下何十度のような大変寒い時代を想像されるのではないでしょうか。実は平均気温で見ると、現在とわずか四、五度の差でしかないとの事です。
 一八八三年、インドネシアのクラカタウ火山が大爆発(ばくはつ)を起こした時、その噴出(ふんしゅつ)した灰が地球を覆い、平均気温が〇・五度下がったことがありました。そのため、地球上の多くの場所で大凶作になったという事実があります。たった〇・五度です。いかに地球上の生物が微妙なバランスの上で生きているかが解かります。
 今年二月二日「気候変動(きこうへんどう)に関する政府間パネル」の第四次報告書で地球温暖化が人間の営みの結果であることが公式に認定されました。新聞、テレビでご覧になった方は多いと思います。同報告によれば、このまま人類が二酸化炭素を排出し続けると、今世紀末に気温は二十世紀末に比べ最大六・四度上昇するというのです。二十世紀の百年間で気温の上昇は〇・六四度だったというから、実に十倍です。これが何を意味するのか。氷河時代の平均気温、インドネシアの火山活動のもたらした大凶作から考えても想像を絶する大変化が起きることは間違いありません。首都(しゅと)大学学長の西澤潤一氏は「地球環境の何が問題か。人々は温暖化や北極の氷が融(と)けて水位が上昇するのを心配しています。これらのことに対して人類は技術的に対応できないわけでありません。しかし、いったん始まると手の打ちようが無いのが二酸化炭素の増加です。
 人間は神の恩恵に甘えて、勝手なことをやり過ぎてきました。早急に策を講じなければ、今大気の〇・〇三八%を占める二酸化炭素は間違いなく加速度的に増えます。濃度三%で人類は窒息死します」と、同誌の中で述べています。また、氏は「科学者こそが地球のメカニズムを把握して政府に迫り、行動をとらせなければならない。残された時間は十年だと主張する。「無為に十年を過ごせば、八十年で人類は滅びます」と断言もする」と述べています。
 その理由を西澤氏と共同研究者の上野勛黄工学博士は「メタンハイドレート」という物質の存在にあると示しています。メタンハイドレートとはメタンを中心にして周囲を水分子が囲んだ形になっている物質です。この構造を維持する為には低温かつ高圧であることが求められます。この物質は見た目には氷に似た固体です。火を付けると石炭のように燃えます。まだ、燃料として使うには採算の取れる技術が発達していない為、研究用に採取されるだけですが、将来、石油が枯渇(こかつ)した場合の燃料資源とも言われています。
 上野博士の見解は燃料どころかこの物質をいかに動き出さないようにしなければならないかということなのです。メタンハイドレートは圧力が減少したり、海水温が上昇するとその氷上の塊(かたまり)が崩壊(ほうかい)して大気中に噴き出し、そこで水と反応して大量の二酸化炭素になるからです。二酸化炭素は海水温が低ければ低いほど海中に溶け込みます。人類が排出した大量の二酸化炭素は今まで海中に溶け込んでいました。今後、地球温暖化が進み、海水温も上昇すると、海水に二酸化炭素は溶け込めなくなり、逆に海中に大量に溶け込んでいる二酸化炭素が空中に放出されます。現在の温暖化が限界点を越えた日、海は大量の二酸化炭素を吐き出し、あっという間に三%を越え、植物系の生物以外、殆どの動物が窒息死するという、これが氏の警告です。
 四十六億年前、地球が誕生して以来、殆ど生物が絶滅してしまったことが三回(一説には四、五回)ありました。その原因は大隕石の落下、火山の大噴火、そしてメタンハイドレートの崩壊など様々に考えられています。
 しかし、地球にはその都度(つど)多様(たよう)な種に進化していた生物がいたため、激変(げきへん)した環境においても何とか適応できる生物がいて、その後の繁栄を得ることができたのです。
 今、地球は再び生物絶滅の危機を迎えることになってしまいました。ただし、現在の危機は過去の危機とはまったく異なるものです。
 過去の危機は大隕石(いんせき)の落下とか火山の大噴火(ふんか)など、生物自体の行為に原因が由来するものではなかったのです。もっともある絶滅は微生物(びせぶつ)がメタンハイドレートを食して、崩壊せしめたことによるとの説もありますが、その微生物は他の種に襲いかかったわけではありません。でも現在の危機は「人間という種」が知性という力を持ったため、自然界に侵入し、他の生物を襲い、その生息地を奪った上、その経済活動で住んでいるあらゆる場所にばら撒き、もはやいかなる生物も対処できない状況に追い込んでしまったのです。ある学者はこれを「知性を持った生物の必然的(ひつぜんてき)到達点(とうたつてん)」と結論付けています。知性は常に「より快適、より満足」を欲するため、知性を持った生物は攻撃的にならざるを得ないというのです。
 世界最初の四大文明発祥の地は現在、ほとんど砂漠化していますが、この地はかつて豊かな森林地帯だったのをご存知でしょうか? 人間の文化とか文明の営(いとな)みは恐ろしいまでの破壊(はかい)でもあるのです。
 現在の世相(せそう)は、まさに破滅(はめつ)一歩手前の状況と言わざるを得ません。本年三月三十一日、朝日新聞夕刊「素粒子(そりゅうし)」に「不誠実(ふせいじつ)という影が日本を覆っている。データ改ざんにトラブル隠匿(いんとく)の電力会社、捏造(ねつぞう)番組を流していたTV局、まともな弁明(べんめい)をしない水飲み大臣、それをかばう首相、傾城(けいせい)(美人)に誠なし。『美しい国』とは傾城並み誠なしか」と慨嘆(がいたん)しています。日本史上、国民の品性がこれほど卑(いや)しく劣化(れっか)した時代は無かったのではないでしょうか。


