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熟年クラブ連合会
     エッセイ  (最終更新日 : 2019/02/15)
2010年9月号

2010年9月号 (2010/09/12) 三つの花の話

サンパウロ中央老壮会 栢野桂山
○オオカミ茄子
 ブラジル名はジュルベーバ。ミナスのセラードの痩地を好んで自生群落して、高さは二、三メートルの茄子科の多年生潅木である。茄子と同じような紫の花を付け、葉はずっと大きく白っぽいがやはり茄子によく似ている。
 花が終わると径十センチほどの茄子とは違う丸い実を付け、黄色に熟れると甘い香りがして、これをオオカミ(グアラー)が好むので、その名を得た。
 この木はネマトーダ(有害根瘤菌)の発生源と言われているので、これの少ない土地を選んでコーヒーや作物の根付けをするのが、ミナス開発の条件である。
○紫陽花
 あじさいはユキノシタ科の多年生落葉低木で、花は萼(がく)が変形したもので花は小さく、雄しべはあるが雌しべが無いので、実は結ばない。したがって根分けをしなくては数を殖すことはできない。
 花は百合が「清純」、ヒヤシンスが「貞淑」、コスモスが「可憐」と、日本人好みの名に対して、紫陽花は「浮気」であるが、花のひらき始めは淡色で、時が移るにつれて、濃い碧紫色になるので、「七変化」とも呼ばれる。
 紫陽花と言えば、昔、リオグランデの観光都市グラマードへ旅行した時の事を想い出す。近の街路、公園、家々の庭園と、一面に紫の雲が街を包んだようになるという。
 紫陽花はガクアジサイを日本が改良し、ブラジルへはポルトガルにそれが広がって、そこの移民が持ち込んだものである。
○母子草もどき
 母子草は春の七種の一つで、草餅にしたのが母子餅である。「母子草もどき」はこれによく似て全体に白い綿毛があり、米粒ほどの小さい黄色い花を咲かせる。
 我々はこれを「冬草」と呼んでいたが、これはコーヒー園の山立てを終えて、採集に掛らんとした頃、その樹の下に密生して、実を寄らせるラステーラと呼ぶ熊手を使うのを困難にする、百姓泣かせの厄介な雑草である。
 著者は子供移民の頃、毎日のように鼻血が出たが、柔らかいこの草を鼻に詰めて栓にして、コーヒー採集を続けたものである。


奇想天外

サンパウロ鶴亀会 井出香哉
 白内障の手術を受けて何も見られないので、目を閉じてテレビを聞いていたら「やさしい人」という言葉が聞こえてきた。退屈しのぎに何にでも「やさしい」をかぶせてみた。
 一番先に、やがてお世話になるかもしれない閻魔(えんま)様。閻魔様や青鬼、赤鬼が亡者と共に「針の山や血の池は危ないから行くな」と優しくなったら地獄は成り立たない。
 闘牛が「角で相手を怪我させたら痛いだろう」と考えたら、スペインの闘牛場は閉鎖しなければならない。ライオンや虎、狼等の肉食動物が「弱いものは可哀想だから殺すのは止めた」と草を食べるようになり、地震は地下のナマズが昼寝をし、雷は虎の皮のふんどしを外して、ハート模様のパンツをはいてドラムを叩き、火事はエネルギーの無駄だと線香花火になり、親父は随分昔から骨抜きになっていて、見る影もない。
 台風はそよ風となり、そよそよと落ち葉とダンスをする。世の中、やさしいばかりになったらどうなるのか? お日様ニコニコ、動物はゆったりと草を食べ、若者は老人をいたわり、上司は部下を怒鳴らず、学校ではイジメがなくなり仲良く勉強をする。
 こんな情景を頭に描いて悦に入っていたら、娘がご飯を運んできた。スープには鶏肉が入り、煮物には牛肉がゴロゴロしている。
 生きるためにはやさしいだけでは駄目か。弱肉強食もやむをえないかと空想を中止して食事にした。


