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熟年クラブ連合会
     エッセイ  (最終更新日 : 2019/02/15)
2013年1月号

2013年1月号 (2013/01/14) 追想の一齣から(下)

スザノ福博福栄会 杉本正
 始めて監事職に就いたのは、一九六八年で、全伯の農業組合に政府からの組合の改正法令が出された時でした。
 コチア組合も改正を余儀なくされ、内部制度を十二単協組合に分割して、単協組合ごとに活動する事になりました。共に監事になったのはジュンジャイ部落の小林次男氏(故人)で、学識豊かにして奇才に富んだ方でした。小林氏に「今後理事会に出席する立場として、何が大切か、一つだけお聞きしたい」と尋ねますと、小林さんはいとも簡単に「なぁに、出席して煙草でも吸って黙って聞いていればいい」と申され、いかにも小林さんらしいと思ったものです。
 協議内容は多種多様でしたので、記憶力に自信のない私は組合員から内容についての質問を受けた場合の事を考えて、筆記できる範囲で備忘録に書き留めたものでした。
 定期総会で理事会が提出する事業報告書など、承認する監査意見書の内容文はさほど難しいものではありませんが、必ず一年間の業務監査を纏めた監事所感を述べなければなりません。四十年前に述べた所感文を見て、備忘録がどれ程役立ったのか、決して無駄ではなかったと思っています。
 また、老ク連に於いては現在の代表者会議制になる以前の形体は「三十年史」にも記されていなかったので、参考になればと、書かせて頂きます。
 以前は総会において、会長、副会長のみを選出し、業務担当理事は三役にて任命され、以って常任理事会となし、別に非常勤理事の十四名、各老人クラブから選考して理事会の構成員とし、理事会を開催していました。
 協議事項の内容については各クラブから選考された理事者であっても、別に報告する義務はありませんでした。従って、会員は「老壮の友」を読んでいる方のみ、理事会での協議内容を知る事でした。
 会員と理事会との会合は定期総会で、理事会からの年中業務報告および協議の審議、会員からの提案事項などは総会以外になく、時には行事を行うにあたって、特別に会員を招集して会議を行っていました。理事会で審議される内容について、当時は別に会員から不服などの意見はなかったものです。このような老ク連運営の時代に偶然にも副会長の職に押され、常任理事の一員となって、会議のあり方について考えさせられました。
 かつて組合に在職中、部落の運営に当たって評議員とせる代表責任者をおき、毎月、評議員会を開催し、理事会から組合運営についての内容の発表からこれについての忌憚ない審議を行うなど評議員は有する権限を持って会議に出席されたものでした。而して戻ってからは部落会を開催し、評議員会での内容を組合員に発表する。従って組合の運営については充分知る事ができます。このような方式の適用を考えてみてはどうか、との下に老ク連も各老人クラブから代表者を選出させ、毎月代表者会議を開催し、理事会と運営内容について協議することを各老人クラブに発表します。
 会員も当日の協議内容を良く知る事ができ、理事会も各老人クラブの実情も知る事ができます。このことを審議してもらうよう理事会に提案し、承認され実施に入ったものです。
 歳月の流れは早く、これが実施されてからすでに十年近くも経ったのですが、今日に至っても代表者会議制度について苦情の意見もありません。ですが、時代の流れの移り変わりに従って会議のあり方も変ってくる会もあると聞いており、老ク連においてもご意見のある方は遠慮なくご提案下さっても、何等やぶさかな思いはありません。


母と四人の子供

老ク俳句教室指導者 樋口玄海児
 一九九八年一月一日、母の前に四十年ぶりに四人の子供の顔が揃った。いつも笑顔の良い母であるが今日はそれにも増して笑顔が素晴らしい。
 母は細くなった手で、四人の子供に屠蘇(とそ)酒を注いでくれた。八十二歳の母の顔を見ていると、四十年の月日が入り混じって、胸が一杯である。目頭が熱くなってくる。たとえ嬉し泣きでも、今日はしてはならない。一人が泣けば、皆泣くだろう。母も我慢しているようだ。母が樋口家に嫁いでから、四人の子供を育て上げるのは大変だっただろう。戦中を生きてきた人は皆大変だったが、まして母は不治の病である父の看病、子育て、畑仕事と一寸の暇もなく働いていた。それでも母は笑顔を崩さず耐えてきた。
 戦後の食糧難時代でも、四人の子供が腹を空かすことはなかった。母の懸命の看病もむなしく、父は戦後十年で亡くなった。
 私は十八歳。父が逝ってから一年位して南米移住を考え始めた。それを二十歳になって実行に移す事になる。その時も正月だった。
 二度と帰れそうもない遠い国へ行くのを母にどう切り出そうかと迷った。私がブラジル行きを話した時、母は反対も賛成もしなかった。その年の暮、五十日の船旅である移民船に乗った。私が故郷を出るときの母の顔は今でも思い出される。二十歳まで育てた子が再び会えないかもしれない遠い国に行くのである。母は断腸の思いであっただろう。その四年後には下の妹まで私を慕ってブラジルにやって来た。
 その頃日本は東京オリンピックを境に急速に変化していった。移民船で五十日を要した船旅も空の時代となり、三十時間足らずで行けることになった。
 母は私が移住して二十年後に飛行機で私の生活を見に来た。五十日余りブラジルの私の生活を見、話を聞き、安心した様子だった。母が来た時、私はまだ開拓小屋で母の寝る部屋も寝台もなく、九歳の長男と一緒に寝てもらった。母が「ブラジルで一番嬉しかった事は孫と寝たことだ」と帰ってから話していたそうである。妻も初めて会った母に一生懸命尽くしてくれた。別れの日は移民妻の手作りの服に身を包み、なついた孫に心引かれながらも幸せそうに帰って行った。
 その母が注いでくれた屠蘇酒に酔いも廻り、四人の子供も口が軽くなる。
 私は移民の話などをし、二人の妹は専ら子供の話をした。兄や母は私の四十年の空白を埋めてくれるようにふるさとの出来事を話してくれる。話は尽きないが、私は時を見て一つの提案をした。
 それは今日のように母と二十一世紀の初めの日に会食をしようというものである。母は二十一世紀というと、遠い先のことと思ったらしく、キョトンとしていた。
 私が二十一世紀は二年先だと説明すると、母は意味が分かったらしくニッコリ笑い「あと二年なら頑張りたい」と九州訛りで言った。