ありがとうは大きな力

ナザレー老壮会 波多野敬子
 病気の主人の世話に明け暮れて四年。主人は八十九歳で亡くなりました。私は常々、主人亡き後の自分の身のふり方をどうすればよいのかと考えていましたが、とうとうこの日を迎えて仕舞いました。
 ボッーとしたままの私を息子夫婦、十歳の孫までが暖かく大きな家族の愛で包んでくれ、主人が逝って、四ヵ月。私は何一つ思い煩(わずら)うこともなく毎日を心安らかに過しています。
 嫁と姑、昔から仲の良くないものと考えられていました。現在でも多くの家庭でうまくいっていないようですね。
現在のように高齢化が進むにつれ、老人の最期を看取るという大変な仕事が待ち受けています。そこでお年寄りに一つ。自我を捨て、若い人に素直に従いましょう。そして、一歩も二歩も引きましょう。そうする事で看病する人たちがやりやすくなります。私は義母、義父、主人と三人を看取りました。そこから得た教訓です。
 「お願いします。ありがとう」を今から実行してみては如何でしょうか。必ず周囲も変わるはずです。
 「ありがとう」これは大きな力を持った言葉です。ぎすぎすした家庭ではなくて、明るく和やかな家族関係を築いて、安らかな余生を送って欲しいと願っています。


黒髪恋し

サンパウロ中央老壮会 纐纈蹟二(喜月)
 趣味の一つとして絵を習い始めて四年になる。絵の方は巧くならないが、同好の若い人たちとの付き合いの方が面白い。民謡も書道もそして俳句も楽しくやらねば何も得る事なしで、自分だけが抜群に達者になり、人の頭に立つなどは持っての外だと心で決めている。「お前は才能がないからだ」と云われては処置なしだが、絵画教室の先生は私の娘ぐらいの年齢の女性で、親切に指導して下さる。
 三原色があれば、混ぜ合わすとどんな色も出せると聞いた。絵の具はたくさんあって、一つ一つに番号があり、例えば赤があり、紅もあって、番号により濃淡がある。それを混ぜ合わせて一つの色を出して塗る。次に同じ色を、と混ぜ合わせても絶対、同じ色彩は出ない。こんなことが絵画の妙味だと思う。
 赤い色で、俳句で云う花ベイジョ(マリア・センベルゴニャ)は多種多様な花を咲かせている。黄色い花は未だ見たことが無い。ずっと以前、日本の有名な俳句の先生が黄コスモスが庭や野原に咲いているのを見て、大変珍しいと感心された。雑草化した黄コスモスは枝を張り逞しく花を咲かせていた。種を日本にもって行き、蒔けば育つと思った。我が家の古女房は緑を青と云っている。街路信号は赤、緑、黄であるが、植物を青葉と云い、青菜と同様に青信号と云うのである。
 馬の毛並みの黒味がかったのを青馬(あお)と云う。民謡の馬子唄に「あをよ啼くなよ もううちや近い 森の中から灯が見える」で青は黒味の馬を呼ぶのは昔からだ。昔、女性の黒髪を緑の黒髪と表現したが、現代では通用しそうにも無い。
 今の日本はサッカーのプロチームが沢山出来て、外国人選手が大活躍であり、日本人選手の優秀なのが、ヨーロッパに移籍して頑張るのは実に頼もしいことである。日本人の特長は癖のない黒い髪だが、フットボールの日本人選手の中には外人を真似てか、茶色や黄色に髪を染めたのが居る。髪を染めて日本人離れをするつもりだろうか? 実におかしいと思うのである。ブラジルの選手に丸坊主にしているのが居る。
 昔から「色の白いは七難隠す」とか「色の黒いは丈夫そうで可愛い」など云ったものである。男が髪を染めるのをおかしいと思うのは、年齢の故かも知れぬ。
 自分は髪もひげも黒いのはもう一本も無い。十年前から頭を丸坊主にしている。昔は黒い髪がふさふさしていたが…。傘寿となって、色気なしである。


