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熟年クラブ連合会
     エッセイ  (最終更新日 : 2019/02/15)
2015年5月号

2015年5月号 (2015/05/17) 一日だけの王様

レプレーザ高砂子会 原克己
 今年、私は一日だけの王様になった。いや、されたのである。と言うのも「ビュッフェ矢野」の女主人の矢野春子さんが、渡伯先祖の矢野廣二郎さん、そしてその妻である春代さん、並びに廣二郎さんの弟・彦二郎さんの三人のブラジル移住百周年を祝して、モジのシャカラ、ポン・デ・ローザ会館で百三十余名を招いて、矢野家子孫親族一同を全伯各地から呼び集め、盛大に「矢野家百周年記念ミサ」を行ったのである。
 矢野廣二郎さんが旅順丸で渡って、ブラジルに来たのは大正六年で、今年で百年に当たる。私も親族の一員としてこの席に招かれた。
 矢野廣二郎さんは男子七人に恵まれたが、息子さんたちは若くしてこの世を去って逝かれ、現在残っておられる一人の息子さんは私より年下であった。そのため、その日の集まりの中では八十八歳の私が一番の年長者となってしまったことから、総を私に一番先にして下さった。ご焼香の際も私が一番先、式典、ミサも無事に終わり、いよいよ御飯の時間が来たのであった。
 私としては、自分のようなジジーは御飯の時は後からと、控えめに遠慮していたら、なんと皆が皿を抱えて長い列になって並んで待っているではないか。
 この時も「原さんが一番先」と言われて、私は慌てて皿を取り、何だか済まないような気をしながらも慌てて料理をお皿に盛った。
 嬉しいより恥ずかしい気持ちの方が強かったけれど、八十八年目にして、一日だけの王様になった気分だった。


ペオン祭(牧夫祭)

短歌欄元選者 藤田朝壽
 四月に入って間もない日、私はバレットス市在住の池田正勝さんのお手紙を手にした。歌稿かと思って開封したが、さにあらず。丁寧な礼状と恒例のペオン祭のご案内文であった。
 以前に池田さんの作られたペオンの歌を選者である私は歌評し、その後で「一度行ってみたい」と書いたのを記憶しておられたのである。
 ペオン祭は八月の十五日から二十五日まであり、二十日頃が良いとの事。ホテルは一か月前に予約しないと予約済みになっている。一人か二人なら私の家でよろしかったら来て下さっていいですと書いておられる。以下略。
 老壮の友で分かったことだが、池田さんと私は同じ愛媛の出身なので、ペオン祭に行くと決まったら、お言葉に甘えて、泊めて頂くことを返信した
 私は一度だけだが、スザノ市で草ペオンを見た事がある。スリル満点であった。
 牛童子編著の「歳時記」を見ると、「バレットス市の牧夫祭は国際的に有名で、毎年八月になると三日間にわたって開催される。三日間で百万人の観客で賑う」と出ている。今は十日間も続くので延べ二百万近い人で賑わうことだろう。想像するだけでもスゴイ。まさに世界一の「祭」と言ってもいい。
 角笛や落馬の続くロデイオに【念腹】
 荒馬は天馬の如しペオン祭【白水忠志】
 一万の総立つ落馬ペオン祭【牛田幸良】
 荒馬の天秤揺すりを乗り鎮め【星野瞳】
 俳句は僅か十七文字の詩だが、ペオン祭が目に見えるように詠われている。
 俳句の先生方はこのように優れた句を残しておられるので、読者を楽しませてくれる。
 私の不勉強かも知れないが、ペオン祭の歌を「もの」にされたのは、池田さんが初めてではないかと思う。
 ブラジルの風土色豊かなペオン祭の歌を作って、後世に残しておくのは歌人として意義のあることではないだろうか。
 先輩歌人が亡くなったことを思うと、尚更である。私はベテラン歌人の梅崎嘉明兄を誘って、一緒にペオン祭を観に行こうと思っている。


