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熟年クラブ連合会
     エッセイ  (最終更新日 : 2019/02/15)
2014年1月号

2014年1月号 (2014/01/11) 新年の御挨拶

老ク連会長 五十嵐司
 新年明けましておめでとうございます。
 加盟クラブの会員の皆様、お元日にはご家族お揃いで新年を迎えられ、また、それぞれのクラブでも賑やかに新年会が催されてご健勝を祝わられたことと存じます。
 当連合会も昨年度は皆さまのご理解と力強いご協力によって、すべての予定事業と特別企画も無事実行することが出来まして、有難い事と感謝申し上げております。
 さて、昨年連合会は長年呼びなれた「老ク連」の名称を思い切って改めました。それは会勢の衰退につながる後続移民の途絶、日系社会の日本語人口の激減、それに老人意識の変化という三つの要因による会員数減少への対策であり、会のイメージ若返りを図るもので邦字新聞によるキャンペーンも行い、幾らかの効果も出始めています。そこで年も改まった二〇一四年には、今度は会員の皆さんにも大いに年齢意識などを更新して頂き、それぞれの夢と希望の達成に向けて三つの挑戦をして頂きたい、と思っています。
(1)八賭け年令。医学の進歩、特に栄養知識の普及、豊富な食品の摂取で私たちの肉体的な機能は飛躍的に向上しています。昔、「沢庵ぱりぱり、白米でお茶漬けさらさら」の時代では「人生五十年」、「還暦六十年で家督をせがれに譲り、隠居」、「七十歳、古来希なり」という短い寿命と体力・知力でしたが今はそうではありません。そんな年齢はまだ若者のように元気一杯です。そこで提唱するのは8掛け計算です。七〇歳なら×〇・八=五十六歳、八〇×〇・八=六十四歳、九〇×〇・八=七十二歳が実際の年令と思い、自信を持って行動して下さい。
(2)「六十の手習い(年寄りが勉強しても、ものになるかな、という意味もあり)」大いに結構です。手足を動かし、頭を使えばボケなど追いついてきません。体操・舞踊・語学、盆栽作りや創作活動、それに先を読む訓練になる碁・将棋・マージャンもよい、それと孫たちに負けないように、さっさとパソコンを覚え、駆使して新聞より早い最新のニュ-スを見たり、文学に親しみ、或いはクラブ仲間とのメール交信も楽しんで下さい。
(3)「年寄りの冷や水(老人は胃腸が弱いから生水は飲むな、転じて若者の真似をして冒険をするな、という江戸時代のことわざ)」これも大いに結構。用心は勿論必要ですが、希望を持って新しいことに挑戦するのは精神の老化を防ぐ予防薬です。それにその水ですが、最近は医師も一日二リットル水を飲め、と言っています。特に胃腸の弱い人は別としてアグア・ミネラルなどを飲んで、痛風で脚が痛くなる尿酸などを始め、老化を進めるもろもろの老廃物を汗や尿にして体の外に追い出してください。食べ物もビタミンの豊富な新鮮な野菜、植物油などは勿論ですが、不飽和の脂肪を含む青色の魚や魚介類、それに頭脳への栄養補給に必須アミノ酸を含んでいる獣肉類も一日七十グラム以上、高血圧など循環系に問題のある方は注意が必要ですが、体内の代謝に役立つ大事なホルモンの原料である良質のコレステロールも若さの維持に必要です。八十から九十歳で元気な人の血中コレステロール値は上限前後といわれています。
 さあ、今年からみんな揃って元気な熟年、生涯現役です。


