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熟年クラブ連合会
     エッセイ  (最終更新日 : 2019/02/15)
2012年10月号

2012年10月号 (2012/10/12) 孫たちの冬休み

サンパウロ中央老壮会 新井知里
 今年の七月は何となく私にとって心忙しい月であった。なぜなら、トカンチンス州にいる長男の家族がどやどやとやって来たからである。
 そしてお手伝いが二人もいて、甘えていたハーフの孫がひょろひょろと一メートル八十センチにも背が伸びて現われた。まだ、十五歳だが、来年は高校三年生とのことで、学校をサンパウロに変わるのだという。この孫の従兄弟に当たる次男の家の孫が来年同じく高校三年になる。
 パウマスという州都にいるとはいえ、サンパウロの学校とは違う。かつて父の学んだ大学に入りたいという強い希望で、転校する高校と家を一家で探しに来たのである。転校先は従兄弟と同じ高校ということですぐに決まった。冬休みは長い。家の近くにいる三男が休暇を取り、世話をしたので、あちこちと遊んだようである。だが、それでもまだ冬休みは長い。動物園という年ではないし、確か小さい頃、二人共主人と共に連れて行った事がある。あの時は五歳と二歳だったと思うが、サンパウロの孫たちと違い、平気でさっさと歩くので、田舎の子はさすがだと感心したものである。
 動物園など無い新しい州都の孫に大きな動物を見せた私たちは、ほっとして胸を暖めたものである。
 それがどうだろう。孫たちに尋ねると、「動物園など行った事がない。象やきりんなど見た事がない」と言う。あんなに喜んでいたのにこれは大変だ。小さい頃の事は、よほどの事でない限り、覚えていないのだ。
 主人はグァタパラのお祝いに行っていていないし、私は孫たちの父である長男と四人で今一度、動物園に行く事になった。お嫁さんはその留守にお手伝いを四人も呼んで、汚い我が家を掃除するのだという。
 冬晴れの中をバスで三十分ほどの動物園に向かった。入り口は五ヵ所ほどある。どこも長い列だ。私は無料の入り口を探すのだが、そんな入り口は無い。六十歳以上は半額の八・五レアイスだ。この園だけはタダという訳にはいかないらしい。以前、俳句の吟行で来た時は全員タダであったのだが、変わったのだ。
 高校生と中学生の孫と十月で五十歳になる息子の四人。小春日の中をゆったり園を歩き、レストランで食事を囲み佳い日であった。
 帰りはタクシーで帰ってみると、家の中はピカピカ。久しぶりに来た嫁さんは「冷蔵庫の中だけはいじらなかったよ」と胸を張っている。たしかに床など顔が映りそうに光っている。戸棚の中のいつかの時に使おうと貯めていた空の容器は一つもない。
 それから三日間、私は新刊の本やら湯たんぽやら探すのに明け暮れた。お嫁さんと孫たちは、私たち二人にアブラッソ(ハグ)して満足して帰っていった。


