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熟年クラブ連合会
     エッセイ  (最終更新日 : 2019/02/15)
2013年5月号

2013年5月号 (2013/05/12) パタゴニアの一人旅

サンパウロ中央老壮会 遠藤タケシ
 三月に五十年の思いでいた南米大陸の最南端、パタゴニアに行って来ました。
 パタゴニアはアルゼンチンとチリにまたがっており、今回はアルゼンチン側の旅です。面積は日本の三倍強。人口はアルゼンチンの四%とか。年中風が強く、不毛の大地で雨が大変少ない土地です。アンデス山脈には万年雪と氷河で出来た美しい湖があり、世界中の観光客が来ます。また、マゼラン海峡の南のフォゴ島は少し雨が降るだけで、山の中腹まで南極ブナの森が広がっており、上の方は万年雪の岩山でアルプスを思い出します。ビーグル水道は年中南風が吹き、夏でも八度から十度の寒さです。
 海はペンギン、レィオンマリニオーなど動物たちの天国でまるで楽園にいるようです。向かい側はチリの国で、無人の山々に自然の力を感じます。
 ウシュアイアの町は人口が九万人でブエノスアイレスから空路六時間で到着するフェゴ島県の首都です。南米大陸最南端で、南極に最も近い町です。チャールズ・ダーウィンが乗り込んだ「ビーグル号」が通ったビーグル水道に面し南極観光や近くの島々をめぐる拠点となるため、世界中の金持が乗る船も出入りし、意外と活気があります。その上、自由貿易港があるため、品物も多くて安いのです。しかし食べ物だけは少なくて高かったです。この土地には四つの民族「ヤーガン」「オーナー」「ヤマナ」が住んでいました。今でも末裔(まつえい)を見ることが出来ます。「世界の果て」と「ヤマナ」という二つの博物館があり、歴史を学んで自然を見て、山では万年雪と、とても楽しい所です。
 町そのものははじめ「流刑地」として始まり、その人たちと役人により木材開発が起こり、約百年になります。今は自由港を利用して電子工業があり、マルビナス島へ行く人たちも通ります。花が美しく町はずれの小さな家にはH型の煙突があり、日本の五十年前を思い出します。六月から九月まで雪が積もりますから、町全体が少し寂しく感じたのは私だけでしょうか。
 カラファテは小さな果物の名前で、サンタクルース県の氷河国立公園の入り口となる小さなかわいい町です。氷河の水で出来たアールゼンチ湖の辺にモダンな飛行場、松やポプラの並木、そして旅行者が集まり活気があります。食堂や店ではペソもドルもユーロも流通し、英語も通じます。家の造りはヨーロッパ風で別世界にいるような錯覚になります。「どうしてこのような地の果ての土地にモデルのような美男美女が多くいるのか?」と聞くと、「パタゴニアはバルカン半島の移民が来たからだろう。イルネーストロ・キューステル大統領やクーリティナーがいるでしょう」「そうか」「私はメキシコに男性を一人連れて帰るわ」「本当?」この四日間、一緒に楽しく旅したメキシコ女性の話です。そのほかコロンビアやアルゼンチンの人たちと話したり、本当に「旅は道連れ」だと実感しました
 次にペリト・モレノ氷河を紹介します。市内から八十五キロの所にあり、青白く輝く幅五キロ、高さ六〇~一〇〇メートルの氷河で、遠くチリのアンデス山脈から続いています。氷が水に戻ろうと崩れ落ちる瞬間は自然の神秘を感じます。
 日本からの一人の旅行者(金髪)と知り合いました。「日本人ですか?」「ブラジルからです」「日本語でいいですか?」「いいよ!」「私は兵庫の姫路で四月から小学校の先生になるんです。だから外国を見て回っていろいろな世界を知って学んでおこうと思って…」「やはり先生は外国を知っておいた方がいいよ!」「日本は毎年首相が代わって県ばかり多くて経費ばかり掛かります。一つの方法として共和国になるのもいいのではないかと思います」「それは国民が決めることでしょう」「二十一世紀だもの。新しくしなくては…」そんな会話を交わしました。
 次はトレレウという大西洋に突出したバルデス半島に行く基地となる町へ行きました。どこを見ても荒野と石ころばかり。人間など住めるのか?と思ってしまいます。しかし、動物たちの楽園で海岸にごろごろしています。
 最後はブエノスアイレス。ネグロ川の北側は本当の天国。広々とした農地と緑野。そのまた北側のラプラタ川河口にある計画大都市。気持ちが温まります。しかし今回は前に行った時とは違う風景を見ました。夕方、食事でもと思って歩いていたら、スーパーのカルフールから出たゴミを七~八人の人があさる姿を見ました。以前、三回ほどブエノスへ行きましたが、以前はそんな姿を見かけませんでしたが、経済の困窮がうかがえます。また、空港へ行く途中の港とロードビアーリアの近くにファベイラが多くなったように感じました。
 一週間の旅でつくづくブラジルの良さが分かります。ご飯、野菜、フェジョン豆、果物のない生活は一番困ります。それでもまた、旅には出たいですが…。