腹八分目

インダイアツーバ親和会 早川正満
 先日、NHKの「ためしてガッテン」を見ていて、改めて長寿遺伝子の成長を促す方法が毎日の生活習慣によって得られるやさしい方法だと気付かされました。
 それが腹八分目!
 我々年寄りは若い人たちのようにメタボや肥満解消の方法として、一寸断食、完全絶食は絶対行ってはいけないと言われています。年寄りは体脂肪だけでなく、筋肉までコケ落ちてしまうからです。
 私は皿に盛られた量を一としたら、食する前に八分目に減らして食するようにしています。そのうち、腹の方でもそれで満足するようになり、それ以上は拒絶するようになるのです。人間の体はうまく出来ています。
 肉体の方はこれで良いとして、精神面ではどうでしょう。年寄りの強欲さは増しても減る事は難しいようです。困る事はこの精神面の出来事が毒となって肉体に差し障るという事です。
 その解決の一つとなる言葉を私は知っています。『少欲知足』。欲を少なくして、足りる事を知るという意味。これをコロニア風に言い換えると、「我が身のボルサ(ポケット=つまり心)は常に小さく作っておくと、少しの幸せでもすぐボルサは一杯に感じて、老体にさわるような波風が立たないと思います。
 「何事もほどほどに…」などと言うと、異国にまで進軍して来た猛者やその子孫の皆様の反発を食らうかもしれませんが、日本には古来こんな思想があるということを記してみましょう。
 私の修学旅行は、中学は京都・奈良で、高校は東京・日光東照宮でした。そこで奇妙な物を見つけました。一つは奈良の東本願寺の屋根に置き忘れたかのように置かれた瓦(かわら)。そしてもう一つは東照宮の見事に彫刻された柱の一本が逆さに立てられているようすです。両方とも完璧と言われるほどの出来上がりだったので、これでは災いを呼ぶと思われ、敢えて欠点を作ったという事です。
 老友仲間の間でも、「自分の人生は完全でなかった」とか、「満足ではなかった」とか愚痴る人がいます。欠点が適当に混ざった人生だったから、高齢者と呼ばれる年齢まで元気で、その仲間入りが出来、人生のゴールまで完走できるのではないでしょうか。
 昔、我が町でもトマト王とか、日系一の成金とか、人生の頂点に達したと思われた人々がいましたが、今は一体どこへ行ってしまったのでしょうか。
 異国での移住者としての人生、または子孫を残すには油断なく、独走の開拓精神が必要とされます。
 日本国内では想像ができないような異社会ですから、国際化に対する免疫は日本だけで暮らす日本人よりは先鞭を取っているのかもしれません。
 年も明けて今年も「老壮の友」紙上で皆さんと時折お会いして、元気に、そして賢い老友仲間のお付き合いをお願いします。
 ブラジルはこれから、W杯、オリンピックと日本からの来伯も増えるかも知れません。
 私がかつて、「老壮の友」紙上に書いた『糞尿談』など、日本の人たちに知らせて、日本人がブラジルの便所をいっせいに詰まらせた等というニュースにならないよう願っています。
 未だ日本の多くの人が、日本の常識が世界に通用すると錯覚しがちと思われるからです。


