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熟年クラブ連合会
     エッセイ  (最終更新日 : 2019/02/15)
2015年7月号

2015年7月号 (2015/07/17) 奇遇

サンパウロ中央老壮会 猪野ミツエ
 私は和歌山県田辺市神子浜に生まれました。学校は田辺第二小学校に通いました。歩いて五分の距離でした。あの頃はまだ田辺町であり、学校は第一、第二、第三と三つありました。
 第二小学校には一年から六年と二年制の高等科があり、月に一回、地域別にそれぞれの産土神へ先生に連れられお参りしたものでした。
 学校としての特色はこれも月ごとに校内競技会が催され、タイムを競い合い、五年生になった頃から近隣の運動会には高等科の人や先生の自転車に乗せてもらって学校対抗リレーなどに参加しました。いつもいい成績だったと思います。
 五年生からはテニス部もあり、玉拾いからネット張りなどをし、部活でがんばったものです。
 進学してからは、その頃に球を競った他校の人と机を並べて喜び合ったものです。
 ブラジルに移民して松原移住地に入りましたが、学童の頃に一緒に走った友もいて、奇遇を喜び合ったものでした。
 話は変って、もう一つ。小学校に通っていた頃の話です。
 一級上に佳子さんという人がおりました。叔父さんは歯医者さん。一風変わっていて、学校帰りの道端でみかんの木の下で腕組みして瞑想(めいそう)していて、子供心にも何と変わった人だなぁと思い、祖母に話しました。すると「あの方はホクを詠む人らしい」との事。ホクって何?何も分かりませんでした。あれから五十年経って、私も誘われるまま俳句をかじり始めました。
 何と虚子の歳時記にも載っている福本鯨洋さんでした。故郷の田辺の扇ヶ浜にも句碑があります。有名な先生であられたのに、何も分からず変人!と思ったりした事、誠に申し訳なかったと悔いている所です。


ボケからの脱出

インダイアツーバ親和会 早川正満
 老いの健康法として、腹八分を書いた私が八十歳の祝い料理を腹十二分に食べたために高血圧と糖尿病の落とし穴にはまった話です。
 七十歳代に入った頃は少しは無理が通ったのに今度ばかりは僅かな無理が通らないことを身に染みて感じました。
 上がった血糖値は薬や運動などで徐々に下がったのですが、体と違って神経細胞への血流の速度が違うのか、なかなか糖分を解放してくれず、頭痛は無いのに目の前が錯乱して時計を見てもまともに読み取れず、ドアの取っ手も方向違いで探して、息子たちを驚かしたりしています。まだ動いている脳の片隅で「あぁ、これが認知症、つまりボケの世界か」と実感した。それでも落胆しなかったのは、妻の介護をしてくれている息子たちに俺までも!という気が先に立ち、医者の指示には従ったが、並行して自分の信じる健康法も実践しました。
 まず、食事の食する順序。そして腸内細菌の倍増(エサをやる)。臭くないオナラが増えたら善玉菌が増えた証拠。一週間でオナラの数が増えました。
 そして、彼らつまり腸内細菌が体の隅々に治療に走ってくれた。運動(歩く)は糖尿病の場合は食後の方が適している。食前だとかえって血糖値が上昇する。運動も背中と首筋にうっすらと汗が出た感じがするまで。なぜなら体の各器官が目覚め、腸内細菌の救援を受け入れてくれる狙いがあるからです。
 血のサラサラも考え、薄い味噌汁に薬味として玉ねぎをたっぷり。そして量は腹七分目。発病したのは六月七日で十日経った頃から目の感覚がだいぶ正常になり、二十日経った今は原稿用紙にこの文章を書けるまでになりました。全快とまではいかないが、ボケからの脱出ができたのは、身体の外と内からの助けがあったからと感謝しています。
 健康長寿とは老体を労わって一日一日を真剣に生きることだと痛感しました。
 怪我や事故にも注意し、自動車の運転も諦めました。農場から十一キロ余りある親和会の集会には出席も難しくなりましたが、「老壮の友」への投稿は可能なので、今後もよろしく。