去年も今年も待ちぼうけ

老ク連踊り部 匿名希望
 今日は何とも情けない気持ちで書いております。先週の土曜日、私たち玉井先生の踊りグループは聖南地区の日本祭りに招待され、参加することになっておりました。メトロのコンセイソン駅までバスが迎えに来て下さるといいます。待ち合わせ時間は九時半でしたがみんなを待たせたら悪いと、九時前には全員が揃い、駅前で待っていました。早い人は八時すぎには着いたそうです。
 ところが十時になってもバスは来ません。セルラー(携帯)で連絡すると、係りのOさんは「もう出ていますから、もうちょっと待って下さい」と言います。
 それではもう少しと待っていましたが、十時半になっても来ません。再びOさんに連絡すると「もうすぐ着く頃です。そのまま待っていて下さい」と言います。
 日蔭もない街路の炎天下で重い着物やら帯を持ち、小道具の花を持ち、汗を流しながら待っておりました。
 それにしても遅すぎます。もうみんな待ちくたびれてしまいました。
 十一時、再び連絡するとOさんは「あと十分待って下さい。そちらに向かっているのですから」と言います。結局十一時半まで待っても来ないので、いくら気の長い老人でも、もうだめです。「帰りましょう」ということになりました。
 それでも先生はその後、バスが来たらいけないからと十二時まで待っていましたが、それでも来ませんでした。
 仲間の三人がどうなっているのか聞きに行くと、タクシーで会場まで駆け付けました。すると、私たちの踊りは日曜日にプログラムされているというのです。それではバスはいくら待っても来ないはずです。
 でも、それならそれで何度も電話をしているのですから、係りのOさんは調べて、「明日のプログラムになっています」と言ってくれればよいものを何度かけても「すぐ行きます」「もうすぐ着きます」と言うばかりで私たちは三時間も待ちぼうけ。
 夕方に確認した人が「先生も年だからボケちゃったのね。土曜日じゃなくて日曜日にプログラムされているそうですよ」と言ったところ、先生は「ボケたなんてとんでもないわ」と出演受付の控えをメールで送って見せて下さったそうです。すると、やっぱり土曜日となっていたといいます。結局、主催者側が勝手に変更したようです。
 翌日Oさんにそれを言うと、その話はまた後でとけんもホロロ。
あまりの誠意のない対応に日系人魂はいったいどこへ行ったのかとあきれ返ってしまいました。
 思えば昨年は雨降りで、ビラ・ソニアまで迎えに来てくれるという話が、道が混んでいて回り道をしたら他の方に行ってしまい、分からなくなって行けないとかで二時間も雨の中で待ちぼうけをし、取り止めでした。
 今年は分かりやすいように目印の花を持ち、メトロのコンセイソン駅まで皆で出て待っていたのに、またも待ちぼうけ。私たちには聖南日本祭りは鬼門のようです。
 それにしても高齢者ばかりでしたが、熱中症にもならず良かったと思っています。
 次の練習日に玉井先生は先の旅行の時といい今度といい「また日干しになる所だったわ」と仰って、皆を笑わせていました。でも本当のところは日曜日には胃が痛くて食事もままならなかったとか。先生、本当にお疲れ様でした。


日本人の血(3)

サンパウロ清談会 駒形秀雄
 日本での開発はそれだけに止まりませんでした。この新しい武器――鉄砲の利点を生かした新しい戦法を編み出したのです。
 一五七五年、織田・徳川連合軍と武田勝頼の間で戦われた長篠の合戦がそれで、従来の刀や弓矢を用いる武田の騎馬軍団が、足軽を主体に組織された織田方の鉄砲隊の一斉射撃の前になす術もなく壊滅させられたのです。
旧来の個人の力量に頼る戦法が、新しい技術と組織を持った集団の前に敗れた、時代の変化を示す象徴的な出来事でした。
 それはともかく、今様に言えば、短期間にハード(鉄砲)』だけでなく、それを使ってのソフト(戦法)』までをも生み出し、従来の合戦のやり方を一変させてしまった日本人の活力、開発の力は「えらい」、本当に立派と感嘆するほかはありません。 
  *   *
一九九五年、今、私はサンパウロに居ります。周辺を眺めると世の中は動いている、変わろうとしている事を実感します。
 この間までは日本へ行き来したり、日本の人と電話で話したりするのはある恵まれた人達の特権のように思われていました。今では違いますね。「いや、家の息子が今日本に行っていてね、今日は私の誕生日だといって、「おめでとう」の電話をくれました。日本は今夏で暑いそうですよ」このような話を多くの人から日常に聞くようになりました。衣類、日用品でも身の回りには舶来品が一杯ですし、街に輸入車が走っていてもそう珍しそうに見ることもなくなりました。
 新聞を開けば大きな見出しが目に入ります。いわく、『公社業務の民間移行可決、憲法改正へ』『経済の門戸を開放、独占の廃止と競争原理の導入』等々です。私達の生活ルールが大きく根本で変えられようとしている様です。
 この政府の方針に応じて外国の先進技術や、世界資本のブラジル進出が始まりつつあります。今まで国内だけでゆっくりとやっていたブラジルにとって「鉄砲伝来」に匹敵する外来異勢力の進入という事態になっているのです。
  *   *
 多国籍企業や外国資本がブラジル進出を企図するにはそれなりの根拠があるのでしょう。が、このブラジルに未開発の大きな市場があるというのが、その大きな理由の一つであることは疑いを入れません。   
 ブラジルの利点を認識するためにその市場の有望さを示す例を挙げてみましょう。
*ブラジルの自動車産業の前途は洋々たるものです。日本などの先進国では自動車の保有台数は二~三人に一台の割で、もうこれ以上は入らないSATURATION状態です。一方、ブラジルの保有台数は十一~十二人に一台の割です。もしブラジルが今、日本並みに達するとすると、数千万台の新車が売れることになります。いや、日本並みとは言わないまでも、今のメキシコ並み〔八人に一台〕に達するとしても、年産二十数万台規模の新工場をもう四~五工場建設できる余地がある計算になります。ブラジルがメキシコ並みの水準になるとは誰でもが思うことですが、GM、FORD等世界の有力企業が百億ドル台の投資計画を発表し、それを裏付けしております。
*ここでの電気通信(電話・データー通信等)関係も成長性に富む魅力ある分野として知られています。電話の設置台数は米国では百人あたり五九台〔世界五位〕、日本では一〇〇人当たり四七台〔同十二位〕ですが、ブラジルでは一〇〇人当たり七台(世界四十二位)しかありません。電話を付けたくて何年も待っている人が列を成しており、普及度が今の倍(一〇〇人当たり一四台)までいくとしても優に二〇〇〇万台以上の需要があるのです。通常の電話だけではありません。データー通信とか、衛星利用通信とか未開発の分野も多く、間違いなく、年率二ケタ台の成長が予測されております。これまた、AT&TとかALCATELとか世界企業が野心的進出計画を発表、推進しております。
 日本や欧米のように一般に車も電話も行き渡っていて、もう市場の成長が期待出来ない国には、ブラジルの様に電話もない、車も買いたいと言う人が沢山居る国が大変魅力のあるところだということが理解できますね。
 政府の外国や民間への門戸開放を機会に、今まで需要の抑えられていたブラジル市場に、新技術、異勢力が入ろうとしている。そういう事態にブラジルはあり、そのブラジルに住む私達日系人も、その変革の中に身を置いている、ということになります。(続く)


