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熟年クラブ連合会
     エッセイ  (最終更新日 : 2019/02/15)
2012年6月号

2012年6月号 (2012/06/14) 邦字新聞を守ろう

老ク連会長 五十嵐司
 インターネットで調べると世界中には定期的に発行されている主だった日本語の新聞は約三十紙ある。そして、私たちのような移住者を対象として発刊された邦字紙を持つ地域は、南北米のカナダ、アメリカ本土、ブラジル、ペルー、アルゼンチン、パラグアイとハワイの七箇所である。
 その全域でかつては数多くの新聞が発行され、活発な報道を行っていた。しかし今は昔日の面影はなく、発行日数、部数、ページ数の総てが少なくなっている。これは海外移住の事実上の停止と読者の老齢化によるものに他ならない。しかし、それはそれとしても、近頃大きなショックを受けたのは日本人集団地の一つである北米サンフランシスコで起こった、伝統ある二紙「日米タイムス」と「北米毎日」の相次ぐ廃・休刊のニュースであった。そして、あとに残されたのは店などに置いている無料配布の日本語広告祇だけとなってしまったことだ。
 日系人の比較的多いロサンゼルスの「羅府新報」の方はまだ続いているが、部数を減らして苦闘している。北部のシアトル市の「北米報知」と更に北のカナダでは、「バンクーバー新報」はまだ発行を続けているが、最大であった「日加タイムス」の方は活字報道を停止して、インターネットでの報道だけになってしまった。
 パラグアイの「日系ジャーナル」は月二回の発行、アルゼンチンの「らぷらた報知」やペルーの「ペルー新報」は健在だが日本語のページは少ない。海外最古の歴史を誇る邦字紙の「ハワイ報知」は経営困難を乗り切るため日本内地の新開の参加を得て滞在日本人・在住日系人のためにサービスを続けている。このように各地の邦字紙の置かれた状況は容易でない事が分かり、ブラジルではまだ日刊邦字紙二紙を持っていることを幸いに思うが、その「サンパウロ新闇」および「ニッケイ新聞」の当局者たちの話を聞くと、最近の読者の著しい減少、それに伴う広告収入の低下、制作・配達等の経費の増大などで、経営は困難の限界に達しており、報道人としての使命感でボランティア精神を振り絞って頑張っているものの、このままでは減刊や経営の再編成なども視野にいれて考えねばならないような状況になっているということである。
 日本語による報道と将来の運命を共有する私たち読者はこのように重大なことを傍観していてよいのだろうか。もし、サンフランシスコの二紙のように、サンパウロの二紙が廃刊に追い込まれるようになったら、我々はどうなるのか。
 私は目の前が真っ暗になるように思う。あの戦中戦後、日本語新聞禁止のため正確なニュースが伝わらなくなったコロニアが、どれほど大きな混乱に陥り、多くの犠牲を払わねばならなかったか、ということを思い出す。
 私たちは過去何十年もコロニアのために働いてくれ、今、苦境を戦っている邦字新聞に惜しみない応援をしなければならないと思う。購読者増加への呼びかけ、取材、広告への協力、配達手段への便宜提供など、できるだけのことを考えようではないか。