先輩の誉れに感謝

カンピーナス明治会 樋口四郎
 今年も去る六月二十一日、サンパウロ日伯文化福祉協会(呉屋春美、会長)に於いて、二〇一五年度白寿者が二十七名表彰されました。
 中前隆博在聖総領事殿を筆頭来賓にコロニア御三家(文協、県連、援協)の代表、その他各地文化団体代表、日系政治家、福祉団体等々の出席を仰いだ表彰式の模様を、新聞紙上で拝見し、受賞者に祝辞を贈りたいと思います。
 笠戸丸以来一〇七年間に移住なされた日系コロニアの先駆者のご苦労を、我々自身の身上に照らし合わせます時、先達の艱難辛苦(かんなんしんく)は我々の比較にならなかったことぐらい想像にたやすく、私たちの恵まれた在伯人生は先駆者の偉業故に成り立たせて戴いております。この事を心に両手を合わせて熟慮せねばと存じます。
 私たち戦後移民は先駆者から何を学んで、何を子孫に伝え、日本民族の何をブラジル社会に残すべきか。後輩として日本人の誇りが衰えているのではないのかと感じる昨今でございます。
 すべからずとは言えませんが、戦後単身移住者の考え方等々をつぶさに観察しておりますと、他力本願、我田引水の趣を最良とお考えではありませんか。
 母国日本は悲しいかな領土的にはご先祖代々狭き土地柄、持ちつ持たれつの精神が神代の時代からあり、義理人情が美談として民族の文化に息吹いています。勤勉、向上心が大和民族の誇りとして到達されたと理解しています。
 良い習性と思われるので、私たちはその事をかみしめ、子孫の道標(みちしる)べと致したいのです。
 最近のコロニアにおいては「世の為人の為」の気概がめっきり見えません。半面、優越感志向、自分本位の方が勢いついて来た感じがしています。
 致し仕方なき仕儀と諦めるのが常套(じょうとう)手段かもしれませんが、それでは余りにも、先駆者、高齢をお迎えの熟連クラブの皆々様の今日までのコロニアに対する愛情お導きに失礼と存じます。
 あえて戦後移民の若者の啓発を最近になって、促したいと思います。
 私の生まれはは一九三〇年代です。その頃の大人は戦中戦後育ちの少年をどのように観察されていたのでしょうか。現在の我々が、戦後生まれの人の自由奔放な言動行動(自由民主的西洋風)を些(いささ)か奇遇に感じるのと同じように目に付いていたのでしょうか。
 人の働きには報酬が有って当たり前と思って育った人には奉仕の精神は時代と共に薄れ「人道奉仕」「世の為人の為」が希薄になってくるでしょう。極端に申せば報酬無しの働きはできないということでしょう。その点、先駆者に育てられ、奉仕精神を感じて来た日系二世以後のコロニア社会の息き付いている地区の団体等の運営に称賛の意を表したいと思います。
 最近の「文化事業、記念事業」など、よく耳にする母国の関連事業で、泣きついて、莫大な支援金を戴いた人もあるとか。戦後七十年も過ぎ日本移民百七年ともなれば、「恥じも外聞も」なく、メンツは「かなぐり捨て」て、胸を張る日本人が多少おられるということでしょうか。
 道徳心、人情通念の欠(かけ)らもない悲しい「他力本願」を、最大限活用できる人が優秀な人材となるのでは…と心配しています。この地に移り来て、子や孫まで授かった大の大人が、文化事業達成のために陳情に赴かれたという事を耳にし、誠に悲しい気がしました。
 これ以上述べては当事者のお気に障っては申し訳ないのでこの辺で打ち切りと致します。
 決して非難では無くコロニア社会が多少弱体化している傾向を願わくば先人の尊い努力と教えに感謝し、その意を忠実に継承するのが誠の誉れになると私は信じています。
 白寿の表彰者はじめ苦労をされた高齢者の皆様に敬意を表し、私もその様な人生にあやかりたく、長生きしたいと思います。
 我らの子孫となる日系ブラジル人に先輩魂を残さねばなりません。本日は些かお祝いムードに対し趣に反しました。一重にお詫び申し上げます。失礼しました。
 改めて白寿お祝い申し上げます。誠に祝着至極にございます。
 最後になりましたが、健康にはくれぐれも留意なされますよう祈願させて戴きます。合わせて先輩、先駆者の皆様お元気で家庭円満、平和に日々楽しいお暮らしを願って終ります。ありがとうございました。


♪思い出の歌「少年探偵団」♪

サンパウロ中央老壮会 丸山華江
  先日のことです。大雨の夜、ものすごい雷鳴と共にパッと電気が消えて、真っ暗になってしまいました。
 テレビも見れず、本も読めず、結局、寝ることに…。でも、まだ早い時間で眠るには目がさえてしまいベッドでぐずぐずしていると、外でポーンと音がしました。
 アパートの窓から外をのぞくと、家の前の大通りの電気のトランスがショートして燃え上がっています。そしてじきに消えました。しばらく見ているとまたボーンと音がし、メラメラと燃え上がりました。それが何回も続きます。雨はまだ降り続いています。
 フッと前方の空を見上げると、少し向こうのビルの工事用のネットの留め金が外れ、大きなビルを覆うネットが大空に投網を打ったように舞い上がっています。大風にあおられて巨大なネットが舞い上がったり下がったり波打って、隣のビルの屋上に引っかかり、空中に投網の橋が掛かったようになってしまいました。
 その時、ふっと頭に浮かんできたのが、昔、子どもの頃に読んだ少年探偵団の話です。
 怪人二十面相が隣のビルから宝物を盗んで投網を渡り(網だったかも)、他のビルから逃げるという話です。それを察知した明智小五郎や小林少年が駆けつけますが、もう逃げたあと…。そんな場面を空想しながら口から出てきたのが「少年探偵団」の歌です。
 もともと空想好きな私ですが、そんなことを考えながらしばらく闇夜を楽しんでいました。

♪少年探偵団♪

ひばり児童合唱団
作詞:檀上文雄
作曲:白木義信

ぼ・ぼ・ぼくらは少年探偵団
勇気りんりん るりの色
望みにもえる 呼び声は
朝焼け空に こだまする
ぼ・ぼ・ぼくらは少年探偵団

ぼ・ぼ・ぼくらは少年探偵団
力ようよう 海の色
胸も高鳴る 呼び声は
まひるの空に こだまする
ぼ・ぼ・ぼくらは少年探偵団

ぼ・ぼ・ぼくらは少年探偵団
知恵は七色 虹の色
夢もふくらむ 歌声は
夕焼け空に こだまする
ぼ・ぼ・ぼくらは少年探偵団

ぼ・ぼ・ぼくらは少年探偵団
誓いはかたく 鉄の色
あしたをめざす 歌声は
月夜の空に こだまする
ぼ・ぼ・ぼくらは少年探偵団


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