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熟年クラブ連合会
     エッセイ  (最終更新日 : 2019/02/15)
2015年1月号

2015年1月号 (2015/01/16) 新しき年を迎えて

熟連会長 五十嵐司
 明けましておめでとうございます。
 世界の人々が平和の夢を託した二十一世紀も早や十五年になりました。広いブラジル各地の熟年クラブでも新しい年の初めとて、会員の皆さま にはご家族や親しいお友達と集まって屠蘇を祝い、お幸せを祈られたことと存じます。
 新名称にふさわしく更に活力ある連合会に、と願っている熟連も昨年は色々のことがあり“褒賞、訃報など悲喜交々至る”と言 えるような中でも皆さまのご協力ですべての事業を無事済ませ、経営的にもよい評価を頂いており、誠に有りがたく存じております。
 振り返っ てみますと当国では概ね平穏無事な一年でしたが母国日本の方では広島市の土砂災害、長野の御嶽山噴火被害などがあり、老人クラブ員の犠牲者も 出るなど憂慮いたしましたが、今は力強い復旧が進められ、安堵している次第です。
 考えてみますと先年の東日本大震災と言い、昨年の色々な被害にしましても、まったく自然災害の多発する日本ですが、反対にそのような災害が事実上ないような伯国に「この際安全で広々としたこちらに移住したら」という呼びかけに応じる人が今まで現れないということは、現在の日本の生活が色んな意味で大変恵まれている証左と言えるかも知れませ ん。
  さて、この二〇一五年は色々の周年事業の重なる年に当ります。日伯修好条約締結百二十周年、サンパウロ総領事館も開設百周年に当るということで、各方面で記念行事が企画されており、日本政府においてはブラジルの一般人に最近の日本文化を詳しく紹介して知日家・親日家を増やしたい、という考えでサンパウロ市内にジャパンハウスなる文化普及の拠点を建設し、その運営に日系社会の協力を求めています。
 私たち クラブ員は年齢的に社会の第一線を引いている身分ですが、経験は豊富ですので助言などのご協力は出来るものと思います。それと私たちのよ うにブラジル生活が長いものには長年親しんでいるブラジル人・外国人の知人も多く、それらの人々、それに加えて子うや孫たちのブラジル人の嫁、婿などを通じ日本人の心と文化を色々と知ってもらうことも可能と思います。
 そして八月には当連合会も創立四十周年を迎えます。時の流れは一刻も絶えることなく、一分一分が私たちに尊い命を与えて下さった両親ご先祖からの惠であるように、会の活動でも同じことが言えて、節目の年だけではなく常日頃の運営が大切です。とは言っても四十周年記念日には少し立ち止まって会創立以来の諸先輩方のご偉業やご苦労を偲 び、また、私たちに何か至らぬことがあっただろうかと省みたり、記録としての四十周年誌の編纂、来るべき五十周年、百周年に向けて会の保 持発展の方策を立てる機会となれば大変意義のあることと思います。
  終わりに望み、各クラブのご発展と会員の皆さまのお幸せを心からお祈りして年頭のご挨拶といたします。


年頭所感

(在日本)全国老人クラブ連合会会長 斎藤十朗
 新年あけましておめでとうございます。
 ブラジル日系熟年クラブ連合会の皆さまには、健やかに新年を迎えられたこととお慶びもうしあげます。
 昨年は、二〇一六年に貴国で開催されるオリンピックの次の大会を決める年でしたが、日本国民の念願が叶い、二〇二〇年の東京開催が正式に決定し、明るい話題になりました。
 また昨年は貴国において、サッカーワールドカップが開催され、日本の選手たちが参加できたことを大変嬉しく思っています。
 さて、ブラジル日系老人クラブ連合会は、「熟年クラブ」と名称を改め、「熟年拡充キャンペーン」を展開されております。これまでの日系老連の互助・親睦の集まりから、年齢にこだわらず日本文化を継承していくことを念頭に、仲間づくりや活動の輪を広げる取り組みを始めておられます。
 こうした取り組みが地元サンパウロ新聞やニッケイ新聞などに紹介されましたことは、これまでブラジルにおける日系社会の結びつきに、老人クラブが果たしてこられた役割が大きかったことの証であろうと存じます。
 今年は新しい名称のもとで、新しい組織づくりをすすめ、新しい仲間を加えて日本文化を広く次ぎの世代に広めていくという、大きな目標に向かって邁進する大事な年でもあろうと思います。着実に成果があがることをご期待申し上げます。
 最近、日本においては、高齢者を狙った悪質な詐欺被害が社会問題となり、被害防止に向けて官民が一体となって取り組みがすすめられています。国や関係団体からもこうした問題に対して地域を基盤とする老人クラブに対して大きな期待が寄せられ、これに応える取り組みが課題となっております。
 かっての日本は、豊かとは言えない暮らしの中で、人々が肩を寄せ合い、励まし、助け合う社会が日本の誇るべき姿でありました。
 わたしたち高齢者が住み慣れた地域のなかで安心して暮らすためには、年金・医料・介護の公的な制度のみならず、地域の人々の絆を深め、一人の不幸も見逃さないといった住民同士の助け合いの仕組みを再構築する必要があると考えています。
 わが国は社会保障制度の充実によって、世界に冠たる長者国を実現しました。
 この社会保障制度を持続可能になるよう、高齢者も支えられるだけでなく、元気高齢者は知恵を出し、能力に応じて支える側としても貢献できるようにしたいとかんがえています。
 ブラジルの皆様とは、今後も交流を深め、高齢者の活力を発揮する場を増やし、社会の一員として、自身と誇りをもって自立した生活を送れるよう、その環境づくりをめざしたいと思います。
 年頭にあたり、貴会の一層の発展と会員の皆様のご健康とご活躍を祈念いたしまして新年のご挨拶といたします。