詐欺男にかかった浦上さん兄弟

レプレーザ高砂子会 原克之
 昔、私たち家族はカーザ・トーキョという所に住んでいた。そのカーザ・トーキョのファゼンダ(農場)はサントアマーロの街から六十キロほど西奥の地点にあって、日本人も十家族ほど住んでいたのであった。
 ある日のことである。にわか雨がザザッーと降り出した時、一人の男が転がるように私たちの家の中へ飛び込んできた。その男は小柄な日本人だった。突然だったので私たちはビックリして男の顔を見ると、男は「いやぁ~、すみません、すみません」と頭を下げ、「ちょうどここへ通りかかった時に雨に降られまして入らせてもらいました」と言って座り込み、ペラペラとしゃべり出した。
 「わしは今日この近くのベント・リデウーという男が土地を売るというので買おうと思って来たのだが、只みたいに安い土地だ」と言って、私たちの住居のガルカンナ葉葺きの煙で黒く煤けた屋根裏をキョロキョロと見回した。
 そして「わしもまずはこんな簡単な家を建てて入り、それから徐々に良い家を建てる心算だ」と、すでに獲得した土地のように口からのでまかせの大ボラを吹いているのだった。 そのうちに、あたりが薄暗くなり始めたら昼間吹いていた大ボラはどこへやら、にわかに猫なで声に変わり、「今夜一夜を泊まらしてくれ」と言い出したのである。
 これには母も困惑してしまい、母としてはそんな金持ちの立派な方を自分たちのような汚い家に泊める事は出来ないと思い、近くに住む浦上さんという独身兄弟のいる所へ行くように勧めたのであった。
 するとその法螺吹き男もしぶしぶ家を出て行き、その浦上さん兄弟の家へ行き、一夜を明かしたのであったが、一夜泊まり、浦上兄弟が独身であることに案を練り「こりゃあ一つ、嫁さんを世話するという話を持ちかけたら釣れるぞ」と思い付き、浦上さん兄弟に持ちかけたのであった。
 浦上さん兄弟もその話には有頂天になり、その件(くだん)の男に頼むことにしたので、その日本人は度々浦上兄弟のところへ足を運び、話はうまく行っていると騙し小金を持っていったという話でした。
 そして最後には「いよいよ見合いの日取りが来た」と言って、金をごっそり取り、「何月何日にこうこうこういう所へ行くように」と場所まで言って、そのまま何処へともなく姿を消してしまったのでした。
 浦上さんはその男の言われた通り、その場所へ行ってみたが、何もない所だったという。浦上さん兄弟もはじめて騙されていたことに気づき、地団太を踏んで悔しがったが後の祭りであった。
 この話、嘘のように思われるかもしれませんが実際にあったのです。(私の想い出帳より)


黒い舌の犬

サンパウロ中央老壮会 纐纈蹟二
 この間の朝、私より先にウォーキングを終えたブラジル人の知人が、「自分は小型の犬を飼育しているが、時に珍しい種類の犬を見ることを楽しみの一つにしている」と、ある犬を指差して呼ぶので、見ると東洋系の女性が中型の犬を抱いて、備え付けのベンチで休息している。
 薄い栗色の首の辺りが長い毛のとても形の良いちょっと見かけない種類のようだ。
 私はこれから歩くので、別れの言葉を残して去ろうとした時、犬が口を開けた。舌が黒いので、ハッとして貴方は中国か? と聞くと「そうだ。この犬は中国から仔犬を取り寄せたが、手続きがなかなか困難だった」と言う。
 中国がオリンピックを主催した時も、韓国でのワールドカップの時も犬の肉を市販するのを禁じた。他の国は犬を食用にしないので、各国の選手団や応援の観光客に奇異で不愉快な思いをさせないためである。
 私は物の本を読んだ記憶で、中国や韓国では舌の黒い犬の肉が極上とされているという。まさか彼女が曳いていた犬が食用として最高だ等とは考えたくもないが…。
 犬や猫のように人間によくなつく動物を撲殺して食するのは、お国柄とはいえ、考えさせられる。


車中雑記

サンパウロ鶴亀会 井出香哉
 先日メトロの中で化粧をしている母子を見た。娘が口紅を塗り、母に渡す。母親が眉毛の刷毛を娘に渡す。本来ならば窘(たしな)めなければいけないのに、母娘が一緒になってやっている。
 バスでも私の向こう側に座った娘が化粧を始めた。まず眉毛を抜く。一本抜いては鏡を見る。顔にクリームを塗り、白粉をパフで叩き込む。瞼(まぶた)に色々な色を塗り、目に上に黒い線を引く。眉毛を反り返す。なれているのか揺れるバスの中でも起用にやっている。
 もしバスが急停車したらと想像して、私はニヤリとした。
 私たちの若い頃は太っていても胴は細かった。この頃のブラジルの娘達はどこが胴だか分からない。お腹もお尻も大きいのでメトロの入り口の手すりに座っているのかと思ったら、寄りかかっているだけでお尻が手すりに乗っかっている。それでも私の方にぶつかってくる。おまけに私の左隣に大女のおばさんがどっこいしょと座った。
 私は端によると、娘さんのお尻にぶつかり、仕方がないので、浅く腰かけると目の前に他の娘さんのぷっくりお腹がある。もし妊婦なら席を譲らなければ…と考えながら、お臍と睨めっこをしながらメトロに揺られていた。


