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熟年クラブ連合会
     エッセイ  (最終更新日 : 2019/02/15)
2013年8月号

2013年8月号 (2013/08/14) 参考記事となるか

熟年クラブ相談役 杉本正(九十六歳)
 当会創立当時の役員で今なお健在でおられる方々が皆無に等しい今、初期のころから本会に関係しておりました事から、去る日の代表者会議において述べられた意見について、私の思うところを記してみたいと思います。
 去る日「『全伯日系老人クラブ連合会』と言うからには、全伯的な老人クラブの加入を持ってこそ言えることではないか」との意見がありました。現状においては理事会に対してまとめる事に努力すべきとの督励(とくれい)の意見を申されました。
 理論的には全くその通りです。しかし果たして移民として渡伯された方々が広いブラジル全土各州に老人クラブを設立されるだけの家族数が入植されているものかどうかいささか疑問に感じられましたので、九十六歳の老齢の身であり、年寄りの冷水なりと言われるかもしれませんが書かせて頂きます。
 一九七〇年頃、老人問題が日伯援護協会福祉部においても重視されて来た折、たまたま日本国厚生省官僚の森幹郎氏が来伯されて、老人問題や老人クラブについて講演をされ、実現の提言をされました。さらに日本の「老壮の友」編集者である木村健一先生が日伯援護協会と救済会との招聘(しょうへい)の下に来伯去れ、特に老人クラブの存在意義を説かれ、指導講習会をし、地方にも巡回されるなど広く反響をもたらして各地に老人クラブが設立される契機(けいき)となったのでした。
 しかしながら、各地に設立された個々の老人クラブ活動においては、限られた範囲に留まり、総合的な活動ができる代表機関とする連合会組織の必要性をかんがみて、連合会結成実行委員会が設立されました。
 私は委員外でしたが、定款(ていかん)作成、連合会の活動実行方針の確立や役員構成についての審議(しんぎ)など大変苦労されたと聞いています。
 こうして一九七五年八月八日、連合会は設立されたのです。役員の構成に当たっては、初代会長は田中丑子氏がなられました。名称については別に先の事など考える必要もなく、全伯日系老人クラブ連合会の名称が相応しいのではないかとの意見一致で決定されたものでした。したがって、全伯との名称は全伯地の老人クラブの加入の下で発足したわけではないのです。
 ここでもう一つ面白い事を記してみます。
 老ク連の全伯との名称にこだわる事と似通ったことですが、一九八九年三月十日、宮口会長時代に中南米日系老人クラブ連合会を設立しようとの事で、諸外国に呼びかけ、当日集まった代表国はブラジル、パラグアイ、アルゼンチンで、ペルーは欠席。ボリビアは出席しましたが、後日「加入せず」との返事がありました。再度交渉しましたが、結局参加せずとなり、ブラジル、パラグアイ、アルゼンチンの三国を以って中南米日系老人クラブ連合会を創立しました。当時のアルゼンチン国の日系老人クラブ会員は沖縄県人のみと言ってよいぐらい内地人は若干名で、同県人会は三階建ての会館を所有され、よく団結されていた。
 その頃の中南米老ク連の会議のあり方は毎年各国持ち回りで、会議内容はお互いの活動内容の発表を主とし、良い案はお互いに採用して会の向上を図るなどでした。たまたまアルゼンチン代表から「我々は海外に移民として来たけれど、日本国籍を有する身として日本国在住国民同様に憲法に定められている平等なる権利を行使できる立場として、特に選挙権を有する事は日本人である証として重要と考える。中南米連合会として総合的な懸案として選挙権獲得の要望を日本政府に訴えては如何か」と述べ、審議決議の下、日本政府に強く訴え、その申請を続けました。後にブラジル日本都道府県連合会も同運動を起こし、文協、援協と連携し現在の在外選挙権獲得へと繋がったのであります。