蛇だのみ

ブラジル書道愛好会会長・書道教室指導者 若松如空
 今年は巳の年。蛇の年だ。蛇については「気味の悪い動物」というのが私の感覚だ。
 ブラジルに来て間もない頃、パラナ州の奥地の植民地を訪れた。入植者の好意あふれるおもてなしで、その家に泊まることになった。
 夜になって、便所へ行こうと思って、家の人に「どこにありますか?」と聞いたら、「便所はないんだ」と言われてびっくり。「外のその辺で自由にやっておくれ。ガラガラ蛇が切株の穴にいることがあるから、この竹の棒で二メートル四方を叩いてからね」とのことだった。
 開拓の前線では便所がないのは仕方あるまいと納得し、バタンバタンと土を叩いてから恐る恐るしゃがみこんだ。
 その夜、毛布にくるまって、見上げた天井は天井板のないレンガ屋根で、月の光が入る隙間があちこちに見える。蛇が入れる屋根だなあと思ったら、気になって眠れない。
 よく朝、「よくお休みになれましたか?」と問われて「お陰さまで」と言うのがやっとだった。
 三十年も前のことだが、日本の甥が新婚旅行にブラジルへやって来た。若者たちにはパンタナールが見せ場だと思って、クヤバ経由でクヤバ河に通ずる汎パンタナール街道を進んだ。途中、今にも崩れ落ちてきそうな木の橋を何度も渡りながら、ワニ、ジボイア、カピバラ等の他、池に群がる無数の野鳥を見た。ツユーユーといった最大のツルが五メートルもある羽を広げて頭の上を飛んだのには度肝を抜かれた。写真を撮っていた新妻が突然ギャーと大声をあげた。「どうした」と駆け寄ると彼女の背後二メートルの位置にワニが這い上がって来たのだ。
 夕刻、大群の蚊に行く先が見えない程囲まれた。大きな蚊だ。四センチもあるだろうか。やっと暗くなって、ホテルに着いた。木の家だ。柱の下が腐っているのが目に入った。現在は立派なホテルが建てられていると聞くが、その頃は掘っ建て小屋のようなもの。夕方はピラーニヤの串焼きなど珍しいものがあって愉快だった。
 ところが夜半、隣の小屋に泊まったアメリカ人夫妻が大変なわめき声で大騒ぎ。我々も驚いて飛び出したところ、彼らの部屋に蛇が入ったのだ。色の付いた毒蛇らしいやつで、何と不気味なこと。鳥肌になった。早速、ホテルの責任者を呼んだ。彼はゆっくりと蛇に近づいた。そして一気にパッと首を掴んだ。すごい早業だった。
 少数ではあるが、蛇を好む人がいる。何しろ、蛇は商売の神様として昔から大切にされてきた。株屋仲間の話だが、蛇をカゴに入れて神棚に置き、毎日拝んでいた相場師がいた。「何々会社の株を上げてくれ」と声を出して祈願する姿は、真剣そのものだったという。
 サンパウロの日本商工会議所の元頭取の後藤さんの奥様がジボイアを飼っておられた。プールのある庭の隅に蛇小屋があった。蛇を可愛がっていたという。女の人が蛇の夢を見ると縁起が良いという話はよく聞く。
 私が旧制中学四年の時、腕試しのため受験した一橋の商大の記章には蛇が一匹からんだ柱が中心にある。五年生の時に滑り止めに受験しようとした福島経専の記章にも蛇がいる。蛇は経済学のシンボルなのだろう。
 今、世界中が不景気だ。欧州危機はすぐに解決できるようなものではない、と独首相が語っている。長期の低迷が続きそう。日本は政界が分裂状態。群雄割拠(ぐんゆうかっきょ=多くの英雄が各地で勢力を振るい、互いに対立し合うこと)の戦国時代だ。家康はいつになったら現れるのだろう。デフレからの脱出はなお遠そうだ。そして米国。国の借金が増大。これ以上はダメと決めたものの、新たな借金をしないと、一月以降の政府の支払いができない。制限の上限を拡大するか否かで、大統領と野党が大論戦中だ。世界の目はここに集まっている。この新聞が出る頃には決定しているだろう。
 そして、当ブラジルは新興国の優等生ながら、二〇一二年の経済成長は一~三%しかない。政府は慌てて毎日のように政策を発表している。今年は蛇の年だ。何とか商売の神様に助けてもらいたいと思う。大蛇ジボイアを蔵相邸の庭に飼って頂き、シド・アンテザ大蔵大臣に毎日拝んでもらったらどうだろう。とにかく、今、必要なのは「脱皮」なのだ。


