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熟年クラブ連合会
     エッセイ  (最終更新日 : 2019/02/15)
2013年11月号

2013年11月号 (2013/11/14) ワラビ採り

短歌指導者 藤田朝壽
 九月某日、聖市に住んでいる次女のアパートに三晩泊まって、スザノの我が家に帰ってみると、隣接地のユーカリ山(疎林二・五域)が全焼している。三年間付け火がなかったので、ずいぶんとよく燃えたと見え、山の中は黒い灰と化している。
 私の家では山沿いに道を付けてあり、風が北から南に向かって吹いたと見え、畑の作物にはなんら被害はない。ただ境界線に植えてある台湾孟宗の竹群は根元が全焼し、青々していた竹笹は火熱で枯れてしまっている。
 ユーカリの木も高さ十五メートル以上の木は葉が青いが低いユーカリの木は枯れ葉となってしまっている。ユーカリの根元から二メートルぐらいまで黒焦げになっているので、いかによく燃えたかが一目で分かる。
 このユーカリ山の中には、毎年十月の始めから十一月末頃までワラビが沢山生えるので、この季節になると私はワラビ採りをするのが楽しみの一つになっている。
 家から百五十メートルぐらい歩けばよいので、畑の野菜を採るような気軽さで袋を提げて採りに行く。
 私の家では妻が亡くなってからは、ワラビを食べるのは私一人なので、走りのワラビは灰汁(あく)抜きから味付けまで自分でして食べるのだが、一度に多く食べ過ぎるせいか、二、三度食べると飽きてしまう。
 一世、準二世がワラビを好むのは一つの郷愁だと私は思っている。
 しかし、一世、準二世でも大都市出身の方はワラビの灰汁抜きを知らず、ワラビに郷愁は感じないようだ。
 ユーカリ山に火の入らない年のワラビ採りは容易でない。というのは、稀(まれ)にではあるが、毒蛇と一尺(しゃく)足らずの子蛇を見かけることがあるので、長い柄をすげた大鎌で藪(やぶ)をなぎ払い、または叩きながら生えているワラビを採るのだ。ワラビ採りをしていて蛇に噛まれでもしたら、息子に「親父は家で誰も食べないワラビなんか採っていて、自業自得だ」と叱られるのが落ちである。用心するに越した事はない。
 藪の中に生えているワラビは太くて丈も高く折るとポキリと音がして手ごたえがある。三十本も採ると一握りになり、一級品のワラビである。採ったワラビは聖市の月例歌会(第一日曜日)に持って行き、皆に分配するのだが、大勢なので沢山持って行ったつもりでも、分けると一人に一握りしかない。
 十五年前の事である。水本すみ子さんが「藤田さん、私は独り暮しだからホンの一握りでよいからワラビを下さい。キタンダへ行けばあるけれど、採ってから日が経ち過ぎていて固いの」と言われる。それからは毎年、ワラビを持って行って水本さんに喜ばれた。
 考えてみると、水本さんは道産子(どさんこ)であったから、ワラビが好きなのは当然である。
 福島県出身の八巻培夫夫妻もワラビ好きであった。私が持って行ったワラビの歌を作り、ニッケイ新聞の文芸欄に一連の歌を載せた事がある。よほど嬉しかったと見える。ここに歌を記すと良いのだけれど、一首も思い出せなくて残念だ。
 水本さんも八巻夫妻もこの世を去って久しい。
 井本司津子さんも大のワラビ好きである。私が持って行くと相好(そうごう)をくずして喜ばれる。「藤田さん、私もね、田舎に住んでいた頃はワラビが生えるとよく採りに行ったものです。食べるよりも採るのが楽しみでねぇ」。まさにその通りである。ワラビ採りの楽しさは採った人でなければ分からないと思う。
 魚釣りに醍醐味(だいごみ)があるようにワラビ採りにも醍醐味がある。一本一本と見つけて採っていく中に、七、八本揃ってひと所に生えているワラビをポキポキ折って採る楽しさは何とも言えない。
 長野県出身の新井知里さんと小池みさ子さんも成人されてからの渡伯者なので、ワラビに目がない。みすずかる信濃の国は山野が多いので、ワラビの季節には毎日のようにワラビを食べられたことと思う。
 それはそうと、日本では大昔からワラビは食べたに違いないが、万葉の歌にも古今集にもワラビを食べた歌は一つもない。