新年のご挨拶

在サンパウロ日本国総領事 福嶌教輝
 新年明けましておめでとうございます。
 昨年は年間を通じ、ブラジル国内、また日系社会等で様々なイベントや日伯交流事業が行われ、実りの多い年でありました。
 六月にはサッカーW杯が開催され、総領事館としては邦人保護を最優先しつつ、様々な両国関係強化の交流事業も実施しました。日本代表チームは、あと一歩の結果でしたが、ブラジルW杯日本人訪問者サンパウロ支援委員会が設立され、皆様のお陰で日本からのサポーターは、大きな支障もなく、また様々な交流イベントも実施できましたことに深く感謝申し上げます。
 八月には安倍晋三内閣総理大臣の十年振りのブラジル公式訪問がありました。サンパウロでは、日系社会関連行事、経済関係の行事、スポーツ関連行事などが行われましたが、日系社会の皆様をはじめ当地は歓迎ムード一色で、千名以上の皆様との記念撮影をはじめ,大変な盛り上がりを見せました。特に訪問後,世界で三つ開設されるジャパン・ハウス(仮称)がサンパウロに設置決定、日系社会に対する数々の支援策、また、十七年ぶりの経団連のミッション、医療セミナーなど、具体的な経済関係への期待が大いに高まったことなどにより、今後の日伯関係強化の体制が構築されたことは大きな成果となりました。
 さて、本年は一八九五年(明治二十八年)十一月五日、パリにて調印された日伯修好通商航海条約百二十周年の記念すべき年です。爾来百二十年の間、日本人移住が開始され、今日百六十万人以上といわれる世界最大の素晴らしい日系社会が形成され、また、日伯の政治、経済、文化等の関係は着々と拡充・深化してきました。この百二十周年を祝し、サンパウロではカーニバル、花火イベント、経済セミナーなどにおいて日本関連の行事が多数実施されます。
 また、本年はサンパウロ総領事館も開設百年を迎えます。日系社会、ブラジル社会とともに歩んできた総領事館も一つの節目となり、日系社会、日系企業の皆様と共にオールジャパンで力を結集して、一層の両国関係深化拡大、人的交流の増進などのため、さらに尽力していく所存であります。
 結びに、昨年も含め本年の百二十周年、さらに二〇一六年のリオ五輪までの「飛躍の三年間」を通じ、益々日本とブラジルの関係が大きく発展することを心より願うと共に、新年を迎えるにあたり、益々の皆様のご健勝とご多幸を深くお祈り申し上げ、私の挨拶とさせていただきます。


新年のご挨拶

国際協力機構(JICA)ブラジル事務所所長 室澤智史
 新年明けましておめでとうございます。
皆様におかれましてはつつがなく新しい年をお迎えのこととお慶び申し上げます。また、旧年中は弊機構(JICA)の事業に対して格別のご支援を賜り、厚く御礼申し上げます。
 さて、昨年を振り返れば、八月に安倍総理のブラジル訪問がありました。日本の首相として十年ぶりの訪伯ということ自体が大きなニュースでしたが、さらに安倍総理から「日系社会との絆」をより一層強化していくとの強いメッセージを表明され、日系社会にとっては二重に嬉しい出来事ではなかったでしょうか。
 この安倍総理のメッセージを受け、今年からJICAでは日系社会支援の事業強化を進めていきます。具体的には、日系社会ボランティアの四十名増、日系社会次世代育成研修生(中南米地域向け)の五十一名増、医療分野の日系研修の充実、日系病院と日本の医療機器・サービス企業との連携強化などです。
 特に高齢者福祉の分野には日系社会ボランティアの増員を計画しており、従来から派遣している高齢者介護福祉士、作業療法士、栄養士、リクリエーションなどの職種をさらに充実させていきます。この増員によって、援協等が実施する「巡回診療」にも栄養士、介護福祉士、リクリエーション指導員などが常時参加可能となり、地方の日系社会において従来できなかった日本食などを用いた栄養指導、在宅介護の家庭への介護指導、疾病予防に重点を置いた健康体操や各種ゲームの指導などができるようになります。日系社会ボランティアはお年寄りが生き生きと楽しく暮らせ、病気になりにくい健康な身体を維持していただくよう精力的に活動していきます。
また、日系研修制度を通じて高齢者福祉に従事する日系人材の育成強化を図り、引き続き日系社会の高齢者福祉に貢献したいと思います。
 さらに、JICAでは民間連携事業スキーム等を活用して、日系病院と日本の医療機器・サービス企業との連携強化を進め、日本の優れた医療機器や医療サービスをブラジルの日系社会に届けたいと考えています。今年は日本がブラジルと外交関係(「日伯修好通商航海条約」)を樹立して百二十周年の節目の年となりますが、今後も高齢者福祉の分野で日伯両国の交流がますます盛んになることを期待しています。
 このようにJICAでは、ボランティアの派遣や日系研修員の受入を通じて、ブラジル日系社会の高齢者問題へのご支援を今後とも継続する所存です。また、その成果がブラジル社会全体の高齢化対策にも大きく貢献することを切に願っております。
 最後となりましたが、この新しい年が貴団体及び会員の皆様にとってより良き年になるよう心より祈念いたしまして、私からの年頭の挨拶とさせていただきます。
 本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。