昔々のファン気質

サンパウロ名画クラブ 五十嵐司
 映画「オーケストラの少女」を演じた十六歳のディアナ・ダービンの素晴らしい声と清純さは世界の観客に衝撃を与えた。一九三七年、戦雲の垂れ込めていた不安の時代に明るい話題を作ってくれ、天使の歌声と云われ、百万枚のSPレコードが売れた。
 彼女のブロマイド写真が沢山売れたのも無理もない。あの政治家の大ボス角さん、若き日の田中角栄もポケットに忍ばせていたという。
 ちなみに、当時の日本で人気抜群のブロマイドは水戸光子(映画暖流の石渡ぎん役)、歌の方では「湖畔の宿」の高峰三枝子、勉強部屋の引き出しに、兵隊たちの背嚢に入っていた。
 往年の二枚目大スター「長さま」こと林長二郎(後の長谷川一夫)の熱烈ファンたちにおいては、ファンレターが一日三百通で月九千通。絵はがきの売れ行きは一日四~五千枚、若い娘からおばあちゃんまでが買った。ある女工さんは映画館通いで給料の三分の一を使ってしまったという。長さま行きつけの床屋の話では、映画会社の宣伝部員が長さまの髪の毛を貰って行き、四、五本ずつを会社の封筒に入れて、ファンたちに配ったら、希望者が多すぎて断りきれず、他の客の毛まで混ぜたという。帝劇の実演では、色とりどりの和服を着た千七百人の女性ファンたちが押しかけ、半狂乱になり、楽屋口から自動車までの間に長さまの草履半分はだれかの懐へ。戦時中になって、日劇での長谷川一夫・李香蘭ショーの時も凄かった。大きな建物を二周り半に取り巻いたファンたちを憲兵隊がどなって散らしたとニュースになった。
 私たちが学生の頃は、そんな一途に突っ走る情熱はなかったが、それでも映画館通い、映画研究会とかで、評論や撮影所見学などで興奮したもの、若尾文子・三条美紀たちがデビューした頃で、若山セツ子、喜多川千鶴などのニューフェイスと話せて満ち足りた。多摩川の川原での撮影エキストラのアルバイトでは「ご用、ご用!」の捕物の最中、腕時計が出て叱られる。叱った監督も時代劇なのに、遠くに電信柱が写ってしまい、その上役から叱られた。
 新宿の小劇場、大きな赤い風車のくるくる回るムーラン・ルージュ、毎回楽しい舞台。森繁久弥さんが寸劇の脚本を書いていた頃で、明日待子、穂高映子、三崎千恵子(映画「男はつらいよ」のおばちゃん)みんな若かった。
 学校をエスケープしては見に行く。お目当てのかわい子ちゃんにレターとプレゼントを渡す奴もいた。映画は入場料のうんと安い名画座の古い名作の三、四本立て、映画館を出ると外は真っ暗、頭はふらふら。遊ぶお金が足りないから仲間とふざける。美人を雇っていた銀座三越のエレベーターガールに出る時、財布を出して乗り賃を無理に払おうとして、乗っているみんなを笑わせる。渋谷駅前のハチ公銅像へ靴を脱ぎ土下座して「お参りが遅れました、申し訳ありません」。仲間のうちで、みんなを笑わせなかった奴が映画館の入場料を払うのだ。
そんな連中が揃って大新聞論説委員、商社部長、病院長、大学教授、山林オーナー、寺院住職になって、今は行い済まし、日曜は孫と日向ぼっこ。いたずら者ほど出世し、幸せになるらしい。


シネマ放談(10)