すべてに感謝

サンパウロ中央老壮会 纐纈蹟二(喜月)
 ブラジル日系文学第三十回武本文学賞の受賞式が去る三月三十一日、宮城県人会館で挙行された。
 俳句部門は、稲花水先生特選には(待春)須賀吐句志様、悼子先生の特選に(身辺抄)西山ひろ子様、富重先生の特選には(鸚哥芭蕉)私、喜月が推薦されており、編集長の中田みちよ先生より受賞の言葉を送付されたしと手紙を頂戴したが、あまりにも意外な事とて実感がわかず、何も書くことが出来なかった。また、川柳部門では柿嶋先生選の佳作二位に入選していた。このような光栄に浴したのは初めてで顛倒(てんとう)した次第であった。
 表彰式の当日、私なりに正装して会場に行くと、多くの知人から祝福の言葉をもらい、年甲斐もなく狼狽気味になった。順番が来て、富重先生より立派な賞状と副賞にブラジル日系文学四十二号を戴き、感謝感激であった。
 そして柿嶋先生より川柳の佳作賞の賞状と副賞を手渡され、面映ゆい思いをした。特に俳句に関して富重先生の素晴らしい名文の句評をいただき、こんなに奥深く観賞して頂き嬉しい感慨に浸った。また柿嶋先生より出句の前半と後半の評を頂き、心を引き締めた。
 各部の受賞式典が終わり、出席者全員に飲み物と食事の接待があり、にぎやかに卓を囲み、和気あいあいたる和やかな雰囲気に浸る事を得たのである。
 受賞者では私が最高齢ではないかとも思う。ブラジル日系文学の編集局や編集人・武本様に「老壮の友」紙上を借りて御礼を申し上げたい。少し話が横道に入るが私は前立腺(ぜんりつせん)の癌(がん)を宣告され、癌発見より十六年になる。最近、精密検査で頸部に癌の腫瘍(しゅよう)が現れたが、自覚症状(じかくしょうじょう)はなしで、嘘のようである。
 武本文学賞の受賞をコロニアで有名な歌人であり熟連書道に来ている新井知里さんは「九十二歳でよくもまあ」とお褒め下さり、冥途(めいど)の土産になった。癌治療(ちりょう)でよく面倒をみてくれる家内をはじめ子供たちに感謝をしている。私にとって熟連クラブは心の拠り所である。一日一日を大切にしてささやかな家族の愛に包まれて、病気を意識せず、教養教室でお付き合い下さる皆様に感謝しつつ、無理をしない程度で私なりに頑張って楽しく余生を過ごしたいと思っている。


シネマ放談(17)