年頭所感

(在日本)全国老人クラブ連合会会長 斎藤十朗
 新年あけましておめでとうございます。
 ブラジル日系熟年クラブ連合会の皆さまには、健やかに新年を迎えられたこととお慶びもうしあげます。
 昨年は、二〇一六年に貴国で開催されるオリンピックの次の大会を決める年でしたが、日本国民の念願が叶い、二〇二〇年の東京開催が正式に決定し、明るい話題になりました。
 また今年は貴国において、サッカーワールドカップが開催され、日本の選手たちが参加できることを大変嬉しく思っています。
 さて貴会はブラジル日系老人クラブ連合会から「熟年クラブ」と名称を改め、「熟年拡充キャンペーン」を展開されております。これまでの日系老連の互助・親睦の集まりから、年齢にこだわらず日本文化を愛し、日本の言葉や文化を継承していくことを念頭に、仲間づくりや活動の輪を広げる取り組みを始めておられます。
 こうした取り組みが地元サンパウロ新聞やニッケイ新聞などに紹介されましたことは、これまでブラジルにおける日系社会の結びつきに、貴会が果たしてこられた役割が大きかったことの証であろうと存じます。
 今年は新しい名称のもとで、新しい組織づくりをすすめ、新しい仲間を加えて日本文化を広く次の世代に広めていくという、大きな目標に向かって邁進する大事な年でもあろうと思います。着実に成果があがることをご期待申し上げます。
 最近、日本においては、高齢者を狙った悪質な詐欺被害が社会問題となり、被害防止に向けて官民が一体となって取り組みがすすめられています。国や関係団体からもこうした問題に対して地域を基盤とする老人クラブに対して大きな期待が寄せられ、これに応える取り組みが課題となっております。
 かつての日本は、豊かとは言えない暮らしの中で、人々が肩を寄せ合い、励まし、助け合う社会が日本の誇るべき姿でありました。
 わたしたち高齢者が住み慣れた地域のなかで安心して暮らすためには、年金・医療・介護の公的な制度のみならず、地域の人々の絆を深め、一人の不幸も見逃さないといった住民同士の助け合いの仕組みを再構築する必要があると考えています。
 わが国は社会保障制度の充実によって、世界に冠たる長者国を実現しました。
 この社会保障制度を持続可能になるよう、高齢者も支えられるだけでなく、元気高齢者は知恵を出し、能力に応じて支える側としても貢献できるようにしたいと考えております。
 ブラジルの皆様とは、今後も交流を深め、高齢者の活力を発揮する場を増やし、社会の一員として、自身と誇りをもって自立した生活を送れるよう、その環境づくりをめざしたいと思います。
 年頭にあたり、貴会の一層の発展と会員の皆様のご健康とご活躍を祈念いたしまして新年のご挨拶といたします。


新年のご挨拶

在サンパウロ日本国総領事 福嶌教輝
 新年明けましておめでとうございます。
 貴会は昨年、ブラジル日系老人クラブ連合会から、ブラジル日系熟年クラブ連合会へと名称が変わり、新たな一歩を踏み出されました。私が貴会を訪問し、また芸能祭に参加させて頂いたとき、皆さんが精力的に素晴らしい活動をなさるお姿に感動を覚えました。
 また、連合会の建物に一歩入った瞬間から、まさに日本に戻ったような暖かさと親しみを感じ、会員の皆様にとって、とても大切な空間であることを痛感致しました。
 先般、公館長表彰させて頂いた五十嵐会長をはじめ、役員並びに関係者の皆様方のこれまでのご尽力、ご貢献に対し、心から敬意を表する次第であります。
 私は、当館管轄であるサンパウロ州、マット・グロッソ州、及びマット・グロッソ・ド・スール州の各移住地等を出来る限り訪問し、多くの方々とお会いし理解を深めるよう心がけてまいりました。訪問させて頂いた各地では、やはり熟年の方々が、文化活動、及びスポーツにと頑張っておられ、また、これからを担う人材育成にも尽力されておられるお姿を拝見し、ブラジルにおける日系社会の歴史と伝統の素晴らしさに深く感銘を受けた次第です。
 二〇一四年は、サッカー・ワールドカップ開催を契機に、この広大な国土と豊かな資源を有するブラジル国にとってさらなる大きな飛躍が期待されています。また、日本も二〇二〇年の東京オリンピック開催という夢をもって、すばらしい経済回復をみせており、この両国の関係が経済分野はもちろん、政治、文化、スポーツ、教育など全ての分野において益々発展することが期待されています。
 この様な両国関係の一層の強化にとって、皆様の長年培われた知恵、経験を活かし、日本の素晴らしい文化を後世の若者やブラジル人に広く伝え日伯両国の絆をさらに深めていただき、日伯両国の親善交流がさらに深化するよう願っております。
 結びに、貴連合会のご発展とともに、皆様お一人おひとりの益々のご健勝とご多幸を心よりお祈り申し上げ、私の新年の挨拶とさせていただきます。