日本の正直で勇気ある政治を望む

名画友の会会長 五十嵐司
 内政・外交・経済に行き詰まりを感じている日本の国民。その約三分の二のものがこれからの運命を賭けた安倍政権が誕生した。今、政治に求められるものは、何よりも祖国とその国民の将来を見 据えた最善策を練り、それを正直に勇気を以って実行することである。
 今次大戦の敗北とその反省、努力による復興、さらに繁栄という長い年月を経て、海外にもあまり例を見ぬ長期の平和に慣れ、安易で事なかれ主義を続けた政治が破綻をきたしたと思われてならない。これから是正して行かねばならない問題は多々あるが、先ずその一つである防衛について考えてみたい。
 最近自衛隊の呼称変更の意見が論議されており、国防軍に変えようというものである。これに対して、現行憲法第九条で謳われている戦争放棄・軍隊不所持の法律の下では軍はありえないから反対という意見と、その憲法を改正してすべての変更を可能にせよという意見が対立している。
振り返ってみると、冷戦時代に起きた朝鮮戦争で守勢に立たされていた連合軍の予備部隊として、警察予備隊から保安隊となっていたものを組織換えし、自衛隊と名を改めて兵力を増強し、戦車・戦闘機・軍艦という強大な戦力を持つ組織にしたが軍隊ではないと称している。
 しかも国内では自衛隊でも国外には英語で、ジャパン・セルフ・デフェンス・フォース(日本自衛軍)と表記しており、外国では軍隊、そして隊員は軍人として扱われており、国の内外で言うことが違う、おかしなことではないか。もし大切な憲法の言うように軍隊を持たないのが絶対的に正しいのならば、これに違反する自衛隊は直ちに武装解除をして解散、防衛力ゼロの裸の国になるべきである。このような不条理の横行が許されてよいのか。
 かえりみると戦後、占領軍総司令部の指示で作られた新憲法は戦勝国に対する反逆の企ても不可能とする不戦力とし、パリ不戦条約を模して作られた、夢のような理想主義に彩られたものであった。その後しばらくして日本国民に復讐の念がないことも分かり、折からの朝鮮戦争の拡大に備えて自衛隊という名の事実上の軍隊を編成させた。そうすると憲法上の問題になる九条を取り除かねばならず、その面倒な手続きを省くために、自衛という国家の持つ自然権の観念を取り入れた無理な拡大解釈をして一時しのぎをしたのである。しかし何時までもこのようなことでは、愛国心に燃えて入隊し、有事に備え訓練に励んでいる自衛官の人たちにも礼を欠き、その意欲を削る行為といわなければならない。
しかし、今私が最も恐れているものは外敵にあらず、このような詭弁や偽善で生ずる日本の少国民の心への悪影響である。大人たちがこのような、世界のどこにもない、おかしな詭弁を弄し、自己をも偽っているのを見、聞かせることは教育の破壊であり、子供たちは親、大人に対する不信感を抱き、平気で都合のよい嘘をつく大人たちを軽蔑するようになる。或いはそれに輪をかけた虚言者や無政府主義的市民に育って行くおそれがあるからに他ならない。
 現に、日本の多くの子供たちは変わって来ている。最近「外国が攻めてきた時、君は国を守って戦いますか?」という有力新聞のアンケート質問に対し、僅か四〇数%がそれを肯定しており、同じ質問に対する近隣諸国の少国民の九〇%以上、世界各国の平均の八〇%以上という統計に比べ愛国心、愛郷心の少なさが明らかにされた。家庭、学校での道徳・歴史教育の軽視も加わって、親や祖先、目上の者を尊敬することが少なくなり、学校の教師も単なる受験指導の労働者として見、学級崩壊が各地で行われ、いじめは日常茶飯事で、絶望による自殺をする少年少女まで現れている有様である。
 一方、世間では指導者たちの曖昧・無責任な言葉の乱用が横行している。敗戦という言葉をぼかして終戦と呼ぶのはまだしも、残虐な原子爆弾を落とされて数十万人の犠牲者を出した深刻にして神聖な地を、広島平和記念公園と名付け、「二度と過ちは繰り返しません」の標語を記してはばからない軽薄な市民運動家たちは自虐に満ちたいわゆる平和活動を続け、過去の歴史をゆがめている。
 今までの政府は少子化対策として補助金のばらまきなどを唱えているが、そのような金銭的な方策だけを施しても真の教育に改めなければ、打算的に権利ばかりを主 張する自己愛ばかり強い人間が育って行く。子供たちを駄目にする大人の嘘やごまかし、責任逃れ、を止めにしなければこの国の将来はない。今こそ政治・社会の正直さが求められている。さて、今日の話題、国の防衛についてどうするのがよいか、真面目に考えようではないか。他国 によって作られはしたが人類の夢を盛り込んだ憲法を文字通り忠実に守って武力を捨て、全世界に向かって善意を期待し、すべて相手任せを貫き、場合によっては、見捨てられ或いは裏切られて暴力国の属領となり、奴隷市民の地位に甘んずる覚悟があるのか、それができないのなら、面倒でも通常の憲法に作り変え、世界中にある普通の国のように自らを守る道を選ばなければならない。さて、後者を選んだ場合も単なる兵士の増員や在来兵器の増加は無意味であろう。現在、核兵器所有国が一流国として特権を振るっていることを見れば、限られた防衛予算の大きな部分をさいても、核に替わる或いはこれを無価値にしてしまうような、今までにない優れた攻撃・防御兵器の研究・開発を進めることが第一で、そのた めには強力な研究所の設置と国中の技術力の結集をはかるべきであろう。そしてそれが他国からの侵略への最大の抑止力となることに他ならない。
 尖閣諸島の領有権問題は石原前東京都知事が集めた購入資金よりさらに高額で、島の個人所有者の抱えていた借金より多くした金額を民主党政府が提供して購入に成功したことが発端で、地下資源を狙っている中国 の欲望に火をつけた。それによる日中間のこじれを円満に解決する案はただ一つ、昔の状態に戻すことよりほかはない。今までのように双方の言い分の投げ掛け合いではいつまでも平行線で感情的にもエスカレートするだけで解決にはならない。
 面子を大切にする中国は後に引けず、反日運動も長引き、海上保安庁や海上自衛隊も対応に追われ、中国への進出企業への被害、日中貿易の低下も長く続くであろう。さて、以前に戻すというのは島の昔の所有者である古賀家に今度も政府が払い下げし、同家が明治以降行っていた鰹節工場のようなものを再開させることである。古賀家は当時の政府から有償で払い下げされたこの島で鰹節を作り、従業員など約二百人の日本人が住んでいた。しかも、その人たちが遭難した中国漁船員を救助して中国政府から受けた正式な感謝状も存在している。そんな経緯(いきさつ)もあることで、古賀家の後継者が島に再び上陸し、石原氏の集めた資金などでも使って工場を再建して作業する形ができれば、すべてが以前のような領有権主張棚上げ時代に戻って中国は面子もつぶれず、文句の付けようもなくなるわけである。
 今のような、国有地などといっても何時どこから侵入されるか分からないような不安定な無人島ではなくなり、日本人による名実ともの実効支配である。そうなれば少しずつ人員を増やし、どのようにも利用・転用できることであろう。世界中に認められ、大勢の日本人による実効支配のできてしまった小さな島を奪うために、計算高い中国が莫大な費用と犠牲を伴う大戦争を仕掛けるような愚かなことはしないであろう。それともう一つ、明治以降、沖縄の漁船は台湾の漁船と仲良く共同で尖閣海域の漁業を営み親睦を重ねていた。この際台湾とは遅れている漁業協定の締結を急ぎ、以前の関係に戻って、近隣に少なくなった日本の味方を増やすことも考えるべきであろう。
 以上は「美しい日本の再建」を目標に掲げた新政権に対する幾つかの希望事項であるが、正直、勤勉は昔から日本人の特質と言われ、諸外国からも信用を得てきた。これからの日本の政治もその評価を失うことのないよう、大いに期待したい。