 特に沖縄県人の方々の獲得(かくとく)運動に対する熱意と申しますか、執念に近い思いに密かに驚いたものでした。
 しばらくして三か国ながら名称も「中南米日系老人クラブ連合会」で本会のごとき全伯的との名称付けと似たままの曰(いわ)く付きとなりますが、別に反対者の意見もなく、今日に至っています。
 ついでながらもう一つ、かつて援護協会事務局長だった小畑さんに老人クラブ育成指導者の事を聞いた際、小畑さん曰く「いまどきは二、三か月程度の期間とする指導員の派遣しか国際協力事業団(現・国際協力機構=JICA)は取り扱っておらず、せめて二、三年ぐらいの長期年限ならばよいのだが」と話していました。その後、時を経て老ク連から直接指導者の派遣についての懇願(こんがん)要請(ようせい)書を送ってましたがなかなか認めらませんでした。老ク連の活動も本格的になっていると認められてか、ようやく十五年の歳月を経て派遣くださることになり、現在のように日本からの派遣指導者に各クラブへ赴いて頂き、ご指導頂いています。「老壮の友」投稿記事を読みまして、十五年間も待った忍耐の甲斐ならばこそと密かな思いと共にありがたく思っています。以後は指導員の交代に当たっても直ちに次の派遣を頂いており、重ねて感謝の思いで一杯です。
 たまたま事業団の責任者の方がお見えになりました折、私は別に皮肉のつもりで申した訳ではないのですが、「指導員派遣に十五年かかりました」と言いました所、「老ク連に派遣できる適当な人材が見つからなかった」と仰られましたので、私も遠慮なく「上手なお言葉を申されますね」と言い大笑いをしたのが昨日の事のようです。前述のように「年寄りの冷水なり」と言われるかも知れませんが拙文ながら多少参考になる所も有りと見ていただいた御方があれば、誠に過ぎたる思いと存じます。
 かつてご意見がありました代表者方の連合会の名称とする全伯との名に意義ある論に当たっては、代表者会議において審議されてみる事もよいではないかと存じますが!
 本会も三十七年の年月を歩み、盛衰は世の常なりと申されている中、利用する会員の活動振りは他の会に見られない活発さと自負しています。一般の会員でも現状の運営に当たって代表者会議、理事会のほかに懇談会方式にて意見を述べる場を持つ事も大切ではないかと提案させて頂き、私記とします。
 なお、最後に三十七年間の連合会会員の増減について記してみます。
 創立時の会員数は二千名内外で、団体数は四十五団体。五年後の一九八〇年は五千名となり、七年後の一九八二年は最多で七千名。団体数は百二十団体となりました。理由として、各老人クラブ会員は全員連合会会員に加入されたからです。
 十年目の一九八六年は五千名と減少。原因はその頃から地方の老人クラブがボツボツと脱会し、個人会員の退会も出始めた為です。二十年目の一九九五年は三千五百名、三十年目の二〇〇五年は二千六百名内外と残念ながら年と共に老人層が増えているにも拘らず減少を辿っております。どうも高齢者の集まる所を食わず嫌いの意固地を張っての御方かなと。まさか時代の流れとは思わないのだがこれも社会の一駒、社会現象の一つでしょうか。現今の出来事として変って来たことは、地域の老人会の消滅(しょうめつ)解散に伴い、個人意思にて中央会に属し連合会に加入。好きな部門の活動を利用する人が多く出てきた事でしょうか。
 今年創立三十七年目の正会員数は千六百八十名、賛助会員三百名と報告されています。
 終わりに際して、会員の年度別に増減を備忘記から抜粋したものですが、吾ながら驚くほどの会員の減数なりと思った訳で、会員の皆様もごらん頂いて左様に受け取られる事と思います。原因においては種々追認される事かと思いますが、今回はこのような観点から老人名を熟年クラブと解消して会員の増加率を計る事とし、三年後の四十周年を迎えるにあたって皆様方と共に期待をこめて、以上の題名の如く参考記事となるかとの思いを深めながら、ながながと駄作を記し、以って終わりとします。


