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熟年クラブ連合会
     エッセイ  (最終更新日 : 2019/02/15)
2011年10月号

2011年10月号 (2011/10/13) 我が家のドランゴンフルーツと近況

元JICAシニアボランティア 与古田徳造
 今年は、五十個ほど収穫しました。赤と白の実の、「ドラゴンフルーツ」、花は、夜にいい香りとともに、大きく咲きます。月下美人に似ていますね。美人は昼でもきれいだと思いますが(?)。
 さて、ブラジルから沖縄にもどって早、三か月。まだ、ブラジルにいたことが実感できません。夢のようで素晴らしい経験と素晴らしいたくさんの出会いが私の「宝物」ものです、これからも大事にしていきます。さっそく、沖縄ブラジル協会の理事に推薦されまして、活動しています。JICA沖縄、みどり町老人会、県庁表敬などでブラジルの素晴らしさを、報告しました。
 特に、カメラを飛行機に忘れて一月後に、航空会社から届けてもらったこと、業務で長距離バスで移動するときに、下車駅を間違えて大騒ぎしたことなど、二時間も話したこともあります。
 また、五年に一度開催されます「第五回世界のうちなーんちゅ大会」が十月十二日から始まりますが、県人会長や役員の歓迎会、県人会長の講演を企画したりしています。今回、一千九十一名の参加者がブラジルからみえます。前回は、四百名あまりでしたからブラジルの生活の豊かさが伺えます。私たちは、揃いのブラジル国旗入りのTシャツで参加し大会を盛り上げます。それから、帰国の際は、会長はじめ多くの皆様のお見送りに、心より感謝申し上げます。いま、おはようございますといって、老人クラブの玄関を入っていく時の、畠中さん、金籐さんたちの温かい、あいさつや会員の皆様の元気な姿を思い出します。これからもずっと、私の大事な宝物、「ブラジル日系老人クラブ連合会」のますますのご発展をお祈りいたします、今回のご無沙汰をお許し下さい。


宇野妙子先生お久しぶりですね

ピニェイロス親睦会老壮部 中川浩巳
 九月も中旬なのに肌さす風は冷たく、道行く人たちは冬装束。おかしな天候の今日この頃です。
 私たちピニェイスロス親睦会老壮部では、九月十一日に自費で訪伯されている宇野妙子先生をお迎えし、例会並びに誕生会を催しました。
 先生のお元気な姿を見て会員一同再会を喜び合いました。まず一通りの報告、連絡ごとを済ませ、宇野先生の久しぶりのお話に耳を傾け、懐かしく思いながら九月生まれの誕生会に移りました。この会では九月生まれの人が一番多く、名簿上では十五人もいます。が、今回はそれぞれの事情で私の他に四人という少ない誕生会でした。誕生会は大きなケーキの前に座り、皆から♪パラベンスの歌を歌ってもらうことから始まります。会員一人ひとりから心のこもった祝辞を受け、胸が熱くなる思いです。家族でそれぞれ誕生日はしてもらいますが、同じ世代同士での誕生会はまた格別な思いがあります。各自、感謝の言葉を述べ、プレゼントを頂き、童心に返った気持ちです。
 お茶の時間になり、しばらくの間、友達同士の雑談に花を咲かせます。時間を見計らいいよいよ宇野先生の出番です。
 まず指先の運動からです。一、二、三、指を出す運動ですがいつもやっていないのでなかなか思うようにいきません。四の二の五、ますます難しい。こんな簡単なことが出来ないとは残念至極。
 続いては宇野先生が日本赤十字で新しくマスターされた「ホットケアー」というものです。まず二列になり、互いに膝を突き合わせて座ります。片方の人が掌にクリームを乗せて相手の人の腕から指先までクリームを塗りながらマッサージをしていきます。皺を伸ばすように優しく。それから相手の指を一本ずつ自分の指を輪にしてマッサージします。やってもらう方はとても快感です。しばらく続けていくうち、次は適当な温度のお湯にタオルを濡らし、蒸すようにしてクリームをふき取ります。後はまた片方を同じ要領でやります。日本ではこのやり方でアルツハイマーの人の症状に改善がみられたという事がNHKの「ためしてガッテン」という番組で紹介されたそうです。そのため、このマッサージのやり方が注目されているそうです。
 素人の私にはよく分かりませんが、膝をつき合わせて触れ合うこと、他人の手を取り、マッサージをする事、される事は人と人の心の絆が生まれて精神的な反応が生じて脳に効果があるのかなぁと私なりに感じました。
 宇野先生、本当に新しいマッサージの方法をお教え頂きありがとうございました。今後私たちも良い事は続けてゆきたいと思います。またお時間がありましたら是非とももう一度おいで下さいますようお願い申し上げます。


