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熟年クラブ連合会
     エッセイ  (最終更新日 : 2019/02/15)
2013年10月号

2013年10月号 (2013/10/12) 文通

イタペチ万寿会 檀正子
 私は文通が好きで現在も色々な人と近況を知らせ合っている。その中の一人の友はOGENKIDESUKA?とアルファベットで手紙を長々と書いて、日本より送ってくれる。私は漢字には振り仮名をつけて、なるべくひらがなで返便を出している。
 文通の相手は恩師、友人、そして姉たちである。思えば毎週のように手紙を書いている。そして日記、俳句、書道と毎日ペンを取らない日は無い。
 文字を書くことが、読書が、私は本当に好きらしいとこの頃つくづく思う。
 昨年、小学校の恩師がパソコンの練習のためにと私の出した手紙をパソコンで打って送って下さった。私は手紙を書く際に下書きをせずに思い付くまま手書きなので、出した手紙の控えは一切ないので先生が送って下さった私の手紙を受け取り懐かしい思いで読み返した。今回、老壮の友編集者の方より「何か一筆を」とのお話があり、この手紙を思い付き、送付することにしました。どうぞご笑覧下さい。
   ☆   ☆
川上先生
 二日間降り続いた雨がやっと止み、今日はぐっと一気に涼しくなったようです。一三・五度に下がった今日は、五月一日の労働祭で休日です。今日は雇用人の人たちも休日なので何となくのんびりとして居ります。
 先日はお手紙二通続けて頂き、ありがとうございました。
 懐かしい同級生の写真を眺めたり、熊本城のソメイヨシノの素晴らしい桜、そして懐かしい小学校の卒寿を迎えた桜、また全国二十番目の政令都市となった熊本市等などの写真を手にとってはしみじみと眺めながらペンを走らせて居ります。
 二通目の峠の茶屋の写真、金峰山も忘れ難い遠い想い出を引き出してくれました。あの頃には二度と引き返すことはできませんが、大切な私の人生の思い出として心の引き出しに仕舞ってあります。
 先生のお手紙、送って下さる写真等見ると、その引き出しに仕舞ってある思い出が彷彿(ほうふつ)として浮かび上がってきます。古希に近い年になっていても、私どもにもそんな子供の時代があったのであり、楽しい想い出が一杯あったのでした。
 東山さんの竹山での筍掘り、昼食の梅畑、おにぎりがおいしそうですね。筍もおいしそうです。(ブラジルにもあります。)
 同級生の方々のお手紙も拝見しました。皆さん、一杯機嫌で楽しそうです。私もいつの日か皆さんの中に入らせて頂きますので、同級生の方々にくれぐれもよろしくお伝え下さいませ。
 さて、グーグルアースで撮られたイタペチの写真、湖があり、鳥居がありますのは、三年前に建てられたものです。当時の日系市長だった人が日本移民百周年記念に公園を作り、湖の中に鳥居を建立したものです。モジ・ダス・クルゼス市内にあります。私の家はそこから三十キロメートル位離れた田舎のイタペチという場所にあります。鳥居のある公園は、私の長男の住まいの近くになります。手紙の住所はその息子の所になっていて、毎日通勤してきますので、手紙を届けてくれます。
 十五名の雇用人の方々は、苗を植える人、育苗する人、蘭の花に支柱を立てる人、花を出荷する人、花のついた鉢をトラクターで出荷場に運ぶ人、注文の花をトラックで運ぶ人などで、三人の各々のハウス責任者がいて、蘭の管理をしています。
 月に何回か全員集合し、色々な話し合いをしています。気づいた点、より良くなるための意見など、それぞれ意見を出し合い、賞与もあるようです。これは二人の息子たちがやっていることです。
 瓶の中の寒天に植えられた蘭の苗を一本一本根を水苔に包み、盆に植え込み、それからシンビジュームは三回鉢に植え替え出荷となります。出荷までに二年半から三年かかります。他の蘭はもっと早く出荷できますがシンビジュームが一番手がかかります。暑さに弱い種類は涼しい山に移し上げて、夏の終わりから初冬にかけて下げに行きます。今は冬に入りかけていますので、どんどん山から下げてきています。もう盛んに母の日めがけてシンビジュームの出荷が始まっていて、今年は六万鉢から十万鉢の出荷予定なので大変忙しい日々です。
 私たちは一切ノータッチですので、皆が健康でいるようにと色々な気遣いをするのみです。
 私たちの住むイタペチ村はハウス園芸が盛んで、もう二代目が跡を継いでいて、三十代から五十代の人たちが村の中心で日本人会も経営して村の向上・発展に頑張っています。私はその日本語学校で週一回書道教室を受け持っていて、もう二十年過ぎました。私の後継者がいないので、辞めたくても辞められません。もうしばらくは体の続く限りやりたいと考えています。
 五月二十日(日)は全伯書道コンクール、六月三日(日)は硬筆のコンクール、その他、絵画、作文、お話大会などがありますので、日本語学校は大忙しです。JICA青年ボランティアの女性が学校を手伝っています。
 書道は漢字、カナ、硬筆、細字、この四点を毎月十五日までに清書して、日本の「伝」という会へ送ります。現在、漢字九段、カナ、硬筆、細字は六段です。一つ受験するのに三千円かかるので、受けたくはないのですが、私の先生の手前、受けない訳にはいかず、年二回のところを年一回にしてもらい受けることにしています。
 私の日常は家族の食事作り、趣味の書道、俳句、カラオケなどを日々こなし、主人と家庭菜園作りなどにも励んでいます。九十九歳の主人の母がいて、歩けないので車いす生活で、その世話もあり大変なのですが、ブラジル人女性を一人雇って、主人と三人で面倒を見ています。
 短いようでまた長いような人生。この人生の中には色々な事があるものですが、それを受け入れてプラス志向で生き抜いてゆくしかありませんね。同級生の方々も現在までに亡くなっている人もいるし、また体調のすぐれない人もいることでしょう。川上先生、どうかお体お大切にご長寿をお祈りしています。