読書の心得

サンパウロ中央老壮会 彭鄭美智
 私も大城戸節子さんと同じく、小さい頃から本が好きでした。
 去年、中国人の学者、林語堂が英語で書いた本を日本人が訳した本を読み、目からうろこが落ちました。
 彼が云うには、たった一度の人生、短い人生、貴方は如何に過すか?
一、 毎日人生を楽しみなさい。
二、 読書を楽しみなさい。
三、 良い音楽をききなさい。
四、 旅行を楽しみなさい。
五、 大自然を楽しみなさい。
六、 日の出、日の落ちるのを鑑賞しなさい。
七、 花の満開を楽しみなさい。
八、 疲れたら休みなさい。
九、 良き友を作りなさい。
十、 うんと自分を可愛がりなさい。
十一、自分を可愛がるように人様にも親切を尽くし、人様を可愛がることが出来れば、貴方の人生は百点満点です。
十二、美味しい物を食べたかったら食べなさい。
十三、死んだら天国へ行くと云うけれども誰も行って帰ってきた人は居りません。
十四、死んだら生まれ変わると云うけれど、ダレも生まれ変わってきた人は居りません。
十五、くよくよしないで毎日を楽しく過しなさい、と…。
 私は成る程と思い、その日から目からウロコが落ちたように人生観が変わりました。
 早寝早起きが得意な私は、毎日が楽しく、よく食べ、よく寝て、よく休み、よく働き、よく運動して、自分をうんと可愛がり、人様に親切を尽くしている毎日です。
 最後に私はブラジルに移住して来て、本当に良かったと思っております。
 一九七〇年、当時三十九歳だった私は散々苦労もしましたけれども、余生をうんと楽しく過ごせましたし、ここの気候も農産物も、人の良いブラジルで皆様と一緒に川柳を楽しみながら生きて行きたいと思っております。


厚生ホームより

サントス伯寿会 三上治子
 老ク連の皆様、お元気でご活躍の事、何よりと存じ上げます。
 厚生ホームも色々と楽しい事があり、十四日は日本民謡の佐々木基春様ご一行の来訪で名人級の方々の懐かしい民謡や踊りを見せて頂き、十五日は北川先生の福祉支援のカラオケ祭が行われました。
 寒い日なのに大勢の歌手の方々がお出でになり、皆さんの熱気は凄いものでした。若々しく、長寿の道を歩んでおられ、私にもそんな時代があったなぁと懐かしく思いました。
 大勢のボランティアの方々のお陰で私たちは安心して暮らしています。ありがとうございます。