本年もよろしくお願い致します

JICAシニアボランティア 与那覇博一
 愛する日系熟年クラブの皆様、新年あけましておめでとうございます。昨年は家族共々、お世話になり心より感謝申し上げます。皆様にとりまして今年も健康で幸せな一年になりますように祈念しております。どうぞ、よろしくお願い申し上げます。
 さて、私もJICAシニアボランティアとして約六ヶ月になり、時の流れの速さを感じております。ブラジルの生活にもようやく慣れて、まわりの人々とのお付き合いも楽しめるようになりました。ブラジルの豊かな自然、国際色溢れる文化、大らかで親切な人柄が大好きです。ポルトガル語はまだまだ不十分ですが、その他の能力を使ってコミュニケーションする力は格段に上達しました。これからも人の出会いと縁を大事にしながら友情を深めていきたいと思います。
 ブラジル日系社会の皆様の歴史と発展にも直接触れることができ、これまでのご苦労と貢献に敬意を表すると同時に明るい未来の到来を確信しています。日本・ブラジルともに様々な問題を抱え、決して平坦な道のりではありませんが、底力のある両国がこれからも友好関係を維持し、文化・経済の協力を続けていけば更に素晴らしい発展を遂げることができるでしょう。
 今や世界規模になっているのが高齢化社会問題です。日伯ともに大きな課題の一つに成っていますが、我々の想像以上に速いスピードで進行しているのを現場で実感しています。日伯相互の高齢者福祉制度がさらに充実したものになるように、そして高齢者の皆様が安心して楽しいライフステージを過ごすことができますように願っています。
 私もこの六ヶ月間、皆様の健康と予防介護のために努めて参りました。「笑いのある楽しい交流」という初期の目標は、ほぼ達成できたと思います。各地にある四十六支部中、現在十八回の巡回訪問を終え、ある程度の手応えを掴んできましたがとにかく広いブラジル、一年以内で一回りする目標が達成できるか、微妙なところです。
 内容は健康講話とレクリエーション、体操やゲームなどですが、最近話題の認知症問題についての関心が高く、予防のための最新情報や脳トレーニングを取り入れることが増えてきました。
 また、各支部ごとに人数の多少、杖や車椅子の方、日本語が分からない方が多い支部などがあり、必要に応じた内容を提供できるよう努力したく思いますし、健康管理やレクのリーダー育成にも着手したいと思います。本部や各支部相互のネットワークづくりも大事でしょう。できれば日本の各熟年クラブとのネットワークも構築できれば尚いいでしょう。
 さらに世代間交流も実現してみたいことの一つです。青少年や幼児(三・四世)との交流は相互に良い影響をもたらします。ついでに風呂敷を広げてみますと、ブラジルの高齢者(各民族)との交流も有意義ではないでしょうか。実を申しますと私の夢は「国際色豊かな高齢者ホーム」の実現でありまして、様々な国の高齢者が共に住み、各言語を話せるスタッフのもとで様々な文化を取り入れた歌や体操、トレーニング、レクやゲームを楽しむというものです。食事も和食を中心に各国の健康に良い食べ物をメニューにすると楽しみが増えるのではないでしょうか。
 話しが少し飛躍しましたが「千里の道も一歩から」で、まずは今、続けている健康法を継続しながら少しずつ改善を重ね理想の熟年生活を目指していきましょう。人生を楽しむことに関しては先輩である皆様の方が遥かに先を行っています。いろいろと今後とも教えて下さい。よろしくお願い致します。
 調子に乗って一句作りました。「和の群れに 誇りを抱き 夢育つ」。日系社会の皆様のたくましさに感動を覚え、日本人に生まれたことに誇りを持ち、将来へ大きな夢と可能性を膨らませています。句に干支を入れましたが気づきましたか? 今年は羊年です。同じ行動を取って大勢で暮らす事から、家族の安泰を示しいつまでも平和に暮らす事を意味するそうです。また、従順な動物でも知られています。人生素直が一番ですね!「老いては子に従え」ということです。お後がよろしいようで!