兄姉兄

サンパウロ中央老壮会 遠藤タケシ
 七月の日曜の早朝、新潟の姉さんから電話がかかってきた。「タケ、埼玉の兄さんの葬式に行って、今、帰ってきたよ」。「本当? 先月何年かぶりで手紙を出したばかりなのに!三年前、日本へ行って会った時は元気だったのに…」。「タケ、十二人兄弟がたった二人だけになってしまったね。残った者同士、仲良く生きて行こう」。「はい」。
 思えば、終戦後すぐにあった「農地解放」でたくさんあった田畑がほとんど不在地主ということで取られてしまい、残った田畑は三町五反だけになってしまった。その翌年の二月に父(四九)が、六月に母(四八)が病気で亡くなった。すると、親戚が「子供だけでは耕作できないから分割する」と言い出した。
 しかし「埼玉の兄」と「次姉のタズ」の二人が「私たちで出来る。分割なんかしない」と言い張った。それから兄弟が苦労しがんばり、三年目に長兄がシベリアのトムスクから、次兄がモンゴルから長い戦争の捕虜生活を終え、生きて帰ってきた。
 一家の生活を支えるため、懸命に働いた「次姉のタズ」は一生独身で通した。周りの人たちからは「強い女」と言われましたが、私にとっては最良の姉でお母さんでもあった。
 「埼玉の兄」も私を新潟市の私立学校に通わしてくれた。良い兄だった。長兄も私が「ブラジルに行く」と言ったら「なんでブラジルに行くんだ。近くで生活したら家も作ってやるし、面倒も見られるのに…。本当に行くのか? 外国は言葉が一番に必要だからな。俺も朝鮮、シナ、ロシアを知っている。だから日本からの嫁さんなんて言わないで、そこで生活するなら、ブラジルの二世、三世の女性の方が良いと思う。『現地化』することだな」と言った。最後に「船のタラップを半分昇って戻って来ても、悪く思わないからな。分かるな」と言った。
 兄弟のことは、どんなことを思い出しても楽しいものだ。