新年の御挨拶

老ク連会長 五十嵐司
 新年明けましておめでとうございます。広いブラジル各地の 加盟クラブ会員の皆様、年の初めの元日にはご親族がお揃いになり、或いは親しいお友達とのお集まりで賑やかに新年の寿ぎをお祝いのこととお慶び申し上げます。
 昨一年を振り返りますと、私たちの連合会も皆さまの力強いご協力と関係者各位のご好意ですべて無事充実した月日を過ごすことができ、有り難きことと感謝いたしております。ことに老ク連恒例の三大行事である、ゲートボール大会、老ク大会・芸能祭、カラオケ大会はいずれも盛況で、日本祭や老人週間への協賛や福祉施設への訪問、そして老ク 連創 立記念日の地蔵祭など思い出の多い日々となりました。
 十月の始めには東京の日比谷公会堂で天皇・皇后両陛下をお迎えしての全国老人クラブ連合会創立五十周年記念大会に招かれ、ブラジリア老人クラブと内海相談役が表彰を受けました。ブラジリアの桜井理事と私は 全国各地から 集まった二千名のクラブ代表の前で紹介されるという機会に恵まれました。また十月末には永田町の憲政記念館で行われた第五十三回海外日系人大会にも出席し、各国から集まった代表や主催者の方たちと意見の交換をし、今後の活動の参考になる有益な情報を得ることもできました。
 さて、この年末年始には偶然にも日本の周辺各国首脳の交代が続きました。アメリカのオバマ大統領の再選、中国の習主席の就任、日本の安倍首相の復帰、そして韓国では朴大統領、少し前、政権に復帰して活動を始めたロシアのプーチン大統領を含め、日本を取り巻く世界の情勢 も大きく移ろうとしています。その中にあって祖国の安倍首相が以前から唱えている「美しき日本へ」のスローガンがどこまで実現できるか、 大きな期待がかけられています。さて、今年の老ク連も引き続く会員の高齢化、移住の停止、言語の問題、さらに老人意識の変化 という幾つも 重なる要因による会員数の激減に歯止めをかけ、さらに増加の攻勢に転ずるようキャンペーンなど、あらゆる智恵を絞る年としたいと望んでおり、皆様のさらなる結束と周囲へのたゆまざる勧誘をお願い致します。
 新しき年を迎え、皆様のお幸せを心からお祈りして、新年のご挨拶といたします。


年頭所感

(在日本)全国老人クラブ連合会会長 斎藤十朗
 新年あけましておめでとうございます。ブラジル日系老人クラブ連合会の会員の皆さまには、健やかに新年を迎えられたこととお慶び申し上げます。
 さて、昨年十月四日、東京・日比谷公会堂において全老連創立五十周年記念全国老人クラブ大会の開催にあたり、はるばるブラジルから五十嵐司会長の御臨席を賜り、また桜井久美子エレーナさんには受賞者としてご参列いただきました。
 大会には、天皇皇后両陛下の行幸啓を仰ぎ、総理大臣、衆参両院議長のご臨席のなかで、厳粛な式典を挙行することができました。会員一同には、新たな門出として深く心に刻まれる大会となりました。
全老連五十年の歩みの中で、貴会との交流の歴史を振り返りますと、昭和五十三年の老人クラブ活動指導者講師の派遣にはじまります。当時、約七十五万人の日系人の中で、六十歳以上の高齢者は約三万五千人でした。また、昭和六十三年のブラジル移民八十周年に際しては、日本の老人クラブの代表による視察団を派遣し、その後、節目ごとに交流を重ね、友好関係を築きながら互いに老人クラブ活動の発展に努めてまいりました。
 貴会はこれまで老人福祉センターを拠点として、高齢者の生活と福祉の向上にご尽力され、数々の成果を積み上げて来られました。中でも、日系社会から日本語が失われないよう、サンパウロ新聞が主催する老人週間の特別企画写真展「私のおじいちゃん、おばあちゃん」は、日本語の普及キャンペーンの一環として老人クラブ等の協力により実施されたことは大変意義深いことであります。
 高齢者の長年培われた経験と知恵を次世代に残し、伝えることは老人クラブの重要な役割ですが、とりわけ貴国における言葉の伝承活動は、日本文化の伝承にもつながることとして貴会の役割に期待されるものがあります。
 わが国は人口減少・少子高齢化が進み、ともすると高齢化社会が暗いイメージになりがちですが、私たちは老人クラブ活動を積極的に進めることが、明るい長寿社会を築くことにつながると確信しています。先達が掲げた「老後の幸せを自らの手で」が老人クラブ発足の原点です。高齢者が互いに助け合って、生きがいや福祉の向上に努めるところに存在意義があると考えております。
 最後になりましたが、貴会のますますのご発展と会員各位のご多幸を祈念しまして年頭のご挨拶といたします。


