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熟年クラブ連合会
     エッセイ  (最終更新日 : 2019/02/15)
2013年6月号

2013年6月号 (2013/06/14) 健康診断一時帰国

JICAシニアボランティア 宇野博
 十ヶ月間のレクリエーション支援活動のご褒美(?)として、JICAより日本への健康診断一時帰国が与えられた。これはシニアボランティアが希望すれば任期中に一度だけ帰国して健康診断を受診できるというものである。配偶者随伴で赴任しているメンバーもいる中、私など単身赴任のシニアに対しては、リフレッシュして任期を全うしてもらいたいとの配慮であろうか。妻が一人で留守宅を守ってくれていることも少しは気にかかり、一時帰国を希望させていただいた。
 任地である熟年クラブを一ヶ月も留守にすることとなるが、快く送り出していただき、畠中事務局長にはグァリューロス空港までの送迎をしていただいた。
 赴任の際は仲間と一緒だったが、ダラスを経由しての一人旅は、二十七時間という長旅であり、少々疲れながらも、無事成田に着くことが出来た。
 新宿で一泊し、翌朝、健康診断を受けることとなったが、最初の血圧測定で、予想通り一五六‐九五と高く、担当医から「高いですねー」とのコメント。高め安定の自己診断をしているが、検診前の絶食でいつもの高血圧の薬を服用していないのも原因だったと思われた。その後、視覚、聴覚、血液、心臓、肺、胃等の検診を受け、午前中で終了した。診断結果は医療機関からJICAを通じ二週間後に私の帰省先へ届くとのことで、結果に不安が残ったが、ともかく唯一の帰国目的はこれで終了したこととなる。
 さあこれからの一ヶ月、大阪府岸和田市の自宅に戻ってからのひと月は、長いようだが盛りだくさんの予定や行事が待ち受けていた。
 まずお墓参りをし、義母の米寿祝、盛大にブラジル行きを祝ってくれた先輩、同僚、後輩たちの各グループへの中間報告会、岸和田市への表敬、家族でのバスツアー、娘と走る十キロメートルマラソンなど色々な行事が組み込まれていた。
 帰国に際して五十嵐会長からは、「自民党復権、第二次安倍内閣誕生によるアベノミクスとやらで、デフレ脱却・円高解消・株価上昇による元気な日本の状況を見てきてほしい」との命も受けている。
 さらに、こちらでは随分高価だが日本では安価なパークゴルフ用品や電化製品、日用品等の購入もしなければならない。
 行事や買い物などの合間を縫って、リフレッシュし充電するとともに、こちらに戻ってからの本来の活動に活かすための、健康に関する新情報も収集しなければならない。
 今回の帰国で成果の大きかったものを特筆するとすれば、近隣へ出かけ色々なものを観て、リフレッシュすることが出来たことである。
 まずは、天王寺美術館での海を渡った「国宝」の里帰り「ボストン美術館 ― 日本美術の至宝」展であり、ここでは、正面玄関を入ったところに、迫力に圧倒される曽我蕭白筆の「雲龍図」が飾られていた。
 また、二度にわたって京都を訪ねた。一回目は、哲学の道~銀閣寺散策をはじめ、京都国立博物館では、師である永徳から受け継いだ画風を京の地で確立し「京狩野」の礎を築きあげた初代山楽、二代目山雪の全貌を紹介する「狩野山楽・山雪」展を観覧するとともに、博物館に隣接する「三十三間堂」も拝観した。二回目は、京都文化博物館の「インカ帝国-マチュピチュ『発見』百年」展、そこでは、険しい山の頂に築かれた空中都市「マチュピチュ」を3Dシアターで観ることが出来た。日本を離れてみて日本の文化を再認識する機会を得ることが出来、一方、南米のインカの遺跡は特に身近なものとして感じることが出来た。ブラジルへの赴任の副産物といえるかもしれない。
 さらにはスリーアイズを開発した生野区体育指導委員協議会主催のスリーアイズ練習会に参加し、審判技術の研修も出来、新たな発見もあった。
 日頃、会員の皆様に「元気で百歳を目指すためには、まず、歩くことが一番!」とお話ししている手前、大阪歩け歩け協会主催の「歩こう会」にも参加し、日本の高齢者の実情を探ってきた。ここで驚いたのは、参加者二百六十七名のうち、何と八割程度が男性であり、こちらの熟年クラブの男・女比と全く逆であった。また、新しい健康情報の入手としては、毎日新聞及び京都新聞の切り抜きと、こちらでも興味を持っていただけそうな健康雑誌の購入も出来た。
 もう一つの目的、こちらでは高いが日本では美味しくて安い食べ物も沢山いただくことが出来た。まずは年寄り仲間との寿司、刺身、蟹チリ(ポン酢で食す鍋物)や若いランニング仲間との厚切りタンの焼肉、焼き鳥(食あたりの恐れある生鳥肉は最高)、韓国鍋、王将の餃子等、胃袋も充分リフレシュできた。
 一ヶ月という長い一時帰国もあっという間に過ぎ、熟年クラブへ戻ると「お帰りなさい」と皆さんに温かく迎えていただいた。私に残された任期はあと一年一ヶ月。会員の皆様と仲良く、楽しく『元気で百歳!』を目指すためのレクリェーション支援に励まなければならない。これからもよろしくお願いいたします。