花の祭典

サンパウロ中央老壮会 纐纈蹟二
 花とイチゴの祭典に娘と孫娘二人で私たち夫婦を連れて行ってくれた。私も家内も足弱であるが、杖をついてゆっくり歩いて花を観賞できるということで朝八時半に出発。途中でもう一人の娘が便乗して五人となった。
 駐車場で降りると車いすも用意していてくれ、家内が乗った。会場は清流と扁額の赤鳥居を通って入った。看板は? 素晴らしい書体で、アチバイア書道会のツヅキさんの書ではないか、と思った。
 眼の悪い家内は車いすでは「充分に近づいて観賞することができない」と言って、降りて二人の娘に支えられるような格好でゆっくりと歩く。空車を押す孫娘が私に「乗れ」と言うので、私が場内を腰かけて回った。
 花の種類の数が多いのに圧倒され、その展示の巧みさに驚きを感じた。菊人形などは日語を解せぬ孫にポ語で説明した。
 ほとんどの客はブラジル人で女性が多い。皆、カメラを構えたりしている。その前をゆっくりと進んで行った。撮ったり撮られたりで、早く回ることはできない。人に酔い、花に酔いしれて進む。所々に大型の噴霧器が供えられて人いきれはしない。
 そして即売コーナーも見て回ったが、割合に安値なのにも一驚した。狭いアパート住まいは飾る場所もないので、買わずに出て食堂コーナーで昼食をとった。病み上がりで一杯飲みたいが、生ビール半リットルとの看板を横目で見て、ガラナを飲んだ。昼食が終われば、用もないので会場外の遊覧施設を見学し、大型の白鳥をかたどった足踏みボートの行き来するのを眺めたりして駐車場に戻り、帰途に着いた。途中、雨だったが、サンパウロは晴れだった。


シネマ放談(22)

サンパウロ名画クラブ 津山恭助
◇太陽族のさばる
 昭和三〇年(下半期)に芥川賞を受賞した石原慎太郎の「太陽の季節」は、退屈な日常生活に失望を感じ既成の倫理に反逆する青年のアンモラルな意識と爆発的なエネルギーを描いたものだが、文壇では賛否両論を巻き起こし、マスコミを通じて社会現象にまで発展し、「太陽族」(大宅壮一の造語)という流行語まで生みだした。海辺で無秩序な行動をとる享楽的な若者たちのことである。若者の不良性と新風俗に敏感な映画界は原作の映画化を競い〝太陽族映画〟のブームが起こり日活が長門裕之、南田洋子の共演、古川卓巳監督で映画化に成功(昭和三一年)。映画はヒットしたが、やはり長門ではパンチに欠け、若者のニューモラルを表現するには力不足と思われた。   
 本作では原作者の実弟・石原裕次郎が主人公の友人の一人としてデビュー、のちにスーパースターとなる片鱗をのぞかせている。そして彼の主演第一作「狂った果実」(三一年、中平康)は湘南のリゾート地帯の富裕な家庭の大学生の兄・夏久(石原裕次郎)と弟・春次(津川雅彦)が一人の女・恵梨(北原三枝)を争う悲劇。純真な弟が憧れた女を兄が奪う。兄と女が乗るヨットを弟は夜を徹してモーターボートで追いかけてヨットに体当たりし二人を死に至らしめる。日本のヌーベル・バーグのはしりとなった新鮮な感覚に溢れた太陽族映画の中では抜き出た佳作。「逆光線」(三一年)は岩橋邦枝の原作。中年男や大学生を相手に奔放な男性遍歴を続ける女子大生・玲子を北原三枝が魅力的に演じているが、作品の質は並み以下。同じく北原がヒロインとなっている「夏の嵐」(三一年、中平康)も女子大生・深井迪子の原作になるもの。女教師・稜子(北原三枝)は姉の婚約者、同僚、従弟などと次々に関係を持ち、自己嫌悪におちいる無軌道な娘に扮し、太陽族スターとしても脚光を浴びる結果となった。
 日活ばかりに独占させたのでは沽券にかかわるとして東宝も「日蝕の夏」(三一年、堀川弘通)を製作、「太陽の季節」と同じく石原慎太郎原作で作者自身が司葉子を相手に主演している。直樹(石原)が杏子(司)という恋人がいながら人妻の節子(高峰三枝子)の色香に迷い、父親の火遊びも母(三宅邦子)の不倫が原因だったというお話。
 大映でも一本作っているのが「処刑の部屋」(三一年、市川崑)である。これも原作は石原慎太郎。銀行支店長代理の気難しい父と始終オドオドしている母、そんな家庭を克己(川口浩)は毛嫌いしている。女子大生・顕子(若尾文子)に目をつけた克己はビールに睡眠薬を混ぜて彼女を睡眠させた後思いを遂げる。二人の交際は克己の縁切り宣言で終止符をうつ。ある日克己はJ大学の学生から先日の乱闘の仕返しだとしてさんざん殴られた後、顕子からもナイフで太ももを刺され呆然とする。
 「完全なる遊戯」(三三年)はやはり石原慎太郎原作で太陽族の終点をなすものと云われた。大木壮二(小林旭)は戸田(梅野泰晴)らブルジョア家庭の息子の大学生仲間と競輪の場外私設車券売り場を利用した金もうけを企む。計画はうまくいくが鉄太郎(葉山良二)から金が全額届かなかったことで仲間は鉄太郎の妹・京子(芦川いづみ)を誘い出して操を奪う。これを知った病気の母が急死、京子も自殺して果てる。鉄太郎はドスで戸田を刺し殺す。
 太陽族映画は僅か二年でブームは終ってしまったのだが、大島渚が昭和三五年に発表した「青春残酷物語」もその流れを汲んでいる佳作。川津祐介と桑野みゆきのコンビが演じた非情で残酷な青春の結末は哀れである。