選挙の話

書道教室指導者 若松如空
 日本の参議院選挙は与党の大勝利に終わった。ブラジルにいても日本の政治は大いに気にかかる。開票結果はNHKで見られるから日本の友人と同時に知る事ができる。ある議員の支持者に電話して「おめでとう」と言ったら「お前、もう知っているのか」と驚かれた。
 テレビ放送では、まだ開票が一票しかないというのに、もう、当選確実と出てくる。翌日の昼頃には当確が半分以上だ。NHKの出口調査の早さと確実さには舌を巻く思いだ。今回の当確には全く間違いがなかったのではなかろうか。驚くべき正確さだ。
 ただ不思議に思うのは、投票にコンピュータが使われない事だ。一部試験的には使われた様子だが、人間の手で整理するという昔からの方法が続いている。さらに不思議なのは電子分野では世界一のアメリカがこれを使っていない事だ。吾がブラジルはもう何年も前から全国的に使用されている。文盲が多い(識字率が低い)というこの国が投票では先進国なのである。選挙の日の夜にはもう集計が出ている。最終的な結果ではブラジルの方が早い。
 ここでは有権者が決められた投票所へ赴いて、身分証明書を見せ、名簿に署名すると「どうぞ」と投票箱に案内される。簡単な囲いがあって、椅子が一つ置いてある。投票用の機器が目の前にあって、それに候補者の番号を入れると、その人の顔写真が出る。その人なら確認のボタンを押せと出る。ボタンを押すとそれでOK。知事選などが重なる場合は前述の行為を繰り返し、ボタンを押すと、チンと音がしてこれでおしまい。きわめて簡単である。
 帰りに、投票をした証拠となる小さい紙片をくれる。この証書は大切に保存する必要がある。この国では選挙は義務で、怠ると罰則がある。厳密に課されているか不明だが、外国旅行をストップさせられる規定もあり、投票できない時は、最寄の選挙事務所に赴いて、理由を説明した証書を提出しなければならない。
 昔の話だが、私が帰化した翌年、選挙裁判所から呼び出しがあって、何の事だろうといった所「君は今回の選挙にあたって、一地区の投票所の長(シェーフェ)に命じられた」と言われた。予想外の事だったので「とんでもない。それは困る。ブラジルの選挙は何も知らない」と辞退したが「説明会があるからそれに出席したら解る。一〇〇〇余りの票を持つ地区で、君が長、セクレタリアが二名、整理係一名、雑役一名の五人で構成される投票所だ」との事。あれこれ難色を示した後「それではセクレタリアとして働きたい」と答えたら、「君は大学を出たろう。長だよ」という話。もたもたしていたら「承認しないと、ブラジル人としての責務を怠る事になる」と最後の切り札を出してきた。こうなれば仕方がない。解りましたと答える外はない。
 説明会に出席して仕事の内容は理解できたが、長は投票箱をイビラプエラの開票場へ自分で運ばなければならないと言われて、不安になった。途中で事故があったらどうするのだろう。頭の中には票は一票でも大切。とりわけ数票の違いの接戦ともなれば偉いことになるという憂慮だ。こんな大切な票の管理をブラジルに帰化したばかりの未経験者によくもやらせるものだ。
 その夜は眠れない夜となったが、困ったときの逆想の手法を思い出した。人種差別のない証拠だ。束縛(そくばく)のない自由な国だ。新しい国の活力の表われだ。外国から来た帰化人にこんな仕事を任せる国は外にあるだろうか。日本ではとても考えられない。やっぱりブラジルは良い国だ。外国人にとってこんな良い国はない。
 思考が変って見たら、それじゃ一生懸命やるか、ということになる。選挙日に会場へ行ってみたら南米銀行の倉持氏が隣りの地区の長で来ていた。同じ帰化人だ。銀行の仕事をするにはブラジル人である方がいいと思うと言っていた。
 裁判所からの呼び出しは三度続いた。選挙も大きな選挙で、大統領や知事と国会議員が重なると、一人ひとりの投票時間が長くなるので、管理も容易ではない。フィーラ(列)も長くなると、昼食時間もない。そんな時、働いている部下のサンドイッチと飲み物を買って渡さねばならない。この経費は長の財布から出る。建て前は家へ帰って食事して戻るという事で、国は払ってくれない。
 あるブラジル人の友だちに「ブラジルはすごい国だ。帰化人に重要な仕事を平気で渡してくれる。感動した。」と語った所、「ブラジル人はやりたくないんだ。日曜日だよ。一日働いて、長なら金も使うことになる。だから帰化人にやらせるんだ」「え?」と言った切り、あとの言葉が出なかった。嘘だよね。今でも信じられないでいる。


シネマ放談(20)