考えさせられる

サントス厚生ホーム 三上治子
 去る八月七日、第七回厚生ホーム支援のカラオケ大会が行われた。サンパウロでも同日色々な催事が重なり、出場する人も少なく地元サントスの人の出番が多くなった。
 夜、NHKのテレビを見にサーラ(部屋)に降りると食堂の入り口のゴミ箱に厚紙を破き捨てられているものがあった。何だろうと思ったら、今日の大会の賞状三枚だった。
 持ち帰るのに邪魔になり捨てたのか? 七十歳位のご夫婦が貰ったもので、良い生活をなさっている方のように見えた。二、三世の方なのか、上手に日本語で歌っていたが、ポ語の生活で日本語は読めないようで歌詞はローマ字で書いてあった。テレビや歌に親しんだり、カラオケ教室へ通って覚えたのだろうか。タレント顔負けの衣装で楽しい老後が伺える。
 子供の部でも賞状を貰ったのは黒人系の毎年入賞する子だ。出演者は少ないので皆、トロフィーを貰っていた。
 新人の部でも一等は賞状を渡していた。いつもどこかの大会に出場する人はたくさん賞状やトロフィーがたまり、邪魔にしている人もいる。だから一時、大会でトロフィーよりも米五キロとか砂糖五キロ、食用油としたこともあったが、残らないからとまた、トロフィーに戻った。
 昔、農事品評会では置時計の大小が、また、花器等を賞状と共に頂いたが世の中も変わり、だんだんにプラスチックの掛け時計となり、今は使い捨ての時代となった。
 賞品を出す方も、賞品を集める人も、銀行や企業家に頭を下げて頂くので楽ではない。
 もちろん、毎土日曜日、何百人と出場する。趣味として楽しみ、健康に繋がる楽しい催しではありますが…。賞状、景品の副産物を考えると、豊かな分、面倒な世の中になったような気が…。


一九九〇年の日記より

ビラ・ソニア老壮クラブ 井口たき子
「出かせぎ日記」病院での仕事。
六月二十日
 ありがたいことに皆に負けないよう動けるのが不思議。今日は二回目の残り番。一週間に一回ずつ残り番があって、夜十一時まで頑張る。三〇七号室の人地のお婆ちゃんは私をすぐ呼ぶ。「日本の人よりブラジルの人の方が親切ね」ですって。とにかく精一杯働いて早く帰りたい。果たして、ブラジルではどうしているかしら?強がりを言っていた主人、ご飯を炊いたこともないので、分量を炊飯器の横に貼ってきたけれど…。
六月二十一日
 よい天気。いつものように六時二十分前に病院に入って午後五時まで無我夢中で働く。病院から五分歩いた所の寮で泊まれるのが本当にありがたい。今日は日曜なので見舞い客が多い。修と中村の姉に手紙を出す。「パパイを大事にしてね」と修に念を入れる。
六月二十二日
 今日は十日に一度のお休み日。土田さんと田中さんと三人で東京へ行く。小田急に乗り新宿まで五十分。押し合いへし合いすごい混雑。新宿から新高円寺の白鳩事務所へ行く。そこへブラジルから持ってきたマーラ(スーツケース)が置いてあって必要品を分けて袋に入れ、色々決算をする。世話になったソール・ナッセンテにも送ってもらう。お昼は田中さんとお蕎麦を食べて上野へ行く。今日は月曜日で動物園は閉まっていた。
 帰りは上野から新宿へ山手線に乗ったつもりが大宮まで行ってしまった。駅の人に聞いて、新宿へ帰り、相模大野(さがみおおの)に着いた時はホッとした。今日は歩いた、歩いた。すっかり疲れた感じ。
― ◎ ―
 懐かしい日本での病院勤務を改めて思い出す。