国も傾ける女性の香り

なつメロ名画倶楽部 五十嵐司
 「象潟や雨に西施が合歓(ねむ)の花」。これは、松尾芭蕉が「奥の細道」で詠んだ有名な俳句で、私は北海道・東北旅行で汽車の窓から象潟(きさかた)の海を眺望して、この句を思い出し、感慨(かんがい)に耽(ふけ)りました。
 網走(あばしり)の農大オホーツクキャンパスで新設された食品香粧学科の新入生諸君を前に香料化学の概説を試みましたが、長い講義中に学生の気持ちをほぐすために「美女と香料と権力者」の物語などのエピソードも時々加えて話しました。
 西施(せいし)という女性は中国の春秋時代、越の王、勾践(こうせん)の后(きさき)で、憂(うれ)いを含んだ表情で知られた美女です。
 勾践が呉の国に敗れた後、呉王、夫差(ふさ)のもとに献ぜられたのですが、夫差は西施の容色におぼれて、国を傾けるに至り、勾践の復讐戦も大成功します。
 さて、香料雑学家たちによると、世界の歴史を動かした美女には三つのタイプがあるということです。
 第一のタイプのチャンピオンは古代エジプトのクレオパトラで、実際はそれほどの美人でもなかったというのですが、大変な香料マニアで、莫大な量のバラなどの花の精油から麝香(じゃこう)、竜涎香(りゅうぜんこう=抹香鯨の胆のう結石から作る)などをふんだんに使って、ローマ皇帝のシーザーを魅了し、その死後はアントニウス将軍と結婚して、ひと時は東方の女王として君臨しました。
 一方、東洋でよく知られた虞美人(ぐびじん)は、中国奏朝末期の有名な武将、項羽(こうう)の籠妃で、戦いに破れた項羽と一緒に死ぬまで花の精油を体にすり込んでいたという事です。
 第二のタイプは内服するグループで、唐の玄宗皇帝の妃(きさき)であった楊貴妃(ようきひ)など、見目のよい娘は小さい頃からバラ油などを呑まされて、芳香を発する体に作られました。目的は貴人への玉の輿で、親たちもそれに連れて出世できるというもの。
 第三のタイプは生まれつき芳香を出す特異体質で、前記の西施や香妃(こうひ)たち。中でも新彊省ウイグル地区の王、ホジ汗(かん)の后であった香妃はナツメの白い花の香りの体臭の持ち主であったということで、これを聞いた清朝の乾隆(けんりゅう)帝に夫を殺され、国も奪われるが、帝を拒み、自殺してしまいます。別の説では、他の妃たちの嫉妬(しっと)を受け暗殺されたのだとも言われていますが…。いずれにしてもどの美人も終わりはあまり幸せではないようです。
 ところが、旅行から東京に戻って開いた新聞(産経新聞六月十二日付)を見て、驚きました。なんと、一ページ前面のスペースに「バラ油のカプセルを毎日呑んで、芳しい女性になりましょう」という大広告。女優の横山めぐみの大きな写真と彼女の体験談まで載せている。いわく、この「薔薇の囁き」サプリメント、五十万袋を出荷済み。ただ今テレビCM放送中とあります。
 さて、ここブラジルの女性も化粧品や香水は大好き。食べる物を食べなくてもお化粧代はひねり出すのですから、化粧品・香料会社には好況も不況もあまり関係ないようです。


愛読した作家たち

名画なつメロ倶楽部 津山恭助
(34) 辛口の文明批評家 山口瞳
 昭和三七年度下半期の直木賞受賞作の「江分利満氏の優雅な生活」を一読した時には、こんなユニークな小説もあるのか、と新鮮な感動をおぼえた。爾来、熱心な愛読者の一人となった。読んでみると何のことはない。庶民のありきたりの日常生活の断片が、ごく平俗な言葉でさりげなく語られている。ここに、直木賞選考委員の受賞作品に対する選評の大要を掲げてみたい。
 まず松本清張と源氏鶏太の二人は積極的な支持者で、松本は「氏の文体の清新さと着想の独特さを評価」、源氏は「新鮮さを感じた。小説というよりも気の利いた随筆として読んだ。こういう才能が今後どのように展開していくか興味がある」としている。面白いのは小島政二郎が「長い長い読物から小説的興味を読みとることが出来なかった」と述べ、川口松太郎も否定的な立場であったこと。
 山口の辛口の随筆的な作風はその後、昭和三八年から「週刊新潮」に連載が始められた「男性自身」に集大成されており、同シリーズは三一年以上に亘って続けられ、週刊紙連載の最長記録とされている。
 ところで山口は酒乱と自認するほどの酒豪であり、酒をめぐるエピソードはその作品の中で披露されているが、「酒呑みの自己弁護」というのがある。世界の美酒、銘酒をすべからく友として三十余年、喜びにつけ哀しみにつけ常に酒とともにあった著者が、愛惜の心で思い出の酒を語り、男らしい酒の飲み方を伝授する。飲んべえには必読の、口あたりさわやかな辛口エッセイである。「いったい、ウイスキーを水で割るという悪しき習慣は、どうやって生じたのであろうか。本来強い酒の強い味と香りを楽しむべきものを、薄めてしまうという考えが私にはどうも納得がいかない」。これはストレートでは強すぎるという水割り党の私などには甚だ耳の痛い教訓である。
 東京都生まれ、父の事業の浮沈で富裕と困窮を経験したのち、麻布中学に学び、昭和二〇年入隊。戦後、国学院大学を卒業し河出書房を経て寿屋(のちのサントリー)に入社、PR誌「洋酒天国」の編集に携わる。三九年に同僚の開高健らとサン・アドを設立したのち作家となる。数多くのエッセイのほか、初めての見合いの席で〝わたし、お見合いなんかする男の人って、嫌いなんです〟と言われて、憤然として輝かしい見合い結婚を決意する青年を主人公とした青春小説「結婚します」。聡明で魅力がありながら、結婚しない人生をさりげなく選んだ女性達の生き方を描いた短編集「結婚しません」。ユニークな教育者を描いた「けっぱり先生」。長屋に出てくるような人々をあたたかく包んだ「居酒屋兆治」などの小説から、母の生い立ちを追跡した作品「血族」で昭和五四年に菊池寛賞を受賞している。麻雀、将棋、野球、絵画と趣味も多い人だった。平成七年、六八才で死去。