サンパウロ名画クラブ 津山恭助
◇義理と人情の世界
 「日本侠客伝」シリーズ。侠客とはいかなるものか。手元の「広辞苑」をたぐってみよう。「強きをくじき弱きを助けることを標榜した伝侠の徒。江戸の町奴に起源。多くは賭博・喧嘩渡世などを稼業とし親分子分の関係で結ばれている。」とある。
 東映の任侠路線の出発点に位置づけられるのは沢島忠監督の「人生劇場・飛車角」(昭和三八年、尾崎士郎原作)とされている。飛車角(鶴田浩二)と彼の情婦おとよと、ふと出会ってしまった宿縁ゆえ自ら死地におもむく宮川役で共演した健さんとが同路線を牽引する時代が始まった。昭和三九年ベテランのマキノ雅弘監督によってスタートした「日本侠客伝」(全一一本)と、翌年に始まった「昭和残侠伝」(全九本)は東映のドル箱になると同時に健さんのストイックなイメージを定着させるのに大いに役立った。
 「日本侠客伝」は珍しく中村錦之助が顔を出している。シリーズのストーリーの骨格は余り変わらない。悪徳政治家と結託した新興やくざが、良心的な古い任侠道を守る組織を潰そうとする。そこにどこからか現れるの高倉健の侠客。抗争を無事おさめていずこかへ去って行く。第一作は深川、その後大阪港、築地、神田。浅草、銚子、新宿、戸畑、若松、金沢と舞台は移っていく。「―浪花篇」(四〇年)。横浜から作業中に事故死した弟の骨を受取りに大阪の浪花運送にやって来た藤川(高倉健)は社長の黒木の非道ぶりを聞かされる。その黒幕は新沢(大友柳太朗)。藤川は荷受業者の半田に救われるが、新沢は半田に嫌がらせを始める。新沢組の代貸し冬村が刑を終えて出所するが、女房の千代(南田洋子)は新沢に身受けされていた。冬村の怒りが血をよび藤川が駈けつけた時には既に闘いは終っていた。
 「―血闘神田祭り」(四一年)は第四作。呉服問屋「沢せい」の息子・伸夫は傾いてきた家業を建て直す資金ぐりを焦って賭場に手を出す。幼友達の纏持ち新三(高倉健)が賭場で大貫(天津敏)のイカサマの犠牲になろうとしているところを救う。悪辣な大貫は伸夫を殺害、放火してこれを伸夫が保険金目当てにやったことにする。余りにも非道な大貫のやり方に匿ってもらった義理のある長次(鶴田浩二)は新三に味方するがやがて彼も射殺される。新三は単身大貫一家と対決する。「―雷門の決斗」(四一年)の舞台は浅草。興業権に関する縄張りをめぐる聖天一家・信太郎(高倉健)と観音一家・風間(水島道太郎)との対決。
 第六作「―白刃の盃」(四二年)は千葉県銚子。運送会社・外川(菅原謙次)と根占(天津)との争い。大多喜(高倉健)がガソリンを床いっぱいに撒いて火をつけ斬りまくって根占を倒す。
 第九作「花と龍」(四五年)は何度も映像になっている火野葦平原作の物語。玉井金五郎(高倉健)がマン(星由里子)と所帯を持ち九州は若松の沖仲士の世界で男をあげるというもの。敵役は例によって天津敏(伊崎)。「昇り龍」(四五年)は一〇作目。これも原作は「花と龍」で監督は山下耕作に代っている。ゴンゾ衆の生活向上のため小頭組合の結成を計る運動に熱を入れた玉井(高倉健)は共同組合の友田(天津敏)の子分達に斬られ深手を負い、浅草の女刺青師お京(藤純子)に救われる。玉井に一目惚れした彼女は彼の身体に「昇り龍」の刺青を彫り込む。玉井と友田の関係は険悪化する一方、代議士の吉田(片岡千恵蔵)
の仲裁で対決は免れたが、お京は胸を患って一目玉井に逢いたいと最後の力をふるって若松へやって来る。最終作は「―刃(どす)」(四六年)で小沢茂弘の演出。舞台は金沢。車夫上りの松吉(高倉健)に芸者・小芳(十朱幸代)がからみ政治ドラマにもなっている。


赤チン

サンパウロ鶴亀会 井出香哉
 土曜日の朝、フェイラ(青空市場)で鮭の頭を買ってきた。みそ汁に入れようと思って、頭を割ろうとしたが、固いので思い切り叩いたら手が滑って指を切った。
 メチヨラッチを塗りながら、昔のことを思い出した。子供の頃、マリリア郊外のアベンカに住んでいた。砂地なので指の間にビッショ(砂蚤)が入って放っておいたら魚の目玉みたいになって痒い。私は小さくて自分で取れないので、祖母が取ってくれた。針で丹念に周りの皮を掘ってクルッと目玉を取り出す。傷口にヨードを塗る。これが痛い。
 父の持っていたファゼンダ(農場)に行き、豚小屋で子豚を追いかけて遊んだら、必ずビッショが入った。どうしてか、人間の爪の間には入るが、動物に入ったと聞いたことがない。大きくなった頃にはヨードが赤チンに変わった。切り傷も腫物(はれもの)も赤チンを塗った。困ったのは道で転んで鼻の頭を擦りむいた時だ。赤チンを塗られて、赤天狗ならぬお猿の赤鼻になった。今は色のないメチヨラッチになって助かる。


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