新年のご挨拶

ブラジル日本文化福祉協会会長 木多喜八郎
 新年あけましておめでとうございます。
 二〇一五年の新しい年を迎えるに当たりブラジル日系熟年クラブ連合会の皆様とともにお慶び申し上げます。私共ブラジル日本文化福祉協会理事会はじめ関係者一同、新たな気持ちで皆様のご期待に沿うよう邁進してゆく所存でございます。本年も引き続き一層のご支援をお願い申し上げます。
 さて、昨年度の日系社会で特に注目すべき出来事として、サンパウロイビラプエラ公園内に建設されています『日本館』の設立六十周年式典が挙行されました。またワールドカップ・ブラジル開催につき、日本からの観光客等との交流事業が皆様方と連携で無事終了することができました。そして、日本国安倍内閣総理大臣のブラジルご訪問も短時間ではありましたが、日系社会の方々とお会いになるなど、日本とブラジルの経済貿易友好関係の更なる緊密化の促進が期待される等、年間を通じて様々な方々との交流事業を開催することができ、活動の多い年でありました。
 今年の干支は未年、世界中の人々にとりましても馴染み深い動物であり、群を作って行動するところから、言い換えると、安泰と財を成すことを示しているとも言われています。
 ブラジル日本文化福祉協会も今年は創立六十周年を迎えます。日本の篤志家よりの御寄付により昨年から始めた移民史料館の史料収蔵庫及び事務所の改修工事が完了し、大講堂の改修工事や体育館を多目的ホールに衣替えする工事など、空調システムが設置された文協ビル内の各種改修工事が昨年十二月に完了し、今年一月より多くの方々にご利用頂ける場所を提供出来る事になりました。 
 また、二〇一五年は日伯修好条約百二十周年にあたり、昨年より『日伯外交関係樹立百二十周年記念事業ブラジル実行委員会』が在ブラジル日本国大使館を中心にブラジルで立ち上げられ、当文協を含む日系主要団体も一年間を通して行われる様々なイベントに協力し積極的に参加する所存でありますが、日伯交流事業の更なる発展と強化に繋がってゆくものと思われます。
 尚、今年は在サンパウロ日本国総領事館開設百周年という大きな節目の年にも当たります。還暦を迎えますブラジル日本文化福祉協会と共にブラジル日本移民の歴史を刻みつつ築いてこられたサンパウロ総領事館の百周年を祝福し、今後ブラジル日系社会と日本との絆がより一層強まっていくことに大きな期待を寄せているものであります。
 昨年より危惧されている自然現象がもたらす多くの課題はございますが、私ども日系社会はその難関を新たな起点として、どのように貢献できるかという今後の課題があり、この時こそ、日本とブラジルの水・食料に関してのパートナーシップの実現が不可欠となってきますので、更なる日本とブラジルの友好関係の絆に、特に両国間の科学技術分野での協力が更に発展できるよう期待感を持っており、私どもはそのために惜しまず協力する所存でございます。
機関紙『老壮の友』を発行されます関係者の皆様、そしてその活躍を維持されるブラジル全土それぞれの地域で活躍される会員の皆様のますますのご健勝とご多幸を祈念しまして、新年のご挨拶とさせていただきます。


新年のご挨拶

サンパウロ日伯援護協会会長 菊地義治
 ブラジル日系熟年クラブ連合会(熟連)会員の皆様、役員の皆様、そして関係者の皆様、新年明けましておめでとうございます。
 二〇一五年(未年)の新春を迎えるにあたり、サンパウロ日伯援護協会(援協)を代表して一言、新年のご挨拶を申し上げます。
旧年中は援協の社会福祉・医療事業に対し、温かい御支援、御協力を賜り、篤く御礼申し上げます。
 さて、二〇一四年度の援協の経営全般に就きましては、不祥事や事故もなく、日伯友好病院の好調な決算を背景に概ね、堅調に推移いたしました。
 まず、福祉部門に於いては神内プロジェクトの着実な実行により、さくらホーム、あけぼのホーム、サントス厚生ホームは見違えるほどに綺麗に、新しく生まれ変わり、入居者は新装成った施設で快適で楽しい毎日を過ごしておられます。又、イペランジャホームに就きましても日本財団からの改修資金援助できちんと改修され、入居者は快適な住環境の下で楽しく暮らしておられます。
 また、PIPA事業(自閉症児療育学級)がサンパウロ州政府との提携事業として正式認定され、今後は州政府の支援が見込まれると共に提携事業として、事業の拡大・発展が大いに期待されます。
 一方、医療部門では中核事業である日伯友好病院が関係者の経営努力により、好調な決算が続いております。唯一、サンミゲルアルカンジョ市との提携事業である救急診療所とSUS病院の経営が未だ、軌道に乗っておりませんが関係者の経営努力もあり、経営状況は着実に改善されつつあります。
 さて、近年、ブラジルでは公益社会福祉団体に対する法制面の規制強化により、福祉団体の維持・存続のためにはブラジルの政府及び公的機関との提携事業並びにブラジル人及びブラジル社会をも対象とした幅広い事業活動が求められております。そうした環境下、しっかりとした組織体制作りを行い、援協の将来に亘る長期的な存続の可能性をより確実なものにし、援協精神の原点であります「高齢者及び社会的弱者の救済援護」事業を充実・発展させていくことが肝要であり、この課題達成に向け、努力精進してまいります。
 さて、熟連様の活動は会報誌「ブラジル老壮の友」の刊行、健康体操、カラオケ、舞踊、コーラス、マージャン、民謡、練功、カラオケダンス、絵画、囲碁、ポルトガル語、書道、百人一首、花合わせ、俳句、川柳、名画鑑賞、健康表現体操、なつメロ、合唱等々、広範多岐に亘って活発にいろいろな素晴らしい活動をされております。
 ブラジルは年々歳々、高齢化が進んでおります。そのブラジル社会の中で日系社会がいかに融和、融合しながら、発展していくのか。その意味でも熟連様が果たす役割はこれから益々、重要になっていくことと思います。微力ながら、援協も熟連様のご協力を得ながら日系社会発展のために努力をしてまいりたいと考えております。
 末筆ながら関係者の皆様のご多幸と熟連様が益々その活動範囲を拡大し、その存在感を高め、日系社会高齢者の交流・社交の場、憩いの場として大きく発展されんことを祈念致しまして二〇一五年の年頭のご挨拶とさせていただきます。