新年のご挨拶

国際協力機構(JICA)ブラジル事務所所長 室澤智史
 新年明けましておめでとうございます。
皆様におかれましてはつつがなく新しい年をお迎えのこととお慶び申し上げます。また、旧年中は弊機構(JICA)の事業に対して格別のご支援を賜り、厚く御礼申し上げます。
 さて、ご承知の通り、日本は世界に未だ類を見ない超高齢化社会に突入しつつあり、その中で「認知症」が大きな社会問題となっています。政府広報オンラインでは「認知症」を次のように解説しています。
 我が国では高齢化の進展とともに、認知症の人数も増加しています。六十五歳以上の高齢者では平成二十二年度の時点で、七人に一人程度とされています。
 認知症の大部分を占めるアルツハイマー型や脳血管性認知症は、生活習慣病(高血圧、糖尿病、高脂血症など)との関連があるとされています。例えば、野菜・果物・魚介類の豊富な食事を心掛けたり、定期的な運動習慣を身に付けたりと、普段からの生活管理が認知症の予防につながることが分かってきました。また、症状が軽い段階のうちに認知症であることに気づき、適切な治療が受けられれば、薬で認知症の進行を遅らせたり、場合によっては症状を改善したりすることもできます。早期発見と早期治療によって、高い治療効果が期待できるのです。
 ひとことで言えば、予防と早期発見・早期治療で「認知症」になりにくく、たとえ認知症になっても症状の改善を図ることができるのです。
 ブラジル社会は高齢化が既に始まり、そのスピードは先進国よりも早く、豊かになる前に高齢化社会が訪れると言われています。したがって、早晩「認知症」対策もブラジルが取り組む大きな課題となるでしょう。
 JICAでは、ブラジル日系社会の高齢者福祉分野のご支援を行なっていますが、認知症を含む高齢化に伴うさまざまな疾病に対する予防という観点も大切にしております。具体的には、栄養士やレクリエーションの職種でボランティアを派遣し、お年寄りが生き生きと楽しく暮らせ、病気になりにくい健康な身体を維持していただくよう精力的に活動しています。また、同時に日系研修制度を通じて日系二世、三世の高齢者福祉事業従事者の育成を図り、帰国後は予防的な観点からも高齢者対策に取り組んでもらっています。
 このようにJICAでは今後ともボランティアの派遣や日系研修員の受入を通じて、ブラジル日系社会の高齢者問題へのご支援を継続する所存です。また、併せてそれらがブラジル社会の高齢化対策に大きく貢献することを切に願っております。
 最後となりましたが、この新しい年が貴団体及び会員の皆様にとってより良き年になるよう心より祈念いたしまして、私からの年頭の挨拶とさせていただきます。本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。