♪思い出の歌♪

サンパウロ中央老壮会 中西恵美子
 台湾の澎湖(ほうこ)島で生まれ育った私は、女学校は本島の高尾の女学校へ行きました。寄宿舎生活は厳しい舎監さんがいて、いつもピリピリしていました。
 昭和十八、九年頃は物資不足、食糧不足の時節柄、勉強はほとんどせず、毎日のように上級生は軍関係の工場へ勤労奉仕に駆り出され、下級生の私たちは郊外や山へ開墾に行き、芋作りの日々でした。担任の先生を先頭に鍬をかつぎ、一列になり行進です。三百人以上もいたでしょうか。カンカン照りの中、モンペ姿で空き腹をかかえ、先生が一章節を歌うと生徒がそれに続き唱和し、声高らかに軍歌を歌いながら歩いたものです。ですから思い出の歌といえば軍歌ばかり。今、当時の話をしてもうなずき合える友人はどんどんと減っていくばかり。熟連でこんな話ができるのは、とてもうれしい時間となっています。

♪ 麦と兵隊
           作詩 藤田まさと  作曲 大村能章
一 徐州徐州と人馬は進む 徐州居(い)よいか住みよいか
  洒落(しゃれ)た文句に振り返りゃ
  お国訛(なまり)のおけさ節
  髯(ひげ)が微笑(ほほえ)む麦畑
二 戦友(とも)を背にして道なき道を 往けば戦野は夜の雨
  「すまぬすまぬ」を背中に聞けば
  「馬鹿を言うな」とまた進む
  兵の歩みの頼もしさ
三 腕をたたいて遥かな空を 仰ぐ瞳に雲が飛ぶ
  遠く祖国を離れ来て しみじみ知った祖国愛
  戦友(とも)よ来て見よあの雲を
四 眼(まなこ)ひらけば砲煙万里 鉄の火焔(ほのお)の狂う中
  夕陽ゆらゆら身に浴びて 独り平和の色染める
  麦の静けさ逞(たくま)しさ
五 往けど進めど麦また麦の 波の深さよ夜の寒さ
  声を殺して黙々と 影を落として粛々(しゅくしゅく)と
  兵は徐州へ前線へ


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