日伯百二十年の絆

ブラジル日本都道府県人会連合会会長 本橋幹久
 一年の計は元旦にありと申しますが、ブラジル日系熟年クラブ連合会が機関紙「老壮の友」新年号を発刊されるにあたり、ブラジル日本都道府県人会連合会を代表いたしまして、皆様へのメッセージを申し上げます。
 本年は「日本ブラジル外交関係樹立百二十周年」ということで、ブラジルでもこれに関連したいろいろな行事が組まれています。これは一八九五年締結された『日伯修好通商航海条約』によるもので、これによりブラジルと日本の国交が樹立しました。このことが日本人のブラジルへの移民につながったわけです。まだ内容については発表されていませんが、いろいろな催しなどが行われると思います。
 さて、ブラジルに移住された方は戦前、戦後を通じて約二十五万人といわれておりますが、今ではその数は少なくなり、定かではありませんが、ブラジルで生まれた二世の方でも百歳以上の方がいるのではないかと思います。
 ブラジル日系熟年クラブ連合会は一九七九年、ブラジル在住の日系在宅高齢者の老後生活充実を目的に設立され、この中で会員相互の親睦と相互扶助、生きがい増進のための文化・体育活動、福祉活動やその他の行事に参加しておられることは、いつも熟年クラブ大会、カラオケ大会、芸能祭、ゲートボール大会など見させていただいて、心強く感じております。また近年、老人クラブの名前をもっと広げられ「ブラジル日系熟年クラブ連合会」とされ、その活動の幅をより広げられているようです。
 連合会のクラブ会員も一世から二世、そして三世、四世へと様変わりをしていくことと思いますが、その活動がこれからも末永くブラジル日系熟年の心の支えになることは間違いありません。この組織がブラジル全土に広がり、名実ともにブラジルの日系熟年クラブの連合会になることを祈ります。
 終わりにブラジル日系熟年クラブ連合会が今年も益々発展され、皆様方の心豊かな生活と明るく活気ある社会作りに貢献されますことを祈念致します。


嬉しいけれど困った困った

サンパウロ鶴亀会 玉井須美子
 先日、熟連の友人とDさんのお見舞いに行くことになった。昼過ぎ一時頃行こうという事で、昼食をすませバスに乗り込んだ。
 いつも昼頃は空いているのに、この日は空席が一つもない。「まぁいいか。疲れてもいないし」と思って立っていると、次の停留所で青年が乗り込んできた。ふっと私を見て大声で車内の座っている人たちに向かって「ここに年寄りが立っているのに誰も席を替わってあげないのか」と言いだした。
 「まぁ、ブラジルの若い者はいつもの事だが気が付くなぁ」と感心していた。しかし、誰も立とうとしない。すると、また青年が大声で「ブラジル人は親切な国民だと思っていたが、なんで立たないんだ。俺はペルナンブッコ生まれでペルナンブッコ人は曲がったことが嫌いなんだ」と皆に立つ事を促している。
 私は「いつも座らせて貰っているんですからいいんですよ。皆さんも疲れているんだし。私は大丈夫」と言っても、その青年は今度は運転手に向かって「このオニブスはお前が管理しているんだろう。なんで客に替わってあげるように言わないんだ」と言い出した。運転手は困った顔をして「それは個々人の考えだからどうにもできない」と言う。
私もどうしたらよいのか困ってしまった。女性の客はセルラーをかけてみたり、下を向いたり…。
 すると一人の青年がやっと立ち上がり、私に「かけろ」と言う。そして捨て台詞をはいた。「年寄りのくせにあんまり出歩くんじゃない」と言うではないか。私もそれまでは恐縮していたが、その台詞には内心カチンときてしまった。
 するとペルナンブッコの青年がまた「何をバカな事を言っている。年寄りは家から出るなというのか。用があったらバスに乗ったり出かけたりするのは当たり前だ。お前はママイをどこへも出させないのか」とまた言う。
 私は何やら居心地の悪い思いで、「もう、いいですから。ありがとう」と言って、最寄りの停留所で早々にバスを降りた。
 親切は嬉しいが、こんなにがんばって親切をされるのも困ってしまう。
 それにしてもだいたいブラジル人は親切でいつもはサッと立って替わってくれるのだが、これからは少しずつ世知辛くなっていくのかも知れない。