新年のご挨拶

ブラジル日本文化福祉協会会長 木多喜八郎
 「ブラジル老荘の友」愛読者の皆様、あけましておめでとうございます。
 旧年中はブラジル日本文化福祉協会に対し温かいご理解・ご協力を頂きまして誠にありがとうございました。ブラジル日本文化福祉協会理事会はじめ関係者一同、新たな気持ちで皆様のご期待に沿うよう邁進してゆく所存でございます。本年も引続き一層のご支援をお願い申上げます。
 ブラジル日本文化福祉協会は多くの皆様の参加を仰ぎ、文化交流を基盤とした日伯両国の親善・友好関係の強化促進に向けて、更なる日系社会の発展と向上を目指し、今年の干支、午年(うしどし)にありますように、変動の多い年でありましょうが、努力が報われるよう一歩づつ踏みしめる所存でございます。
 ブラジル日本移民は今年で一〇六周年を迎えました。現在では目覚しい情報化グロバル化時代の中で、世界は多極化時代へと進んでおり、ブラジルも今では、ロシア、インド、中国と並んで世界の注目を集めておりますが、今後、世界の需要に供給しなければならないものとしては、水と食料が上げられるのではないかと言われています。その中で生きる私共日系社会も、どのような形で新しい時代に貢献できるのかということが今後の大きな課題であります。
 しかし、深刻な食糧供給増大の問題に加え、農村の人口減少が加速し、今後十年を待たないでブラジル総人口のわずか10%のみが農村にとどまるとの予測に見舞われています。
 このことは、持続的農業技術の確立とその規模に見合ったインフラ整備、農機具等の改良を早急に行う必要性を物語っていて、日本にはそれらに応える技術と機械などノウハウが揃っていると言われております。そのような現実から、日本とブラジルの農業・食料に関してのパートナーシップの実現が今後ますます不可欠となってくるものと思われます。
 更に、日伯両国の農業・食料関連パートナーシップが築かれることにより、日本とブラジルの事情に精通し、農業に詳しい日系人の活躍の場も拡大することになり、ブラジルの日系社会の活性化に繋がり、日系人に意欲をもたらし、更なる友好関係の絆が結ばれるものと思います。
 特に、昨年は両国関係には目を見張るものがありました。茂木経済大臣、新藤総務大臣、岸田外務大臣の三人の安倍内閣閣僚の当国訪問、竹中元総務大臣の講演、その他数名の県知事、県会議長、議員の訪問もあり、日本とブラジルの緊密化を照明するものです。
 ブラジルはワールドカップ開催にちなみ、日本からも観光、視察も兼ねて御来伯される方々が多いと思われますので、新しい日伯交流を構築するにあたり、一層の連携が必要となっていくことは言うまでもありません。そのためにも、若人の交流事業を継続し、親善友好関係にも努力し相互の信頼関係が強固となるよう参画してまいる所存でございます。
 末筆となりましたが、「ブラジル老荘の友」愛読者の皆様のご健勝と、ブラジル日系熟年クラブ連合会の更なるご発展を衷心よりお祈り申上げ年頭の挨拶と致します。


新年のご挨拶

サンパウロ日伯援護協会会長 菊地義治
 ブラジル日系熟年クラブ連合会(熟連)会員の皆様、並びに役員の皆様、新年明けましておめでとうございます。
 二〇一四年(午年・うまどし)の新春を迎えるにあたり、サンパウロ日伯援護協会(援協)を代表して一言、新年のご挨拶を申し上げます。
 旧年中は援協の社会福祉・医療事業に対し、温かい御支援、御協力を賜り、篤く御礼申し上げます。
 さて、昨年は援協にとって大切な節目の年でありました。社会福祉法人認可更新の条件を整えるために建設したサンミゲルアルカンジョ病院(一〇〇%SUS病院)が九月から診療を開始、また、同時期にサンミゲルアルカンジョ市の強い要請を受けて市の救急診療所での救急診療業務も開始いたしました。
 同じく、認可更新の条件を整えるために計画しておりますグアルーリョス病院(SUS一〇〇%高齢者専用、中・長期療養型病院)の建設に就きましてはサンミゲルアルカンジョ病院の経営の推移をしっかりと検証しながら、慎重に建設工事開始の時期を判断したいと考えております。
 また昨年七月には会員に対する医療面での一律の特典を廃止いたしました。これはブラジル政府の社会福祉法人に対する法的規制の強化に対応したもので援協としましても、悩みに悩んだ末の苦渋の決断でありました。但し、高齢の経済的困窮者や社会的弱者の方々に対しては、今までもそうでありましたが、今後も引き続き、救済援護の手を差し伸べてまいります。どうか会員の皆様のご理解をお願いしたいと思います。 
 そして、社会福祉法人認可更新の環境づくりの一環として、福祉介護事業所の事業登録形態の変更も喫緊の課題であり、昨年末から粛々と進めております。これに就きましても皆様のご理解をお願い致します。
 一方、今年は自閉症児療育事業の拡大等、日系社会のみならず、ブラジル社会が必要としている重要なプロジェクトを積極果敢に推進してまいります。
 さて、熟連様の活動は会報紙「老壮の友」の刊行、健康体操、カラオケ、舞踊、コーラス、マージャン、民謡、練功、カラオケダンス、絵画、ポルトガル語、書道、百人一首、俳句、川柳、健康表現体操等々、広範多岐に亘って活発にいろいろな素晴らしい活動をされております。
 ブラジルは年々歳々、高齢化が進んでおります。そのブラジル社会の中で日系社会がいかに融和、融合しながら、発展していくのか。その意味でも熟連様が果たす役割はこれから益々、重要になっていくことと思います。微力ながら、援協も熟連様のご協力を得ながら日系社会発展のために努力をしてまいりたいと考えております。
 最後になりましたが関係者の皆様のご多幸と熟連様が益々その活動範囲を拡大し、その存在感を高め、日系社会高齢者の交流・社交の場、憩いの場として大きく発展していくことを祈念致しまして二〇一四年の年頭のご挨拶とさせていただきます。