新年のご挨拶

在サンパウロ日本国総領事 福嶌教輝
 新年明けましておめでとうございます。
 「ブラジル日系老人クラブ連合会」は、創立以来会員の皆様方の親睦をより深めるだけでなく、人生の生きがいにつながる様々な活動を積極的に推進してこられました。現在、日系社会の高齢化と言われておりますが、会員の皆様におかれましては、文化・スポーツ等の様々な活動に元気に取り組まれており、また、ブラジル日系社会の大切な団体のひとつとして日伯両国親善のためにも多いに貢献していただいております。役員始め関係者の皆様方のこれまでのご尽力、ご貢献に対し、心から敬意を表する次第です。
 昨年九月に着任して以来、様々な会合に出席し、移住地を回らせて頂き、できるだけ多くの方々とお会いし、お話を伺うことを目標にしてまいりました。その中で、サンパウロをはじめとする各地域における日系人の方々の溢れんばかりの力を実感することができました。本年は一九〇八年の笠戸丸移民から始まった日本人移住の歴史が一〇五年目を迎えます。また、一九五三年から再開したブラジルへの移住が六十年目を迎える節目の年となりました。
 日系社会の皆様方は、一世紀を超えた日伯交流、相互理解に大きく貢献されているのみならず、これからを担う人材を立派に育てあげられ、その若者達も様々な分野で目覚しい活躍の場を得ておられます。それは、開拓移民の筆舌に尽くしがたい苦闘と努力、また子弟教育に熱心に取り組まれた先人や今日の日系社会の歴史の上に成り立っていることを忘れることはできません。百年有余の歴史により、ブラジル社会における日本及び日本人に対する信頼は厚く、日本とブラジルの友好関係は極めて堅固なものとなっております。
 さて、今後の日伯交流を展望すると、両国の関係は新たな局面に入って来ていると感じさせられます。ブラジルは緑豊かな国土に支えられた農業,豊富な資源と工業技術が世界的に注目を浴びる中、サンパウロを中心に社会基盤整備も着々と進みつつあり、日本からの経済交流や企業進出が非常に活発になっております。今や日本とブラジルの経済交流はかつてないほどの重要性を帯びております。
 また、本年は野球やサッカーといったスポーツの分野でも相互に交流が深まる機会がありますが、日伯両国の関係は政治、経済、文化、教育、科学、スポーツ等あらゆる方面で重層的に交流が深化していることを実感しております。ブラジルは高齢者を慕い敬う気持ちが強いと感じておりますが、このような大事な時期にこそ皆様がさらに必要とされ活躍できる場面がまだまだ数多くあることと思います。どうか長年培った技術や経験、そして日本の素晴らしい文化を後世に伝え、日系社会がさらに発展し、日伯両国の絆がさらに深まっていくことを願っております。
 最後に、貴連合会のますますのご発展と共に、皆様にとって二〇一三年が更に大きな飛躍の年になることを心より願い、ご健勝とご多幸を深く祈念し、私の新年の挨拶とさせていただきます。


新年のご挨拶

国際協力機構(JICA)ブラジル事務所所長 室澤智史
 新年明けましておめでとうございます。
 皆様におかれましてはつつがなく新しい年をお迎えのこととお慶び申し上げます。また、旧年中は弊機構(JICA)の事業に対しまして格別のご支援を賜り、厚く御礼申し上げます。
 さて、ご承知の通り、JICAでは、日本政府の方針に基づき、ブラジル日系社会の高齢者福祉分野のご支援を行なっています。現在、ブラジル各地の日系団体が運営する高齢者福祉施設などに九名の日系社会シニア・ボランティアを派遣し、介護福祉、ソーシャルワーカー、栄養士、及びレクリエーションの職種で活動しています。ボランティアの方々からは各地の日系社会の高齢者や施設に関する現状報告を受けていますが、高齢者の皆様が生き生きとされている様子が伝わって来ています。
 また、日系研修制度を通じて高齢者福祉事業に従事している日系二~三世の方々を本邦に受け入れていますが、研修生の方々は世界に例を見ない程の高齢化社会となろうとしている日本の高齢者福祉の現状を視察し、介護技術や先進的な機材の操作を学び、また日本の高齢者福祉従事者と意見交換を行うなど、精力的に勉強しています。研修生の中には既に帰国し、日本での経験や知識を活用して高齢者福祉施設で活躍している人もいます。
 ブラジル社会は高齢化が既に始まり、そのスピードは先進国よりも早く、豊かになる前に高齢化社会が訪れると言われています。また、それは経済成長、教育、医療、社会福祉などの面に大きな影響を及ぼすと考えられています。したがって、ブラジルはこれらに備えて今から高齢化対策に取り組まなければならず、そこで高齢化先進国の日本から学ぶことが数多くあると思います。
 JICAでは今後ともボランティアの派遣や日系研修員の受入を通じて、ブラジル日系社会の高齢者問題へのご支援を継続する所存です。また、併せてそれらがブラジル社会の高齢化対策に大きく貢献することを切に願っています。
 最後となりましたが、この新しい年が貴団体及び会員の皆様にとってより良き年になりますよう心より祈念いたしまして、私からの年頭の挨拶とさせていただきます。
 本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。


新年を迎えて

民謡教室指導者 纐纈蹟二
 巳年を迎え思う事は、戦前に親を泣かせて渡伯した末っ子の私に父が「五年で帰って来い。どこの世界でも簡単に金は儲かるものではない。もし、船賃が不足したら手紙を寄こせ。そのぐらいは送金してやる。俺は一生、酒の飲めない体質で損をした。親が子に酒を勧めるのは妙だが、付き合い酒ぐらいやれるようになれよ」と言い、母は「女道楽と賭け事だけは絶対に謹んで、五年経ったら必ず帰って来ておくれ」という事で、生家を後にした。
 チエテ移住地で一年契約(一コントデレイス)で住み込みのカマラーダ(日雇い農夫)をした。
 時折、市街地でカマラーダ仲間に会うと、ボテコ(一杯飲み屋)でパトロン(主人)の悪口を肴にピンガを飲んで、少しずつ酒の腕をあげた。
 太平洋戦争で、五年で帰国の夢は消え去った。
 それでも縁があって結婚し、家庭を持った。子供が次々と生まれて、男五人、女四人の子福者となった。家内は全部、自分の乳で育て上げ、大勢の子供の着物はカンテラの灯で古ミシンを踏んで縫って着せ、炊事、洗濯を一切やり、貧乏世帯のやりくりをした。スーパーママであった。
 晩年、足弱となり、眼が悪く、片方は失明した。良い方も三五%ぐらいの視力である。その上、右の肩の筋が弱って切れそうだと医者が判断しており、高い所に手を上げるな、重いものを提げてはならぬ、力を入れぬようにするべし。もし、筋が切れると、腕が下がったままで上げる事が出来ない。
これを守れば食事をしたり、軽い事は何でもできるから、気をつけよとのことで二人住まいのアパートは月に二回、掃除婦が来てくれる。普通の日には、私が箒(ほうき)を握る。視力が弱いと塵(ちり)が見えないからである。
 洗濯物を干す事、取り込む事も私の仕事となり、アイロンはもちろん、食事の後の皿や鍋も洗う。葉野菜は私が洗わねば虫などが見えない。小買物も眼が悪いので、道を歩くと危ないので私がする。日常生活のほとんどの仕事が私の役目である。この事を友人に話すと、「炊事をしてくれるだけでもありがたいと思いなさい」と。昔のスーパーママも年をとって、現在のようになってしまった。しかし、口だけは相変わらず達者だ。私は何事も「ハイ、ハイ」と逆らわない。
 私は口に出しては言わないが、心の中では良くやってくれたと感謝の気持ちでいっぱいである。
 二人とも難聴(なんちょう)で、朝からケンカのように怒鳴りあって話している。
 今年の八月は結婚七十周年の年輪にめぐり合う事になり、とりえも芸もないが、まだまだ頑張りたいと思っている二人である。


