移民百年祭
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(最終更新日 : 2019/02/15)
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2014年11月号
2014年11月号 (2014/11/14)
つれづれカナダ
サンパウロ中央老壮会 篠崎路子
カナダにも「隣組(となりぐみ)」と呼ばれる日系ボランティア団体があります。「となりぐみ」が日本では既に死語にも等しいこの言葉がカナダではまだ生きています。この組織はカナダに定住したものがしなければならない手続きの相談に乗ったり、高齢化した定住者への病院の付き添いなど、実に親身になってお世話してくださるボランティア団体です。
週に一回の昼食会はボランティアにより美味しい日本食が用意され、利用者はバス、地下鉄を乗り継いで、常連メンバーと会うのも楽しみに来るそうです。
ボランティアは幼児を連れての若い新定住者であったり、英語研修にカナダに来て、そのまま住み着いた人など、比較的若い三十代から四十代かと思われます。カード作りや毛糸編み、アクセサリー等手作り作品を展示、即売するコーナーも設けられ、運営資金の助けにもなっています。
キリスト教会、仏教会、乳がんの女性の集い、乳幼児を持つ若い母親の会等など実に沢山のボランティア団体がありますが、余裕のある人は寄付を、時間のある人はボランティアをするといった具合にお互いに助け合うことが無理なくスムーズに行われ、小さい組織でも大きな働きをしているように見受けられます。
カナダ日系社会にとって要(かなめ)となっているのが日系文化センターです。
市中心から三十キロ位離れた日系人の多く住むバーナビー地区にあります。センター入り口前には池のある日本庭園があり、そこでは時節柄(じせつがら)、つつじ、山吹(やまぶき)、牡丹(ぼたん)などが満開となって訪れる人の目を楽しませてくれます。正面入り口に入ると「ようこそ」と「WELCOME」の大きな垂れ幕が下がり、応接セットが居心地良い空間を作り出してます。
大講堂、大小サロン、柔道、空手、茶道、書道の各教室、日本語学校、料理講習の出来る台所、移民資料、博物館、手作りの作品の展示即売コーナーも設けられています。たまたま「七夕祭り」の盆踊りの練習でカナダ人、子供も加わった浴衣姿(ゆかたすがた)の人の輪が大ホール一杯に手拍子よろしく繰り広げられていました。
同じ敷地内に二階建てのアパート・シニアハウス、一戸建ても用意されています。ホーム入居者はセンター内の食堂で訪問客と共に食事ができるようになっています。「安くて町の日本食レストラン並みのメニューで美味しい」と評判です。そしてシニアハウス入居者で市中心街に通勤、現役で働く人もいるそうです。
さて、カナダ人のコミュニティーはどんな様子でしょうか。娘の家から十分ほど。大通りに面した広い敷地内の一棟(ひとむね)がシニア・コミュニティーです。隣接される体育館、プール、スケートリンク、ボーリング場、保育室、図書館、スナック・コーヒー店等々。戸外にはグランド、テニスコートなどもあり、子供からお年寄りまで一緒に文化・スポーツ面において体験し、実力をつける公共施設です。(つづく)
後悔先に立たず
カンピーナス老人部明治会 樋口四郎
近頃急に暑くなり、無精者(ぶしょうもの)の動作が益々鈍くなって来た。思えば我が身も日系コロニアと比例して高齢化しており、今年は齢(よわい)傘寿の一歩手前と気付いた。
「自分の部屋位は片付けなさいよ」と、耳にタコが出来るほど言われて、十年ぐらいになりますか。ようやく重い腰を上げて片付け始めたのだが、余り捨てる物も無い。
序に一つ一つ読みあさっていたら時間ばかり立って、整理は一向に進まない。また家内に叱られそうである。
ふと「老壮の友」二〇〇八年十一月号(四一八号)が目に止まった。大事にしまっていたのであろう。「はてな?」とめくってみたら「内海博様の随筆 家内の四十九日忌を終えて」であった。じっくり読まして戴いた。誠に情実感極まる。見事に胸を打たれた。