年頭に寄せて

ブラジル日本都道府県人会連合会会長 園田昭憲
 一年の計は元旦にありと申しますが、ブラジル日系熟年クラブ連合会が新年号機関紙「老壮の友」を発刊されるにあたり、ブラジル日本都道府県人会連合会を代表いたしまして、皆様へのメッセージを申し上げます。
 昨年は戦後移住六十周年、そして多くの県人会が記念式典を行い、日本から多くの方々が来伯されました。
 今年はサッカーのワールドカップがブラジル各地で開かれ、世界の国々から多くの人たちが押しかけてくるでしょう。またワールドカップ開催中に、県連の主催するフェスティバル・ド・ジャポンもあります。日本からの人も会場に来られることを期待しています。
 二〇一六年にはリオデジャネイロで開かれるオリンピックとブラジルが世界中から注目されています。そこでこの地に住む我々日本人、日系人に何ができるかを考え、日本だけでなく世界の人々と交流の輪を広げたいものです。
 ブラジル日系熟年クラブ連合会も昨年でしたか、日本語での名称を老人クラブから熟年クラブに変え、ますます元気が出て来るようです。
 会は一九七五年、ブラジル在住の日系在宅高齢者の老後生活の充実を目的に結成されました。この中で会員相互の親睦と相互扶助、生きがい増進のための文化・体育活動、福祉活動やその他の行事に参加しておられることは、いつも老人クラブ大会、カラオケ大会、芸能祭、ゲートボール大会など見させていただいて、心強く感じております。
 連合会会員は一世だけではないでしょうが、一世から二世、そして三世、四世へと活動がこれからも末永くブラジル日系老人の心の支えになることは間違いありません。この組織がブラジル全土に広がり、名実ともにブラジルの日系熟年クラブになることは間違いありません。
 終わりにブラジル日系熟年クラブ連合会が、今年もますます発展され、皆様方の心豊かな生活と明るく活気ある社会作りに貢献されることを祈念いたします。