バーレ・ド・ソル観光記

サンパウロ中央老壮会 橋浦行雄
 十一月五日から二泊三日で二十名弱の方々とバスにてバーレ・ド・ソルに向けて出発。ブラガンサ街道は干ばつ続きのサンパウロと違い、適度な雨模様で心地よい風景である。
 セーラ・ネグラ市の一段高い地帯に築かれた大リゾートホテルは四千人を収容するという。サンパウロ州にこのような避暑地があるとはまさに「灯台下暗し」の感。各室より見渡せる自然の美しさは年に二回は来てみたいと、皆の感想です。
 幸いテンポラーダ(シーズン)と違い、子ども連れの客や日系人にもなれたもてなしぶりは快い居心地で、料理の品数も豊富でとても美味しかった。
 大小合わせて十カ所もプールがあり、そのうち四つは温水プール。さまざまな温度と段差もあり、最下段は水圧と滝式のマッサージ温泉で、子ども連れの家族も入り混じった浴槽は午前と午後に区切られている。
 娯楽場では希望によって、コーヒーのサービスまである。施設の規模が大きいため、歩行する範囲も広がり、足の運動にも良い。
 中央の高台にはさらに展望台があり、四方八方に全視界に広がる大自然の眺めは一段と心洗われるものがある。
 釣り好きな人には近くに池もあり、釣りを楽しみ事が出来る。ちょっと宣伝のようになってしまったが私が行った、良き避暑地のご紹介でした。


社会現象を語る漢字

ブラジル書道愛好会名誉会長・書道教室指導者 若松如空
 日本では年末にその年の現象を代表する漢字を選び、これを京都の清水寺の僧侶が書くイベントがあり、今回は「税」が書かれた。
 ブラジルでこのイベントがあると仮定したら、何という字が出るのか、と自問自答してみた。そして出た結果がこの夏に出た「疑」だ。言わずと知れたペトロブラス社の疑惑である。汚職の規模たるや、実に二百億レアイスと推定されている。
◎外国からの情報
 オランダの検事局と米国の法務省からSBMというオランダの企業が石油関連事業でブラジルの他、アンゴラとギニアに賄賂を支払ったとの告発があり、同社が二億四千万ドルの罰金を科され、二〇一六年までに納入することになったと伝えられた。同社の告白によると、二〇〇五年から一二年までペトロブラス社と二六七億ドルの契約をし、一億二千万ドルの賄賂を支払った。仕事は海上の採掘ベースとなるプラットホームの制作と賃貸である。二〇一〇年のプラットホームの納入では、大統領選挙とぶつかり、選挙期間中に間に合うようにとのルーラ政権の要請で、二千七百万ドルを価格に上乗せして出荷した。海底油田からの採掘だと、高々と右手を挙げたルーラ大統領がプラットホームと共に新聞に報じられたという。
 もう一つの外国からの情報は、ペトロブラス社が米国の製油所を買収した際に、実値価格に膨大な金額をかさ上げした疑惑である。この問題は長い調査期間を要したが、ブラジル検察局はかさ上げ額が六億五四〇万ドルであったと結論付けている。
◎連邦警察動く
 これらの疑惑から連邦警察が一斉調査に乗り出した。そして、ペトロブラス社内に汚職組織が作られていることを突き止めた。ほぼすべての発注が収賄の対象とされ、受取金が政府与党に分配された事が解った。逮捕された元補給担当理事パウロ・コスタ氏から「バラせば罰を軽くする合意」で得た情報は、驚くべきものだ。契約金の三%がPT党に。一%がPMDB党に。〇・六%がPP党、〇・二%が仲介役のコスタ氏と元議員のジャネット氏およびドル業者に、〇・二%が書類作成と送金係に、と分配率が決まっていたのである。
◎もう一人の理事
 PT党からペトロブラス社に送り込まれたと噂されるサービス担当理事レナット・ヅッケ氏が取り扱った建設業者からの賄賂が明るみに出て、ブラジル業界大手の社長、副社長らが警察に呼び出された。カマルゴ・コレア、オデブレッシ・カルロス・ガルボン・メンデス・ジュニオルなどの有名企業が調べられ、十八名の重役が一時拘束されるという前代未聞の出来事になった。