サンパウロ名画クラブ 津山恭助
◇アニメの世界
 一般に映画では一秒間に二四コマの速さでフィルムを撮影し、同じ速さでスクリーンに映写することで画面の動きを再現する。
 そしてアニメ映画では画面の中の一秒間の動きを二四等分に分割し、その一つの動きごとに一コマずつを撮影して完成させるものだ。
 アニメーション映画の歴史はアメリカのウオルト・ディズニーの「白雪姫」(一九三七年)、「ファンタジー」(一九四四年)に始まったものと云えるが、ここでは日本のものに限定したい。日本で最初のカラー・アニメは「白蛇伝」(昭和三三年)で、海外でもいくつかの賞を獲るなどめざましい成果を収めた。以来日本の長編動画(アニメ)は日進月歩を重ね、今や世界の最高水準に達したと言っても過言ではない。フィルムの一コマ一コマを画によって創り上げていくアニメは手づくりの映画であり、全てが作家自身の個性に基く創造性の高い作品が多い。劇映画ではとても表現出来ない架空性が特徴の一つであろう。
 「戦艦ヤマト」(五四年)のヒットにより日本にもアニメ・ブームが到来したが、才人・宮崎駿が初めて原作・脚本・監督の三役を担当した「風の谷のナウシカ」(五九年)はアニメとしては初めてキネマ旬報ベストテンの七位にランクされるほどになった。この映画では現実に起こっている巨大産業の自然破壊をとらえ、この清算はいずれ将来の人類が償なわなければならない、というメッセージを可憐なナウシカに託している。「となりのトトロ」はキネマ旬報ベストワンをはじめ昭和六三年度の映画賞を総ざらいし、宮崎駿の名を一躍世界的なものにした記念作。昭和二〇年代の美しい田園の風景が描き出されているだけでも貴重であり、楽しい映画である。「天空の城・ラピュタ」(六一年)は子供向きの大冒険活劇で芸術とエンターティメントの素晴らしい結合が見られる。「魔女の宅急便」(平成元年)では魔女でありながら、普通の女の子が経験する思春期の悩みに取りつかれるキキの物語。「火垂るの墓」(六三年)は野坂昭如の小説を高畑勲がアニメ化したもので徹底したリアリズムの描写によって独特の詩情を醸し出した佳作である。兄の清太が焼跡から掘り出したドロップを大事に舐める妹・節子の描写は哀れを誘って感動的である。
 モンキー・パンチ原作の「ルパン三世」も宮崎がアニメ化してシリーズにしているが、「カリオストロの城」(五四年)はセリフがユーモアに溢れ、登場するキャラクターも魅力的な一篇。「紅の豚」(平成四年)のスマートな出来上がりも捨てがたい。このほかのものでは「うしろの正面だーれ」(平成三年)「おもいでぼろぼろ」(三年)「耳をすませば」(七年)などが印象に残っている。「うしろの正面だーれ」は海老名香葉子の原作を有原誠治が演出したもの。日本があの悪夢のような戦争に突入する前夜の、東京下町の市民の日常生活が刻明に描写されていて昭和一桁生まれの人達には共感出来るところが多い。「おもいでぼろぼろ」は若いOLが毎年休暇中に親戚の農家を手伝っている中に、次第に農村生活に惹かれて農家の嫁になることを決意するというもの。監督は高井勲。「耳をすませば」(近藤
喜文)はバイオリン製作を目指す少年と創作の道を進路に決める少女の青春物語。それにしても、比較的近年の諸作、「もののけ姫」(九年)「猫の恩返し」(一四年)「千と千尋の神隠し」(一三年)「ハウルの動く城」(一六年)「崖の上のポニョ」(二〇年)等々、一応水準に達しているのだが、世評の高い割にイマイチの感じがして前述したものに及ばない、という不満が残るのは残念である。


清水先生の講話を聞いて

モジ中央日会老人部 西丸俊子
 七月のモジ例会は清水円了先生の講話を頂きました。例年、年に一回は清水先生をお迎えしており、今年は八回目です。先生がモジに転任になり九年目ですから、ほぼ最初からです。
 先生はお釈迦様の教えについて話してくれました。対桟説法について良い医者は病気に応じて薬を与える。悩みに対してもその悩みに応じて説法をする。
現在は老人問題が大きな課題になっています。昔は子供や若者が万引きをしていました。今は年寄りがしています。それも食べ物を万引きしているそうです。生活に困っている人が増え、生きるためです。昔は人生五十年でしたが、今は長生きしています。命ながらえば苦も増えています。
 ボケ老人、医者にかかる人、誰かの世話にならなければ生活できない人が五百三十万人もいます。自分のことを自分で出きる人は喜ばなければいけません。それなのに愚痴(ぐち)を言う。この世は思うようにはならない。文句が出る。これがこの世です。これで良いのだと感謝する事が大切です。
 鮭は川で生まれ、成長してもとの川へ帰り、卵を生んで死にます。親の世話にはなっていません。人間は両親のおかげで大きくなります。親、社会、先祖、自然の四恩のお陰で生かされています。自分中心の考えは不幸を招きます。人生に喜びを持って生きる感謝の心は相手に伝わります。喜びを相手に伝えると、幸せになります。生きる喜びを感じ、周囲にも伝える。どの先生の教話もよく耳にする言葉ですが、忘れて不足ばかりです。このような教話を頂くと改めて感謝感謝と思い直します。教話の都度、例を挙げ分かりやすく面白く、笑ったり顔を見合わせたり、一時間はあっという間で眠気もなく、皆楽しく笑顔でした。ありがとうございました。来月の例会に会うことを約束しながら楽しき帰路に着きました。


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