与那覇さんの沖縄タイムス寄稿(1)「ハグとキスで溶け込む」

JICAシニアボランティア 与那覇博一
 与那覇先生が帰日の際に「沖縄タイムス」に寄稿されたブラジルへの雑感文です。
  ― ☆ ―
 時はワールドカップ、サッカーブラジル大会で世界中が熱狂していた時期、二〇一四年七月、ブラジル・サンパウロの空港へ大きなスーツケース十六個を押しながら、おっかなびっくり降り立った七人の大家族。周りの人がみんな悪人に見えたのが、正直な第一印象。
 「ボンジーア、トゥードゥベン!」(おはよう、元気?)気さくな笑顔であいさつが飛び交う。親しい人にはアブラッソ(ハグ)して互いの頬をくっつけ、軽くベージョ(キス)する。南米の対人空間距離は接近戦だ。ハグ(抱擁)まではできるが、キスは、ぎこちない。それに慣れて人のぬくもりと友情が感じられるようになり、心地よく思えるようになると、ブラジル生活に溶け込んだという証明になる。
 十五年で日伯交流百二十周年を迎える。現在約百六十万人の日系人が暮らすブラジルは、世界最大の日系社会でサンパウロがその中心地、私のボランティア活動は、そこに暮らす高齢者の健康管理を助けることで、主にレクリエーションや体操、ゲーム、講演などを行う。
 介護福祉士として地元の病院で働いていた私はその募集要項に魅力を感じ応募した。JICAボランティアのシニア年齢(四十~六十九歳)には家族随伴制度が設けられており、家族で話し合った結果、皆で行くことを決心。こうして私たち家族の南米大陸ブラジルでのワクワク、ドキドキ、ハラハラな二年間JICA海外ボランティア生活は始まった。
 街の至る所にはホームレス、変わりやすい天気(標高七百m)、夜は危険なので外に出ない(外国では当たり前)、トイレの紙は流さずちり箱へ(配管が詰まる恐れ)、誰もがお年寄りにはすぐに席を譲る(親切で紳士的)など、まずはカルチャーショックの洗礼。「郷に入れば郷に従え」で受け入れて慣れるしかない。こんな時こそ「なんくるないさー」「いちゃりばちょーでー」という、うちなー遺伝子の出番。その点、子どもたちは友だちをつくり覚えるのも早く柔軟で順応性が高い。
 ブラジル日系社会の高齢者は移民の一世、二世が大半を占める。苦労して現在の日系社会の土台を築き、家族を守り立派に育て上げた子や孫は医者や弁護士、大学教授、議員になっている人も少なくない。今では一線を退いて年金でのんびり暮らしている。ブラジルでは六十歳以上のこうれいしゃは電車やバスが無料。だから活動的な高齢者が多い。この点は日本も取り入れて欲しい。
 今ではブラジル人のご家族や日系人のご家族と家族ぐるみのお付き合いをさせて頂く機会も増えてきた。これこそ私が一番望んでいる状況だ。家族同士の交流こそ真の国際交流につながる。日系移民もそのようにしてブラジル社会に同化してきたに違いない。沖縄県人会の祭りで、習字の得意な次女がブラジル人の名前をカタカナや漢字で書いてあげるととても喜ばれた。子供たちも小さな国際ボランティアを経験している。