年金受給者の自覚(1)

サンパウロ名画倶楽部 永田敏正(七十一歳)
 今年八月より、名画の友に新規加入した者であります。
 老壮の友七号を読みまして、レジストロの大岩さんの記事が出ていまして、思わず嬉しさがこみ上げてきました。
 インダイアツーバの早川さんの老人健康法も早速実行しています。こういう、身近な体験談は、実にほほえましく、参考になります。続けて投稿してほしいものです。
 さて、私は、ブラジルに工業移住してきて、三十五年になりました。四人の子供と家内の総勢六人でした。
 呼び寄せ会社が、エンブーにありましたから、住む家も、工場のすぐ近くで探したのです。古い平屋を購入して、今日までずっと住んでいます。子供たちは、みんな、結婚、独立して、親元から巣立っていきました。いわゆる第一期、親の責任を果たしたことになると自負しています。
 日系団体との係わりは、JICA(国際協力事業団)の委託業務団体として「工業移住者協会」が設立され、二十年間、ずっと役員として活動してきたのです。日本語による、新移住者の集団ですので、身寄りのない新移住者にとっては、最高の「寄り場」でした。家族をも一緒に、引き込むには、絶好の団体でした。
だが、それも一時期には風靡(ふうび)した団体でしたが、時代の変化と共に、自然消滅しました。
 ブラジルに移住してきて四十、五十年たち、当時の青年は六〇、七〇、八〇代の高齢者となり、別々の団体に移ったり、新団体を結成したりしてきました。そこで私も、文協なり、岐阜県人会なり、日本人会を訪ねては、活動の場を探求したのですが、到達する前に、心筋梗塞(しんきんこうそく)発作(ほっさ)から、肺炎、腎臓(じんぞう)病をわずらって、何もできなくなりました。それから五年位、体力回復に専念してきました。
 腎臓には人口透析(とうせき)と食事療法、心臓には薬事と食事療法をもって、腎臓機能の回復に努力した結果、三年間で三五%まで回復したのです。
 サンパウロ・クリニカの専任医師も喜んでくれて、今では、半年ごとの検査と診断になり、心臓はインコールにて、一年ごとの検査と診断に通っているのです。要は、普通どおりに活動できる体力になったのです。でも責任ある仕事は止めました。
 会社は休眠扱いとし、工場、機械類は、売却しました。日本で二十年、ブラジルで三十年、合計五十年間、汗水流して働き続けてきた我が歴史の第一章は終わりました。今では家内と二人の年金生活者となったのです。いわゆる最終章です。
 体験談を話すと、大変ですから、このあたりにして本文に移りたいと思います。
 三・一一の日本の平成の国難に対して、日本人としての生きる心構えというか、遣り残しの無い人生に挑戦しようという、意気込みが、湧いてきたのです。
 なにせ、情けないことに、日本語で、話したり、書いたり、読んだり、歌ったり、インターネット活用しか出来ないことに、制約されていますが、日系社会の狭い範囲でも、相通じる共鳴者を探していったり、友好活動を始めれば、二人、三人、十人、二十人、百人と庶民の集団ができると確信しているのです。経費も使ったり、時間も使ったり、車の運転もしたり、一人で山歩く度に、家内からも愚痴(ぐち)を言われたりと、いろいろな障害があろうが、自分で決めた、価値ある最終章(動けるのも十年位でしょう)に、老人クラブ連合会という伝統ある団体に、所属し、幅広い活動を展開していくことに、進軍開始です。
 まず始めに機関紙「老壮の友」を新会員獲得の宣伝材料にするため、是非、無料配布してほしいのです。
 新米が、伝統ある会に、何を、文句言うか、と叱られるかもしれませんが、庶民の意見として聞いて欲しいのです。(つづく)


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