握手

レジストロ春秋会 大岩和男
 今でこそ、握手は日本人でも何の違和感もなく、ごく当たり前の事として普通に行われているが、戦前、特に昭和一桁(けた)以前の初期移民の人たちには甚(はなは)だ馴染めないものだったと聞く。  昭和九年頃、私たち一家はブラジルに着いたばかりであった。配耕先の耕地から程近いリベロン・プレット市に日本総領事館分館が開設されたばかりとかいう話であった。そこには鎮台(ちんだい)と異名(いみょう)で呼ばれた坂本靖氏が赴任されておられて、モジアナ線全域の日本移民の保護と諸事の相談を受け付けておられたのである。ある時、私の父は何の用件であったか、その総領事館へ行ったそうである。坂本領事直接に応対され、握手のために手を差し出されたが、そうした礼儀を全然知らなかった父は大変戸惑ったそうである。丁寧に頭を下げる日本式の挨拶を返した後で、用件を済ませ、退出する時、また坂本さんは手を差し出して「ブラジルではお互いが手を握り合うのが礼儀で、強く握るほど信頼の情を表すのだ」と説明をして下さったそうである。
 後年、父はその時の坂本領事に手を握られたことをよほど光栄に感じていたらしく「坂本さんの手はとても分厚くて暖かだった」と話したものである。
 その頃は領事に会う機会など珍しく、また、高い所の人として、一般庶民には近付き難い存在で、現今のように総領事や大使とでも誰彼の別なく親しく簡単に手を握り合える時代ではなったのである。
 先日、日本移民百周年記念塔の落成式の式場で、大使、領事が大勢の人たちと気軽に握手される和やかな交歓場面を見て、昔日の父の話を思い出したのである。
 序に父の思い出をもう一つ。昭和十五(一九四〇)年、祖国日本では紀元二六〇〇年という栄えある歴史を称える奉祝ムードに包まれていた頃、日本政府を後ろ盾として、千古不斧の大原始林を開発開拓のため、責任会社ブラ拓が旧移民にも土地を売り出したのである。その頃の旧移民で、自分の土地を持った人はほとんど無く、みんな借地農による棉作りであった。ブラ拓による土地分譲は長期の年賦払いによって、地主になれるという、有利で大変魅力あるもので、借地農であった父は大乗り気で土地の視察に行った。その時のチエテ移住地の支配人は古関徳彌氏で、大変庶民的な方で視察に行った父の手をしっかりと握り「頑張って下さい」と励まされたという。その時の古関支配人もがっしりと力強く握られ、この人は信頼できると強く感じたと父はよく話した。
 亡き父の遠い昔の述懐談の一コマである。その信頼した古関支配人も程なく戦雲(せんうん)酣(たけなわ)の祖国日本に召還(しょうかん)されて、南洋方面に派遣される途中、輸送船を米潜水艦に撃沈(げきちん)され、無念にも太平洋に散華したことを、ずっと後に聞かされた。衷心よりご冥福を祈り、この稿を終る。