十六年ぶりの日本人横綱の誕生を期待する

(在日本)百歳万歳 月刊「ギャバン」編集長 米田正基
 ブラジルでご活躍の皆様、あけましておめでとうございます。
 西暦二〇一四年の年ですが、日本の元号で言えば平成二六年となります。私は今年で六六歳、いわゆる日本の戦後の民主教育の先駆けのような時代に生を受けました。昭和二二年から二四年に生まれた者は、後に「団塊の世代」と呼ばれ、私などその真ん中の二三年生まれです。
 確かに一学年が二三〇万人前後いましたから、人間集団としては大きな塊でした。ですが、そうした言葉でくくられるのは、いささか違和感があります。名付けたのは評論家で小説家の堺屋太一さん。昭和五一年(一九七六)に出版された小説『団塊の世代』が話題を呼び、新しもの好きのマスコミが囃し立てて、いつの間にか定着してしまったのです。
 閑話休題。
 そんな話ではなく、書きたかったのは「日本人横綱誕生なるか」でした。ブラジルのワールドカップ、オリンピックについてはあちこちで書かれ、話題になっているでしょうから、私があえて書くまでもない。それよりも相撲好きの日本人として、興味と期待を持っているのが、大関稀勢の里の綱取りなるか、なのです。
 日本人横綱は、貴乃花が平成十五年(二〇〇三)に引退以来、誰もいなくなりました。横綱昇進で言うと、三代目若乃花が平成十年(一九九八)に綱取りをしから、すでに昨年で十五年空白のままです。以後四人の横綱が誕生しましたが、ハワイ出身の武蔵丸、モンゴル出身の朝青龍、白鵬、日馬富士でした。外国生まれの方が日本にやって来て相撲取りになり、綱を張るというのは、並大抵のことではなく、尊敬に値する偉業であることは言うまでもありません。
 でもしかし、です。もうそろそろ日本人横綱が生まれてもいいじゃないか、と思うのは私だけじゃないでしょう。
 昭和三十年代、まだテレビが一般家庭に普及していない時代、ラジオが大相撲の熱戦を迫真のアナウンスで伝えてくれました。そのときのスターは栃錦と初代若乃花。いわゆる「栃若時代」です。ことに若乃花は生まれこそ青森ですが、育ちは私の故郷、北海道の室蘭。しかも私の母校、天沢小学校の先輩でした。若乃花が地方巡業で北海道に来たときには、天沢小学校に来て私たち学童の前で相撲の話を壇上でしてくれたものです。
 相撲好きはその時から始まりました。そして今、稀勢の里が横綱になるかもしれないのです。九州場所は白鵬と日馬富士を破り、十三勝二敗で準優勝。相撲協会は期待を込めて初場所での優勝を願っています。もちろん、相撲好き日本人も同じ。稀勢の里は、どういうわけか肝心なときに下位の力士に取りこぼすのですが、そんな悪癖を初場所では克服し、見事に優勝で横綱になってもらいたいものです。ブラジルの相撲ファンの皆さんの熱い声援をお願いするしだいです。


お地蔵さんに愛称を

ブラジル書道愛好会名誉会長書道教室指導者 若松如空
 以前から熟年会の会員の皆さんに呼びかけようと思っているのは、本部の入り口にお立ちになっているお地蔵さんに、親しみやすいお名前を付けさせて頂きたいという願いだ。
 「日本移民百周年記念地蔵菩薩」というお名前は大いに立派でありがたい、良いお名前だが、毎週のようにお参りして、大いに親しくなったのだから、もっと身近な参拝仲間での尊称があってもよいと思っている。私の提案は「ポックリさん」だ。
 最近、私の友人が脳梗塞であっという間に他界した。奥様が気付いて、すぐ病院へ運んだが、すでに言語障害に陥っていて、何の遺言も聞き得なかった。平均年齢八十歳の仲間たちは「いい死に方をしたなぁ」とうらやんだ。
 この年になって、「死を考えない」といえばウソになる。長い間、病床にあって、人に厄介をかけるのは、最悪の老後だとは誰でも知っている。
 しかし、簡単に死なせてはくれない。平均寿命が年毎に長くなって行くのはめでたい事だが、反面、問題もある。
 私は若い時から、自分の人生は八十三歳までと計算し、その歩調で生活してきたが、八十三歳は新年の二月にやってくる。人生設計は完全な失敗で、新たに計画を立て直さざるを得ないという不手際をしでかした。
 この先、何年生きるかと考えると、問題は極めて複雑になる。日本の中学の同窓生の集まりで、『二〇二〇年の東京オリンピックまで生きるぞ』と約束が出来たが、百歳まで生きちゃったらどうするんだ。
 「子供たちが面倒をみるだろう。安心しているよ」と、人は言うが、なるべく子供たちのお荷物にはなりたくないのが親の心境である。
 もうだいぶ前の話だが、日本でポックリ地蔵を探して歩いたことがある。福島県の会津若松の近くに、地蔵ではないがポックリを祈るお寺があると聞いて、喜多方市でラーメンを食べてから、タクシーに案内してもらった。新潟に通ずる道路端だと記憶しているが、寺に着くと、ポックリ死を願う大勢の参拝客と出会った。福島の海岸地区から来たという三十人程の団体で、そちらでも有名だという事だった。
 参道を進んで行くと、道の真ん中にロウソクとお線香を売るところがあって、みんなが財布を開いていた。当然の成り行きで、私も線香を買った。さらに進むとロウソクを立て、香をたく所がある。お寺に到着したところで、弘法大師が立木を刻して作ったという仏像があった。ここで履物をぬいで、階段を三段上がって床に入ると、お金を払わねばならない。そしてさらに前に進むと〝抱きつき柱〟という直径四十センチ位の大きな柱があった。参拝者が列を作ってこの柱を抱き「どうか、ポックリいかして下さい」とお祈りする。
 この柱は皮を剥いできれいに磨いてあって、抱きつくのに最適な太さと長さがあり、子供が父親か母親にすがりつくような感じを起させる優れものであった。
 仏像の前に座って、お経をあげさせてもらうこともできます、ということであったが、私は遠慮することにした。
 弘法大師(すなわち空海)が作った仏像なら、千二百年前のもの。立木で今も生きているという説明には「さて?」と考えた。
 私の書道の雅号である如空は、空海が若い時に使った雅号で、偶然にこれを本で見つけた時、私は小躍りして喜んだ経緯がある。
 四国のお遍路のお寺群は弘法大師が作ったと言われているが、会津で仏像を作ったとは聞いたことがなかった。
 「イワシの頭も信心から」という言葉がある。鰯の頭を棒にさして、戸口に置く習慣は、子供の頃、奇怪に感じたが、祖母が真剣に作っていた。悪が戸の内に入らないようにという願いだと思う。信ずれば通ずるともいう。
 本部の入り口に鰯どころか、石の地蔵様が立っているのである。鰯より信ずるのは易しい。毎回、頭を下げて、お賽銭を入れて、ポックリいくようにお祈りしようではないか。私はそのうち祭日が決められ、お札やお守りが作られるだろうと期待している。