与古田シニアから

 前シニアボランティアの与古田徳造さんから久しぶりにメールが入りました。それによりますと、沖縄に帰られてから、うるま市みどり町のむつみ老人クラブの会長として元気に活躍されていましたが、昨年、脳梗塞で倒れられたそうです。以下、先生からのメールです。
☆ ☆
 熟ク連の皆様、畠中さん、金籐さん、お元気ですか、いろいろあったようですね。当方も、昨年十一月にまさかの「脳梗塞」で倒れまして、言葉、左側の手、足のリハビリで、やっと、今年は、九〇パーセント回復できました。老人クラブの活動も再び始めたところです。
  そこで、倒れる前の老人クラブの紹介写真がありますので送信しますね、今後は自愛しながら、ゆっくり活動していきます。皆様も、どうぞ、おからだお大事に、楽しく、意義のある活動ができますようにお祈りいたします。与古田拝
☆ ☆
 私たちの周りでも、あの人が…と思うような元気な人が脳梗塞で倒れられた例があります。寒さに向かう折り、くれぐれも用心されることをお勧めいたします。大山先生によりますと、もし、誰かが倒れた場合、まず一秒でも早く医者に連絡(救急車を呼ぶ)。次にむやみに病人を動かさない。そして呼吸の確認をする。
 これらは誰もが守らなければならない緊急時の対応です。なお、予防の第一は過労を避ける。寒くても水分を充分に取る事だそうです。心がけましょう。
 与古田先生くれぐれもお大事に!


自然に囲まれて皇居清掃

サンパウロ中央老壮会 栗原章子
 若い頃、訪日の折に見た日本の桜の花は、ブラジル生まれの私にとっては期待に反して色あせて見えて、がっかりしたものだった。しかし歳と共に、どこか暗い感じのする日本の景観に溶け込んだ桜の花の淡いピンク色が懐かしく、また見てみたくなった。
 そんな時、皇居の清掃ツアーの案内を目にして参加することにした。しかし、四月七日に東京に着くともう桜は散ってしまっていて、八重桜がちらほら見られる程度だった。
 実はそんなこともあろうかと思い、ツアー初日の日程の靖国神社参拝はパスすることにして、長野県の高遠城址公園に桜の花を見に行く「はとバス」の日帰りツアーにインターネットで申し込んでおいたのだ。長野県へ行くまでの車窓から富士山や日本アルプスの頂上に雪を頂いた山々を見ることもできたし、高遠公園は満開の桜の花で埋め尽くされて花見を堪能(たんのう)することができた。団子(だんご)や桜饅頭(まんじゅう)などを食べながら見る桜の花は最高だった。しかし、ホテルに夜九時頃帰り着くと、同室の仲間に私の我儘(わがまま)を許したことで、靖国神社の参拝と境内でのお神楽(かぐら)をお膳立(ぜんだ)てしてくださった日本での責任者に団長さんが叱られたと聞き、ちょっとばかり気の毒(どく)なことをしたと反省した。
 翌日からはいよいよ皇居の清掃が始まった。三日間は皇居内、一日は赤坂御所の掃除で計四日間の勤労奉仕(きんろうほうし)。お掃除前に説明がなされる大広間には日本全国からたくさんの奉仕グループが来ていた。埼玉から来ていたグループは人数も多かったが、それよりも女性がみんなかすりのモンペに白い割烹着(かっぽうぎ)、頭には手拭(てぬぐい)といった勇(いさ)ましい格好(かっこう)をしていて、ひときわ目立っていた。
 お掃除と言っても、落ち葉をかき集めたり、草むしりをする程度だったが、慣れない仕事をして、腰が痛くなった。しかし、一般の人が入れない所、例えば天皇陛下が毎年稲を植えられるという田んぼや妃殿下の桑畑の回りの掃除、特別な貴賓を招いてのパーティーの時に飾る松の盆栽(ぼんさい)などがたくさん並べられている棚の下の草むしりなどいろんな所を見ることができた。盆栽は樹齢六百年や四百年といった立派なのがたくさんあり、リベルダーデの東洋市で日曜日に売っているものとは全然違っていた。清掃三日目には天皇陛下ご夫妻との謁見(えっけん)があり、それぞれのグループの団長に天皇陛下からお言葉をかけられていた。天皇陛下は具合が悪そうで、美智子妃殿下が寄り添うようにして軽く腕を支えていらっしゃった。「陛下ともなれば、体の調子が悪くてもご公務を果たさなければいけないのだなあ」と、何だかお気の毒な気がした。皇族が通う学習院の反対側に位置する赤坂御所(あかさかごしょ)では皇太子様との謁見があり、ご自宅前の庭で奉仕団が列を作って待っていると、気軽に出て来られた感じで、それぞれの団長に話しかけられていた。ここでも最後に我らが徳力団長の「ばんざい」三唱に皆が唱和(しょうわ)し、奉仕活動も無事終了した。