石激(いわばし)る垂水(たるみ)の上のさ蕨の萌え出づる春となりにけるかも 【志貴皇子】

 右の万葉の歌を斉藤茂吉は、万葉集中の傑作の一つだと歌評しているが、私はワラビの生える春が来て、垂水の上にいち早くワラビが生えたので、野にワラビが出るのも間近い。走りのワラビをそのうち食べることが出来る、と皇子は喜んでおられるのだとここでは受け止めたい。
 中国では殷(いん)末、周(しゅう)初(紀元前七七〇年)の頃、節義を重んじ、信念に生きた伯夷・叔斉兄弟は首陽山に隠れ棲(す)み、周の粟(あわ)を食まずとワラビのみ食べ、最後に餓死したことが戦後の高等学校の漢文の教科書に載っていた。塩味だけのワラビを食べたのであろう。何とも哀れな話である。
 今年は山に火が入ったので、ワラビ採りは楽だ。山火事の後、雨も降ったので、ワラビのできるのも間近い。十一月の歌会にはどっさり持って行くことにしよう。「ねぇ、藤田さん。うちの人ワラビが大好物なのよ」とやさしい声で言われたら、持って行かざるを得ないではないか。


入れ歯が弛む

インダイアツーバ親和会 早川正満
 六十代前半頃まではうまい具合にかみ合わないと入れ歯のせいにしていたように若者が年寄りに対する態度の欠点を若者の方にあると思ったり、万事、年寄りの取り巻くかんきょうの悪さは外に原因があると思っていたが…。
 老体になり、ゆるりと物事を見渡すようになると、入れ歯の形は変っておらず、我が身、つまり歯ぐきが弛んでいるのだと気づき、若者に対しても時代の移り変わりで、それも異国でブラジルの環境で育った若者の実体を知らず、我が身の(考え方)方が変化すべきと知る。
 でも、年寄りに変化を求めるのは「ちょっと…」と思う人が居るかもしれないが、人生をかみ締めて生きてきた老人なら、その時々の変化の抜け道探しなど、若い時より十分可能なはず。これが出来て、人生の熟年と胸を晴れるのではないでしょうか。
 これからいう一世とは、青少年で来た戦後移住者を指しています。戦前移住者はまだ家族制度の香りの中での生活と、言葉ともどもにブラジル人の内での生活に不自由がないので、除外します。戦後移住者で一世の夫婦で七十歳を過ぎ、ずっと核家族を謳歌(おうか)して来て、その生活態度の後姿を見せて子供を育ててきた人たちが、自分たちが元気なうちは自慢の子供でも、夫婦共いや一方が弱体になり、子供の手を借りる段階になって思うようにならない子供の態度に、親の心を知らぬ子供たちだと苦悩する人々の話を聞いたり、また、近くで見たりすることが出始めた今日この頃です。
 日本国内と違って、異国、それも現在のブラジルでの日系老人夫婦、一世の孤老住まいは身の危険です。
 言葉にしても、生活に不便のなかった人でも、病気になった時ほど子供の手が欲しくなるのが当然なのです。その時のために子や身内に近づいておく方法を探しておくべきです。親や義父母を介護したり、看てくれた兄妹に感謝の念の後姿を見せて育てた子供は、捨て置かないから心配ないとは思いますが…。
 「捨て佛」って知っていますか?それも戦後移民の墓に多く見られる現象なんです。あなたが「墓はもう買ってあるから」と言われても、あなたが入った墓の墓守をしてくれる子供か知人がいますか。いや、あなたが親や義父母の葬式の後、お墓参りしたことがありますか。
 実はこの話は先の話と関連しているのです。両親亡き後、子供、兄妹の絆が良好でないと、其の子供たちの従兄弟(いとこ)関係が疎遠になってしまいます。子供が間に合わない時、伯父、甥の絆を前もって良好にしておかなくては、移住者としての跡形をどうして語り続けられましょうか。我が町のセミテイロ(墓)でも立派な石碑が煤煙(ばいえん)に覆われ、縁者(えんじゃ)はこの町を去り、捨て佛になる墓が目に付くようになっています。
 ブラジル人は十一月二日のお盆だけでなく、母の日、父の日、はては恋人の日まで連れ立って墓参りをします。二百年、三百年後の移民の歴史はその心の絆で保たれているのではないでしょうか。