サンパウロ交遊録

JICAシニアボランティア 宇野博
 レクリェーション支援者として、熟年クラブ連合会へ派遣され、サンパウロ生活も早や一年六カ月が経過した。赴任当初は、アパートから連合会本部、又は各加盟クラブ訪問の繰り返しで、周りのことが何も見えなかった。しかし、少しずつ生活に慣れ、熟年クラブ以外の日系社会の成り立ちのようなものも見えはじめ、他の団体やクラブとの交流も出来るようになってきた。
 パークゴルフでは、アチバイア・タンケ地区のクラブに入れていただき、練習会にも何度か参加させていただいている。先日は、会員二十数名とともに、バスで六時間かけ、パラナ州カルロポリスの、びわ湖よりも大きいと言われる湖の畔りにある美しいゴルフコースで、各地域から八チーム二百名程度が出場する大会参加を果たした。私のスコアは兎も角、団体優勝を果たすことが出来、大いに盛り上がった。
 また、イビラプエラ陸上ベテラノクラブでは、全伯ベテラーノ大会、全伯日系人大会の二つの大会に出場するとともに、ミリン大会運営スタッフとしても携わり、陸上競技大会運営ノウハウの一部を習得することも出来た。
 先般は、ポルトアレグレで開催された世界大会にも応援参加し、一五〇〇m走、二〇〇〇m障害走、三〇〇〇m障害走やリレー競技で、私よりも高齢の選手の激走を目のあたりにし、大きな刺激を受けた。我がクラブが誇る、松島巧さんの金メダル四個、銅メダル一個獲得という偉業を、競技そのものは観戦できなかったが、表彰式で見届けることが出来た。更に、陸上部の年忘れピクニックでは、ミリン(若いクラブ員)も含め百名を超える参加者のもと、郊外の芝生で、二人三脚、ドリブル競走、ボール投げやソフトボールを楽しむとともに、私のスリーアイズも楽しんでいただけた。
 残された活動期間は、後六カ月と決して長くはないが、一つでも多くのクラブを訪問し、会員の皆様の健康維持・増進に貢献するとともに、より広くの日系社会との交流も図っていかなければならないと思っている。