サンパウロ名画クラブ 津山恭助
ぼかァ幸せだなぁ
 戦後の混乱もようやく収まり、経済復興の兆しも見え始めた一九六〇年代に登場したのが「若大将」シリーズ。歌がうまくてスポーツ万能、明朗で清々しい若者を加山雄三が生き生きと地のままで演じていた。
 東京麻布の明治時代からの老舗のすきやき屋「田能久」のひとり息子、田沼雄一(加山雄三)は京南大学の大学生。父の久太郎(有島一郎)と祖母りき(飯田蝶子)と暮らしている。昔気質の頑固者の父はうるさいが、りきは常に雄一の味方だった。
 第一作は「大学の若大将」(昭和三六年)で雄一は水泳部の部員。アルバイトで芦ノ
湖に出かけた雄一は野村社長父娘を救い、のち社長から気に入られて娘の千枝子(藤山陽子)の相手にと言われるが、彼女を愛している同級生・多湖(江原達怡)にチャンスを譲る。雄一の相手は石山製菓に働く澄子(星由里子)だった。しかし、同級生のドラ息子石山こと青大将(田中邦衛)はいつもライヴァル。劇中、加山には実の父親の上原謙がセリフの中で雄一について「素晴らしい青年だねぇ、父親の顔を見てみたいものだ」としゃべるのが笑わせる。
 「海の若大将」(三九年)は五作目。雄一は父に内緒で水産学科を選んで航海学を学ぶ。八丈島に渡り、三ちゃん漁業の仕事を手伝う。日豪対抗水泳競技大会で優勝した雄一はオーストラリアに留学が決定。星由里子の役柄は本当は雄一が好きなくせに無関心をよそおい、可愛い娘が現れるとやきもきする。最後に声援を送って励まし、雄一を奮発させて優勝させるという筋書き。
 「エレキの若大将」(四〇年)では雄一はアメリカン・フットボール部の新部長。青大将が自動車事故を起こして澄子を気絶させる。頼まれた雄一は示談に持ち込み、テレビのエレキ合戦に出て賞金を稼ぐ。友人の隆に寺内タケシが扮している。最後にはエレキバンドを再編成して田能久の再建の費用まで工面するのである。第一二作「リオの若大将」(四三年)はブラジルのリオ・デ・ジャネイロにロケ。音楽はブラジルのサンバやボサノバを聞かせてくれ、雄一は石川島造船所の社員となっている。
 「アルプスの若大将」(四一年)。雄一は建築学の論文が欧州の学会で評価されて、ヨーロッパ旅行に招待される。彼は今回はスキー部員として苗場スキー場に合宿に出かける。青大将がナンパしたフランス人女性が来日し、泣きつかれた雄一は田能久にホームスティさせて店を手伝わせる。若大将と喧嘩別れした澄子は再びヨーロッパの支店へ。「俺の空だぜ!若大将」(四五年)。
 雄一はサラリーマンとなり、東海建設の計画部所属。青大将の父親が田能久の近くにマンションの建設を計画。雄一はパラシュート・クラブのコーチとなる。今回のマドンナは節子(酒井和歌子)でやはり青大将が間に入ってくる。そして節子を伊豆沖の離れ小島への旅に誘った青大将はマムシに咬まれ、若大将が血清を運んで救う。
 最終一七作目は「若大将対青大将」(四六年)。青大将が八年がかりで大学を卒業、その祝いが後輩の太田の提案で開かれる。石山商事の営業部に働く雄一のもとへ新入社員として配属されてきた青大将は早速美人タイピストの節子(酒井和歌子)に一目惚れ。彼女と雄一の仲が進んでいるのを聞いた青大将は雄一をアメリカ支社へ派遣するよう画策。太田のために節子との間を邪魔された青大将は彼と恋人の圭子(吉沢京子)
の仲を引き裂く。最後の鈴鹿サーキット・グランプリでは雄一、圭子らの応援に応えて太田が優勝する。若大将の田沼雄一からそのニックネームをバトンタッチされた太田茂夫(大矢茂)が二代目若大将として登場している。