シネマ放談(13)

サンパウロ名画クラブ 津山恭助
◇塀の中の強者ども〝網走番外地〟
 任侠映画ブームは昭和三八年から約一〇年間日本の映画産業を支えてきた。この中で、従来の任侠ものに見られなかった爽快で迫力あるアクションとメロドラマ調を加味した別品種、いわば異端児をヒーローとしたシリーズが誕生した。即ち「網走番外地」(昭和四〇年)がそれである。
 新東宝でエログロ・ナンセンス路線を作っていた石井輝男監督が東映に移籍してから、「花と嵐とギャング」を演ったところ、思わぬヒットを記録。これが契機となって「網走番外地」につながり、世にうけてシリーズとなっていく。一八本が作られ、うち一〇本は石井がメガホンをとっている。
 主演は高倉健。かけ出しのやくざ橘真一(高倉健)は網走刑務所で前科五犯の権田(南原宏治)、古株の依田(安部徹)に目の敵にされていた。彼の心の支えは保護司・妻木(丹波哲郎)、長老・阿久田(嵐寛寿郎)のおもいやりと母と妹の激励である。囚人たちの森林伐採作業、逃亡を防ぐために二人ずつ手錠につながれ橘は権田と組になる。権田が脱走を企てたために一緒に行動を強いられる橘。列車の車輪に手錠を切らせるアイデアはアメリカ映画「手錠のままの脱獄」(一九五八年)のいただきだろう。アラカンの助演ぶりが異色でシリーズの常連となっている。
 「望郷篇」(四〇年)は橘が父の墓参も兼ねて故郷の長崎に帰ってくる。昔世話になった旭(嵐寛寿郎)の苦境を知って悪どい安井組(安部徹)に殴り込む。人斬り譲次(中谷一郎)との対決もあり、昔の恋人・ルミ子(桜町弘子)が色を添えている。
「北海篇」(四〇年)では阿片業者の依頼でトラックの積荷を運ぶ運転手になった橘が麻薬団の親分・安川(安部徹)を倒す。運送店の娘・弓子(大原麗子)や脱獄囚・浦上(杉浦直樹)が助演。「南国の対決」(四一年)の舞台は沖縄。事故死した先代親分の真相を知るために豪田組(河津清三郎)に潜入して仇をうつ。佐竹(谷隼人)とその恋人・夏子(大原麗子)が協力する。
 「大雪原の対決」(四一年)は油田が発見されその土地の利権をめぐっての争いに巻きこまれる橘。権田(上田吉二郎)のワルがユニークで、大原麗子が助演。ライヴァル役は白熊(内田良平)。「決闘零下三〇度」(四二年)。極寒の地ノサップに旅する
橘。支配人・関野(安部徹)があくどく儲けていた。白木(丹波哲郎)の告白で真相を知った橘は関野を追いつめた。
 一〇作まで続いたシリーズだったが、四三年からはスタッフも一新してヒーローの名前も末広勝治(高倉健)に変って「新・網走番外地」として出発、四七年までに八本が製作された。昭和二二年、復員してきた末広は母と妹・秋子(佐々木愛)を探す。
 幼馴染みの沖田(長門裕之)と小杉(山本麟一)の兄貴分としてマーケットで権勢をふるう石津(水島道太郎)、三国人の劉(金子信雄)と対決。末広の協力者は郡司(三橋達也)が助演。
 「さいはての流れ者」(四四年)は末広がオホーツク海の小さな漁港へやって来る。馬橇競争などで見せ場をつくっている。
 最後は「嵐呼ぶダンプ仁義」(四七年)で舞台はやはり北海道のダム建設現場。生田悦子が花を添え、末広と対決するのは中神(丹波哲郎)。「新」になってからは健さんも二枚目半的な役柄となり、喜劇風なタッチとなっている。