今年こそは腹八分

サンパウロ中央老壮会 栗原章子
 母はブラジル生まれの日系二世、父は子供の頃親に連れられて熊本から移民してきた準二世という家庭の次女として、私はこの世に生を受けた。そして、どこの日系人家庭でも見られるような育てられ方をした。
 つまり、子どもの頃は村の日系人が建てた学校用建物で半日はブラジル人教師に習い、お昼にお弁当を食べてからは、同じ教室で今度は日本人の先生に日本語を四時ごろまで毎日教わった。もちろん、一年生から三年生までが同じ教室で学ぶ複式授業である。
 そして親の望みどおり、どちらかというと日本語の方が得意な日系人に育った。しかし、心の中では常に「ここはブラジルなのに、なぜ日本語を大切にしなければいけないのか」いつも疑問に思っていた。
 それでも、子供のためならどんなことでもできる、といった親の強い思いを感じ、その期待に応えなければいけないという、子供心にもけなげな思いで一所懸命がんばった。
 今、六十代になり、両言語をきっちり教えてくれた両親には感謝の思いでいっぱいだ。なぜなら言葉の裏にはその国の文化がある。日伯両語をある程度理解することができる広い視野をもち、一言語しか話せない人間よりもっと深みのある生活ができているように思うからである。
また、読書好きの私にとって、日伯両言語で読書を楽しむことができるという人生の妙味を味わうこともできている。
 日本とブラジルの良い面をいつもニコニコ顔で私たち兄弟に話し、両国をこよなく愛した両親は既に他界して、もうこの世にはいない。
だが、十二 月になると我が家の慣例となっていたクリスマスツリーの飾りつけ、クリスマスイブのプレゼント交換、十二月末の大掃除、大晦日の夜から新年にかけて期待を込めていろいろな迷信を取り入れた賑やかだが、ちょっぴり眠くて、早く皆が帰ってくれることを願いながらのパーティーを思い出す。
 クリスマスはそれぞれの伴侶の家族の家でのパーティーに出席し、大晦日は両親の家で兄弟やその親族が集まり、それぞれ持ち寄ったご馳走を食べながら、夜の十二時過ぎまで起きていて、ワイワイガヤガヤ話に花を咲かせ、年越しそばを食べて散会していた。
 お正月に食べるお雑煮用の餅は十二月三十一日の朝、両親が杵と臼でついていた。前の晩から母がもち米を水につけ、朝早く起きて、それを少しずつ蒸籠で蒸し、父と母二人で三臼くらい搗いていた。その餅は今、リベルダーデで売っている餅なんかより、ずっと美味しく、一年に一度の餅が待ち遠しかったものだ。
 ともかく、そんなこんなで、十二月と一月はブラジルと日本のそれぞれの行事を取り入れて、家族、親類縁者、仕事仲間などと集まってご馳走を食べる機会が多く、つい食べ過ぎてしまい、ことわざ通り「後悔先に立たず」で太ってしまい、体重がもとに戻らず、胃もたれもして、「ああ、あんなに食べるのではなかった」と暫くの間は後悔、後悔の毎日を送ることになるが、そのうち、忘れて、カーニバルの頃にはまたモリモリ食べているのだから、人間ってあまり学習力のない生き物なのであろう。人間全体ではなくて、私だけかもしれないが…。
 現在でも、両親とずっと一緒に住んでいた姉夫婦が大晦日の朝、餅を機械でつき、孫に食べさせている。姉の三人の子も日本食で母に育てられたせいか、ご飯や味噌汁がないと食事をした気がしないようで、日本語はあまり話せないが、食生活は結構日本食っぽいものが多いようだ。毎日食べる食事というものは、いつまでも体に染み付いているのか、日本人のDNAがそうさせるのか、野菜を多く摂り、白いご飯を主食とした食生活は日系コロニアでもまだまだ続きそうだ。
 母の兄、つまり私たち兄弟の伯父は非日系の女性と結婚していて、イタリア系の奥さんは日本食は何も作れないし、作ろうともしなかったようだが、その伯父はよくうちに来ては母に味噌汁や煮物を作ってもらい、「日本人にはやっぱり白いご飯と味噌汁と漬物が一番美味しいねえ」とニコニコ食べながら、子供の私たちに「結婚相手は日系人のほうが絶対いいからね」などと言っていた。
 今年もあっという間に十二月になり、七面鳥や豚の丸焼きや寿司、刺身、お雑煮といった私の好物が思いっきり食べられる季節となったが、今年こそは「腹八分」を心がけよう!と思っている。


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