 レナット理事の受け取った賄賂は六年間で六億五千万レアイスと言われ、尋問された孫は銀行が使う装甲運搬車で家に金が運ばれて来たと語った。彼の部下のジェレンテは一億ドル返金すると述べたそうで、両名で収賄は九億レアルに達することになる。
◎困難な資金調達
 ペトロブラス汚職は海外にも伝えられ、そのために同社は大きな影響を受ける結果になった。貸借対照表を含む財務諸表は証券取引所の規定で、三か月毎に発表する義務があるが、会計監査会社プライス・ウォター・ハウス・クーパースは内容がハッキリしない間は署名する訳にはいかないとの態度に出たため、九月は発表義務の履行が出来なかった。
 これを知った米国の格付会社二社が投資対象の判断材料とする格付を引き下げると決定。そのためにこの年、欧州での債券募集計画を断念せざるを得なくなった。資金調達が困難になる予想に対し、同社の会計は充分な資金は用意していると言っている。
◎原油価格の下落
 悪いことに世界的な不況予想から原油の需要が減少し、ストックが増加している。加えて米国では低価格のシェールガスの発掘に成功して、燃料価格が飛躍的に低下する予測が出てきた。原油価格は一バレル百ドルが普通であったものが、六十ドルを切って五十五ドルが出る始末。南米の原油国・ベネズエラは原油が百ドルでこれ以下では赤字だと大騒ぎである。
 ブラジルは深海から引き揚げるため生産原油は高い。果たして原価の価格で採算が合うのかという疑問が出て来る。
 株価は来年の予想を考えて評価するから、将来が不安だと下落する。一昨年、海底油田の夢が熱かった頃、増資が行われ、一株二十八レアイスで売られた。ところが汚職と原油価格低下という二重苦で、急激に下落し、十一月には九レアイスにまで落ち込んだ。損失は七割に達する勘定である。
 米国株式市場へもペトロブラスは上場されていた。米国の投資家も損失が大きく、この下落は汚職によるものだとして、経営者を告訴することになった。国内からの参加も進められている。
 また、この事件でヒヤヒヤしているのがペトロブラス他、公社の従業員と恩給受給者である。会社が持つ恩給基金はペトロブラス株を大量に持っている。基金は積立金が減少した場合、これを補填する規定があり、会社が半分、受給者が半分を負担する。受給者が補填する方法でもっとも可能性があるのは、受給額を減らしてこれに当てる事であろう。受取額が減るのかどうか。
◎大統領選に落胆
 大統領選挙前に汚職のニュースは流れていたにも拘らず、官房長官を務めていたジルマ候補が当選したことに多くの国民、特に南部の有権者が落胆した。新聞や雑誌を読まない有権者にはこの事件の成り行きを理解することは無理なのであろう。サラリー・ファミリアルの配布は労働者の仕事への意欲を失わせる傾向を生んでいる。国の財政は赤字で、しかも過去十一年間で最悪である。経済成長は一四年度〇・三%と推測され、貿易収支は二五億ドルの赤字、インフレは高止まりだ。有識者は教育制度の改革が急務だと述べている。国の事情を理解できる国民を増加しないと、泥海からの脱出は出来ない。
 この騒ぎに一人の日系人の名前が出た。ペトロブラス社と建設業者の仲介役で、仲介料を要求。払わなければ、契約は破棄すると脅したという事だ。妻や息子の銀行口座に振り込まれた。
 戦後、ブラジルの日本人に対し、早く同化すべしとの論評が盛んだった。「郷に入れば郷に従う」という教えもあるとはいえ、「君子は和して同じず」という論語の教えがある。老子は「和光同塵」と言い、自分の光を弱めて、塵の中に同化する事を諫めた。「ジャポネース・ガランチード」はどう発生したのか知らないが、日本人は正直だという意味なら、これは絶対に失ってはならない評価である。同化で自分を見失ってはならない。