新年のご挨拶

ブラジル日本文化福祉協会会長 木多喜八郎
 新年あけましておめでとうございます。
 二〇一三年の新しい年をブラジル日系老人クラブ連合会の皆様とともにお慶び申し上げます。
 旧年中はブラジル日本文化福祉協会に対しまして温かいご理解、ご協力を頂きまして誠にありがとうございました。
 今年の干支は巳年ということで探究心と情熱が特徴と記述されていますが、老ク連におかれましては干支の巳に負けないほど探究心旺盛に数々の文化教養教室を運営されています。更に昨年より新しく絵手紙教室も始められるなど、若人に負けないその情熱を通しブラジル日系社会の一員として日本文化の紹介に携わっておられますが、ますますご壮健で明るく健やかに過ごされますことを祈念いたします。
 移民と共に海を渡った日本の伝統、親から受け継いだ風習を継承したくとも受け皿がなくなりつつある現実に直面する中、現在日系団体も二世から三世へと移行して来ていますが、それに伴う団体離れ、会員の減少という連鎖作用というべき現象も危惧されています。ブラジルにおいて日系団体が存続するため最大の要素は日本文化の伝承であると思われます。そして、それらの数々を実行に移されています老ク連の皆様方の熱意に敬意を表します。
 一九八〇年代にはじまった出稼ぎブームに乗って約三十万人の日系ブラジル人が日本に向かいましたが、日本の経済不況により現在ではそのうちの約十二万人がブラジルに戻って来たといわれています。その数はブラジルの日系社会の一割弱に相当するものですが、その人たちは日本の文化、伝統を体験してきた新しいブラジル日系社会の一員でもあります。
 ブラジル日本文化福祉協会では日本文化伝承の重要さに視点を置き、色々な活動を展開していますが、純粋な日本伝統文化を残そうと努力している日系社会の人々と、日本の伝統風習に浸って帰国した人々が結びついたとき、ブラジル日系社会の新しい将来像が浮かびあがってくるのではないかと思っています。
 更に、若人交流事業を基盤とした日伯交流の促進に研修生のような形で日本の若人を受け入れることも必要だと思います。これからはより多くの日本の若人がブラジルを体験できるシステムの構築が早急の課題ではないかと思います。そうすることにより、情報化時代における新たな日伯関係の将来像が見られ、近い将来の両国の親善友好関係に大きな成果をもたらすものと確信しています。
 機関紙『老壮の友』を発行されます関係者の皆様、そしてその活躍を維持されるブラジル全土のそれぞれの地域で活躍される会員の皆様のますますのご健勝とご多幸を祈念しまして、新年のご挨拶とさせていただきます。


新年のご挨拶

サンパウロ日伯援護協会会長 菊地義治
 ブラジル日系老人クラブ連合会(老ク連)会員の皆様、並びに役員の皆様、新年明けましておめでとうございます。
 二〇一三年の巳年の新春を迎えるにあたり、サンパウロ日伯援護協会(援協)を代表して一言、新年のご挨拶を申し上げます。
 旧年中は援協の社会福祉・医療事業に対し、温かい御支援、御協力を賜り、篤く御礼申し上げます。
 実は老ク連と援協とは深いつながりがあり、一九七二年頃に老ク連の前身の組織が援協の中で生まれ、それが一九七五年に援協から独立して、正式名も今の老ク連に変更して、今日の立派な組織に至ったものであります。
 さて、皆さま、よく御存じの通り、老ク連の活動は広範多岐に亘っております。健康体操、カラオケ、舞踊、コーラス、マージャン、民謡、練功、カラオケダンス、絵画、囲碁、ポルトガル語、書道、百人一首、花合わせ、俳句、川柳、名画鑑賞、健康表現体操、なつメロ合唱等々、活発にいろいろな素晴らしい活動をされております。
 その中でも素晴らしいのがこの会報誌「ブラジル老壮の友」の刊行であります。月刊誌で既に四百六十号を超える号数を発行しておられますが、各号の紙面の充実ぶりには毎回、感心させられます。短歌、川柳、俳句、日系社会のニュース、日本のニュース、読者の投書記事等々、硬軟織り交ぜての示唆に富む記事は読者を飽きさせることがありません。この「ブラジル老壮の友」が途切れることなく、いつまでも継続して刊行され続けることを心から願っております。
 さて、昨年は援協にとって、最も大切な社会福祉法人としての認可更新の年でありました。そのため、昨年六月、サンミゲルアルカンジョ市でSUS病院の建設に着工(開院は今年の三月を予定、同じく六月にはグアルーリョス市との間で老人専用のSUS中・長期療養病院(仮称・グアルーリョス神内病院)の建設(建設着工は今年、後半以降)に関する覚書を締結いたしました。いずれも援協にとって大きな投資を伴う事業ですが、援協がブラジルで存続・発展していくためには必要不可欠な事業であり、事業推進を決断いたしました。
 ブラジルは二〇一四年のワールドサッカー大会、二〇一六年のオリンピックという国際的なビッグイベントの開催を控え、その経済発展は今後とも益々加速していくことでしょう。そのブラジル社会の中で日系社会がいかに融合しながら、発展していくのか。その意味でも老ク連が果たす役割はこれから益々重要になっていくことと思います。微力ながら、援協も老ク連と二人三脚で日系社会発展のために努力をしてまいりたいと考えております。
 最後になりましたが関係者の皆様のご多幸と老ク連が益々その活動範囲を拡大し、その存在感を高め、日系社会高齢者の社交の場、憩いの場として大きく発展していくことを祈念致しまして二〇一三年の年頭のご挨拶とさせていただきます。