一期一会

東洋大学教授 紀葉子さん
 紀先生は老ク連には三年目、ブラジルには六年目ということで、これまでに先生のインタビューを受けられた方はたくさんいることと思います。
 長い黒髪を三つ編みにして、二重三重にして後ろで束ね、柔らかな物腰で慎(つつ)ましやかに語る姿は、大和撫子(やまとなでしこ)そのもの。
 姓の紀(きの)からも察せますように、平安時代の古今和歌集を編纂した紀貫之(きの・つらゆき)の子孫にあたるとか。また、名前の葉子の葉の字も「万葉集」から取って付けられたとか。いろいろ伺うと、何やら平安の昔を彷彿(ほうふつ)とさせます。いかめしい肩書きに似合わず、やさしくインタビューされると、何でもしゃべってしまいたい、そんな感じのする方です。
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 老ク連本部の各種教室に顔を出させて頂いて、皆様がお稽古に励んでおられる姿をまぶしく拝見させて頂いております。二〇〇八年度より「ブラジル日系コロニアにおける再生産構造をめぐる現地調査」という課題で文部科学省の外郭団体である日本学術振興会より研究補助を受けてお邪魔しております。現在の課題に取りかかる前から別課題でブラジルの日系コロニアで調査研究をさせて頂いておりましたが、ブラジルの水を一度飲むと必ず帰りたくなるものだとサンパウロ人文研の先生が話していらっしゃいました通り、水が合うのか、第二の故郷のように年に一度は訪れることがもはや自然になりつつあります。特に、二〇〇八年からお伺いしておりますこちら老ク連本部は、その賑わいが殊に懐かしい大切な場所でございます。
 社会学の調査というものは、かなり失礼なもので、初対面の人であればまず伺うことが躊躇われるような収入や出身地、家族構成などを尋ねます。こどもが何人だとかそのこどもの学歴はどうか、あるいは出稼ぎに行ったことがあるのかどうか、などといったことを、根掘り葉掘り尋ねられるのはあまり気持ちのいいものではないでしょう。実に申し訳ない限りではございますが、自らは学校に行くことさえ適わなかったような環境にありながら、こどもたちには高等教育を受けさせ、ブラジル社会を担う有為な人材を育成した日系コロニアの記録を残しておきたいという思いもまた強くございます。また、日本文化を継承し、コロニア独自のものとして発展させている様子も実に興味深いものです。ご無礼の段は何とぞご容赦頂いて、お話をお聞かせ頂ければ幸いに存じます。
 また、私が勤務しております東洋大学には「福祉社会開発研究センター」がございまして、そちらの研究課題として大都市サンパウロにおける福祉ネットワークについての調査も併行して進めております。まさに老ク連はネットワークの扇の要であり、文化イベントへのお誘いや福祉サービスに関するご案内が頂け、コロニア社会への関心は深まるばかりでございます。もちろん、それもこれも役員の方々や老ク連スタッフ、JICAのシニアボランティアの与古田先生のお力添えがあってのことと心より感謝致しております。調査研究がいかほどかでもコロニアの皆樣方のお役に立つものとなりますよう今後とも精進して参りますので、何とぞ調査へのご協力の程、よろしくお願い申し上げます。


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