形見の品

スザノ 藤田朝嘉
 十数年前になる。聖市のラッパ区プリンセーザ・レオポルジーナ街に住んでいる梅里健二郎君から二親の形見分けと言って、色紙、硯箱、掛け軸を貰った。健二郎君の父君は生前、茨城県人会を創立し、顧問に納まった「梅里文幹翁」である。
 色紙は市販されている物と異なり、優美である。銀砂子と金粉をちりばめ、中に得も言われぬ模様があり、古歌が草書で書かれてあるが、変体仮名を使ってあるので読むのに一苦労する。私は数多くの色紙を見てきたが、このような色紙を見るのは初めてである。
 裏を見ると、この料紙は茨城県久慈郡賀美村、小室徳氏の制作によるものにて平安時代の料紙の研究と政策には屈指の大家と講せらる。朱印、水戸市梅香二五二、武藤、海雲、と細筆の達筆な字で…。
 なるほど、これでこの色紙の素晴らしいことが分かった。それにしても平安時代の色紙の製作法を現代に至っても研究せざるを得ないとはオドロキである。
 「硯箱」は黒の漆(うるし)塗りで光沢がある。幅二〇センチ、長さ二六センチ、高さ六センチ強の大型で、蓋の左側には梅の古木が彫られ、花が一輪著き大小の莟(つぼみ)が数多ある。
 右側の短冊形に作られた中には、草書で「誠」、下方に「東湖」と掘られてあるが、まさか藤田東湖愛用の硯箱ではあるまい。もしもそうであったら「家宝」物だ。蓋の内側は淡い朱塗りでノミの痕がある。箱も同様でノミで彫って作ってある。この硯箱は梅の古木で作られている物ではないか、と私には思われてならない。蓋の外側には節があり、木の筋まである。いずれにしても逸品である。私はこの硯箱を一度、書道の若松先生に目利きして頂こうと考えている。
 掛け軸は上質の美濃紙を用いてあるらしく、手に下げてみて重量感がある。壁に吊るしてみると、幅四〇センチ、長さ一五〇センチもある。
 冒頭に「天地正大気」とあるので、藤田東湖畢生の「正気歌」と直ぐに分かった。大正十三年発行の漢文の教科書巻五に載っているが、中国の南宋の大忠臣文天祥が牢囚の時、「正気歌」を作ったのに和して東湖も作ったのである。三百七十文字もある長詩である。正気歌は吉田松陰も作っているが至って短い。明治になって広瀬武夫が作り、教科書巻二に載っている。レコードにも吹き込まれていて、戦前に聞いたことがある。大正になって漢詩人として有名な国分青厓が日本海海戦をテーマにして作ってあるのを漢詩の本で読んだことがある。日本精神を鼓舞発揚する詩であることに変わりは無い。
 健二郎君から貰った掛け軸を私は年の暮れの大みそかの夜、壁に吊るして新年を言祝ぎ迎えたのであるが、白壁に黒い漢字の羅列では、一向に見栄えがしない。様にならない。東洋人好みの掛け軸は床の間に吊るしてこそ見栄えがし、奥ゆかしさがあると、つくづく思った。「ヤハリ野ニオケれんげ草」である。私はこの拓本の掛け軸を聖市歌会の日に持って行くことにした。歌材にでもなれば、と思ったのである。
 歌会の日、会場の壁に吊り下げて、「拓本の漢詩です。ブラジルでは滅多に見ることのできないものですから、よく見て下さい」と言うと、皆が寄って来て見るのだが、難しい感じの羅列を黙って見ているに過ぎない。
 A君が末尾の「藤田彪」の字を指さして「何と読むのか?」と聞く。「『ヒウ(彪)』と読むのです。藤田東湖の本名です。」と言うと、「藤田さんは東湖の子孫ですか?」と真顔で聞く。「トンデモナイ。私は水呑百姓の子孫。この掛け軸は私のパドリーニョの形見分けに息子さんから貰ったのです」と言うと、彼は納得してくれた。
 水本すみ子さんは私の側に立って、熱心に見ておられる。水本さんには読めるのだ。表情で解かる。「水本さん、天皇、帝、神州とあるところは、一文字、空けてから書いてあります」と言うと、「藤田さんはそのような所にも気付かれるのか」と言われる。皆が見了ったので、私は軸を下ろして、巻き了え席に着こうとした時、一番奥の席に座ったままいた斎藤深君が「藤田君、私にも見せてくれ」と言う。彼は今日、初出席でまだ皆に紹介されていないので、遠慮して座ったままでいたのだ。私は彼の側に行き、机の上に軸を広げた。一目見るや否や「東湖の『正気歌』ではないか。一体、どこから手に入れてきたのだ」と訊く。「梅里のパパイの形見分けに健二郎君から貰ったのだ」。「そうか。梅里の親爺さんなら、こういう掛け軸を持っていても不思議ではない。名家の枝流だからなぁ」と言い、小声で読み始めたので、私はびっくりした。
 「斎藤さんは、いつ漢文を勉強されたのですか?」と小声で聞くと、「戦時中、勉強した。正気歌は青年の頃は全部暗誦できたが、今ではうろ覚えになった」と言う。彼は十二、三歳で渡伯。父親は学習院の舎監を長年勤め、退職して渡伯されたので、漢籍、漢詩の本も持ってこられたのであろう。
 後日、彼は自作の漢詩を私に送ってくれたが、長詩であった。漢詩が作れるくらいだから歌の上達も早かった。大会の席題で一位になった事でも分かる。
 梅里家も斎藤家も私の家もチエテ移住地のベラ・フロレスタに入植したのであった。梅里家と私の家は一番仲良しで、親戚交際(つきあい)であった。
 ここで少し、梅里家の事に触れてみることにする。義父から私が聞いた話では、「文幹(ふみもと)」は梅里家の末っ子で、大正七年の米騒動に加わって、血気にはやり暴れたらしく、二親と親戚一同に忌まれ、北米へ貶流(へんる)された。ほとぼりがさめてから日本へ帰ったが、外国の生活に馴染んだ身は、日本は堅苦しくて住み辛く、ブラジルへ移住したのである。梅里の姓は光圀公の「水隠梅里」と梅里を賜い、以来、梅里と名乗るようになったのだと言う。
 長谷川良信先生が初めて来伯された時、梅里家を讃えて作った漢詩七言絶句がある。うろ覚えで先生に申し訳ないが、記憶しているだけ書いてみる。
 梅李桜桃春爛漫 里人挙盞祝新第
 健児多年図南志 雄魂〇〇〇〇香
 来伯せし、長谷川良信 梅里家を讃えて作れる七言絶句。
 三笠宮同妃殿下と対談の梅里夫妻の写真を仰ぐ。
 昭和二十三年。第二回目の訪日。
 生るる子は次々逝きて子の運なき健二郎夫妻をわれは哀しむ
 一粒万倍の扁額の書をわれは見る主の逝きし寂しき部屋に 知事岩上二郎書 文幹の姉の子。
 本年十月、健二郎君は世を去った。貰い子をしなかったので、梅里家は絶えた。謹んでご冥福を祈る。
附記・東湖の掛け軸は七年前、訪日した時、私より十五年若い従弟に与えた。彼は詩吟の先生で、県の大会の時は審査員であると聞いたからである。漢詩も作詞している。「ヤハリ野ニオケ、れんげ草」以上。


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