私も三十二歳の一人息子を亡くした経験があるから、多分仕舞っておいたのだろう。何とか色々な物を見あさり、今年までのがらくた物に、たどりついたのは夕闇せまる午後七時頃。いやぁ、嬉しいね。この時間まで辛抱したね。エッ、辛抱したのは私ではない。そう、家(うち)の山の神、家内の事で御座いますよ。
大役果たした優越感で家内に多少自慢したかったのだが、自慢でもしようものなら、大目玉が飛んでくる。クワバラ、クワバラ。それにしてもガラクタ紙屑の貯まる事、大きなビニール袋二つに山盛り一杯。これじゃー足の踏み場が無かったはず。家内に五月蝿(うるさ)く言われても仕方なしか。
さて気晴らしに色々読みあさっていたら、かなり古い新聞まで、何で取っておいたのかと思うほど有るわ、有るわ、である。しかしこれがまた貴重な先輩諸氏の体験談で段ボール箱に逆戻り。やはり移民先輩の体験談苦労話は時として我々後輩には絶対忘れてはならない信条美談ばかり。今は無き先輩諸氏の尊い教訓を我が子孫に伝え置く責任感を痛切に感じた。現在、国立公文書の保存が話題になっているが、我が家でも残しておきたいものは残すべきと。
さて、本日は十月十九日(日)である。家内から「九時、NHKの日曜討論ですよ」と言われた。「な~に、未だ八時じゃ無いか」「何言ってるのよ、今日から夏時間でしょう」「あぁそうだった」「テレビを点けたらやってる、やってる」。毎度の事ながら来年十月の消費増税一〇%徴収(ちょうしゅう)するのしないの、相も変わらず野党は言いたい放題。
これが先進国日本の国会議員なのであるから、我々が何をか言わんやである。先頃、安倍総理大臣ご来伯(八月二日)で、何かコロニアに質疑応答が予定されているものと大いに期待し、大事な時間をさいて、遠路をはるばる三時間もかけてカルサード(道端)に並んで文協に入った。
総理の発言はたったの十五分余り。帰国時間が迫っておりますので、「折角の機会だから希望者は記念写真を写しましょう」と誘われ、貴重な機会だから子孫の為にと重大決意で皆様方と収まり、見事に写った立派な写真を先日無償で戴き感激した。
私は特段皆様に関心をもたれる様な人間では決してないが、日本人同志の処世術には特段関心が強く、今日も今日とて大先輩の田辺豊太郎様より態々お電話を頂き、「清談会の今月の集会には必ず出席して欲しい」と毎月必ずお誘いを頂き努めて出席させて戴いている。議題も豊富で顔触れも皆様御存じの有名人揃い。ブラジル日系熟年クラブ連合会本部二階の一室をお借りして田辺豊太郎氏が主宰、私は毎月楽しみに出席します。
話題はもとより日系コロニアの現状から日本国内の全般、世界の気になる事件まで、それぞれの御意見は立派で有意義な話題は遠来の者には、いささか時間が気がかりになるほど。それでも清々しい気分で帰宅できる。
当地は雨不足。日本は年から年中天候異変大災害。そうかと思えばヒマラヤの超高峰に態々死出の旅。アフリカ連邦のエボラ出血熱病が世界中に広がる勢い戦々恐々である。どうも世界中がおかしい。安倍内閣は何とか日本丸を上手に操ってくれると思っていたら女性活躍推進室を立ち上げた途端、足元から小渕優子経済産業大臣が政治資金運用云々で早々と大臣辞職。女性と言えども遣る事は男女同権、仲良く御同様の様である。
「法と正義の世界を通す」を掲げ、世界弁護士総大会を日本で開催予定の安倍総理。出鼻を女性議員に「くじかれ」この先どうしますか?と友人に話していたら「まさかのまさか」のビッグニュース。松島法務大臣辞任。二人の女性大臣が同日に辞任とは「前代未聞」安倍内閣や如何に切り抜けますか。「一寸先は闇」現段階の世界は「備え有れば悔いなし」。「後悔先に立たず」を肝に銘じて、今一度「平和国家日本」の立場を毅然と全世界にアピールすべき時では有りませんか。
植物随筆
サンパウロ名画友の会・東京農大会 会長 沖真一
大サンパウロ圏は周囲を海外山脈で囲まれており、サンパウロ市民の空気の浄化に役立っている。都市を離れ、山岳に至ると八手のように広い葉を広げた白い木がある。
それが「エンバウーバ」と呼ばれる木である。人によっては「インバウーバ」とも言う。熱帯アメリカの特産の木で、幹や枝に竹のように節と空間がある。枝は八手のように木の先端から斜め上にのびる。普通の木に当たる枝はない。