シネマ放談(18)

サンパウロ名画クラブ 津山恭助
◇アラカン天狗(てんぐ)鞍馬(くらま)天狗
 幕末を舞台に〝鞍馬天狗〟を名乗る勤皇の志士が縦横に活躍するさまを描いた大衆小説の代表作である。頭巾を被った覆面のヒーローが善を勧めて悪を懲らしめるという設定は、後年の「月光仮面」や「仮面ライダー」など仮面ヒーローもののさきがけとなった。原作者は大仏次郎。
 大正一三年(一九二四年)、第一作の「鬼面の老女」以来昭和四〇年(一九六五年)の「地獄太平記」まで、長編、短編計四七作が発表された。また映画化、テレビ化も多いが、特に四〇本にのぼる嵐寛寿郎主演の映画は鞍馬天狗像を決定づけるものとなり、アラカン=鞍馬天狗のイメージが出来上った。そもそも映画デビューがマキノ映画の「鞍馬天狗異聞・角兵衛獅子」(昭和二年)であり、その後独立してプロダクションを興したり、松竹、日活時代を経て戦後の新東宝契約に至るまで、アラカンは「鞍馬天狗」と「むっつり右門」を持ち役とした。チャンバラ映画スターとしてのアラカンは腰の重心が低く、剣先がよく伸びるところに天性のすぐれた素質があって立ちまわりに迫力があり、殺陣の美しさには定評があった。
 マキノ時代、「少年倶楽部」を渡され「角兵衛獅子」を読んだアラカンは、「ダイブツ(実はオサラギ)ジロウちゅうこの人がええわ。剣が強うて涙がある。おまけに子役がついている。鞍馬天狗をやりたい」と答えたエピソードが残っている。「角兵衛獅子」は三度も映画化されており、戦後(昭和二六年)のものでは杉作少年に美空ひばりが扮している。角兵衛獅子を舞う杉作少年ら八人の子どもをいじめる長七から、鞍馬天狗は取り戻して薩摩屋敷へ送り保護させる。
 新選組隊士原木から大阪城代への書状を奪った天狗は、杉作を西郷吉之助の許へ連絡に走らせる一方、自分は原木になりすまし大阪城で暗殺人別帳を手に入れるが、不覚にも水牢に落ちる。
 「鞍馬天狗・江戸日記」(一四年)。幕府の権威をカサにきた悪旗本一党が勤皇の志士の暗殺を始める。天狗は江戸と京都の連絡係として登場、町道場に乗り込んで道場破りの真似ごとをやったりする。「鞍馬天狗・薩摩の密使」(一六年、戦後には大江戸異変=二五年)の舞台は幕末動乱期の江戸。
 倒幕派や尊皇派が不穏な動きを見せる中、巷では天狗の名を騙る偽者が強盗を繰り返して江戸市中を騒がせていた。一膳めし屋の二階に住んで絵を描いてのんびり暮らしていた天狗は浮浪児を憐れんで養い始める。のち偽者を退治する。「鞍馬の火祭」(二六年)。京の町は鬼女の面を被った偽天狗のために荒らされる。白川卿(高田浩吉)、千春(岸恵子)おえん(入江たか子)杉作(美空ひばり)と豪華なキャスト陣。
 「鞍馬天狗・天狗廻状」(二七年)。宗像佐近は娘の止めるのも聞かず、老骨の身で倒幕の浪士狩りに狂奔。しかしいつも天狗廻状なる投書のために先まわりした新選組に獲物を奪われてしまう。ところが当の天狗は全く預かり知らぬことだった。謎の天狗廻状をめぐる活劇でひばりの杉作とアラカン天狗の呼吸もぴったり。「危うし!鞍馬天狗」(二八年)は長州征伐をめぐる旗本たちの動き。軍資金をロシアから融通させようと企むが、秘密が洩れるのを怖れて殺人事件が起きる。芸者・粂次(宮城千賀子)、杉作(美空ひばり)を囮に天狗を向島に誘い込む。
 「鞍馬天狗・御用盗異変」(三一年)。徳川幕府は大政を奉還したが、幕府への不信を江戸市民に植え付けるべく、薩摩藩はひそかに御用盗を組織、市中を横行させた。天狗はこれを誤りだと諭す。
 アラカンの真骨頂はその役者魂の凄さにある。「明治天皇と日露大戦争」での明治天皇、「緋牡丹博徒」シリーズの数本の老侠客、「網走番外地」シリーズの老囚人・鬼寅、そして「神々の深き欲望」の祖父・山盛、「男はつらいよ・寅次郎と殿様」の伊予は大洲」の殿様等々でも証明されるよう、広い芸域を持った人だった。昭和五五年没、亨年七十六歳だった。


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