熟年の独り言

インダイアツーバ親和会 早川正満
 片言のブラジル語に真剣に耳を傾けてくれるブラジル人の友人。そこにある風景は、華やかな風は吹かないけれど、穏やかな、そして何とも気持ちよい風の吹く移住地。
 老人という言葉に逆らって、老人会を見向きもしなった友人。日本語で湧き上がった余波の滴(しずく)に誘われて、いつしか老人会の仲間になった。
 そうさ、異国じゃ孤老は身の危険。特にサンパウロ州、パラナ州では日系老夫婦、独り暮らしの老人というだけで悪者の標的になる。誰彼の区別なく、老人の身の周りから、人は離れて行くばかり。気が付けば、周りは大きな空間だらけ。だから自分から老いの仲間の輪に身を寄せるのがよいと思う。
 無縁社会と嘆く言葉の裏に、自ら両親や兄弟、仲間との縁を断ち、核家族を謳歌し、それを導いた自分はないか。
 日系コロニアにも出稼ぎの副産物として、お金だけを目当てに日本へ働きに出かけ、結果として故郷や親兄弟との縁を薄め、核家族化、個人化している現象があることを貴方は知っているか。あぁ、怖い。コロニアの未来がこの熟年の目には見えてくる。せめて老いた仲間だけは縁者として輪の内に入れるように努めよう。
 老人会に入れば、寡婦(かふ)は特に若返っていくことを貴方は知っているか? 我が親和会は、挨拶はブラジル式にと努めている。手を握り、抱擁し「元気だった 」で、スキンシップを勧めている。
 人間の身体は不思議なもので、気持ちを高揚させるだけでホルモンが出て若返り、免疫力も作られるという。また、反対に毒にもなりうる。
 以前、与古田先生が来会下さった時も四人の若い仲間(七十歳は若い!)が入会し、お披露目することができた。先生に「この会の皆さんは若いね」と言わせしめた。それは仲間の皆が知恵を出して老化を遅らせようとしているからである。
 日系集団地外にある老人会の皆さん、どんな工夫をしていますか? ぜひ、お聞かせ下さい。


漢詩を鑑賞

杜甫放蕩の詩

放蕩奈趙間 
裘馬頗清狂
春歌叢台上
冬獵青台旁
快意八九年
西帰到咸陽
〔現代語訳〕
山東河北をさまよって
馬も何んだか嬉しそう
春叢台の丘の上
冬青丘の狩の歌
八年九年すぐ過ぎて
西の都に帰ったよ

李白をうたう 杜甫

李白一斗詩百篇
長安市上酒家眠
天子呼末不上船
自稱臣是酒中仙
〔現代語訳〕
大酒浴びりゃ詩が出来る
長安のバーの心地よさ
なによ天子が呼んだとて
酒と別れて行くもんか

凉州詩 王翰

葡萄美酒夜光杯
欲飲琵琶馬上催
酔臥沙上君莫笑
古末征戦幾人回
〔現代語訳〕
葡萄酒ギャマンになみなみと
飲もうとしたら琵琶鳴りだした
酔いつぶれても笑うじゃないぞ
戦に出たら帰れないんだ


老クこぼれ話

 先日のゲートボール大会では百歳の宮本信雄さんも元気に顔を見せておりました。
 「百歳の感想は?」と聞くと、「普段とちっともかわらんよ。食べ物が美味しくて、ゲートボールが楽しくて、感謝、感謝の毎日だね」と淡々と言う。
 「今、一番望むことは何?」との質問には、「車の免許の更新が出来なくて困っとるんだョ。『目も耳も体も大丈夫』と医者が太鼓判を押してくれたんだが、交通局の方がもたもたしていてね。アンタ、車がないと不便だよねぇ」とのこと。
 交通局の上限が九十九歳で百歳は前例がなく、検討中だとか。
  ―― ◎ ――
 先月号の賀寿の続き
百(一〇〇)歳は紀寿とも言うそうです。
一一八歳=天寿。天という字を分解すれば、一一八になるところから。
一二〇歳=還暦が二回で大還暦と言うのだとか。


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