念仏と十字架があって移民暮れ


しあわせ

サンパウロ清談会 HERIO KOMA
 先日文章同好会の皆さんが書かれた「ブラジル」という題の文章を読んでみて、「おや」と気づかされた事があります。それは「大好き」という方を含めて、大部分の方が「ブラジルは良い所だ」と好感を持って取り上げて居られた事です。
 昔、移住が再開されたころに日本から来た人たちは、ブラジルは文化程度が低いとか、電話がかからない、店員の接客態度が悪い、など大体欠点を指摘していました。ですから、皆さんのこの文章を読んで、「おや」という感じを受け、同時に「時代と共に評価も変わるわけだ」と思ったのです。多分、この様な文章を書かれた人たちの環境も良くなり今はこの国の生活に満足している、幸せなんだな、とも思いました。
 そんなことがあって或る日、新聞を見ていたら、世界各国の幸福度ランキングが発表されていました。それによると何と、ブラジルは世界の幸福国の上位に入り、全百五十六カ国中の二十四位、四十三位の日本を大きく引き離す”幸福国“にランクされていました。「へー、本当ですか?ブラジルはそんなに良い所なんですか? こちらにゃさっぱりお金は回ってこないし、強盗殺人も多いがな、それ勘定に入れてるの?」と思い、一寸両国の一人当たり国内総生産額-GDP-を調べて見ました。すると一人当たりの「金持ち度」は日本は十七位で、五十四位のブラジルを倍近く離した所得です。日本人は金持ちのようだけど、実は幸せ度は低い、という形です。単純には言えませんが、「金持だから幸せだ、とは言えない」との昔の人の言葉を裏付けするような数字ですね。
 物の豊かさだけで心の豊かさを測れないのではないか、と言う点については、こんな体験談も聞きました。その人は、先日知り合いのレデイに自宅へお招きを頂きました。室内は綺麗に飾られていて優雅な雰囲気を湛えています。「前はここに平凡な形の鏡がついてたんだけど、この大きなのに変えたの。ここにはドアがあったんだけど、何かせせこましい感じだから取って壁にしました」とか普通の内装の部屋を高級な仕上げにして、且つ自分の好みに合わして、居心地よく改装していることが感じられました。
 話を聞いてみると、子供はそれぞれ独立していて往来が少なくなった。自分は年金などの収入があるから普通に暮らしていく分には不自由は無い。唯一の心配は病気のことだが、これは保険がカヴァーしてくれるから何とか解決できると思っている、とのことでした。若いころから真面目にわき目も振らずに働いてきた成果がこの様に安定した老後に結実して来ているのが理解されました。
 という訳で、現状に特に不満はないんだけど、たった一つ足りないものがあるの。それは物でなくて心なんです。朝起きて雨が降り出したのを見て“あら、雨だわ”と言ってもどこからも“そうだね、寒くなるのかな”と反応してくる声が無いの。夜など部屋の中で一人になると、胸の中をすきま風が吹くようで淋しい。気を紛らわそうとTVをつけてみると、ブラジル人の美男と美女が気ままに振舞い、楽しそうに抱きあったりしている。私もそんな風にしてみたい、けど独り。どこかにこのすき間を埋めてくれるパートナーはいないものかしら?」
 話は更につづきます。「私は今まで、より良い生活を築こうとして、一生懸命働いて来ました。彼のために、また子供達の為にと、自分の身を犠牲にしてでも尽くして来ました。でも今、私の周りには誰もいない。みんなそれぞれ自分たちの家庭を育むのに多忙なのです」
 「これからは私も人の為にではなく、自分自身の為の人生を生きていきたい。メトロのパスも貰える様になったけど、あなたの人生も「終着点」が見えて来ました、と言われたような気にもなります。残り僅かなこの人生を楽しく、エンジョイしたい。そして、いつか天国行きのパスを受け取る時は“ああ、充実した人生を生きた。幸せな楽しい生涯だった”と思えるようにしたいのです。


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