蛙が蛇をのむ

インダイアツーバ親和会 早川正満
 いきなりこう書き出すと、え?それ間違いじゃない。蛇が蛙をのむでしょう、と言われそうだが、ここブラジルのテレビで大蟇蛙(ひきがえる)が蛇を銜(くわ)えて戦っている実況を見た。
 日本を出て、外国に移り住むと、そこに慣れるまでは驚きと戸惑いの連続だった。だが今は同胞の姿も客観的に眺められるようになってきた。
 一つは苦労の連続だと愚痴ってお涙頂戴組。もう一つは他人の頭を踏み台にしても凱歌のラッパを吹きまくる組。そして、同胞の香りも残しながら他民族の集団にもうまく交じり合っている組。もちろん私の求めは最後の組だが…。
 これは移民社会だけでなく、祖国日本も同じ。一国一民族なんてもう社会形態が維持できない時代が来ていると思う。移民は自分の意思で行動したぐらいだから、苦難に対する開拓精神は始めから持ち合わせているからまだよいが、現在の日本人は会社の方針で海外就労をしなければならない。それも三十年程前の海外就労と違い、単独で早い時期に成果をあげねばならないようだ。それも蛙が蛇をのむなんて日本では思いも付かない社会がある中で…。
 少し前、それも超先進国と思われているアメリカでトヨタが足元をすくわれた事件はまだ記憶に新しい。
 妻の友人(二世)夫婦が子どもの成人に伴って、出稼ぎを引き上げ、ブラジルに帰国したのだが、半年も経ないうちに日本にUターンしてしまった、それもブラジルの生活が恐怖感を抱くという理由で…。
 近年、ブラジルとて昔のゆったりした時間や物よりも心に重きを置いた時代は近代化に伴って、変わってきている。五年も国を空ければ、二世、三世のブラジル人とて分からない程変っている。とはいえ、いくらUターンしても日本ではあくまでも帰化しない限りブラジル人であり、保護に手をかしてくれるのはブラジル国には間違いない。出稼ぎはあくまで緊急措置として早めに帰国し、ブラジル人としてこの国に貢献しうる事を日系社会の大人たちはもっと声を大にして指導すべきではないかと私は思う。
 移民の立場を祭りで騒ぐだけではなく、一世とその精神に触れたことのある大人たちがしっかりと後生に伝えていかなければ日系の香りのない民として他民族の中に溶け込んでしまいそうな気がしてならない。移民とは?
老いてもまだ健在な私を含めて移民一世は子に、孫にその香りを伝えていきたいと思う。 その一部として、詩を綴る。
「移民の眼差し」
移住者は冒険者
見知らぬ土地に移り住み
新地の道を手探りで
一歩一歩ゆっくりと
しかも止まる事なく
山を登り海を潜る
そこまでは同じだが
冒険者は去り
移住者はそこに止まる
屍を植え込むまで