分布はメキシコからアルゼンチンまである。花は穂状になり、一本の木に数十本つける。雌雄異株で雌株に果実が出来る。七月から九月にかけて熟す。目立つ幅広の白い葉は掌状に九個に分裂する。葉柄はうちわのように下方の裏側につく。
種類は多く一〇〇種を超す。南米に多く、ブラジルに四〇種近くある。西インド諸島では「ヤルマ」と呼ぶ所から日本も「ヤルマ」と称している。クワ科に分類されていたが、最近はヤルマ科cecripiaceaeになっている。
ブラジルでは普通「エンバウーバ」の名で呼ばれている。幹が空洞で建築上役に立たなというツピー語から語源がある。学名は「セクロピア」といわれ、ギリシア語の「幹が空洞で打楽器になる」という語源で、サンパウロに多いセクロピア、パキスタキアは白い木という意味もある。
最近よく訪れるエスピリット・サント州の山岳地帯バルゼン・アルタ郡にあるホテル・ファゼンダ「モンテベルデ」には直径四〇㎝から五〇㎝樹高二〇mにもなる大木が密生している。ファゼンダではこの木を暖炉の燃料として利用している。火力も弱く火持ちもしないが、火力がやさしく身を温めてくれると好評である。
エンバウーバの果実は熟すと軟らかくて、甘味があり、小動物や鳥の餌として好まれる。またナマケモノの大好物であり、ナマケモノは若葉も食べる。海岸山脈では住家としても使うので、「アルボレ・デ・プレギッサ(ナマケモノの木)」の別名もある。
コウモリや小動物によって運ばれた種子は、森林伐採後に育つので、パイオニア植物とも呼ばれる。幹の基部には数本の支柱根ができて倒状も防ぐ。材はやわらかくて比重は〇.四一と軽い。パルプや紙の原料やマッチの軸や軽い家具に使う。葉用としては若葉や葉は気管支炎や咳止め、根は利尿剤として使う。パイオニア植物として、植林の仲間に加えて欲しい木です。
遠い日(6)
サンパウロ鶴亀会 井出香哉
私は友だち運が良くて、この町でもSちゃん、Tちゃんと友だちができた。学校は違ったが、Sちゃんはいつも級長をしていたし、Tちゃんは歌が上手だった。私と彼女でコーラスグループを作り、彼女はソプラノ、私はアルトで「♪アニーローリ」や「♪花」などを歌っていた。私の家の隣がSちゃんの家で、小路を挟んでTちゃんの家がある。Tちゃんの部屋と私の部屋が向かい合わせで、彼女の部屋の灯りが消えないうちは私も寝なかった。
彼女がベートーベンの伝記を読んでいると、負けるものかと私は分かりもしないのにシューベルトの「♪鱒(ます)」の楽譜(がくふ)を書き写したりした。
後に広島へ移るとHさんと放送劇研究会で仲良くなり、話題の豊富な人で、大勢の人を知っていて、彼女のお蔭で色々な分野の知己を得て、勉強になった。
ブラジルへ来てからも、良き友に囲まれている。玖波の町に住んでいる時に終戦を迎えた。この時、郵便局は私の家にまだ電話の交換手を置いていて、娘さんが二人、仕事に来ていた。
ある日、進駐軍のジープが家の前を通りかかると、彼女たちがお愛想のつもりで手を振ったら、兵隊が二人、家の中に入って来て、彼女たちを捕まえた。
向かいの家に京大の学生がいて、夏休みで帰っていたので、その学生に話してもらい、何事もなく彼女たちを放してもらったが、恐しかった。
私の家は本家なので、お正月やお祭り、法事などに分家の人が大勢来た。二つの部屋の間のふすまを取りはらって、客膳を並べた。私の仕事は人参とごぼうの笹がきと山のような里芋の皮むきで、指が真っ黒になった。ごぼうの笹がきは今でもやりたくない。
日本で過ごした十二年のうち、この町で半分以上を暮した。
訪日した時、この町に住む従兄弟(いとこ)を訪ねたら、海は埋め立てられていて、家が立ち並び、昔泳いだ海は汚れていた。昔はどの家も戸は開けっ放しだったのに今は友だちを訪問するのにわざわざ電話をしなければならない。
誰がどうなったかも同じ町にいながら分からない。町は変った。日本は変わった。かくいう私も変ったのだろう。(完)
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