年頭に寄せて

ブラジル日本都道府県人会連合会会長 園田昭憲
 新年明けましておめでとうございます。
ブラジル日系老人クラブ連合会が新年号機関紙「老壮の友」を発刊されるにあたり、ブラジル日本都道府県人会連合会を代表いたしまして、皆様へのメッセージを申し上げます。
 早いものでブラジル日本移民移住の歴史も今年で一〇五年、そして戦後移住の歴史も六十年を迎えました。そこで今年は毎年老ク連も参加しておりますフェスティバルの会場で、戦後移住六十周年記念祭を行うことになっております。
 また、県連では昨年十月、「東北被災地応援ツアー」を企画し、実施いたしました。これはブラジル日本文化福祉協会、サンパウロ日伯援護協会、そして被災県である岩手、宮城、福島の県人会の後援を受け、東日本大震災の被災者への支援、被災地復興への一助として、また被災地の実情、復興の現状を実際に現地で体感し、被災地の気持ちに幾らかでも共有できるならばと考え、また風評被害で苦しんでいる地を訪ね、わずかでも応援できればと企画したものです。  そしてこの延長戦として今年は、今回訪問した東北三県より「東北被災者招聘交流事業(仮称)」を実行する予定であります。
 この交流事業が進展し、日本の各県から将来性のある若者たちが、来泊しブラジル人達と交流できればと考えるものです。これまでどちらかと言えば一方通行的だったものがますます進展するものと期待しております。
 日本では少子化に伴い、高齢者に対する福祉などが社会問題となっております。ブラジルに移住された方は戦前、戦後を通じて約二十五万人といわれておりますが、今ではその数は少数になりました。そしてブラジルで生まれた二世のかたがたでも、高齢者は多くなっているのが実情です。
 ブラジル日系老人クラブ連合会はブラジル在住の日系在宅高齢者の老後生活充実を目的にされ、この中で会員相互の親睦と相互扶助、生きがい増進のための文化・体育活動、福祉活動やその他の行事に参加しておられることは、いつも老人クラブ大会、カラオケ大会、芸能祭、ゲートボール大会など見させていただいて、心強く感じております。
 連合会は傘下に沢山の支部があり、クラブ会員数は一万人を超えるとのことで、会員は一世から二世、そして三世、四世へと活動がこれからも末永くブラジル日系老人の心の支えになることは間違いありません。
 終わりにブラジル日系老人クラブ連合会が、今年もますます発展され、皆様方の心豊かな生活と明るく活気ある社会作りに貢献されることを祈念いたします。


新たな年の幕開けに

(在日本)『百歳万歳』編集長 植松紀子
 新年あけまして、おめでとうございます。
 二〇一三年の幕開けをブラジル日系老人クラブ連合会の皆さまとともにお喜び申し上げます。
 いつも日本のことを気にかけてくださっているブラジル日系老人クラブの皆さまに心より感謝申し上げます。
 日本では一昨年の地震・津波からの復興はなかなか進んでいません。特に福島県などは生まれ故郷、さらについこの間まで家族仲良く暮らしていた町に戻ることができない方々がたくさんいらっしゃる現状です。そんな状態でも前を向いて一歩一歩復興への道をすすんでいる姿を見て私たちも喜びを感じております。被害に遭わなかった全国の人々も被災された方々に心を寄り添い応援をしております。
 世界をリードしている日本の高齢化。六十五歳以上の高齢者は三千万人を超え、百歳以上も五万人を超え、百歳までだれもが生きられるようになったと言えるでしょう。でもその中で元気で百歳を迎える方はまだ少ないと言えます。寝たきりにならず、認知症にもならずに元気で長寿を目指す…。そういう高齢者が増えることを期待しております。
 日本の老人クラブでは会員減で悩んでいる地域がとても多くなりました。しかし、一方で会員をどんどん増やし活力ある老人クラブ運営を行なっている地域もあります。そんな活力あるクラブが増えれば老人クラブに参加しているみなさんにとっても生きがいある高齢期を過ごすことができるのではないかと思います。ブラジルの老人クラブの皆さまも老人クラブ活動で健康と生きがいを持っていただくことを念願しております。
 ブラジル日系老人クラブ連合会の会員の皆さま、今年もどうぞ健康に留意され、お仲間と共に楽しく活き活きと毎日を過ごされますよう。そして地域の方々の目標となる存在になりますよう、遠い日本の空の下で願っております。


本年もよろしくお願い致します。一〇一歳になります。

吉岡ヲサメさん.jpg
おめでとう!吉岡ヲサメさん(イタケーラ寿会)
吉岡ヲサメさんは今年101歳になります。イタケーラに住んで76年。寿会の創立会員でもあります。写真でもお分かりのようにツヤツヤした肌の輝きはまるで70歳代のよう。
食事は自然食品が主で、毎朝、起きる前にカーマ(ベッド)で健康体操をしています。一番の楽しみは毎月の寿会例会と草花の手入れだそうです。いつまでもお元気で!!


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