身辺整理

サンパウロ中央老壮会 森本孝司
 身辺整理をしている。
 戦後の食糧難と、もろもろの品物不足の時代を経験しているからか、なかなか物が捨てられない。子供時代の環境はその人間に大きな影響をあたえるものだ。これはしまっておけば そのうちなにかの役に立つだろうと、いろいろの物をしまいこむ。なんとも さもしい習性である。何回か引越ししていればその都度、要る物と要らない物とを選別できるから持ち物も少なくなるだろうが、二十数年前に家を購入してしまったので、がらくたがだんだん溜まるばかりである。それに本人の性格がちゃらんぽらんで整理整頓がからきしダメときている。
 テレビで「身の回り二メートル四方をきちんと整頓し、つぎに隣の二メートル四方を掃除するという方法がいい」と言っていた。なるほど、それはいい考えだ、しかし 家全体を掃除し終えたころには初めの二メートル四方はちらかっているはずだ。ここで 考え込んでやる気消滅。。以前、掃除のおばさんをいれていたが、物がちょくちょくなくなったり、窓の取っ手や花が植わっている植木鉢が壊れたりして、いやになってことわった。
 こどもたちが独立していなくなると、訪ねてくるのは古い友達だけである。彼らは勝手に家の中を歩き回るが、ちらかっていても何にも言わないから、こちらも気楽なものだ。彼らの家もうちと似たり寄ったりだからね。
 ところが、ある友達が本とDVDの名あげて、「もう一度見たいから貸してくれ」と電話してきた。「OK。あさって近くに行くから持っていってやるよ」。しかし、捜しても見つからない。えっ!まさか!三つの本箱を徹底的に捜したがない。
 戸棚に入っているはずのDVDも無い。ジョン・フォード監督。ウォルター・ピジョンとモーリン・オハラ主演の古い名画。本のほうは司馬遼太郎の歴史小説。何ということだ!よりによって大切にしていたものが無い。どこかに落ちていないか、紛れ込んでいないか。汗をかいて捜し回ったが、見つからない。
 友人に電話でその旨を伝えると「誰かに貸したんだろうから早く思い出せ」と言われた。貸したものは返ってくるものだと思っていたから結構落ち込んだ。まあ、まあ、たかが本とDVDだ。どこかの、誰かの家にあるんだろうから、諦めよう。元はといえば、自分がだらしがないからだ。これからは貸し出し帳でも作ってしっかり管理しよう。しかし、この物の多さは何だ。
 ということで、身辺整理をボツボツ、のろのろと始めたようなわけである。


バナナが好まれる?

東洋大学 紀葉子
 日本人が最もよく食べる果物は二〇〇四年からみかんではなく、ブラジルでもなじみの深いバナナに変わりました。今日の日本人は皮をナイフでむくという一手間や硬い表面に噛り付くことを避け、簡単に食べられるバナナを好むようになっているのかもしれません。確かにバナナ自体は栄養が豊富であるし、ダイエットブームなどで消費に火がつくことも珍しくはありません。でも、ナイフを使って皮をむく手先の器用さや硬いものにしっかりとかぶりついて噛み砕く咀嚼力が失われつつあることを示しているとしたら少し残念なことではないでしょうか。
 現在の日本の若者はすらりと身長も伸び、顔だちもすっきりと欧米化しつつあるといわれています。みなさんもNHKの番組などでその変化を感じておられることでしょう。若い世代に限らず「小顔」ブームは年配の人々の間にさえ広がりつつあります。顔が拳の大きさ程度しかない「小顔」が美男美女の条件で、大きな顔は昭和の遺物のように思われています。本来、看板役者は三階の後ろの席からでもしっかりとみえる大きな顔でなければ務まらなかったはずですからテレビ時代の新しい美意識であるといえそうです。
 でも、こうした「小顔」ブームは本当に望ましい新しい日本の価値観なのでしょうか。硬いものを噛んで食べると顎が発達してしっかりした顔つきになりますが、これは長生きの人相かもしれません。東京都老人総合研究所が提唱する「元気で長生きの十か条」で第一にあげられているのは「咀嚼力の低下を防ぐ」です。しっかりと噛んで食べることは脳に刺激を与えることでもあり心身によい影響を与えるといわれています。軟らかいものばかりを食べていると心身に変調をきたしがちになってしまうのは平成生まれの日本人の軟弱さから推して知るべしでしょう。
 バナナの大きな房も一レアルで買える理想郷のようなブラジルではありますが、牛肉は硬めで新鮮な野菜類にはしっかりと歯ごたえもあります。「小顔」を目指すより咀嚼力を鍛えて健やかに長生きいたしましょう。


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