愛読した作家たち

名画なつメロ倶楽部 津山恭助
(26) 求道者とピエロと 遠藤周作
 終戦後、彗星のように文壇に現われ出た鬼才・三島由紀夫に続いて五年ほど後、彼と同年配の作家群「第三の新人」が登場した。吉行淳之助、安岡章太郎、遠藤周作等を中心としたグループの人達である。
 遠藤は慶応大学文学部を卒業後、昭和二五年戦後初の日本人留学生として渡仏しリヨン大学で現代カトリック文学を研究した。帰国後、本格的な執筆活動を開始、爾来日本人にとってのキリスト教の意味を一貫して追求してきた。三〇年に「白い人」で芥川賞を受賞し、作家としての地位を得た。
 以来、「黄色い人」(三〇年)「留学」(三〇年)「沈黙」(三一年)「海と毒薬」(三三年)
「死海のほとり」(四八年)「深い河」(平成二年)など多くの純文学を発表した。
 しかし、実を言うと、カトリックには縁なき衆生である私などには、馴染めずじまいであり、遠藤の持つもう一つの面であるユーモア小説の方に親しんだ記憶がある。「おバカさん」(三四年)「ヘチマ君」(三六年)「どっこいしょ」(四二年)「大変だァ」(四四年)等々、それに「ぐうたら人間学」とか一連の狐狸庵先生シリーズも面白かった。「わたしが・棄てた・女」(三九年)も共感出来た作品である。遠藤の持つ敬虔なカトリック信者である求道者的な面と、人を喜ばせようとする奉仕精神のピエロの二面性は興味深い研究材料となる。
 実生活上の遠藤は、罪のないホラふきとして知られ、友人達を電話でからかっては悦に入っていたらしい。また、作家の大半は文壇での栄達などは眼中になきが如きの顔をしているものだが、この人は早く有名になりたい、と洩らしてしたと言う。素直で正直なところが、多くの読者を得た所以かも知れない。アマチュア劇団「樹座」を結成し、自らも脇役で出演して楽しんでいたそうである。
 また剣豪作家の第一人者である柴田錬三郎は彼の遠縁にあたり、柴田の創造した眠狂四郎の生い立ちは「黒ミサで生まれた子供に想定したら…」とのアドバイスにヒントを得たものであったと言うが、大したアイデアマンでもあったらしい。昭和六〇年から四年間、日本ペンクラブ会長に就任、平成七年には文化勲章を受章するが、翌八年肺炎により、七三才で他界した。


~親愛なる子供たちへ~ 「手紙」

原作不詳 日本語訳:角智織
 先日のNHKテレビで見ました。泣けて仕方がありませんでした。人生の終わりを迎えようとしている私だけに…身に詰まされてしまいました。きっと皆さま、同じ思いを持たれることでしょう。(山口潤子)
 ―― ☆ ――
 年老いた私が、ある日、今までの私と違っていたとしても、どうかそのままの私のことを理解して欲しい。私が服の上に食べ物をこぼしても、靴ひもを結び忘れても、あなたに色んなことを教えたように見守って欲しい。
 あなたと話す時、同じ話を何度も何度も繰り返しても、その結末をどうかさえぎらずに
うなずいて欲しい。あなたにせがまれて、繰り返し読んだ絵本のあたたかな結末は、いつも同じでも、私の心を平和にしてくれた。悲しい事ではないんだ。
 消え去ってゆくように見える私の心へと、励ましのまなざしを向けて欲しい。
 楽しいひと時に、私が思わず下着を濡らしてしまったり、お風呂に入るのをいやがるときには、思い出して欲しい。あなたを追い回し、何度も着替えさせたり、様々な理由をつけていやがるあなたと
お風呂に入った懐かしい日のことを。
悲しい事ではないんだ。旅立ちの前の準備をしている私に。祝福の祈りを捧げて欲しい。
 いずれ歯も弱り、飲み込む事さえ出来なくなるかも知れない。足も衰えて、立ち上がる事すら出来なくなったなら、あなたがか弱い足で立ち上がろうと、私に助けを求めたように、よろめく私にどうかあなたの手を握らせて欲しい。
 私の姿を見て悲しんだり、自分が無力だと思わないで欲しい。
 あなたを抱きしめる力がないのを、知るのはつらい事だけど、私を理解して支えてくれる心だけを持っていて欲しい。
 きっとそれだけでそれだけで、私には勇気がわいてくるのです。
あなたの人生の始まりに、私がしっかりと付き添ったように、私の人生の終わりに、少しだけ付き添って欲しい。あなたが生まれてくれたことで、私が受けた多くの喜びとあなたに対する変わらぬ愛を持って笑顔で答えたい。
 私の子供たちへ 愛する子供たちへ


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