街路樹

サンパウロ鶴亀会 井出香哉
 私は息子の家の離れに住んでいる。部屋の窓からは息子の家の台所と隣の家の一部しか見えない。年末になると花火の音は聞こえるが、花火は見えない。飛行機やヘリコプターの飛んでいる音だけが聞こえる。
 ほとんど毎日出掛けているので、往復のバスから外を見るのを楽しみにしている、カランジルの青年の園を中心にして行きは裏側、帰りは表側を通って帰る。裏側の門の近くにジャボチカーバの木があって毎年実がいっぱいなる。白い小さな花が咲き青い実がびっしりと幹に並んで、やがて甲虫みたいな黒い実になり、人が食べるのか、落ちるのか、いつの間にかなくなるまで楽しみにして見ている。
 実が無くなっても毎朝見るのが習慣になってしまった。バスが満員で、木が見られない日は何か物足りない気がする。帰りは表側を通って帰る。季節によって違うが四月のパイネーラの花から始まって、イッペー、ジャカランダ、ペデヴォッカと咲き、その間にビワの黄色い実がなり、びわ酒を漬けるのにちょうど良いなぁと思ったりする。
 カランジルが刑務所だった頃は、土手にヨモギがいっぱい生えていたが、今は除草して芝生が植えられ、ヨモギはなくなった。
 バスの窓から手を伸ばせばとれそうな桑の実を見ると、くちびるを紫色にするほど食べた子どもの頃を思い出す。何年も同じ木と花を見ていて気が付いたが、秋から冬に咲く木が多い。春から夏は花が少ない。夏は青黒く見えるほど葉が茂っている。
 花のない木でも枝の先に緑色の若葉が出ると、春が来たと嬉しくなる。
 私はコレドール(家の通路)に鉢植えを並べている。私の家は陽当たりが悪いので、花が育たない。実生だが金柑(きんかん)の木は二十年のうち三回花が咲いたが実はならない。ジョボチカーバは十五年の間に九つ実が生った。
 初めての実、一つは小鳥にとられ、二回目は三つ、一昨年は四つ、今年はいっぱい花が咲いたので喜んだが、二つしか残らなかった。ブルベリーは花が咲くだけで、今は花もチラホラになった。その代り、韮(にら)と三つ葉は一人では食べ切れないほど生えている。
 今朝も熟年クラブへ行くために満員のバスにもぐり込み、人の間から街路樹を見ようと目を凝らしている。


ペスケーロ(釣堀)

ジュンジャイ睦会 長山豊恵
 シトシトと小雨の降るような日であった。
 バス一台三十名でカンピーナス市アルツールノゲイラの和田さんのペスケーロ(釣堀))へ行くことになっていた。
 あまりハッキリしない天気のため、前の夜、Tさんから電話がかかって来た。「雨が降っても行きますか?」と聞いてくる。「ハイ、行きますよ」と返事はしたものの気が気でない。(どうか、お天気でありますように)と心で祈りながら、夜が明けると、案外お天気も良さそうである。
 会館にみんな集まって、九時に出発。少し行くと小雨が降り始めたが通り抜けていくほどに曇り空となって来た。
 目的地のペスケーロに十時過ぎに到着。バスから降りると、男たちは早速池の方に下りて行った。女たちは話につられて座り込んでしまった。
 前もって知らせてあったので、和田さんが待って下さっていた。九十二歳を越した和田さんがお忙しいのにたくさんのお餅などを作ってご馳走して下さった。昼食も美味しいこと。自分でもびっくりするほどペロリと食べてしまった。
 女性同士のお話はキリがないから私もしばらくして釣堀の方へ下りて行った。竹やぶのかげにちょうどよい丸木があったので、そこに座って魚釣りをすることにした。しかし待てども待てども中々釣れない。
 池の上で釣っているMさんは時折釣り上げている。右の池ではAさん親子が面白そうにチラピア魚を釣り上げている。なのに私の釣竿はピクリともしない。イライラして待っていると、チラホラと小雨が降り始めた。とたん、グッーと竿が引かれた。慌てて引き上げる。竿が折れんばかりにグイグイと引っ張ってくる。やっと一匹釣れた。大きなチラピアである。ゆっくり釣ろうと座りなおすと、「帰ろう」と友人が呼びに来た。「曇っているので、雨が降るかも知れないから早く帰ろう」と言う。やっと一匹釣れたから、もう一匹ぐらい頑張りたかったけれど、帰ることにした。帰り道も降らずに無事、家に着き、楽しい一日だった。
 和田さん、ありがとうございました。


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